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異常と正常の境界  作者: Rile
第2章 忙殺のゴールデンウィーク編
43/44

第43話 閉幕

 「八代の奴、うまくやったみたいだな…………」

 玲がMSTで見ているニュースから狭霧優香の生死は発表されていないが、警察病院が何者かに襲撃され犯人の行方がいまだ掴めていないという情報だけでも八代の任務成功を確信するには十分であった。

 逃走用に警察病院に手配しておいた車両から玲や八代の身元が割れる可能性はなく、後処理を間違えなければこの事件は100パーセント迷宮入りになることだろう。

 「となると、後は俺の出来次第って事になのか……」

 「つまりもう大丈夫、と判断していいのかな?」

 玲の独り言に割り込んできたのは交渉室の同僚であり、個人的にもそれなりに親しくしている棚山達樹であった。

 今回の任務にあたり、念の為助力を頼んでおいたのだがまさかの二つ返事でOKしてきた奇特な好青年である。

 「でも玲君なら僕の助力がなくてもこれぐらいの任務が軽くこなせると思ってたんだけどなぜ僕を呼んだか教えてくれないか?」

 確かにこれから相対するであろう敵は玲一人で十分対処出来る。だから玲が達樹を呼んだのは戦闘の助力のためではない。

 「今回の任務は色々と後始末が厄介になりそうなので人手が必要になるかも、という事で呼ばせて頂きました。戦いたいとおっしゃるなら戦闘に参加していただいて結構です」

 「なるほど。確かに後始末に手間取るなら人手は多いに越した事は無い」

 今回の任務の概要を知る達樹は多くを聞かずに納得した。

 戦闘能力は知らないが達樹の洞察力や推理力は常人のそれとは比較にならないレベルにあり、彼が交渉室にスカウトされたのも頷ける。



 「……ここかい?」

 「ええ、舞台となるのはここです」

 二人がやってきたのはいかにも何かありそうな廃工場だった。

 戦闘を行う事を考慮すれば悪くない場所ではあるがこのような場所に敵がのこのこやって来たとすればそれは余程の正直者か大馬鹿者しかいない。どちらにしろ今回の事件の黒幕が務まるような人物ではない。

 「本当に敵はくるのかい?」

 「絶対来ますね。むしろもうすでに来ているはずです」

 流石に怪しむ達樹に対して玲は自分の考えに絶対の自信を持っていた。そのためにあらかじめ策も講じてある。

 二人はシャッターの前に辿り着き一瞬の躊躇もなく怜はシャッターを開けた。


  ババババババババババババババババババ!!!!


 怜がシャッターを開けると同時に多数のマズルフラッシュと共に無数の弾丸が二人を襲った。

 いかに象術に優れた者であったとしてもこれ程多くの銃弾を回避もしくは回避する事は不可能である。

 だが、

 「やっぱり君の言った通りすでに来てたみたいだね」

 「当然ですね。数ある戦術の中でも待ち伏せは圧倒的に有利な戦法。この状況で使われないはずがない」

 通常ならば蜂の巣になっているであろうこの状況で彼らには一発の弾丸も届いてはいなかった。

 「来るのが分かっていれば待ち伏せであろうと無意味、だろ? 黒幕の神楽篠」

 そう言って玲は誰もいない暗闇へ目を向けた。

 「切れ者だとは思っていたけどこれ程とはさすがに思わなかったわ」

 怜が目を向けた暗闇から現れた篠からは普段学校で見ている姿でもなく交渉室のエージェントとして活動する雰囲気でもない玲が知らない神楽篠であった。

 「それが本来の神楽篠の姿なのか? だとすれば意外と演技派なのかな?」

 「こっちもそれなりに修羅場を(くぐ)ってきた訳なんだし、それぐらいは出来ても不思議じゃないでしょう? それともあなたの目が節穴だっただけなのかもね」

 篠の口調からは追い詰められている気配は微塵も感じられない。それどころか絶対的な余裕すら感じられる。

 確かに武装した多数の部下で二人の人間を包囲している状況であれば多少どころではなく大いに油断してしまってもおかしくは無い。

 (だが篠は俺の事を知っている。達樹さんとは初対面だが俺がこの場に連れて来ている時点で只者ではないと分かっているはずだ。必殺の一手であったはずの奇襲を防がれても尚、この余裕の態度。何か別に本命の策があるとみた方がいいな……)

