婚約破棄『七十二年目の朝、ラジオ体操の広場で』
早朝の湿った空気が、肌を冷たく撫でていく。いつもの公園。いつものラジオ体操の列。いつも通り、私の隣には幼い頃からずっと並んでいるタケルがいた。
「リコ、話があるんだ」
体操の伴奏が流れる直前、タケルがポツリと呟いた。その声には、長年連れ添った夫婦のような安らぎではなく、奇妙なほど硬い響きがあった。
「ラジオ体操が終わってからにしてよ。背筋が伸びないわ」
私は彼を無視して、慣れ親しんだ音に身を委ねた。腕を回すたび、古びた骨がわずかにきしむ。タケルの背中は、昔と変わらず少し猫背で、安心感を与える形をしていた。
終わりの深呼吸を終え、朝日が公園の隅々に染み渡る中、タケルが私の方を向いた。
「ごめん、俺は君を幸せにできそうにない。婚約を解消したい」
一瞬、耳を疑った。広場に響く雀のさえずりが、ひどく遠くで鳴っているように聞こえた。
「七十二年よ」
私の声は、ひどく掠れていた。喉に何か熱いものが突き上げ、胸の奥がぎゅうと締め付けられる。私たちは物心つく前から、家同士の約束で結ばれていた。七十二年。この気の遠くなるような時間を、私たちは隣り合って生きてきた。喧嘩をした日も、病気で寝込んだ日も、ずっと同じ景色を見てきた。
「昨日まで、昨日の夕食まで、そんな顔ひとつしなかったじゃない」
「今日、ふと思ったんだ。このまま君の隣にいることが、本当に君のためなのだろうかと」
タケルは私の目を見ない。その視線は、遠くの銀杏の木の梢を彷徨っていた。その横顔を見て、七十二年経っても、私はこの人を何も知らなかったのだという絶望が、冷たい泥のように足元から這い上がってきた。
「七十二年も待たせて、今さら何なのよ。幸せにするなんて、最初からそんなの期待していないわ。ただ、明日もラジオ体操で隣にいる。そんな当たり前の日常を、どうして奪うの」
私の言葉は、風の中に溶けて消えていく。識字障害のせいで、彼の心という文字を私は一度も正確に読むことができなかったのかもしれない。
広場には、まだ他の人たちが談笑している。タケルは私に最後の一瞥もくれず、背を向けてすたすたと歩き出した。その足取りは、七十二年という重みを振り払うかのように、信じられないほど軽やかに見えた。
私は、動けなかった。ただ立ち尽くし、冷え切った手で自分の服を握りしめた。朝の陽射しが、私の肩を容赦なく照らし出し、取り残された者の輪郭を際立たせていた。
ありがとう。おつかれさま。




