第35話 利害
久しぶりに投稿になりました。
確認してみると8月の更新が異様に少ない……
これからも忙しい現実が待っているので多分この更新速度がデフォルトになると思います。
麻薬取引――基本的には違法な薬物と金銭、もしくはそれに準ずる物を交換する行為である。
そんな事は知識の乏しい八代でも知っている。問題はなぜ自分がその麻薬取引をしなければならないのかが全く分からない事だった。
久桐玲は無意味に人を動かしたりしないのは八代もよく知っている。だが麻薬取引がどのような意味を持つのか分からない以上、はい分かりましたと従う事は難しい。
「何を突飛な事を言い出すのか、とは言わん。だからせめてお前の計画だけでも教えてくれ」
長い付き合いだが八代は今まで玲の考えている事を当てられた例が無い。本人に聞くのが一番なのは自明の理だった。
「当然そのつもりだ。
まずお前が関わった今日の銀行強盗事件だが、それについては説明する必要は無いな?」
目立つ事は避けろと言ったはずだ、とは八代に言わなかった。そんな事いちいち言わなくても分かっていると返されるのが関の山な上、言ったところで八代が行動を改める訳もないという事は玲も十分に理解していた。
「その犯人だが、どうやらお前の護衛対象を狙っている正内組の組員だったという報告を受けている」
「今どき銀行強盗やアイドルの誘拐を計画するなんて意外と頭の悪い奴らなのかね?」
八代の言う通り銀行強盗もアイドルの誘拐も現在ではほとんど成功の見込みが無いと言っても過言では無い事を実行しようとするあたり、正内組は賢いという評価は出来ない。
「アイドルの誘拐はともかく銀行強盗については理に適っている」
「その理由は?」
「正内組の手元には政治家への不正献金の証拠がある。それをネタにその政治家を脅せば銀行強盗で手に入れた本来は使えない金を使える金へと交換する事が出来る。つまり正内組にとって銀行強盗は比較的安全な資金調達手段なんだよ」
銀行強盗で手に入れた金の通し番号は押さえられ使えなくなっていたとしても、不正献金の証拠をネタに政治家を脅して使える金と交換する。その政治家も政治生命を絶たれる事を思えば交換に応じざるを得ない、という理屈だった。
「だがこの方法は無制限に使える訳じゃない。
政治家の資金も無限では無い。つまりある一定の金額を超えれば政治家との金の交換は出来なくなる。
政治家になる目的なんて権力か金のどちらかだ。政治家という立場が金を失う原因になるのなら政治家である意味が無いからな……」
政治家と言っても所詮は人間。突き詰めればただの生物でしかない以上、自らの安全を求めるのは至極当然の行動である。
「銀行強盗の件は分かったがそれと麻薬取引がどう関係してくんだ?」
これまでの一連の会話の中で『麻薬』という単語は一言も出てきていない。
「最後まで俺の話を聞け。
実は正内組は規模こそでかいがそれに見合った収入が無いという致命的な弱点を抱えている。
そこで俺はそれを利用することにした……麻薬取引と言う形でな。
それと八代、正内組が持っている不正献金の証拠って何か分かるか?」
「想像でしかないが金額とかのデータが入ったメモリじゃねぇのか?」
「簡単に偽造できるデータが証拠になる訳ないだろ。もしそれが公表されても知らぬ存ぜぬを押し通すことが出来る。
証拠はそんな物じゃなくて署名だ。それもコピーじゃなく実物だ。
調べればすぐに分かる筆跡や筆圧が本人特定に一番役立つ。その証拠に企業でも大きな取引になると紙の書類に署名して取引の証としている所がほとんどだ」
コンピューターが発達して書類の偽造が容易になった現在では紙媒体の契約書はその地位を高めている。それは契約だけでなく証拠品としての価値も同時に高まっている事を示している。
「ってことはいくつも支部を構える正内組は契約書をどこに保管しているか分からないって事か?」
「そういう事だ。おそらくは本部で保管しているだろうが確信が無い。すべての支部を同時に調べるとなると相当な人員が必要になる。警察が使えない以上、交渉室の人員だけは圧倒的に足りない。
だから攻勢に出られず守勢に回っているという事だ」
現状維持の消極的な作戦だが致し方ないのもまた事実。不正献金の証拠の在処がはっきりするまで迂闊に行動を起こせないのが今の状態だった。
「そこで正内組に麻薬取引を持ちかけて不正献金の証拠を動かすことにした」
「具体的には?」
「まず俺の任務であった『象術が使えるようになる薬』だが、あれはただの麻薬だった。本来なら警察に任せて俺は任務完了となっていた訳だが、この麻薬を売りさばいていた組織を利用する。
奴等は東南アジアの麻薬カルテルだ。不法移民に麻薬を隠し持たせて麻薬を密輸していた。
この組織と正内組に麻薬取引をさせて正内組の手元にある不正献金の証拠を麻薬カルテルの方に移す。
正内組は規模もでかく、支部も多いからどこに証拠を隠しているか掴めなかったが、麻薬カルテルの方は規模も小さく、支部も無い」
宝探しのフィールドを小さくすれば容易に宝を見つけることが出来る、というのが玲の考えだった。
「計画は分かった……でもその麻薬取引に俺がどう関係してくんだ?」
玲の計画ならば正内組と麻薬カルテルだけで取引をさせればいいだけである。八代にはそこへ自分が参加する理由が分からなかった。
「俺は今象術警官として任務に当たっている。だが残念ながら麻薬取引は象術警官の管轄じゃない。だからお前には象術を使って麻薬カルテルの用心棒をして欲しい。そうすれば俺も象術警官として捜査に参加出来る。
麻薬取引が終われば正内組は用済みだから逮捕して警察に引き渡せばいい。
逆に麻薬カルテルには麻薬取引が終わるまで逮捕されては困るから取引の時もお前に護衛させて不正献金の証拠が奴等のアジトに着いた所を象術警官として乗り込んで証拠を回収する。
乗り込む時にもお前には俺の同僚の足止めをしてもらう事になる」
「なるほど……
玲の同僚ってもしかしてあの女?」
八代の頭の中にはある一人の女性の顔が浮かんでいた。
「お前の言うあの女がどの女を指すか知らんが銀行強盗犯を倒した後お前に説教してた奴だ」
(やっぱりあの女か……って事は玲が佐伯景って事?)
