第三章 勇気の羽
あれからまた一カ月が経った。やはりお客さんは全然来ない。しかし、わたしは、今日はまたお客さんが来るかもしれないそう感じている。なぜなら、わたしやマツおばあちゃんの時のように今日は霧が濃ゆい。というより、雨が降り出しそうだ。
わたしは降り出す前に滑走路の掃除を終わらせた。もうホテルに戻ろうかという時に、鼻先に雨粒が当たった。わたしは急いでホテルに入った。丁度私がホテルに入った瞬間、外からは、ザーッ!! っと、まるでバケツでもひっくり返したような豪雨がやって来た。どうもこういう天気は嫌いだ。あまり大きな声では言えないが、幼いころから不安になる。お母さんが居た時は、傍にいてくれてたのにな~。ふと窓の外を見ると、あの白い鳥が窓淵で雨宿りをしている。わたしは可哀そうに思い、窓を開け、白い鳥を手で掬い上げるように持ち上げると、ホテルの中へと入れた。すると白い鳥は飛びまわるわけでも無く、そのままわたしの手の中で眠ってしまった。このままでも困るので、わたしは暖炉の前の机に白い鳥を置き、ハンカチを巻いてあげた。白い鳥はチラッと、こちらを見ると、安心したように再び眠りについた。
ザ――――ッッッッ!!ザ――――ッッッッ!!ドスッ。ザ――――ッッッッ!!ザ――――ッッッッ!!
豪雨の中に、何かが落ちるような音が聞こえた。わたしは気になって窓の外を見ると、滑走路にライオン?いやタカ?が横たわっている。わたしは慌ててホテルの奥に向かって叫んだ。
「レミさん!! 大変!! 滑走路で何かが倒れてる!!」
何か金属が落ちるような音がした後、キッチンからレミさんが慌てて出てきた。
「本当ですね。急いで中に入れましょう」
わたしとレミさんは倒れている何かに向かって外へと飛び出した。近くに来て気が付いたが、倒れていたのはなんとグリフィンだった。意識がないようだ。わたし達は二人で持ち上げようとしたが、重くて持ち上がらない。仕方なく二人で引きずることにした。グリフィンは肌に触れた瞬間にこちらも揺れる程に震えている。わたし達は急いでグリフィンを暖炉の傍まで引きずり、わたしがタオルを持ってきて、二人で濡れたグリフィンの体を拭いていた。すると、勇ましくも、どこか優しい男性の声が聞こえてきた。
「すまない。迷惑をかける……」
どうやら、グリフィンが目を覚ましたようだ。レミさんはグリフィンの顔の近くに行き、話しかけた。
「目が覚めたようですね。お名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「俺のことはみなコウと呼ぶ」
「コウ様。ありがとうございます。ようこそ、ホテル『とまりぎ』へ。私は当ホテルの支配人をしている、レミと申します」
「わたしは、ここで働かせてもらっている、ツバサです」
「コウ様は随分とお若いようですが、何かあったのですか?」
「ああ。戦だ」
「もうそんな時期ですか。大変ですね」
そんな田植えやら落ち葉の時期みたいに言われても……。
「しかし、コウ様のようなお若い方までもが戦争に駆り出されるとは……。大分切羽詰まっているようですね」
レミさんが冷静にそう言い放つと、コウは突然立ち上がり、背中の羽を広げ、レミさんに向かって大きく口を開けて、怒鳴った。
「我らを愚弄しているのか!! 我らは誇り高き戦士である! 我らは負けるわけがないのだ!!」
コウの瞳はただ一点を見つめている。レミさんは彼に全く動じることなく淡々と話を続けた。
「まだあなたはお若い。きっときっと立派な戦士に……」
バタンッ!!