 この時点から玲の思考は自分達を取り囲む敵への対処法ではなく篠の策を探り当てる事に切り替わっていた。

 「彼女が何か策を練っているにしてもまずはこの状況を何とかした方がいい」

 「……分かっています」

 思考の切り替わりを察した達樹に注意された玲はその言葉に従う他は無い。篠にどのような策があろうとも敵に取り囲まれている状況は戦略上好ましくない。

 いくら雑魚だといってもこの者達も始末する対象なのである。完全に無視する訳にもいかなかった。

 「悪いけどこっちにも都合があるからさっさと死んで頂戴♪」

 篠が右手を挙げると彼女の配下と思しき者達がサブマシンガンで一斉掃射を行うが彼等は自分達が相対している者の力量を遥かに読み違えていた。

 「嘘だろ……これだけ撃ったってのに傷一つ付けられないのか……」

 高所からの包囲によるサブマシンガンでの一斉掃射。普通の人間は成す術も無く蜂の巣になり、戦闘の訓練を積んだ熟練の象術士が相手であっても仕留められる絶対の布陣のはずだった。だからこそ、彼等も相手がプロだと知らされても逃げなかったのである。

 だが結果は無傷。

 一斉掃射の前に物質系配合で壁を創り出して銃弾を防ぐ――技術自体は珍しくも無いオーソドックスなモノ。だが合図からサブマシンガンの引き金を引き、銃弾が到達するまでの間にこれを行うのは至難の業であり、さらにそれを行った二人が一斉掃射した方を見る事も無く当たり前のように実行した事実がより一層彼等の焦りを呼ぶ結果となった。

 「悲しいね……この程度の罠で僕達が倒せると思われていたなんて」

 いつもと変わらない好青年然とした達樹の態度も彼等の焦りに拍車をかけていた。

 「だがこれで敵である事がはっきりした。数人を残して後は始末する」

 そう言って玲が敵の一団を指差した。

 「っ!?……どうした!?」

 玲が指差した瞬間、その一団は全員が倒れ、立ち上がる者はいなかった。

 敵が浮足立つ中、玲だけは篠から視線を外す事無く次々と敵を指差していきその度に敵はその数を減らしていった。

 「操雷系配合……一度に複数の敵を攻撃できる技量、発動速度、威力、その全てにおいて申し分ないレベルだ」

 正確に敵を倒していく玲の技術に達樹は素直に感心していた。

 必殺の域にまで磨かれた玲の象術はそれだけで軍隊の一個師団をも凌駕する戦力を彼に与えていた。

 「これで最後……後は篠、お前だけだ」

 玲の口調は一切の情を排除した冷たさがあった。

 「と言っても実際に君を殺すのは僕だけどね……このままじゃ僕がこの場所に来た意味が無くなっちゃうし……」

 いつの間にか篠のすぐ近くまで距離を詰めていた達樹も相変わらず感情の読めない微笑と共に篠を見ていた。

 「…………どうやら逃げ場は無いみたいね……勝てるとは到底思ってなかったけど逃げるくらいの隙なら作れると思ってたんだけどな~」

 事ここに至って篠は万策尽き、八方塞がりである事を実感した。

 篠も一対二の状況は初めてではない。相手がそれなりの実力を持っていたとしても逃げるだけなら絶対の自信があった。だが今篠が相手にしているのは規格外と言っても過言ではない実力の持ち主。ここまで絶望しかない状況も珍しいだろう。

 「お決まりの質問で悪いんだけど、何で私が一連の黒幕って分かったのか教えてくれない?」

 篠としては負けた理由を知らずに死ぬのは死んでも死にきれない心境なのだろう。

 「狭霧優香が誘拐された後、無事に発見された時だ。

 狭霧優香が誘拐された時点で彼女が誘拐の黒幕である事は確定していた。本人の協力なしに真昼間に誘拐なんて出来ないからな。

 おそらくあんたの狙いは正内組が狭霧優香を誘拐した事にして正内組の不正献金の証拠を警察に探させて不正献金を受けた政治家の失脚ってところだろ?」

 「ご名答。続けて」

 「だが不正献金の証拠は既に俺達が偽麻薬取引に紛れて回収済みで正内組の手元には無かった。このままでは政治家の失脚はおろか自分達の組織にまで捜査の手が及びかねない。だからお前は狭霧優香を殺さずに解放する事で誘拐事件の早期鎮静化を謀った」

 自身の推測を述べる間も玲は隙を見せなかった。

 (格が違うってのはこの事を言うのね……)