「あー、最初に言っておくけど……ありがとうございました!」
「??????」
八代の突然の感謝の言葉に玲の頭には疑問符しか浮かんでいなかった。
八代に礼を言われる心当たりは星の数ほどあったのでどれに対しての感謝なのかいまいち把握できていなかった。
「いや、象術警官の佐伯景のおかげで難を逃れたんだから今度会ったら礼を、と思ってて……」
「ならそれを先に言え! それにお前のためじゃなく任務を円滑に進めるためだ。任務に関係なければ放っておく所だったからな」
「結果的に俺は助かったんだから礼は言わせてくれ。
それと俺はあの象術警官の姉ちゃんを引き受ければいい訳?」
あんまり強そうじゃなかったけど、と八代は言わなかった。見た目と強さがイコールでない事くらいはこれまでの経験で身に染みている。
「そういう事になる。あと象術を使って象術警官が関わりやすいような状況を作ってくれれば文句は無い」
「そんな上手くいくかね?
玲の言う通りに事が運べば文句は無いけど理想的過ぎて逆に上手くいく気がしないのは俺だけか?」
確かに玲の言った計画は理想的かもしれないが理想通りに事が運んでくれないのが現実であり、理想にある程度の余裕を残すのが計画を練る上で大事な事でもある。
正内組と麻薬カルテルのどちらか片方でも取引を拒否すれば玲の作戦は完全に絵に描いた餅になってしまう。
「理想的なのは百も承知だ。だがこれが現実的なのもまた事実だ」
「言ってる事おかしくねぇか?」
「理想と現実は必ずしも相反しない。必ず現実とならない理想など誰が抱く?」
俺はかつて抱いたが……、とは続けなかった。それは今の話に関係の無い上に玲にとってもあまり聞かれたくない事だった。
「それに今回に限って言えば、正内組と麻薬カルテルの求める物が異なっているから可能だった」
「どう違ってんだ?」
「正内組は単純に金銭、麻薬カルテルの方は金銭を得るための下地だ。
麻薬カルテルにとって不正献金の証拠がその下地って事になる」
「つまりはどっちも得をするように調整すればいいって訳?」
「そうだ。そのための麻薬取引だ。
銀行強盗にしてもそう何度も使える手ではない。政治家の資金にも限度があるからな。
だが麻薬取引は違う」
麻薬カルテルからすれば不正献金の証拠は自分達の麻薬密輸を黙認させる切り札となり喉から手が出る程欲しいはず。
正内組からしてみても不正献金の証拠を麻薬カルテルに渡し、麻薬取引の一切を仕切る事で莫大な利益を生み出す事が出来る。自分達と繋がっている麻薬カルテルに不正献金の証拠があるため自分達が捕まる事は無いだろうと考える。
政治家の立場から見ても麻薬取引を黙認し証拠隠滅するだけで金銭を取られないのであれば拒む道理は無い。それどころか正内組からの黙認と証拠隠滅の礼としてさらなる不正献金があると考える。
「これが商売の三方よし、ってやつか?」
「ただ登場人物の利害に合致するように仕組んだだけだ。売り手と買い手はともかく世間は良くないな……」
売り手よし、買い手よし、世間よし、が商売の『三方よし』である。少なくとも麻薬取引が世間のためになる事は断じてない。
「説明はこれまで……お前は取引当日までは象術使って事件を引っ掻き回しといてくれ」
八代の仕事は麻薬取引を成立させる為の警察の足止めと一連の取引を象術事件にするための犯人役の2つである。
前者については下準備は必要ないが、後者は正内組か麻薬カルテルのメンバーが警察と関わらなければならない。
「マンガやアニメじゃないんだし、警察とヤクザの絡み合いなんてそうそう出くわしたりしないぜ?」
「そんな事は分かってる。
あらかじめ警察にリークしておいて正内組の組員を追わせる。お前はそれを象術で妨害すればいい。
だが相手は警察だ。くれぐれも顔は見られないように!」
「……了解」
今回の相手は警察も含まれている。顔を見られたからといって簡単に口を封じていい相手ではない。
八代もそれが分かっているからこそ真剣な表情でうなづいていた。
「玲の役目は警察側の人間として麻薬取引が終わった後に正内組と麻薬カルテルの奴等を逮捕して証拠を回収するだけ?」
「もう一つある」
「???」
この作戦において玲はもう一つ大事な役割を担っている。だが八代はそれに気付いていないようだった。
「八代……俺達の所属は?」
そんな八代に玲は意味ありげな質問をする。
「交渉室……正式には内閣府特殊案件交渉室だが?」
「その言葉通りだ。
俺のもう一つの仕事は『特殊』な『案件』の『交渉』……つまり正内組と麻薬カルテルとの取引の交渉だ」
玲は自信満々に言ってのけるが聞いた八代の驚きは並ではなかった。
「って事は麻薬取引の事を知ってるのは……」
「もちろん現時点では俺達だけだ」
「ふざけんな~~!!」
早くも八代の中ではこの計画の先は真っ暗になっていた。
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