02-鬱的な朝
……朝は極めて鬱陶しい。
朝……唯一私が休める時間である睡眠時間の最後を作り、再び動くことを催促する存在。
……やはり朝は極めて鬱陶しい。……今日はより鬱陶しく感じた。「いっそのこと、この朝が一生来なければよかったのに」なんて思うほどにまで、だ。
……自分でも少々おかしいとは思うが、それでも鬱陶しいんだから仕方がなかった。
「まぁまぁ、そんな落ち込まないでくださいよー、私と離れるのがイヤなのは分かりますが」
そして鬱陶しいと言えば、隣で歩いている姉さんも相当な鬱陶しさだ。
……彼女は現在リアルタイムで私の中の鬱陶しいランキングを三ケタから一気に追い上げて二位に君臨している。
そんな彼女のパフォーマンスは“隣に肩を並べて歩きつつニヤついた表情で何度も同じことを繰り返して言ってくる”だ、10点7点9点の高得点を取得している。次回のオリンピックでは金メダルが期待できそうだ。
…………死ねばいいのにコイツ…………。
人の不幸は蜜の味とでも言いたいのだろうか、いや、言いたいのだろう。
マスコミの資質が溢れんばかりだ。誰かさっさと雇ってくれ、とっても素晴らしい人材ですよ。恐らく人の不幸を見るためなら激戦区ですら生身で行きかねませんから、この人。
…………そのまま流れ弾に当たって死ね。
「いやですね? 幼いころからずぅっと私と付っきりだったのに離れるのが苦しいのは分かります! ええ、分かりますとも!! お姉ちゃんも苦しい! だけど私はこうして我慢しているのです! だから暁さんも落ち込まないでください!」
「いいえ、落ち込んでませんよ。むしろ男に囲まれてハーレムなのがとってもハッピーです」
あまりにも的外れで身勝手な願望ばっかり馬鹿みたいに言ってくるので、少々むっとした顔で言い返す。
……本当だったら今すぐ嫌悪感を露にして舌打ちをしつつ胸倉掴んで頭に破砕機を押し付けたいぐらいイラついているが、少々むっとした顔程度に我慢する。
我慢は私の少ない長所の一つなのだから、最大限に使わなければ。
「ほぉーそうですか、そうですか……こんな本持ってるのに?」
不機嫌そうにすれば多少は嫌がられてるのに気付くかと思ったが、どうにも私の反応が気に入ったらしく、姉さんは更に顔をニヤつかせて自分の通学用鞄から何か一冊の本を取り出す。
……それは魔法使いが魔法を記録し、使うために所持している“魔法張”でもなく―――。
「―――ッッ!!」
「『色素薄い姉妹がイチャ付く本-ver.某有名アイドル○ェミー×美少女実妹○レイ-』」
私が机に二重底の仕掛けを使って隠していた同人誌だった。
……ふ、ざけ……やがって……!!!
「ほぉほぉ、何時の間にこんなモノを買ったのやら……しかも姉妹モノ、……まさか、暁さん……あなた…………、ダメです! 私には光二さんという最愛の人間がッ……」
「違いますよ変態死ね!!」
「いやしかしッ……これは甘やかした私の責任ッ……!? ならば私はその愛を受け止めるべきなのでしょうか……、同姓の……しかも血縁関係にある人物に抱いた歪んだ愛情……ッ!! ああっ、私は一体どうすればっ……!!」
「聞けよクズが!」
暴言を吐きつつ同人誌を奪い返し、それのついでに姉さんの顔を殴ろうとするが、ひょいっと軽々しく回避される。
……くっ……速い……。さすが“速”魅の名前を持つだけのことはある……。無駄に洗練されてて無駄に速い……。
それしか取り得がないクセに…………。
「ま、この機会に彼氏でも作って正常な性癖になればいいと思いますよ」
回避した姉さんはふとした拍子に“呆れ”にも取れるような微笑を浮かべつつそんなことを言う。
……コレだ、私が姉さんに完全に心を打ち解けられない理由は。
「あなたが言わないでくださいよ。それと彼氏とかありえませんから、気味悪い」
