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第二章 霧唄の羽

 わたしがこのホテル「とまりぎ」で働き出してから、一カ月が経った。あれから特にお客さんがくる気配はない。レミさんと一緒に毎日掃除をしたり、料理をしたりしている。やることはあるから退屈はしない。でも、お客さんが来ないとどうもつまらない。本当にこのホテルはどうなっているんだろう。


「今日は、霧が濃ゆいですね。ツバサさん。滑走路の掃除はやめておきましょうか」


「はい。わかりました」


 確かに今日は一段と霧ゆい。わたしはエントランスの扉から顔を覗かせて外を見た。いつもは見えている太く大きな木の枝も今日は見えない。そういえば、わたしが飛んで来た時も、こんな悪天候だったな。

 そう思っていると、東の方から何かがこちらへ飛んで来ている。お客さんかもしれない。わたしは滑走路に出て手を振った。ゆっくりと近づいて来たのは、鶴の獣人だった。頭や足、羽は鶴、しかし、身にまとっているものは人間のおばあちゃんみたいだ。おばあちゃんは、ゆっくりと滑走路に降り立つと、わたしの顔をじっと見つめた。そして、優しい口調で話し始めた。


「こんにちは。霧が濃くて前がよく見えなくてね。ここで少し休ませてもらっても良いかい?」


「ええ。勿論ですよ!」


「そうかい。ありがとうね」


 わたしはおばあちゃんの手を取り、ゆっくりとホテル扉へとエスコートした。わたしが扉を開いた瞬間、ふと思い出した。


「そうだ。忘れてた。おばあちゃん。ようこそ、ホテル『とまりぎ』へ。わたしはここで働かせてもらってるツバサって言います」


「ホテル『とまりぎ』? なんとも安心する素敵な名前だね。ツバサって名前もいい。何か元気がもらえる」


「ありがとうございます! 母が付けてくれたんです。さぁ、入って入って」


 おばあちゃんがホテルの中に入ると、既にそこにはレミさんがいつもの白いロングスカートを摘んでお辞儀をしていた。


「ようこそ、ホテル『とまりぎ』へ。私は当ホテルの支配人をしている、レミと申します」


「よろしくお願いしますね。そうだ。お代を払うお金が無くてね。何か手伝えることはないかい? 編み物なんかは得意だよ」


 レミさんはわたしに説明したときのように、顔をあげて、おばあちゃんに微笑みながら答えた。


「大丈夫ですよ。当ホテルではお金はいただいていません。その代わりに、お客様のお悩みや未練を聞いております。それを代金として当ホテルでは頂戴しているのです」


 おばあちゃんは少し驚いた様子だった。


「変わったホテルだね」


 やっぱそうだよね。


「霧もより濃くなってきました。良ければ、エントランスの暖炉の前ででもお話を聞かせていただけませんか?」


「ああ。そうしようか」


「わたし、お茶入れてきますね」


 わたしはお茶を入れて、暖炉の前のテーブルまで運んだ。


「おや。紅茶かい? すまないが緑茶はないかい?」


「緑茶?」


 わたしはその物聞き覚えがあるように思ったが、どうゆう物かは記憶にはなかった。


「すみません。当ホテルには、紅茶しか置いてなくて」


「そうなのかい。なら仕方ないね」


 レミさんはわたしにお礼を言った後、紅茶を一口飲んでおばあちゃんに話し始めた。


「お客様は、緑茶に何か思い入れがあるのですか?」


「そうだった。まだあたしが名乗っていなかったね。あたしはマツっていうんだ。緑茶は好きかはわからない。だがなぜか、潜在的に思い浮かんだんだ。それがあたしの悩みであり、未練さ。歳いって何もかも忘れてしまった」


