第42話 越えられない壁
日付も変わりそうな深夜、八代と玲はとある場所にて作戦の準備を始めていた。
作戦とは無論、任務関係であり、この場に玲はおらず単独での実行となっていた。
「拳銃にナイフに手榴弾まであるのか……装備としては十分だな。これ全部俺がが使うのか?」
「拳銃は一丁俺が使うが他は好きにすればいい……象術さえ使わなければやり方は何でもいい」
「でもあのアイドルさんが黒幕とはねぇ」
「正確には少し違うがな……」
玲が出した結論は狭霧優香の誘拐は狂言である、ということだった。
「彼女が中心となって計画、実行した訳ではないだろうが、少なくとも共犯以上の立場にあったはずだ。お前が出し抜かれたのも逃げだせたのも頷ける」
「だからって殺す必要は無いんじゃねぇの? 別に大した情報も持ってねぇし」
確かに狂言誘拐であれば玲達が介入する必要は全くない。八代としても余計な殺人をするほど物好きではない。
「大した情報を持っていなければ俺もそんな事は言わない。問題は篠がお前の事までベラベラしゃべってしまった事だ。
報告によれば篠がお前の事を本名まで教えたらしいじゃないか。そして自分達は芸能事務所以外の所から雇われた護衛って事まで教えたらしいな。
それは十分危険な事なんだよ」
本名が知られていればそこから素性を探るのはさして困難ではない。内閣府特殊案件交渉室の存在までたどり着けないにしてもかなり面倒な事になるのは目に見えている。
「それにしても銃火器で強襲なんてやり方はちと荒っぽすぎないか? 玲なら警備システム無効化して内部から侵入、ぐらいは思いつきそうなものだけど?」
「彼女が今入院しているのは警察病院、いわば国の施設だ。警備システムを無効化して内部から侵入すればそれこそ国家権力の介入を疑われる。
狭霧優香には悲劇のヒロインの座をプレゼントしてやるさ」
「すげー悪人じゃねぇか、俺達」
そんな軽口の間にも八代は手早く武装を整えていく。
拳銃やナイフはもちろん、予備のマガジンに手榴弾を自分の動きを規制しない程度の量、配置で装備していく。
「悪人で結構。誰も守れない善人よりは自分だけでも守れる悪人の方がいいだろ?」
重装備の八代に対し、玲は拳銃以外は何も装備していない。正確にはボタン一つで取り外し可能な刀の柄を懐に忍ばせているが外見からは判別できない。
「玲はそんな軽装備で大丈夫なのか?」
「俺の方は象術使って始末するから問題ない。この拳銃も保険みたいなものだ。人の心配よりも自分の心配をした方がいいぞ。難易度で言えばお前のターゲットの方が高い」
今回の作戦において玲と八代は別々のターゲットを設定している。八代は狭霧優香を、玲は今回の事件の黒幕をそれぞれ担当している。
「じゃあ、俺はそろそろ行ってくるよ。暗い方が何かと都合がいい。
終わったら帰ってもいいんだな?」
「武器の始末を忘れなければ問題ない、ただ……」
「ただ?」
意味深な顔でこう言うのだった。
「帰るまでが作戦だ」
* * * * * * * * * * * * * * *
「何が『家に帰るまでが作戦だ』だよ。修学旅行かっての!」
文句を言いつつも八代は狭霧優香が入院している警察病院の近くまで来ていた。
肝心のターゲットは比較的上層階に入院しており近くの建物から狙撃出来ない角度でもないのだが用意された装備品の中に狙撃銃が無かったのでおそらく窓は防弾ガラス仕様となっているのだろう。
当然の如く入り口付近には大勢の記者やらカメラマン等のマスコミや狭霧優香のファンでほぼ封鎖に近い状態となっている。象術無しでの正面突破は難しいだろう。
MSTに警察病院の見取り図をインストール(当然交渉室を通じて手に入れた機密情報)して確認してみるが抜け道や隠し通路の類は一切無い。
「面倒だが正面突破しかないか……」
やる事が決まれば後は実行するのみ。
最初に正面に集まっているマスコミが用意したであろう照明を拳銃で壊す。発砲音で周囲の人間は気付くがいきなり明かりを失ったため周囲の様子を見失う結果となった。明るさを調節していたカメラもまた然りである。
本来は暗順応まで30分~1時間と言われているが元々夜で暗かったのと明度を落としているとはいえ病院の明かりなどでもっと短くなるだろうが八代にとって侵入するのに十分な時間であった。
深夜とはいえ警備の人間は多かった。
「こういう場合は深夜だからこそ、と言うべきなんだろうな」
八代の眼前に立ち塞がったのが6人。多少訓練は受けているだろうが所作から実戦経験は浅いようだ。
スピードを落とさず接近してきた八代に対し拳銃を構えたのが2人、ナイフを構えたのが4人だった。
(素人2人を先に始末する!)