「いやいや……でも、そんな同性愛なんていう世の中に何の得もない性癖持ってるよかマシだと自負してるんですがね。……間違ってますか?」
「…………」
そう、そうなのだ。
私は一般的に“百合”だとか“レズ”だとか呼ばれる―――つまるところの同性愛者なのだが、姉さんはコレを確固たる意思を持って拒絶している。
……男なんてなんで好きになるのか理解できない。
あんなゴツゴツした不気味な体に不気味なモノが生えてる輩よりも華奢で柔らかい少女のほうがいいに決まってる。
……確かに生物学的に見ればおかしいかもしれない。でも違うんだ。
少女はね、なんというか……芸術作品、みたいな……そういうモノなんだ。
そんな少女と少女が重なって恥らいつつ素肌を擦り合わせている様はこの世に与えられた心のオアシスと言っても過言ではない。
……そしてそんな清楚で鮮麗な少女達を汚らわしい白濁液で汚していく男は死滅するべきだ。しないなんておかしい。
いやむしろ少女同士でも子孫を繁栄できるような体に人間が進化すればいい。いや、今すぐするべきだ。
そうだ、それがいい。
「…………変わった子ですよね、あなたも」
「だからあなたにだけは言われたくないと……」
「……え?」
突如として姉さんは驚愕の声を上げて一時停止する。
……聞こえなかったのだろうか、それとも自覚が無かったのだろうか。自分が変人あるいは狂人だということに。
自覚が無かったのだとしたら今すぐ教えてやらねば。
「姉さんは確実に社会的人間から大いに遺脱した変人だし、狂人ですよ」……と。
「だから、あなたには言われたくないと―――」
「いや、そうではなくてですね……ほら……」
私の言葉を遮って姉さんはある一定の方向を指差す。
……何があるというんだ。
姉さんを驚かせるなんて相当なモノなのだろう、きっと宇宙人とかそれ以上のレベルに違いない。あるいは現在進行形で体が段々と千切れていく怪奇現象に見舞われた人間とか―――。
なんて思って見て見れば、普通に一軒家の敷地内で寝ている柴犬を指差していた。
……は? 馬鹿にしてんのか、コイツ。
あれか。「あっ! UFO!!」みたいなノリか。
殺すぞ。
……それともあれだろうか、姉さんは犬という生命体を知らないのだろうか。
ああ、そうだ。そうに違いない。やっぱり姉さんは変人だったんだな、犬を知らないなんて。
折角なので親切に教えてあげよう。
「……姉さん、あれは犬という生き物の柴犬という種類でしてね……」
「……は? 何言ってるんですか……? え……? ……もしかしてこれって私がおかしいんですか……?」
「今更何を。姉さんは何時だっておかしいでしょうに」
「…………ま、まあ。なんです、行きましょうよ。遅れちゃいますよ? ほらほら……はは……」
そう言いつつも視線は犬に向けたまま私の背中をぐいぐい押してくる姉さん。その顔には引きつった笑みと汗を浮かべていた。
……怪しい姉だ…………いや、今に限ったことじゃないが……。
◇
その後も何故か顔中に焦りの色を浮かべ、しきりに自分の目がおかしくないか確認してくる姉さんを適当にあしらいつつ試験会場に辿り着いた(終いには“ハッ……もしかして私には霊感が……!?”などと間違った方向に入りそうになっていた)。
試験会場の外見は普通のドームのようだったが、中に入ってみれば、あちらこちらに真鍮と銀による装飾が施されており、礼拝堂のようになっている。
……やはりアレなのだろうか、魔法とか言うからには宗教とか絡んでくるのだろうか。
そういえば……大体二年ほど前に亡くなったアイドル(シェミーとかそんな名前だったと思う)も科学一掃作戦の時に“蒼天を貫く神槍作戦”という作戦で魔法派の基地に攻め込んできた科学派の武装集団を一掃してからカルト的人気を誇ってたな……。
やはり魔法と宗教は切っても切れぬ関係なのか……?