 隙あらば逃げ出そうと隙を窺っていた篠だが早々に無理だと確信してしまった。

 「彼女を誘拐した時点で私が黒幕ってのはばれてたのね……彼女が発見された時点で狂言誘拐だと分かり狭霧優香の始末を決めた、っていう事ね?」

 (つまり自分は泳がされていただけ……見事ね)

 そこまで理解した篠は純粋に玲の推理に称賛を贈った。

 「ちょっと我儘な事だけど最後に玲の本気を見せてくれない? 私も学校じゃ力を隠していたけどそれはあなたもでしょう? 最後にあなたと全力で戦ってみたいのよ」

 ここからは篠の純粋な興味だった。

――自分の力がこの男にどこまで通用するのか

――死を覚悟して出す自分の全力がどれほどのものなのか

 今の彼女を突き動かすのは自分の興味だけだった。

 「……分かった。俺も本気で相手をしよう……」

 その答えを聞いた篠は嬉しそうに降りてきた。その姿はまるでおもちゃをもらう子供のようだった。

 玲と篠少し距離を置いて向かい合った。

 先程までと変わらない自然体の玲と少し緊張気味の篠。

 「好きな時に仕掛けてくれて構わない。開戦の合図はそちらに任せる」

 玲の言葉は相手に先手を譲るという相手にハンデを与えるもの。こんな事を言われれば侮辱されたと怒る者もいるだろうが裏を返せばそれは自分の力に絶対的な自信を持っている証拠。

 「ではお言葉に甘えさせてもらうわ!」

 その瞬間に篠の姿は消えてしまった。

 「消えた?……いや違う、これは操光系配合で光を屈折・反射させる事で視認出来なくしただけか……」


 操光系配合――光を配合で生み出したエネルギーで光を屈折・反射させるだけの技術であるが自分の姿を隠したりする暗殺者などに好まれている技術。敵の視覚を惑わせ目測を狂わせる事が出来るため対人戦のスキルとして軍隊でも習得が奨励されている。応用が利かないが比較的習得が容易なため意外とポピュラーな技術であるが直接的な攻撃力が皆無なため極める者はほぼ皆無。


 「周囲の光景を変えずにここまで自分の姿を隠し続けられる技量は見事の一言だな。

 視覚だけで敵を補足する相手ならば効果は絶大だろうが残念ながら俺には利かない」

 視覚だけでなく嗅覚、聴覚も常人離れしたレベルまで鍛えられた玲には視覚を封じられたところで敵を見失う事はない。

 現に今もずっと篠の位置を補足している。

 「それに俺も視覚を惑わせる事が出来るんだよ」

 「そう?……なら惑わせてみせて頂戴!」

 篠は玲の死角からナイフで一気に急所である心臓を刺した。

 「……どうなってるの?……」

 篠は確かに玲の左胸を刺した。

 だが刺されたはずの玲からは一滴の血も流れていない、篠のナイフにも血が付いていない。さらには刺した感触が全くしない。まるで実際はそこにいない玲の幻を刺したみたい感覚だった。

 「まさか……幻覚?……そんなの私にも出来ないのに……」

 操光系配合の訓練を積んだ篠であっても相手に幻覚を見せる事は出来ない。

 「その通り。お前が刺したのはただの幻覚だ」

 「有り得ない! 操光系配合でこんな幻を生み出せるはずが無い!」

 操光系配合に精通しているからこそ玲の言っている事を認めたくなかった。

 「さすが操光系配合が得意なだけはあるな。

 お前の言う通り操光系配合でこんな幻は生み出せない。

 俺が使ったのは操光系配合の上位派生形の光学系配合だ」


 光学系配合――操光系配合の上位派生形。光を屈折・反射させるだけでなく光の色、光量をも制御する事の出来る技術。これにより相手に幻覚を見せる事が可能。象術としての会得難易度はそれほど高くないが相手に幻覚を見せるためには物理学(特に光学)に精通していなければならないため光学系配合の会得難易度は非常に高い。攻撃手段も同士討ちを誘う幻覚程度しか無く会得難易度に対して得られる攻撃力が圧倒的に低いため会得しようとする者さえほぼ皆無という稀な技術。本来は味方に守られた中で行う集団戦用の技術であり、戦闘では常に後衛の人間が使う……と言うよりも前線で敵と戦いながら使える代物ではない。


