第30話 新米象術警官の苦悩
とうとう第30話まで 来てしまいました。
本来は過去の話を修正するまで投稿するつもりは無かったのですが第30話がほとんど出来上がっていた状態だったので投稿させていただきました。
AM7:00――新米象術警官役の玲は警察署の前に来ていた。
象術警官も警察庁の所属となるので基本警察署に出勤する事になっている。
だが玲は中々警察署に足を踏み入れる事が出来ないでいた。
理由は簡単だった。任務のためとは言え身分詐称して警察署へ入るにはかなりの勇気が必要であり、普段は物事の手順などにはあまり頓着しない玲ですら入るのに躊躇ってしまった。
「いつまでもそこにいると逆に怪しまれるぞ?」
「……ひょっとして誠司さん?」
入口前でうろちょろしていた玲に声をかけてきたのは交渉室の同僚である睦月誠司だった。 誠司はいつもEsconditeで見せるようなスーツをだらしなく着崩した状態ではなくきっちりとしたスーツ姿であった。
「そうだ。一応僕も表向きは象術警官として仕事してる身なんだよ」
「どっかでサラリーマンしてるんじゃなかったんですね」
内閣府特殊案件交渉室に所属するエージェントはその存在を隠すため表向きは普通の職業に就いている。
誠司の場合は象術警官だったという事なのだろう。だからこそ今回の任務の伝令役を務めたのかもしれないが……
「サラリーマンじゃいざという時不便だからね。交渉室のメンバーは君達を除いて全員何かしらの公務員職に就いてるんだよ。
それはそうと中に入るよ。ちょっと任務の変更点も伝えたいし……」
「了解」
玲と誠司はそのまま警察署の中へと入って行った。
さっきまで進まなかった足が誠司と一緒だと問題なく進んでいく。
「それで任務の変更点ってのは何だ?」
警察署の廊下を歩きながら2人は任務について話していた。玲も誠司も象術警官という事になっているので任務という単語が出ても周りの職員達は気に止めていなかった。そういう意味では会話に気を付けなくていいので気が楽だった。
「変更点というか問題点というか……」
「決まってる事ならさっさと教えてくれ」
珍しく歯切れの悪い誠司に玲も少し苛立ってしまった。
「すまない。新人の象術警官は玲君ともう一人いるんだ。しかもこの署には僕を含めたその3人しか象術警官はいない。それに僕は別の仕事があるので実質君と新人の2人で捜査に当たってもらう事になる」
本来なら新人の指導にはベテランの象術警官が担当するのだが今回はそれが出来ない、という事が言いたいらしい。
「それは構いませんが、というより相方がベテランより新人の方が出し抜きやすいからそっちの方が都合がいいかもしれませんね。」
玲の言う通り今回の任務は警察に先んじて象術が使えるようになる薬とやらを確保する事なので、ベテランの象術警官の方が薬の確保の大きな障害になる。
「とにかく玲君にはその新人とペアを組んでもらう。
問題無いさ! それに君のペアは若い女の子だ。
出来る事なら変わって欲しいくらいだよ!」
本心ではないのだろうが誠司が言うとセクハラオヤジの妄想にしか聞こえなかった。
「変われるモンなら変わってくれ……どうせ数日間の付き合いなんだし我慢するさ」
と言いつつも内心ではホッとしていた。年が近い方が何かと話しやすいのだが、欲を言えば男の方が良かった。
「じゃあ、僕はこれで。
後は新人さんにあいさつしてそれからは資料を基に調査を開始してくれ」
そう言うと誠司は部屋に入って行った。
(……副所長!?)
確かにプレートには副署長室と書いてあるがにわかには信じられなかった。
正直良くて警部か警部補くらいだろうと思っていたがアル中モドキがこんな地位にいるのが信じられない。
「……新人の人にあいさつに行こ……」
その行動は俗に言う現実逃避というものなのだが当の本人にはその自覚は無かった。
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「不束者ですがよろしくお願いします!」
玲の目の前にいる女性はそう言いながら深々と頭を下げていた。
「こっ、こちらこそお願いします……
じゃなくて! とにかく頭上げてください」
(ペアを組む人とあいさつするだけなのに何でこんな事になってんだ?)
