第28話 エゴイスト
第28話投稿。
「ちょうど良かった。 お前に聞きたい事があるんだがいいか?」
誠司を振り切りやっとの事で部屋に戻ってきた玲が最初に聞いた玲奈の言葉がそれだった。
「別に嫌って言っても話すんだろ?」
一か月も同室で生活していれば多少は付き合い方も分かってしまうので本当は遠慮したいのだが、聞かなければ面倒な事になるのは目に見えていた。
「まぁな……それよりもお前ゴールデンウィークに実家に帰ったりしないのか?」
「俺が施設で育ったって言ってなかったか? 中学を卒業した時点であの施設に俺の部屋は無くなったよ。
今はこの部屋が俺の帰る場所だ。 ゴールデンウィークだろうと夏休みだろうとそれは変わらんさ。」
彼女の真意は理解できなかったが聞かれて困る事ではないのでそのまま答えた。
「なら良かった。 俺もこっちに残るから象術教えてくれ。」
……そういう事か。
玲奈はゴールデンウィークを利用してエネルギー変換と物質変換をマスターしようとしているらしい。
「その心構えは感心だがこっちもずっと教えてやれる訳じゃない。」
任務もあるので玲奈だけに時間を割く事など出来ない。
「さっき実家に帰らないって言ったじゃねぇか。 それならずっとヒマだろ?」
「お前はそうかもしれんがこっちはそうでも無いんだよ。 このゴールデンウィークの予定はバイトで潰れてんだよ。
養ってくれる親がいるお前には縁が無いかもしれんが何も後ろ盾のない俺は金だって自分で稼がなきゃなんねぇからな。」
任務はバイトという事にしておいて説明するがゴールデンウィークがヒマで無いのは事実だった。
「別に啓莱高校は学費タダなんだしバイトする必要なんてないだろ?」
「学費はな。 でも生活費はタダじゃない。
将来どうしたって金は必要なんだし今からバイトしておいた方がいい。」
前々から思っていたが玲奈はどうやらかなりの世間知らずらしい。
「前々から思ってたがお前ってかなりお嬢様育ちしてきたんだな。
少なくとも俺とは正反対の育ち方をしてきたって事か……」
昔はそのような育ち方に憧れもしたがある程度成長しそれなりに自分の力で生きて行けるという手応えを感じた今となっては特に羨むものでもなくなってしまった。
「正反対ってどういう事だよ?」
まあ、自分の育った環境が当たり前だった玲奈に玲の育った環境は理解できないのは仕方ない。
「親に愛されて育ったって事だよ。
俺みたいに憎まれたりせず……な。
自分のした事で憎まれるのは構わない。 だが生まれた事そのもので憎まれるのは納得できない。」
玲にとっては忘れたい過去――存在そのものを嫌悪され続けたあの日々。
「そうか……なんか悪い事聞いたな。」
珍しく玲奈がしおらしくなっていた。 それはそれで貴重なシーンなのでもう少しこのままにしておこうかと思ったがこれ以上は玲奈のイメージが崩れかねないので玲は話題を変える事にした。
「もう昔の話だからどうでもいいって。 それよりも勉強みてやるって話の方なんだが、お前一体いつから授業に着いていけなくなったんだ?」
しみったれた昔話よりも遥かに有意義な話題だったと玲は我ながら感心していたが、
「強いて言うなら小学6年くらいから。 中学校の授業は今でも理解できないと思う。」
「……マジか。」
軽く聞いた割にはあまりにもひどい話だったので思わず黙り込んでしまった。
「なんで授業に着いていけなくなったか分かるか?」
一教科や二教科の成績が悪いのは十分理解できる。 実際八代がそうだったのだから不思議に思う事はない。
だが小学生の時点で全教科の成績が悪いというのは信じられなかった。
だからこそ理由を聞いたのだが、
「あぁ、きっかけは小学5年の頃だったな……その頃まではちゃんと勉強してたんだがある日親戚の結婚式があって、その時にその親戚のお姉ちゃんから『結婚したら勉強なんて無意味になっちゃうよ』って言われて……」
「それを真に受けて勉強しなくなった、という事だな?」
玲奈の話はまだ続くようだったが大体は理解できたので玲は話の続きを打ち切る事にした。
「そうだ。 実際勉強しなくても中学は卒業できたしこうして啓莱高校に入学できたのだからあながち間違ってもないだろう?」
「大間違いだよ!