素人2人とは拳銃を構えた2人である。接近戦になった場合、同士討ちの危険性がある拳銃は余程熟練していない限りまず使わない。そしてそれほどまでに熟練していれば八代が接近する前に発砲出来ていたはずだ。発砲される事無く八代に接近を許した時点でこの6人の中に八代が恐れるほどの銃の使い手はいないという結論に達した。
散開して取り囲もうとする6人に対し、八代は先を読んだ歩法で敵の間に入り込み隣にいる拳銃を構えた敵の頸動脈をナイフで切断し、離れた所で拳銃を構える敵が八代に狙点を定める前に眉間に銃弾を撃ち込んだ。2つ同時の早業であり、一瞬の出来事だった。
依然1対4と不利な状態であったが一瞬で2人の味方を倒され戸惑いを見せた敵に八代が放った4発の弾丸が襲い掛かった。
終わってみれば常に先手を取り続けた八代の圧勝であるが当の本人は倒れた敵に目を向ける事なく奥へと進んでいった。
姿を映されないようにあらかじめMSTで位置を確認しておいた監視カメラを拳銃で撃ちながら進んだが、目的の病室に着くまで1分程度しかかからなかった。途中に立ち塞がってきた敵もいたが、八代の足を止めるには至らなかった。
病室に入ると優香は怯えたように八代の方を見た。
「水無月君……ひょっとして私を殺しに来たの?」
「そうだ」
怯えながら尋ねる優香に八代は簡単な返事で応えた。
「ナースコールの配線は切ってあるから呼んでも返事は無いぞ? もっとも繋がったとして夢の中までナースコールは届かないがな」
八代の宣告に必死にナースコールのボタンを押していた優香は言葉を無くしていた。
絶対的な死の予感に悲鳴を上げる事すら出来なくなっていた。
「話題作りのためか身代金目的かは知らんがあんたは運が悪かった。ただそれだけだ」
その言葉と共に八代は引き金を引いた。
銃弾は優香の心臓を貫き彼女を即死させた。
頭を狙わなかったのは、せめて死ぬ時ぐらいは綺麗でいさせたかったという八代のほんの僅かな心遣いだった。
だが八代は感傷に浸る事無く撤収の準備を始めた。
まずはあらかじめファンに紛れさせておいたエージェント達が外から撮影している病院の映像MSTで確認し、逃げ出せそうな場所を探す。
「案の定囲まれてるがここまでは予想通り」
確かに囲まれているが八代が突入してからほとんど時間がたっていないためマスコミの増援は来ておらず、照明も無い。それに警察の増援も来ていない。
「逃げるなら今の内って訳か」
そう言って八代が向かったのは病院の地下駐車場。
一般の外来患者や入院患者もいるため駐車されている車は多かった。
「車で逃げろ、か……どんだけ段取りいいんだよ」
八代の目の前には一台の車、そして八代はその車の鍵を持っている。
決して偶然などでは無く、あらかじめ玲が用意した車であった……数日前から。
玲は最初から狭霧優香の狂言誘拐である可能性を考慮していた。もし彼女が発見されたとすれば演技であっても弱ったふりをする。事件の参考人でもある彼女は普通の病院ではなく警察病院に入院する事になる。
彼女が発見されるまでならば外来患者に紛れて車を駐車させておく位はさして難しくないだろう。
「つまり最初から殺すつもりだったって事か」
逃走用の車を用意するという事は殺す事を踏まえての準備である事は間違いない。
何もかも玲にとっては予想済みの事態なのであった。
「なんかアホらしくなってきた。さっさと撤収しよ」
八代は用意された車に乗り込みそのまま走らせた。
出入り口付近ではマスコミが張り付いていたが気にせず通過する。当然スモークガラスなので撮影されても問題ない。
そのまま悠々と現場を脱出する事に成功した。
現場を脱出した後八代はそのまま車を走らせあらかじめ示し合わせた場所に来ていた。
そこには交渉室のサポートをするエージェントが待っていた。
「JT34FS2U9」
「8GER47S8IL」
当然味方で無い場合もあるので個人コードを暗唱するのが決まりとなっており、八代も全員の個人コードを暗記している。
例え見た目が同じで個人コードの暗唱が出来なければ敵と判断される。
セキュリティの都合上、定期的に個人コードの変更は行われており桁数などもランダムで変更されている。
内閣府特殊案件交渉室の秘匿性を鑑みればこの過剰とも言えるセキュリティも分からないでもない。