「おや? これはこれは速魅殿に暁殿、如何なさいましたかな、こんなところでお会いになるとは」
などと私が内心考えてる内に声を掛けられる。
誰かと思って見て見れば濡れた鴉のような黒髪を頭の後ろで一括りにしている少女が眩しい笑顔を此方に向けていた。
「あ、閃莉さんじゃないですか。光二さんは元気ですか? 元気じゃないってんなら今すぐ私が秒速100kmで元気付けに向かいますが」
「兄上に会う前に貴女が死にますぞ」
だろうね。私もそう思った。
……この実に私と考えが似た(と、私自身は思っている)少女は名前を月山閃莉という。ちなみに姉さんの彼氏である月山光二さんの妹さんだ。
その顔付きは未だ何処か若干幼い部分があるものの、兄である光二さんと同じようにキリッと纏まって凛としたイメージがある。
手足は太すぎず、細すぎず、適度な筋肉が付いていて、彼女が兄である光二さんとは違って活発であることを無言で語っていた。
恐らく私は彼女に「好きです」と告白されれば「私の方が十の十乗倍好きです」と即答するであろう程の容姿だ。
……だが、今日も腰に差してある日本刀が怖い(模擬刀でもなんでもなくマジモノだ。なぜ逮捕されないのだろう)。
鞘に収まってるのが救いか……。
「いやぁーしかし……やっぱり月山さんと同じ血が流れてるだけあって綺麗ですよねぇ……。しかも妹属性故か可愛らしさまで兼ね備えている……どうです、猫耳メイドなんてやってみる気は……」
「あっはっはっはっは! お気持ちだけで簡便してくだされ、それ以上近寄ったら組み立て前のプラモデルみたいにしますぞ」
喋り方は古風っぽいのに例えが割と近代的なのは何故だろうか、……いや、きっとツッコんではいけないのだろう……。
そしてさらりと拒否されている姉さん。ざまあみろ。
「えーいーじゃないですかー、ほら、先っちょだけ! 先っちょだけだから!」
「それがしの刀は先端だけと言わず根元まで突き刺さりますぞ」
「……?」
両手をわきわきと動かしながら迫る姉さんに閃莉が冷徹な満面の笑みで答えている……そんな時、私は姉さんと楽しそうに(見える)会話をする閃莉に何処か違和感を感じる。
……何か、というか途轍もなく大きい何かを見逃しているような……。
「閃莉……何かイメチェンでもしましたか? なんか……違和感があるんですけど」
「ああ、分かりますかな? 実はですな……高校デビューということで」
高校デビュー……だと……。
生真面目な閃莉からは最も遠い単語だと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。
……でもピアスしてるワケでなし、髪形もいつもと同じだし……。無論髪色も従来のまんまだし……。
何が違うんだろうか。というか相変わらず飾りっ気のない容姿だ。私と姉さんも同じく飾りっ気のない見た目だから何も言えないが……。
「それがし、胸の余計な脂肪を全部消し去って参り申した」
……あぁ、良い感じに成長してた胸が無くなったのか。
なんだなんだ……そういうこ……。
…………なんだと!?
「「な、なんだってー!!」」
「おぉう! ど、どうしましたかな、お二人とも……そんな大声を出されて……」
大声も出すわ!
きょとんとした表情で平然と驚くお前にこっちがきょとんとするわ!!
……は!? はぁ!?
この子は何をやってんだ!? 世の中には貧乳に苦しんで豊乳手術とかやる人がいるってのに……!!
自らその可能性を断ち切っただと!?
「う、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……!! 女性体系版月山猫耳刀メイドが……!! 私の女性体系版月山猫耳刀メイドがッッ!!!」
私は私で相当ショックを受けたが、それ以上に姉さんがショックを受けたらしく、ぶっ壊れた。
……あ、ああ……姉さんがご乱心だ……。
…………貧乳の閃莉も可愛いな……むしろ変に育ってバランスが崩れるよりはこっちのが良かったかもしれない。
それに刀を振るうなら胸は無いほうのが様になるだろうし。
うん。ナイスだ閃莉。あとは私に告白してくれば完璧だぞ閃莉。
「何故ですか!? 何故そんなことをしたのですかァ!!」
ギャンッという音がしそうな速度で姉さんは閃莉に肉薄し、その肩をガタガタと揺さぶる。
……そりゃ揺さぶりたくもなるのだろう。姉さんは前っから“閃莉さんの胸が無事成長したらきっと……女体化した光二さんみたいな容姿になるんですよ。そしてそれを好き勝手に私は出来る……”とか言っていたのだから。
