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かねて堕ちたる此岸街  作者: がおがお
第一章『弱虫』の私へ
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05もう一人の神様

(あれは誰の声だったんだろう?)


 藤茶(とうさ)から逃げるように宿を出てきた結は、道端に咲く彼岸花を眺めながらふと此岸街に飛ばされる前の一番新しい記憶を思い浮かべる。


『おやおや、元気な子だね』


男か女か定かではない声。


「おめでとう、君は今日からここの市民だ」


 暗い闇の中聞こえたあの声と眠りについた時の声は同じような気がするし、どこかで聞いたような気がしなくもない。

 似たような人を見かけたり、似たような声を聞いたり。この世界は何かしら似ているものが多くて困る。


(此岸街に咲いてる花、彼岸花しか見ないけど場所が変わったら別なのが咲いてたりしないかな?)


 どこを見ても面白いくらい彼岸花しか見かけない。

淡音がくれた髪飾りも彼岸花のデザインで、宿に飾られていた花も彼岸花。彼岸花といえばよく墓参りに行くと墓地に咲いているが、此岸にある花が彼岸花だらけというのはあまりにも皮肉だ。


(少しだけ、ほんの少しだけど声の人の姿はちょっと見えたんだよね)


 とはいえ、間の悪い光のせいで長い髪に着物だという事くらいしか判別できていない。


(その人を捕まえたら戻れたりしないかな?)


 そう物事上手くいかないとしても、ヒントくらいは欲しいものだ。


「……あれ?」


 あれこれ考えつつ目線を下に。彼岸花以外に咲いている花はないものかと人にはぶつからないよう歩いていると、視界の端に何かがちらつく。


(今のって……)


 道端に並ぶ屋台のひとつ、立ち食い形式の蕎麦屋の角を髪の長い誰かが通って行ったような。


(いや、髪長い人なんていくらでもいるし)


 そうは分かっていても確認せずにはいられない。

 相手はのんびりとした歩調で辺りを見渡しながら歩いているのだ、少し距離があるとはいえ走れば間に合うはずだ。


「あ、あの……っ!」


 靴を下駄ではなくブーツにしてもらって正解だった。もし靴が下駄だったら、走り慣れなくて数歩で大転倒をお披露目していたに違いない。

 目指すはあの角を曲がった、長髪の人。後ろ姿からするに着ているのは何故か女性用の着物だが体格は男性だ。


「……?」


 声を出しながら走れば行く先々の誰もがもしや自分を呼び止めているのではと振り向くもの。

 当然結が追う相手も足を止め、こちらを振り向いた。


「あ……っ」


 しかし間が悪い。結はてっきり男はもう少し遠くにいるのだと思い、かなりスピードを出していたのだ。

 数歩で踏ん張りスピードを落とせるはずもなく、猪の如く男に突っ込んでいく他ない。ああ、はしたないと淡音に言われている気さえする。


(あ、あああ、あ……やっちゃったやっちゃった、やっちゃった……! どうしようどうしよう、恥ずかしすぎる!)


 スローモーションで世界が回る。ふわりと鋼の鉄壁のように顔を隠していた前髪が乱れ、一瞬だけはっきりと周りが見えた。

 こうなるまで追っていたのは勿忘草(わすれなぐさ)色の長髪を背に流した男性だ。

 何故か身にしている女物であろう着物は中途半端に袖を通しており、体格こそ男性であれ雰囲気は艶かしい女のようでもある。目はとろりと微睡むように垂れており、所謂優男を体現しているようでもある。

 その服装に重ねられているのは、淡音と同じ神である事を意味する月白色の薄羽織。


(や、やっちゃった……、私、神様に無礼を……)


 神様に良い評価をもらえないと現世には戻れないと言われていたのに、その神様にぶつかってしまった。

 どうしようどうしよう、どうしたら挽回できるだろうと考える間もなく緩やかだった世界の時間は加速する。


「痛……、くない?」


 土剥き出しの地面は固いと思っていたが、案外柔らかいらしい。……柔らかい?