不束者とは気の利かない人、という意味なのでこの場でもあながち間違ってもいないのかもしれないのだが、傍から見れば一番メジャーな使われ方をしているようにも見えるのでとにかく玲は彼女の頭を上げさせる事にした。
「そうですねすいませんでも足引っ張っちゃうだろうから先に謝っとこうと思って……」
「ちょっと待って! とりあえず深呼吸して」
句読点の存在しない早口に参った玲はとにかく彼女を落ち着かせる事にした。
「はっ、はい! す~は~、す~は~。 はい、落ち着きました」
中々個性的な同僚だがこれでも象術警官試験に合格したエリートなのだから世の中不思議なものである。
「とにかく自己紹介から。
俺は佐伯景です。本日からあなたとペアを組む事になった象術警官です」
任務という事もあり本名で象術警官に登録する訳にもいかず、こうして偽名を使う羽目になっていた。
実際この名前に登録しているので無免許などで捕まる事は無い。
「私は九十九早苗です。
よろしくお願いします!」
これで自己紹介は済んだ。後は資料に基に調査を進めるだけだ。
「では早速調査に行きますが資料には目を通してありますか?」
誠司によれば彼女にも資料は渡してあるとの事なので一通りは目を通しているはずだ。
「それなんですけど……まだ読んでないです!」
そう言って彼女は勢いよく頭を下げてくる。
「象術警官になるのが決まって友達とお祝いしてる内に今日になってしまって結局読むの忘れてました」
「………………………………………」
予想外の言い訳に玲はかつてない規模の沈黙をしてしまった。
「じゃあ、調査に行きますか」
「それでいいんですか?」
玲のさばさばした態度に早苗も呆気にとられていた。
「読んでないものは仕方ない。それに上司でもない俺に怒る資格も無いし……
車の運転は任せていいか?」
佐伯景として自動車の運転免許は持っているし技術もある。だが正当な方法で取得した訳ではないので運転するには抵抗がある。他人に任せられるのならそれに越した事は無い。
「任せてください!
私が車を運転しますので佐伯さんは調査に専念してください!
じゃあ私は表に車回しておきますね」
そう言って早苗は駆け出して行った。
「よくあれで象術警官になれたものだな……」
象術警官試験は合格率一割という狭き門だったはず……しかも早苗はそんなに歳をとっているようには見えない。という事は彼女はかなりのエリートという事になるのだろうがとてもその様には見えなかった。
「人は見かけによらないって諺の良き見本だな」
このままでは早苗を待たせてしまうので玲も外に向かう事にした。
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玲は早苗の車の助手席に乗りながら彼女に調査する事件の内容を説明していた。
「でも本当に象術が使えるようになる薬なんて存在するんですか?」
彼女は懐疑的だったがそれは当然の反応と言えるだろう。
「存在するかしないかどうかも調査の対象だ。もし存在すれば新聞の一面を飾る事は間違いないな」
確かに象術が使えるようになる薬の存在が公になればこの上ない大スクープになるのは間違いない。
(それをさせないのが俺の仕事なんだけどな……)
薬が存在すれば回収し、目撃者を消す。それが玲に与えられた任務。
つまりは早苗を殺すのも任務に含まれているという事である。
新人象術警官2人が職務中に殉職。
これが交渉室が考えている今回の任務のシナリオだった。佐伯景という人間は元々今回の任務のためだけに用意した器に過ぎないので死んでもらった方が後腐れが無い。
(死ぬのが分かってるからこんな変な奴を担当に回したのか?)