……むしろ言ってたから閃莉は思い切ったんじゃないだろうか。……そうかもしれない。
「あぁうあぁうあぁう……」
私がのん気に考察している間にも、ガクンガクンと為されるがままになる閃莉。
しかし……ど、どういうことなんだ……やっぱり未だに理解できない。先ほどはパニック直後の不可思議な冷静さに捕らわれたから何とか納得してたけど、やっぱりおかしい。何かおかしいと思う。
いや、いや……それよりもとりあえず姉さんを止めなければ……。このままだと閃莉が死んでしまう……。
◇
カチリ、カチリ、カチリ、カチリ、カチリ……。
部屋に反響する音、時計の音だ。……それは分かる、理解できる。
今、僕がこうして椅子に座って天井を見上げてる間も確実に時は刻まれているのだろう。
……でも、思考は放棄したい。
やることはやった。手は全部尽くした。けどやっぱり……。
何度見てもどうやっても、僕の持っている受験票は聖アマテラス魔法学院のモノだった。
……何がアマテラスだよ……日本馬鹿にしてんのか……。
心の中でグチる。けど意味はない。
……本当にもう手は全部尽くした。街(Magic chanelというネット上に存在している巨大匿名掲示板の略称だ)に「聖アマテラス魔法学院に入学しそうなんだがどうすればいい?」とった感じのスレッドを立ててみたものの、帰ってきた言葉は「今日の>>1の妄想スレはここですか?」だとか「妄想乙」だとか「就職活動しろよオッサン」だとか「写真うp」だとか「さっさと更衣室内の写真撮ってうpしろやカス」だとかしか返ってこなかった。……いや、最初から期待してないけどさ。
あんまりじゃないか。
はぁ、どうしたものか……。
……ちなみに“とりあえず受けとくか”とかも考えたのだが、どっちにしろ聖アマテラス魔法学院の試験は午後一からなので何もしようがない。……だって霧崎ヶ魔法学校は八時試験開始だからね……。あと五時間以上も時間が余ってるワケで……。
あばば……。
「らむだめたにあ・らむだめたにあ・らむだめたにあ・らむだめたにあ…………」
とりあえず唱える。フゥ、落ち着こう落ち着こう。
シェミー様も言ってたじゃないか、「脱ぐのに抵抗はない。脱がされるのに抵抗があるだけ」って。
……うん、なんとも意味深な言葉だ。さすがシェミー様、僕のような愚人とは思考の次元が違うや。うふふ。
よし、シェミー様のお陰で大分落ち着いたぞ。よし服脱ぐ《ピンポーン》客人……? ……いいタイミングだ。感動的だな。だが脱衣だ。
僕はとりあえず薄ら笑いをしつつ服を脱ぎつつ玄関へ向かう。
誰だろうか、こんな時間に……。
「おっはよゥ総司君! 今日も元気にし」
玄関を開けたら陽気な声と共に幼馴染兼親友の安東行雄が家に半身乗り込んで硬直した。
朝っぱらから忙しい幼馴染だぜ、まったく。
「なななっ……!? 何で脱いでるんだ!? いや、ダメだ! 待ってくれ! 俺はまだ心の準備がぁっ……!! いや、別にダメってワケじゃないんだ、むしろ大歓迎だ! でも、まだ朝だぜ!?」
「……ちょっと何言ってるかわかりませんね」
「…………ごほん。なんでもない。さっさとふくを。きたまえ」
何で棒読みなんだろうか、まあいいか。これ以上ツッコミを入れたら身が持たない。
しかし……なんで急に彼は来たのだろうか、さっぱり意味が分からない。
……あ、いや。少し分かる。あれだ……霧崎ヶ魔法学校の試験会場に一緒に行こうと約束していたからだ。
あぁぁ……。
あぁぁぁぁぁ……!!!
何と言えば……何と言えばいいのだろうか……。
絡み手で……いや、ダメだ、親友を騙せない。やはり正直に行くべきだろう。……そしてそれより前に服を着るべきか。
若干脱ぎ掛けていた服を元に戻し、一度深呼吸して気持ちを落ち着ける。
「……行雄」
「おう、なんだ」
「僕、神に見放されたみたいなんだ」
「……おう?」
「朝起きたら霧崎ヶ魔法学校の受験票が、大量の野菜と聖アマテラス魔法学院の受験票に変化していたんだ」
「へぇ」
そんな短い返事して行雄は僕の家へと上がり、僕の愛用のバッグの中を覗きこんで受験票が聖アマテラス魔法学院のものであることを確認すると「フゥー」と溜息を吐きながら窓を開け放つ。
―――なんなんだよそれぇええええええええええええ!!
本日二発めの僕の聖アマテラス魔法学院への入学を祝う祝砲が放たれた。