第34話 かつての師
暑い中第34話投稿。
そろそろ第2章の任務も解決へと動いていきます。
この二日間は玲にとって決して良いと言えるものではなかった。
"象術が使えるようになる薬"の正体がただの麻薬だという事が判明したまではよかったが、その情報も自分で掴んだ訳ではなく交渉室の情報網のおかげであり、玲自身はこの二日間何もしていないと言っても過言ではなかった。
ゴールデンウィーク中に任務を完了しなければならない以上、この二日の遅れは致命的だった。
事件に象術が関係していないのでいざとなれば別の部署に事件を任せる事も出来たが、それではこの事件で玲の仮の身分である象術警官の佐伯景を殉職させて後腐れ無く任務を終わらせるという当初の計画を実行する事が出来なくなってしまう。
とにかく事態が玲にとって好ましくない方向へ流れている事だけは確かだった。
その一方で嬉しい誤算もあった。
最初は手こずるだろうと予想していた玲奈の家庭教師だが、象術に関しては玲奈はかなり優秀であった。勉強の方は予想通りだったが、勉強など出来るに越した事は無いが出来なくても別に致命的という訳では無い。啓莱高校にいる以上、象術が出来れば特に文句は言われない。
とにかく明日は象術警官としての仕事は休みなので自由に調査が出来る。交渉室からの情報は日付が変わる頃に来る予定なので今夜は中間報告も兼ねて八代に会いにでも行くか……
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昼には銀行強盗事件というハプニングがあったものの、八代にとっては概ね予想通りの一日となっていた。
護衛対象と篠が仲良くなったは嬉しい誤算で彼女は今、護衛対象である狭霧優香の部屋で仲良くお泊まり会でもしているのだろう。
「なんで俺だけマンションの屋上で野宿しなきゃなんねぇんだ?
敵も話し相手もいないこんな状況で何をして時間を潰せって言うんだ……」
基本寝ずの番なので寝袋は持ち込んでいない。しかも昼は莉々の彼氏役を演じなければならなかったので徹夜である。眠くないはずが無い。
「敵……出ないかな……」
だが八代の眠気覚ましのために現れる敵など居るはずもなくほぼ無音の暗闇が八代の五感を覆い尽くそうとしていたその時、
「まさか本当に来るなんて……しかも相当な手錬れだな……」
八代の待ち望んでいた外敵の襲来だった。
「どこかにいるのは分かるがどこにいるのかまでは分かんねぇ……
殺気と敵意をほぼ完全に消してやがる」
殺気と敵意を消すという事は八代へ意識を向けないという事を意味している。実際完全に意識を逸らしている訳ではなく、ほんのわずかだけ意識を向けて八代の事を探っている事だろう。だが並はずれた五感と直感を持つ八代に尻尾を掴ませないという事は相手は相当どころではない実力の持ち主という事になる。
「こりゃ、余裕ないかも……」
敵が現れれば篠に電話して優香共々避難させる算段だったのだが今この状況で篠に電話をすれば篠に繋がる前に倒されてしまうに違いない。八代ですら尻尾を掴む事の出来ない相手が電話する瞬間を逃さない訳が無い。万が一篠に連絡が取れてもその頃には八代は殺され、篠達が逃げていたとしても追いつかれるに決まっている。おそらく今八代が退治している相手は篠にはとても手に負えない。
だからこそ篠に連絡せずにここで八代が襲撃者を食い止めなければならない。
八代はすでに二刀を構えて臨戦態勢に入っていた。
いつもみたい力を出し惜しみするつもりは無い。初手から全力で叩く!
相手の位置が掴めない以上、向こうの出方を窺うしかない。闇雲に攻撃しても当たるはずが無い、というのは八代も承知していた。
どうやら向こうも八代の隙を見つけられずしばしの膠着状態が続いていた。
だがそれも長くは続かなかった。
先に仕掛けたのは襲撃者の方だった。
(右後ろからの直接攻撃……だがこの速さは無いぜ……)
襲撃者のあまりのスピードに体を向ける時間は無く襲撃者の方を見ずに左の刀で敵の刀を受け止め、右の刀でカウンターを仕掛ける……が、
かしゃん、という金属音がしただけで八代のカウンターは完全に空を切っていた。
襲撃者は刀を手放して八代から距離を取っていた。金属音は八代が左の刀で敵が手放した刀を弾き飛ばした音だったのだ。
「流石は水無月八代。ここまでやって一太刀も入れられんとは相変わらずの集中力だな……」
ここに来て初めて襲撃者が口を開いた。
その声は八代にもなじみのある声であり、ある種のなつかしさを感じさせるものだった。
「あんたがヤクザのヒットマンになったってのは知らなかったな……雲居 昶!」
「ガキの頃はまだ可愛げがあったが今じゃただの生意気なだけだな。
かつての師匠を呼び捨てにするとは本当に礼儀がなっていない……」
確かに雲居昶は神楽流で八代に戦闘技術を叩き込んでいた謂わば師匠ののような存在だが、今は相反する目的を持つ敵同士である。その上彼の実力を考えると、もし全力で戦った場合、勝つにしろ負けるにしろこのあたり一帯は焦土と化してしまいかねない。優香の護衛が目的である以上戦わない事がベストなのであった。
「あんたの目的は知らんが俺の邪魔になるんだったら実力で排除するぜ?」
そう言って不敵に笑ってみせるが内心そんな余裕は無かった。
実力で排除するという脅しで引いてくれれば良し、もし引いてくれなくても多少の時間稼ぎにはなるだろう。その先の策は無いが今すぐ開戦よりは遥かにマシだった。
「お前の目的はこのマンションの一室にいる狭霧優香の護衛だろう?