どうせ失うならベテランよりも新人の方が傷が少ない。という考えからなのかもしれないがどの道彼女には可哀そうな話だった。
「もしその薬を見つけたら私が新聞の一面に載るんだ~」
そんな玲の考えなど露知らず早苗は自分の世界に没入していた。
「運転中に余所見するな」
このまま運転させておくのも怖いので一応注意しておく事にした。任務中に事故死など八代が聞いたら爆笑するに違いない。
「すっ、すいません! って佐伯さん、何か向こうで言い争いになってるみたいですよ」
彼女の指差す方を見てみると確かに男女で言い争いになっていた。前方不注意なのになぜそんな細かい事は見えるのだろうか? 俗に言う野次馬根性というヤツなのだろうがそれは言わない方がいいだろう。
しかも女性の方は制服を着た女子高生。この時点で何が起きているのか大体の想像が出来てしまう。
早苗は玲の許可も取らず独断で言い争いしている男女の側へ車を停めた。
警官としては正しい判断なのだが玲としては見てみ見ぬふりをしておきたかったのも事実だった。
(別に彼女だけに任せてもいいんだが俺だけ車の中にいるのも問題か……)
今の玲は一応警官という事になっているので目の前で起きている諍いを車の中で見ている訳にもいかないのでとりあえず車を降りる事にした。
「あっ、佐伯さん! ちょうど良かった。
痴漢罪ってありましたっけ?」
早苗は手錠を片手に男を取り押さえていた。
「痴漢罪なんて物は存在しない。 それに手錠を使うのは重犯罪の容疑者か逃走の意思を見せた者にたいしてのみだ。
逃走の意思を見せていないのなら暴罪罪でお前を逮捕する事になるぞ?」
「えっ!? そうなんですか?」
それを聞いた途端、早苗は勢いよく男から離れた。
「彼女が勝手な事をして申し訳ありませんでした。」
取り押さえられていた男性が起き上がると玲は遠くからでも見えるほど深く頭を下げた。 こうする事によってこの男性が悪くないという事をより多くの人にアピールするのが目的だった。
「いえ、こちらこそ助かりました。」
本来なら罵声を浴びせられても文句の言えない状況なのだが、相手の男性は穏便に済ませてくれた。
「こんな痴漢早く捕まえて!!」
そうヒステリックに叫んでいるのは先程男性と口論になっていた女子高生だった。
(やっぱりそう言う事だったか……)
男と女子高生が口論なんて親子喧嘩かそれくらいしかないからな。
早苗もその女子高生の言う事を鵜呑みにして男を取り押さえたというのなら浅はかと言わざるを得ない。
「あの……痴漢の事については示談にしたいのでここは見なかった事にしてくれませんか?」
男性は痴漢の事を示談で解決しようとしているらしい。
「本当に痴漢したのですか?」
金を払えば認めてしまうようなものである。そもそも証言だけで成り立つような痴漢なんて実際やってないかどうかなんてどうでもいいんだからな。
でもこの男性には早苗に取り押さえられても許してもらった恩もあるのでここは助け舟を出す事にしよう……
「そこのお嬢さん。 この男性に痴漢をされたというのは本当なんですか?」
玲は涙を流している女子高生に向かって聞いた。
「本当です! 信じてもらえないなんてひどい……」
そう言って女子高生はさらに涙を流した。
「佐伯さん! こんな泣いてるのに信じないなんてひどいですよ!」
「あんたは黙ってろ!」
早苗が勝手な事をしなければこんな事にはならなかったので玲も思わず怒鳴ってしまった。
「それよりもなんで制服でこんな所にいるんですか?」
「通学途中だから当たり前です」
玲の問いに女子高生もムキになって言い返してきた。
「ゴールデンウィークで学校は休みなのに?」
玲がそう言った所でその女子高生にも自分の失言に気が付いた。
ゴールデンウィーク中なのだから学校は休みである。それなのに制服でこんな所にいるのは明らかに不自然だった。
「えーっと……部活なんです!」
そう取り繕うものの、その様子から嘘であるのは明らかだった。
最初は彼女の味方だった周囲の人だかりも最早彼女に味方する者はいなかった。
「とにかく学校と保護者に連絡するけど、まずは学校に行こうか。
あなたも被害者として同行してもらいます」
この場合は男性にも一緒に来てもらった方が学校側にも説明しやすい。
「九十九さん、車の運転をお願いします」