「なるほど。では逆に、マツ様が覚えてらっしゃることは?」


「あたしが覚えてることかい? そうだね~。名前と編み物が特異ってことくらいかね」


「そうなんですね。おばあちゃんは旦那さんはいるんですか?」


「ツバサさん。それは失礼ですよ」


 レミさんに初めてムッとした顔をされた。


「すみません……」


「いいんだよ。そういえば、旦那がいるような、いないような……。やっぱり思い出せないね~」


 マツおばあちゃんの表情は悲しそうだった。


「全部忘れちゃうって、なんか、辛いですね。だって楽しいことも、大切なことも忘れちゃうんでしょ?」


「そうだね。でもその分、辛い思い出も忘れられる。そう考えれば、気楽なもんだよ」


 そう言うマツおばあちゃんの表情は、微笑んでいた。しかし、どうも引きつっているようだった。少し沈黙が続いた後、レミさんが手を叩いて、話し始めた。


「今日はマツ様もお疲れでしょうから、もうお休みになられては?」


「ああ。そうするよ。すまないが、あたしは足が悪くてね。低い階で、できるだけ階段に近い部屋はあるかい?」


「ええ。ご用意できますよ」


 このホテルは二階から客室だから、そこで一番階段に近い部屋となると……。


「じゃあ、ツバサさん。マツ様をご案内して差し上げてください。ツバサさんもそのまま休んで構いませんよ」


 そう言うと、レミさんはわたしの部屋の隣の部屋のキーを渡して来た。ですよね~。まぁ全然いいんだけど。

 わたしは、マツおばあちゃんをエスコートしながら、ゆっくりと階段を上がっていった。


「すまないね。あなたも怪我人なのに」


 少し驚いたが、まぁ、羽が明らかに凍傷で一部黒くなってるし、怪我人なのはわかるか……。


「大丈夫ですよ。それより、登るスピードは速くないですか?」


「ええ。大丈夫だよ。ありがとうね」


 わたしとおばあちゃんはゆっくりと階段を上がって、部屋の前まで着いた。


「ここがおばあちゃんの部屋になります。じゃぁ、わたしは隣の部屋にいるから、何かあったら言ってくださいね」


「そうかい。ありがとうね」


 ありがとうね~。そう言うマツおばあちゃんの顔はいつも微笑んでいるが、どこか引きつっている。なにか引っかかるんだよな。いや、引っかかっているのはマツおばあちゃんの方か? う~ん。わかんない……。

 わたしはマツおばあちゃんが部屋に入ったのを確認すると、頭を抱えながら自分の部屋へと戻った。

 ふと窓の外を見ると、またあの白い鳥が泊まっている。わたしは何か中に気になるものがあるのかと思って、窓を開けてみた。しかし、その白い鳥はそのままどこかへ飛び去ってしまった。こんな霧の濃ゆい中よく飛ぶよね。

 すると、何やら綺麗な歌声が外から聞こえてきた。わたしはどこから聞こえて来るのか気になって頭を窓の外に出してみた。隣のマツおばあちゃんの部屋から聞こえて来ている。マツおばあちゃんも窓を開けているようだ。優しい風のような、ただ耳を掠めていく霧のような、自然と聞き入ってしまう歌声だ。