それならば俺と戦うのは都合が悪くないか?」
だが昶には八代の脅しが全く効いていなかった。しかも八代の目的まで知られてしまっている。
情報戦に負け、情報を用いた心理戦でも負けた以上、戦闘にしか活路を見出せない状況になってしまった。
(こりゃ任務失敗かもな……)
戦闘になればあの雲居昶相手に篠と優香を守りながら戦うなど絵空事も甚だしい。全滅するか八代だけでも生き残るかの二通りの未来しかない。
「安心しろ……今お前と戦うつもりは無い。
俺は第三者から偵察を依頼されただけだ。狭霧優香を誘拐しようとしているヤクザとは別のヤクザからな……
あらかじめ護衛者がいると聞かされていたからお前の目的が分かっただけだ。
それに俺は勝てない戦はしない主義でね……
それにさして高くない報酬で水無月八代と久桐玲の2人を相手にするなど愚の骨頂だ」
昶の言葉通り、隣のビルには玲の姿が見受けられた。どうやら戦いになれば手を出すつもりだったのだろう。何にせよこれで戦いは回避できそうだった。
「それにしてもお前達が行動を共にしているとは不思議な事もあるものだ……
それにお前も久桐玲の方もあの頃から格段に腕を上げているみたいだな。
いずれはお前達を殺すために高額の報酬が用意される日が来るだろうな……
次会う時は俺がその報酬を目的にお前達を殺す時だ……それまでもっと強くなって自分達の首の価値を高めておくのだな!」
そう言って昶は去って行った。
ひとまず危険は回避されたと言っていいだろう。八代は大きく息を吐いて天を仰いだ。
「ふー、危なかった……しかしあの人が絡むと大抵厄介な事にしかならねぇんだよな……」
「少なくとも今回は厄介事にならなかっただけ御の字という所だな」
いつの間にか玲が八代の隣まで近づいてきていた。
「2対1ってのはポリシーに反するんだが相手が昶さんじゃ仕方ないか……
でもなんでこの近くまで来てたんだ、玲?」
「お前に話があったからに決まってるだろう?
それ以外の理由でこんな所まで来る訳が無い」
「分かった分かった! それで何の用だ?」
雲居昶という脅威が去った今、八代は完全にオフモードになっていた。だがそれは昶と対峙するのはそれほどまでのプレッシャーだったという事の証明でもある。
「交渉室からの情報が届いたからその報告と今回の任務について話しに来た」
「今回の任務って俺達は今別々の任務に就いてっから、話してもあんまり意味無くねぇか?」
八代の任務は先の見えない護衛任務。それに対して玲の任務は終わりの見えてきた捜査任務。確かにこの2つの任務の関連性は無い。
「任務そのものに関連性は無い。だが、俺の思うように事が進めばお前の任務もすぐ終わるぞ?」
挑発的な疑問系だった。
「……分かった。玲がそんな言い方するって事は相当自信があるんだろ?」
「自信はある……だがこの作戦は八代が要になる。
もし八代が失敗すればそのまま任務失敗って事になる。それでもやるか?」
またも挑発的な疑問系。玲の中では八代の返答は決定済みという事なのだろう。
「当然だ。玲がそれほど自信がある作戦って事は俺がしくじらないって確信があるからだろ?」
八代が要の作戦に自信を持っているという事は八代がちゃんと役割を全うできるという確信が玲にはあるという事になる。もしその確信が無ければそもそも作戦の提案自体してこないだろう。
「そういう事になるな……それに狭霧優香の護衛は篠一人で十分だと判断したからでもあるんだがな……
それはそうと篠の奴、普通の女の子になってねぇか?」
「なんて言うか……色々あったんじゃねぇか?」
八代はあえて理由は言わなかった。理由よりも結果を重視する玲に話してもあまり意味が無いし、何より人の弱みをベラベラしゃべる程八代は迷惑な人間ではない。
玲も八代が理由を知っている事は分かっているだろうに問いただしてこない。
「そうか……まぁ、普通に戻れるならそれに越した事はない。
これからは連絡係にでもなるのだろうな……」
「いい事じゃんか。そうなりゃまた玲とのコンビに戻れるんだから俺は大歓迎だぜ」
篠と組んでから任務について考える事の面倒さは嫌という程味わった八代にとって元の鞘に収まる事は願っても無い事だった。
「俺の考えた作戦は俺とお前のコンビで行うから安心しろ……
まず、手始めにお前にやってもらう事がある」
「ん? 何だ?」
「お前には麻薬の取引をしてもらう」
「…………はぁ!?」
理解不能な事態に八代はただただ呆然とするばかりだった。
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