「はっ、はい!」
その場に突っ立ていた早苗にも声をかけておく。
これで痴漢騒ぎは実質解決の運びとなった。
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結果から言って痴漢騒ぎの女子高生には厳重注意という事になった。
学校や保護者にも話を聞いたりしなければならなかったので、結局調査は全く進展しなかった。
「ホントにすいませんでした……」
運転しながら早苗は何度も何度も謝っていた。
「本当なら始末書モノの失態なんだからな。
向こうが訴えてきたら懲戒免職だったかもしれないんだしな……
あんた運だけはいいんだな」
これだけの事をやらかして何一つ処罰されないのはある意味奇跡だった。
「でも佐伯さんはなんであの女子高生が嘘ついてると思ったのですか?」
「簡単だ。本当にあの女子高生が痴漢されていたのなら痴漢した男性に恐怖を感じるはずだ。そして警官を見た時点でその恐怖心から解放されるはずだ。
だが彼女は男性に対して妙に攻撃的だった。だから彼女は嘘を付いていると思った訳だ」
本当はあの気の弱そうな男性が痴漢できるはず無いと思ったのもあるのだがそれは言わない事にした。
それよりも玲は早苗に言いたい事があった。
「それよりもあんたに言いたい事がある」
「何です?」
早苗は何気なく聞いてくるが、
「あんた象術警官やめろ」
内容はショッキングなものだった。
「なっ、何でやめないといけないんですか!?
確かに今日失敗はしましたけどまだ初日ですよ!?
確かにそそっかしい所はありますがこれから直していけば……」
「それまで待ってられんよ」
早苗の弁解を遮るように玲は言った。
「そもそも何で取り押さえて手錠まで取り出した? 自分が間違ってるとは思わなかったのか? 間違っていた時の覚悟は出来ていたのか?」
「それは……その……」
玲の問いに早苗は全く答えられなかった。
「あんたの持ってるその手錠はただの拘束具じゃない。人の人生を壊し得る兵器だ。
それに今回調査するのは象術が使えるようになる薬についてだ。本来なら表彰されてもおかしくない薬を裏で売りさばいてるような奴等を追うんだ。勝手な事をされれば俺まで危なくなる。
自分の失敗で死ぬなら納得できるが、あんたの失敗で死ぬなんてゴメンだ」
玲の本心としては早苗を殺したくないからなのであるが、正直にそれを言う訳にもいかないのでこうしてきつい事を言う羽目になってしまった。
「そうですね……私なんて迷惑ですよね? 折角象術警官になれたのに初日から失敗ばっかりで何一つ役に立てなくて……」
彼女の声は今にも消えてしまいそうな程小さかった。
「はぁ……分かった。
ペアでいる内は指導してやる。
だが俺の言う事には従ってもらうぞ」
非情に徹しきれずに助け舟を出してしまった。
自分で責めて自分で助ける。第三者から見れば間抜けな奴にしか見えないだろう。
それでも彼女には効果があったらしく、
「ありがとうごさいます……」
とうとう早苗は泣き出してしまった。
「分かったから泣くな……
俺はもう家に帰るからここで降ろしてくれ」
別に寮に近い場所ではなかったのだがこのまま一緒にいてこれ以上余計な事をしてしまう事を玲は恐れたからだ。
「ではまた明日お願いします」
「あぁ……それじゃ」
そんなやりとりの後に玲は早苗と分かれた。
彼女の車が十分遠くに行ったのを確認してから玲は自分の行動を激しく後悔した。
(俺の馬鹿!! なんであの状況で助ける!? そのまま押し切ればよかっただろ!!)
昔から敵とみなせばどこまでも冷酷になれた。だが敵でなければ優柔不断になってしまうのは玲の悪い癖だった。それを知っていて直そうとしても結果はこのざまだ。
このまま彼女が象術警官を辞めさせればそれが彼女のためになると分かっていてもそれが出来なかった。
「しかもこの後玲奈の家庭教師があるし……」
そもそも玲奈の家庭教師にしても本当なら断る事ができた。それなのに断れなかったのは単に玲が困っている女性に甘いというのが原因なのだろう。
「因果応報、いや自業自得とはこのことか……」
そう言いながら歩く玲の後ろ姿はどこか哀愁ただようものであった。
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