「認証しました。後になりましたが作戦ご苦労様でした。武器や車の後始末は私が行いますのであなたはお帰りいただいて結構です」
そう言って労ってくれるエージェントはすでに引退していてもおかしくない年齢であり、見た目も相まって名家の執事を思い起こさせる男性だった。
「ああ、ありがとう。別に苦労するような作戦でもなかったよ。じいさんなら大丈夫だろうけど気を付けてくれ」
「かしこまりました」
この作戦で八代のサポートに回ったこの老人は見た目に反してあらゆる知識と技術を持っており、この程度の後始末は実際問題なくやってのけるだろう。
任務中なので長々と世間話をすることも無く八代はそのまま家路についた。
だがその途中で意外な人物に出くわした。
「なかなか大活躍だったじゃないか。エントランスにいた6人を始末した手際もさることながら突入から脱出までのスピードも申し分ない」
「雲居 昶……先生」
そこにいたのはかつて神楽流において八代の師であった雲居昶だった。
「昔は純粋に『先生』とだけ呼んでいたお前もとうとう俺を名前で呼ぶようになったか。俺も歳を感じる訳だ」
「7年も経てば小学生が高校生になるんだから呼び方の一つも変わって当然だろう? それにあんた次会う時は俺を殺す時って言ってなかったか? それとも俺の首に懸かる報酬はこの短期間で跳ね上がったのか?」
挑発するように話す八代だったが挑発されたはずの昶は全く意に介した様子もない。
「相変わらず駆け引きが下手だな。久桐玲と長くいたせいで駆け引きは奴に任せっきりだったようだな?」
「残念だがその通りだ。だが今必要なのは言葉の駆け引きよりも腕っ節の強さだろう?」
事実駆け引きなどは玲にすべて任せていたが戦闘能力、しかもこの近距離での戦闘であれば遠距離から象術を使っての攻撃を得意とする昶相手ならば八代にも十分勝機がある。
だが本来不利であるはずの昶に焦りは見られない。
「なるほど、遠距離戦を得意とし近接戦闘を不得手とする俺相手に近距離での戦闘をしかければ勝てるとでも思ったか? 確かに俺の情報を基に的確な戦い方を選択した事は褒めてやろう。
だがお前は一つ見落としている事がある。
そんな事は俺も知っている」
ドゥン!! ドゥン!! ドゥン!!
「な……んで、後ろ……から?」
音の正体は銃声であり、八代の背後から放たれた銃弾は八代の右肩と左右の太股を打ち抜いていた。
「人の気配が無いからといって油断したな。銃など引き金さえ引けば誰でも撃てる、人でなく機械でもな……」
「馬鹿な……そんな大仰な機械なら動作の音でがしないハズがない。俺がそんな音を聞き逃すはずもねぇ」
確かに音がしないからこそ八代は後方に敵はいないと判断したのである照準を合わせる音すらしなかった後方から銃撃はまさに死角からの攻撃と言ってよかった。
「さっきも言ったはずだ、銃など引き金さえ引ければ誰でも撃てる、とな。銃はあらかじめ固定してあった。照準を合わせたのではなくお前が弾道に割り込んできただけだ」
左右の太股を撃ち抜かれ立ち上がる事の出来ない八代はただただ昶を見上げて睨む事しか出来なかった。
「俺が近接戦闘を不得手としている事を本人が知らぬ筈がないだろう? それでも尚、お前の目の前に姿を見せた時点で策略を感じ取り退くべきだった。それが出来なかった結果が今のお前だ」
そう言って八代を見下ろす昶の目には一切の感情が無かった。
「これが久桐玲ならばすぐに気付かれて逃げられるか仕掛けを破られて俺の不利な近接戦闘になるかのどちらかだ。7年前の久桐玲であっても同じ結果になっただろう。つまりお前はかつて大敗した7年前の久桐玲にいまだ追いついていない事になる。
これならば大した額でなくとも殺害を引き受けたものだがな……
せいぜいお前を過大評価しお前を殺すための報酬を用意出来なかった俺の雇い主に感謝するんだな。俺は金を貰った時と自分の命を脅かし得る者しか殺さない」
昶は最早八代の事を見てすらいなかった。その事実がさらに敗北感となって八代にのしかかってきたが昶が最後に放った一言が八代をより深く傷つけたのだった。
「最後に言っておくがお前を狙ったのはかつての弟子だからという理由ではない……
弱いものから狙うという自然界の法則に従っただけだ……」
そしてかつての師、雲居昶は八代の前から姿を消した。
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