 玲も光学系配合を使っている間は他の象術を使う余力は無く、本来の同士討ちのための幻覚用にしか使わない。

 「完敗だわ……手も足も出ないってのはこういう事なのね……

 単独での戦闘で光学系配合なんて繊細な技が使える人間がいたなんて考えもしなかったわ」

 「篠が操光系配合を使わなかったらこっちも使おうとは思わなかったからな……」

 光学系配合が篠と同じ戦法で戦うと決めていたが故の選択であり、玲にとってどちらかと言えば使いたくない技の一つであった。

 「それにしても処刑人を態々連れて来るなんてやっぱり水無月君には気を使ってるんだ~」

 篠の言った処刑人とは勿論、達樹の事である。

 任務の報告書には誰が篠を始末したかを明記しなければならない。篠が死んだとあれば八代は必ず報告書を確認するだろう。いくら漢字が苦手でもこういう労力を八代が惜しまないのは玲のよく知るところである。もし篠を始末したのが玲であった場合、後々精神的な軋轢(あつれき)が生じることだろう。報告書の改竄(かいざん)という手段もあるが変な所で交渉室に疑惑を持たれるような事態も避けたい。

 結果として玲以外のエージェントが篠を始末してもらうしかない。

 そのような事情を察して処刑人という汚れ役を引き受けてくれた達樹にはいくら感謝しても足りないぐらいだ。

 「あいつはまだ物事をうまく割り切れない。これくらいは配慮しないとすぐに壊れてしまうだろうな……

 女性の死に顔を見物する趣味は無いんで俺はこれで失礼する」

 そう言って玲は廃工場を去って行った。

 人の死は決して美しいものではない。それは最後まで美しく在りたいと願う女性にとって見られたくないものなのだろう。玲が去るのはそれを知るが故の最後の配慮だった。

 「強くて頭が切れて妙な所で優しくて……ホントに完璧な男だよ……

 サヨナラ、久桐玲……いつか幸せになりなさいな……」

 その言葉が神楽篠の今生における最後の言葉となった。


   * * * * * * * * * * * * * * *


 「終わったよ……

 遺体はひとまず回収して保管。病院から抜けだした狭霧優香殺害犯と偶然出会い射殺される……ここまで考えて作戦を立てていたんだから脱帽の一言だね」

 決して捕まる事のない犯人に罪を被せる。それが玲が考えた最も自然で面倒のかからない方法だった。

 「変に失踪扱いにするよりも後腐れがないからな。

 それにちゃんと葬式もあげられる……せめてそれぐらいはしないと八代が怒るだろうよ」

 「そうだね。せめてそれぐらいはしないと君自身も吹っ切れないんだね……」

 「………………」

 もっと早く篠の裏切りに気付いていれば止められたかもしれないという思いが少なからず玲の中にはあった。

 「でも吹っ切らなければならない」

 玲の無言を肯定と捉えた達樹は諭すように言った。

 「確かに君は象術も頭の切れも同世代の子達の中では抜きん出ている。いや、君より遥かに経験を積み重ねた者でも君には及ばないだろう……でも君は所詮人間だ。いかに優れていても出来る事よりも出来ない事の方が圧倒的に多い。

 かつて約束の地を目指し民を率いたモーゼは海を割りエジプト軍から逃げる事が出来たが約束の地へ入る事は出来ず志半ばでこの世を去ったと伝えられている。

 聖書に登場する聖人ですら失敗をしているのに聖人でも英雄でもない僕達が物事を完璧に操れるはずないだろう?」

 最後まで言わなかったが自分の言いたい事は玲に伝わったと達樹は確信していた。既に玲の目に迷いは感じられなかった。

 (やれやれ……先輩というのも楽じゃないね。特にこんな優秀な後輩を持つと……)

 内心では面倒臭がりつつも後輩が優秀だからこそなのだろう。

 「では報告書の作成があるので今日はこれで失礼させていただきます」

 感傷に浸っていた達樹だったが玲の一言で一気に現実へ引き戻された。

 「いや、その……回収班が来るまで待たないの?」

 「その役目は一人で十分でしょう。

 一人でも二人でも得られる結果は同じです。ならば片方がその時間を報告書の作成に使えば成果としてはその方が上だと思いますが?」

 「……うん、そうだね」

 完璧なまでの弁論に達樹はただ頷く事しか出来なかった。

 

――出来る事よりも出来ない事の方が圧倒的に多い


 謀らずも自らの言葉を伝えた相手によって実感させられた達樹は肩を落とした。

 「本当に優秀な後輩だよ、キミは……」

 だが同時にそれは自分の言葉がちゃんと届いた証でもあった。


 こうして狭霧優香の誘拐に端を発する一連の事件は幕を閉じた。

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