レミさんが話している途中に、コウは再び意識を失ってしまった。疲労がまだ回復していないのか、緊張したのか……。とにかく、わたしとレミさんは毛布を持ってきて彼にかけた。レミさんがグリフィン用だと言って人が使う四倍程大きい毛布を出してきたが、よく考えると、まだ彼は成長しきっておらず、普通のライオンより一回り大きいくらいなので、通常の毛布で事足りた。レミさんは自分が見ているからとわたを部屋に戻そうとしてくれたのだが、わたしも彼のことが心配だったので、暖炉の前の机と椅子を退けて、ソファーを二つ持ってきた。机の上で寝ていた白い鳥は、気づけばコウの上へと移動していた。普段は寒いのでここでレミさんと一緒に朝食を取る為にテーブルと椅子を置いていたが、やはり暖炉の前にはソファーが似合う。
ソファーを運び終えて、一息つくとレミさんは淡々と話し始めた。
「彼らは、戦わなければ生きていけないんです。そして、勝たなければ生きている意味を感じられない、敗北を知らない人達なんです」
「なんだか、可哀そうですね」
「ツバサさんはなぜそう思うんですか?」
「勝たなきゃ生きている意味を感じられない、それはわかるんです。でも、敗北を知らないっていうのがどうも可哀そうに思うんです」
「確かに、敗北を知らないということはとても名誉なことなのでしょう。しかし、敗北から学べることもある、敗北を"知る"というように言いますから、その分"無知"とも言えます」
「そうですよね。彼らの戦って、若い人達を使ってまですることなんですか?」
「さぁ。私にはわかりません。私は彼らの長ではありませんし、グリフィンですらありませんから。私達はその分"無知"なのです。私の友人は非常にそれを嫌っていました。なので私もそれを一つでも無くすお手伝いができたらいいななんて考えたりもします」
レミさんが自分の底にある考えや感情をこうも明確にわたしに話してくれたのは初めてかもしれない。それに、めちゃくちゃ失礼だけど、レミさんって友達いたんだ……。
「今、何か失礼なことを考えませんでしたか?」
「ギクッ!!」
「私は全てお見通しなのですよ。例えば、あなたが起きているということも」
レミさんはコウの方をじっと見つめた。口は微笑んではいるが、目が笑っていない。
「気づいていたのか」
「あなた方を少し哀れんだのは謝罪しますが、そうも敵意をむき出しにされては困ります」
その時のレミさんの瞳はコウの鋭い瞳をじっと見つめていた。
「やめておこう。俺も恩人を傷つけたいわけではない。あなた方から受けた恩に免じて今のは聞かなかったことにする」
「それが一番丸く収まりますね」
「しかし、まだ俺は代金を払わねばならぬであろう? 何が欲しい?」
「当ホテルではお金はいただいていません。その代わりに、お客様のお悩みや未練を聞いております。それを代金として当ホテルでは頂戴しているのです」
するとコウは寝たまま首だけを起こし、胸? いや首か。それを張り、わたし達を見下ろすようにして勇ましく話し始めた。
「フンッ。悩みか。そんなもので良いのか? なら、俺は敵を何人どうやって殺そうか悩んでいる」
「本当に?」
「ああ。それが誇り高きグリフィンだ」
「では、あなたは?」
「なに?」
首を傾げるコウ。
「グリフィンとしての悩みはわかりました。それでは、あなたとしての、コウ様としてのお悩みをお聞かせください」
「何を言う。今のが正真正銘俺の悩みだ」
わたしは二人の会話からなにやら覇気のようなもの感じて中々入っていけなかった。しかし、これだけは言いたい。
「それはわたしも違うと思います」
「なんだと?」
「コウさんは滑走路で倒れていた時にすごく震えていた。最初は寒かったり、傷が痛んだりしているのかと思ったけど、あなたは暖炉の前に来ても体は震えていたし、体を拭いていて傷一つ無かった。本当はただ、k……」
ドンッ!!!!
コウは前足をわたしの方へ強く打ち付け、首を伸ばし、嘴がわたしの顔に寸前で当たらないかどうかといったところまで顔を近づけた。
「貴様、俺をこれ以上馬鹿にすると恩人とはいえ食い殺すぞ!!」
「コウ様。あなたにそれができるのですか?」
レミさんが冷静に言い放つ。この状況で煽るのはやめて欲しいんだけど。食い殺されるとしたらわたしなんだけど! そんなわたしの心の叫びも虚しく、レミさんは淡々と続けた。
「コウ様は人を殺めたことはありませんよね? 歴戦のグリフィンは爪や嘴に相手の返り血の跡が残っています。それがグリフィンにとって勲章となる。偽造する者もいる程です。しかし、コウ様にはその血痕が全くない。先ほどからも、グリフィン全体としての勇士や希望をお話しされていますが、コウ様自身のお話はされていない。一度戦いに出たグリフィンは自分の成果を話したがります。特に、あなたのように若いグリフィンは……」
ドンッッッッ!!!!!!