 どこかさみしげで、どこか勇ましいそんなリズム。わたしは歌声が聞こえなくなるまで、ずっと窓の傍で聞き入っていた。

 翌日、まだ窓の外は少し霧がかっている。

 わたしは朝食を準備をしに、エントランスへと降りて行った。すると、朝も早いのにもうマツおばあちゃんが昨日と同じように暖炉路の傍で座っていた。

 わたしはそっと話しかけながら近づいて行った。


「おばあちゃん。おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」


 マツおばあちゃんはゆっくりと首をわたしに向けた。


「ええ。おかげさまでよく眠れたよ。ありがとうね」


「……。ならよかったです! そういえば、昨日の晩、おばあちゃん歌を歌ってましたよね?」


「ええ。そうだよ。おや。迷惑だったかい?」


「全然! 寧ろ最後まで聞き入ってたよ!」


「そうかい。なんだか恥ずかしいね。ありがとう」


 お。今は本当に笑った感じがした。


「あの歌は何か思い出があるの?」


「あの唄ね。あの唄はどうも自然と出てくるんだよ。何か大切な人と一緒に歌ったのか、それとも教えてもらったのか、はたまたその両方か」


 悲しそう? いや嬉しそう? どっちとも受け取れる表情だ。


「もしかして、旦那さんとか?」


 その瞬間、マツおばあちゃんはハッとしたような表情をした。暫くそのまま固まった後、ゆっくりと話し始めた。


「そうだ。この唄は旦那に教えてもらったんだわ。幼いころから一緒に川辺で歌ってた」


「その旦那さんはどんな人だったんですか?」


「その人は、そうだ。ススムさんだわ。ススムさんはとても心優しくて、勇敢な人だった。でもある日突然居なくなってしまった。『行かなきゃいけない』そう言って。わたしは待ち続けたんだわ。ススムさんが教えてくれた唄を歌い続けていればいつかきっと会えるかもって。周りが火事になったり、立て直されたりして町の雰囲気は大きく変わったけれど、この唄を聞けばきっと家を見つけられると思って……」


「そうだったんだね。おばあちゃんはそのススムさんを探してるの?」


「いいえ。あたしは、ずっと待ってるの。だって、ススムさんが『待っててくれ』って言っていたから」


 マツおばあちゃんはスイッチが入ったように記憶を取り戻しながら、わたしに話してくれた。


「ススムさんは行く前にあたしにお茶を出して、そう、緑茶を出して、『行かなきゃいけない。だが絶対戻ってくる。だから待っててくれ』そう言ってた。そうだ。そこでプロポーズしてくれたんだわ……」


「おばあちゃんはそのプロポーズを受けたの?」


「ええ。喜んで受けたわ。その代わり、一つ約束してもらったの。どんなに辛くても、あなたらしく笑っていてくださいって。わたしもそうしますからって」


「なるほど。そういうことだったんだね」


「ツバサちゃん。ありがとう。おかげで全部思い出せたわ」


 マツおばあちゃんは満面の笑みを浮かべ、口調もより優しくなったような気がする。マツおばあちゃんは、エントランスの扉の方を見つめた。そこからは丁度、日の光が差し込んできていた。


「どうやら、霧は晴れたようだね。それじゃあ、あたしはそろそろおいとましようかね」


「で、でも、今レミさんがおばあちゃんの分の朝食も作ってるし、それだけでも食べていったらどうですか?」


「そうなのかい? 可愛らしいお嬢さん方の気遣いを無下にしてもいけないしね。そうしようかね」


 その後、わたしとレミさん、そしてマツおばあちゃんとで一緒に朝食を食べた。その間マツおばあちゃんはずっとススムさんが如何に優しくて、勇敢か、ずっと喋り続けていた。

 一段落したところで、マツおばあちゃんは「もう行くよ」と言い出し、滑走路に出た。


「どうやら、マツ様のお悩みは晴れたようですね」


「ええ。このツバサちゃんのおかげだよ。ありがとう」


「いえ。こちらこそ、綺麗な歌声とたくさんのお話を聞かせてくれてありがとうございました」


 マツおばあちゃんはニコッと笑った後、少し困った表情をした。


「はて、これからどうしようかね。このまま待ち続けるのか、そもそもススムさんは戻ってくるのか……」


 レミさんは優しく微笑んで話し始めた。


「大丈夫ですよ。"希望"はあります」


「そうだね。そう信じるよ」


「ええ。それでは、マツ様はあちらにお進みください」


 レミさんはそう言うと、西の方を指さした。


「あっちかい? 確かに温かいいい雰囲気がする。ありがとう。じゃぁ行くよ」


「おばあちゃん。また会おうね!」


「ええ。ツバサちゃんのことも待ってるわ」


「それでは、この度は、ホテル『とまりぎ』をご利用くださり、ありがとうございました」


 レミさんはそう言って頭を下げた。わたしもそれを見て咄嗟に頭を下げる。


「こちらこそ、ありがとう。じゃあね」


 そう言うと、マツおばあちゃんは飛び去って行った。最後は頭を下げていたから顔は見えなかったが、きっと心から笑っていたに違いない。わたしはそう確信した。

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