エネルギー変換には物理学、物質変換には化学の知識が必要になってくる。
お前は勉強しなかった事で自分の選択肢の幅を狭めただけだ。
エネルギー変換や物質変換とか言う前に物理と化学の基礎から始めないといけないんだよ。」
まさかここまで思い違いをしているとは思わなかった。
「そうなのか……でもなんで操炎系配合はできるんだ?」
玲奈は疑問に思っているようだがそれは分からないでもない。
「配合ってのはダークエネルギーとダークマターを一定比率で混ぜ合わせる事で発動するものだ。
必要なのは一定比率で混ぜ合わせるという技術的なものだけだ。 エネルギー変換や物質変換のように知識は全く必要ない。」
とは言いつつも配合はできるがエネルギー変換も物質変換もできないというのは聞いた事が無かった。 こうして実例がなければ信じる事などできなかっただろう。
「だが家庭教師を引き受けた以上はエネルギー変換と物質変換はできるようにしてやるさ。」
(本当は自信無いんだけどな……)
実際物理と化学を教えてからでないと練習はできないのでゴールデンウィークだけで両方を習得しようとするのはいささか高望み過ぎると言わざるを得ない。
「おう! 頼むぜ。」
そんな玲の心配を余所に玲奈は能天気なものだった。
「じゃあ、今日はもう寝る。 どうせ明日から忙しくなるんだし、今の内に寝とくよ。」
「おう、おやすみ。」
玲奈も負担をかけている事は自覚しているのか特に引きとめたりしなかったのでよく眠れそうだ。
(明日から任務と家庭教師……ゴールデンウィークは完全に消えたな。 任務はともかく家庭教師なんて引き受けるんじゃなかった……)
眠りに就く前そんな後悔が頭をよぎったが後悔先に立たずという諺の示す通り全ては手遅れなのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
翌朝、いつもよりかなり早く起きた玲は私服に着替えて涼子先生の部屋に向かった。
別に2人が怪しい仲であるという訳ではないが玲には人目を避けねばならない理由があった。
「来たか……言われていたものは用意しといたぞ。」
玲を出迎えたのは当然部屋の主である涼子だった。
「申し訳ない。 俺の部屋に置いとくと見つかる危険があるからな……」
玲が涼子に用意させたのは象術警官の制服だった。
本来学生の身分では象術警官の資格は得る事はできないので、万が一玲が自分の部屋に象術警官の制服を隠して見つかりでもすれば不自然に思われる事は間違いない。
そこで元象術警官だった涼子に協力を仰いだという訳である。
制服の隠し場所として部屋を貸してもらうだけなので彼女もすんなり許可してくれた。 教師は部屋は個室なので他の教師にばれる心配もない。 もし部屋に入るのを誰かに見られたとしても授業内容について質問していたとでも言って誤魔化せばいい。
「今回はお前一人での任務なのか?」
「あぁ、八代と篠はアイドルの護衛任務だとさ。」
「内閣府特殊案件交渉室という所はそんな事までしてるのか?」
「別にそのアイドルが大事って訳じゃない。 そのアイドルが連れ去られた結果が政治家達にとって不利益なるってだけだ。」
涼子はまだ信じられないようだったが別に政府のやり方なんて理解出来ない方がいい。
この国の政治家は我が身の保身にばかり特化した生き物なのだから理解できないという事はまだまともな感性をしている。証拠だとも言える。 だがその様なエゴイズムがなければ政治家など務まらないのかもしれない。
「しかし国益のために存在している交渉室が政治家の保身に使われるなんて世も末だな。」
涼子はため息をつきながらそう漏らしたが、
「逆だよ。 交渉室は最初から政治家の保身のために作られた組織だったんだよ。 国益のためだというのは最初から嘘っぱちだ。 大義名分を掲げ自分達は悪い事をしていない、って言うためのある種の自己催眠なんだよ。」
人の醜い部分をたくさん見てきた玲にとってはむしろそれは極めて正常な人間の本能であると思っているが象術警官として正義を教え込まれてきた涼子にとってそれは到底理解できない思想だった。
「話は逸れたがそういう事だ。
俺達は別に理想追い求めている訳でも無い。
俺と八代は各々の目的に向かって進んでいるだけだ。 それが善だろうが悪だろうが関係ない。」
生と死の境界の前ではそんなモノは無意味だと知っているから、とは言わなかった。 経験した者でなければ分からない事を教えても理解できるはずが無い。
「お前は八代の過去を知ってるのか?」
涼子の問いは質問ではなく確認に近いものであったのかもしれない。
ただ、そのどちらであったとしても玲の答えは変わらなかった。
「知っている。 だがあいつから直接聞いた訳ではないから違っている可能性も否定できない。」
少し前に八代の実姉である水無月沙希から彼女と八代の過去について聞いた事があった。 無論その事は八代も知らないし、その過去がきっかけで姉弟の仲が険悪になってしまったいうのもその時聞かされた。
「だが八代がその事について話すつもりが無い以上、俺も誰かに話すつもりは無い。
だから先生もそれについては出来るだけ触れないようにしてください。」
「あぁ、分かった。」
彼女も理解を示してくれた事でそろそろ任務に向かう事にしよう。
象術警官は一応公務員という事になっているので遅刻する訳にはいかなかった。
「最後に一つだけ聞いていいか?」
「何です?」
部屋を出ようとした玲は涼子に引きとめられた。
「水無月の過去を知ったお前はあいつに自分の過去を教えるつもりは無いのか?」
公平を求めるその姿勢は結構な事なのだが時には不公平な方がいい時もある。 そう答えたかったが玲の口は別の言葉を紡いでいた。
「情報ってのは秘匿されればされる程価値が上がっていくんだよ。」
そう言って玲は部屋を出ていった。
「正直に知られたくないって言えばまだ可愛げがあるんだがな……」
誰に向けていった訳でもない彼女の独白は可愛げのない教え子に聞かれる事は無かった。
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