コウはレミさんが座っていたソファー目掛けて爪を振り下ろした。わたしは振り下ろされるその瞬間、思わず目を閉じたが、音がやんで目を開けてみると、そこにはソファーの前に立つレミさんとその寸前で止まっているコウの前足があった。
「ほら、言ったでしょ?」
そう冷静に首を傾げて微笑むレミさんに、わたしは正直、驚きや安心よりも先に、ドン引きしていた。
「人を殺められないのは、悪いことではありません。グリフィンが忘れてしまっている恐怖や真の優しさといった大切な感情が、そこにはあるからです。コウ様。少なくともここでは、あなたは自分を蔑むことも誤魔化すこともしなくて良いのです。さぁ、本当のコウ様のお悩みをお聞かせください」
一歩も引かないレミさんの姿勢にコウも呆気に取られていた。レミさんの勇気に敬意を払うように、落ち着いたコウはその場に座り、ゆっくりと話し始めた。
「俺は、…………。怖いんだ。俺も他のグリフィンのように成果を残せるのか。そもそも生きて帰ってこれるのか。それが怖くて仕方ない」
「いえ! コウさんは勇敢ですよ!!」
「なに?」
「今コウさんは誇りを隅に置いて自分の本心を教えてくれました。人に弱さを見せられないグリフィンがそれをするのはどれ程勇気のいることか、わたしにははっきりとはわからないけど、きっとすごいことだと思う。でもコウさんはそれが出来たんだし、絶対勇敢だよ!!」
「そうか。言ってしまった時はどうしたものかと思ったが、それを聞いて少し安心した。礼を言う。レミ殿、あなたの勇気には感極まった。俺も見習わなければならんな」
「いいんですよ」
「もうこのまま帰っちゃらいいんじゃない?」
わたしはうっかりこんなことを言ってしまった。その瞬間その場は一気に凍り付いた。
「それはできない。戦場に出ずに帰れば、それこそ俺は無事では済まない」
「なら、どこかへ逃げるとか」
「いや。それもできない」
「でも、コウさんだって大切な人がいるんでしょ?」
すると、コウは少し頭を下げた。目を瞑り、沈黙を噛みしめているようだった。
「ああ。確かにいる。だが、その方の為にも、行かなければならない。漢には戦士には、守るべき大切な人の為に進まなければならないことがあるのだ。たとえ、それがその方を傷つける結果となったとしても、何もしないよりましだと思ってやらねばならない」
「そうか……」
なぜだろう。どうも他人ごとに思えない……。
そうしみじみと考えているとコウが突然立ち上がった。
「そろそろ行かなくては……。レミ殿。これで代金は払えただろうか?」
「ええ。十分なほどに」
「もう行っちゃうの? もっと仲良くできると思ったのに……」
「ああ。すまない。だが、非常に楽しく、有意義な時間だった」
わたしはコウのことを止めることはできなかった。外に出るとまだ雨は降っていた。そして、滑走路に出るまで彼の羽は震えていた。彼はさっきとは違い、天を仰ぐように上を見上げ、沈黙を噛みしめるように目を瞑った。雨粒が彼の頬をつたる。彼が目を開けるころには羽の震えは止まっていた。
「コウ様。大丈夫ですよ。"希望"はあります」
「ああ。励みになる。ありがとう。では、行ってまいります」
「行ってらっしゃい!! また会おうね!!」
「ああ。その時を楽しみにしている」
「それでは、コウ様はあちらにお進みください」
レミさんはこの前のように西の方を指さした。
「この度は、ホテル『とまりぎ』をご利用くださり、ありがとうございました。どうかお気を付けて、行ってらっしゃいませ」
レミさんはそう言って頭を下げた。わたしもそれに続く。コウは頷くと、頭を一度上げたわたし達に目を配らせた。そしてそのまま何も言わずに、助走をつけて勇ましく飛び立って行った。その彼の背中はわたしが見た中で最も勇敢な背中の一つだった。