「怪我はないかい?」


そんなはずあるかと目を開けると、結は男を押し倒すような形で転んでいた。何の罪もない被害者であろうに、男は結の方を心配する。


「だ、大丈夫です……! すみません私、思いっきりぶつかって……しまって」

「いやぁ、お嬢さんが怪我をしていないみたいで良かったよぉ」


 結が慌てて飛び跳ねるように立ち上がると、男は足が悪いのか結よりも時間をかけてのそのそと立ち上がった。

 ぱんぱんと軽く土埃をはらい、伏せがちだった睫毛を上げれば萌黄(もえぎ)色の瞳は金色に変化し、見透かされるように結の姿が映り込む。


「ところで、お嬢さんは僕に何か用かい? 随分と急いでいたみたいだけど」

「あっ……、あ、あ……、すみません、人違い……です」


 髪の長さは大体あの時の人影と同じくらい。

 背丈まではよく覚えていないが彼の背は淡音より低いようでお陰で首が疲れなくて済む。思えば、淡音は猫蘭よりも身長が高かった。

 スタイルも良く上品で女神様とは、淡音は自分と違いとても恵まれているようで羨ましい。


「おや。じゃあ迷子かい?」

「いえ、迷子ではなくて……」


 薄羽織を見れば結が何故ここに居るかはおおよそ予想がつくだろう。けれど、目の前の男神(おがみ)は好奇心旺盛なようで結にねえねえと聞いてくる。


「可愛いお嬢さん、もし良ければ顔をもっとよく見せてくれないかなぁ?」

「か、顔は……あの、ちょっと」

「どうして前髪で隠してるのかなぁ? 可愛いのに持ったいなぁ。()()()()()()()から隠しているんだよね?  うん、だったら仕方ないよねぇ」

「っ!」


 お願いだからと男神は遠慮なしに結に迫り、直接触れはしないものの結の両頬に両手を添える素振りまでする始末。

 結の喉からヒュッと、空気が漏れる音がした。


「な、なんで……知っているんですか?」

「どうしてだろうねぇ? ほらぁ、カミサマはなんでもお見通しって言うからさぁ?」


 クスクスと男神は笑う。

 結など、手のひらの上で転がす玩具程度の存在としか認識できていないように。


(この人怖い。人間じゃなく神様だけど)


 淡音が言っていた。神様だからといって全ての神が良い神とは限らないと。


(淡音さんが言ってた悪意ある神様って、この人みたいなのを言うのかな)


 助けを呼ぼうにも淡音がどこに行ったかは分からない。猫蘭(びょうらん)はいい加減ネズミ狩りをして宿に戻っているかもしれないが、ここから呼ぶにしても到着までかなり距離がある。


「あ、あの、謝ります……謝ります、から」

「それは何に対して?」

「あな、あなたに、です。人違いでぶつかって、転ばせてしまったこと、謝ります。ごめんなさい、だから……」

「うーん、どうしようかなぁ? 僕今すごく暇だからさぁ、お嬢さんで遊んでみるのもいいなぁって思ってるって言うかぁ」

「そ、れは、あの、本当に……顔を見るのだけは、やめて……くだしゃ、っ」

「僕が怖いんだねぇ、可哀想にぃ。震えて噛んじゃうのも可愛いしぃ、拐っちゃおうかなぁ?」

「嫌……っ」


 他人と目を合わせるのは怖い。

 合わせた目から全て見透かされているようで、足先から血の気が引くような感覚がするのだ。だから結はこうして前髪を伸ばしている。誰にも自身の考えを悟られないように。

 だというのに、この男神はズケズケと土足で内面に入り込むような事ばかり喋ってくる。


(息……っ、呼吸、しな、くちゃ……っ)


 頭の中がぐちゃぐちゃに塗り潰されていくようで息の仕方が曖昧だ。吸って、吐いて、吸って、吐いて、落ち着いて繰り返さなくてはいけないはずなのに、上手に出来なくなっていく。


(嫌だ、嫌だ嫌だ、弱い私なんて……大嫌い……っ)


 強くならなくちゃダメなのに、弱いままの自分がいつも邪魔をする。

 ヒューヒューと喉が虚しく空気を漏らし、呼吸をしているはずなのにすればするだけ苦しくて堪らない。


(た、すけ……っ、誰か……っ)


 周囲の人々は結の状況に気付いていないのかただ通り過ぎていくだけ。男神は明らかに様子のおかしい結に気付いているようだが、憐れむような目を向けるだけで結には一切触れない。


「にゃーにしてンだ! バカタレが!」

「いだっ」

「!」


 聞き慣れた声がしたと思えば何かが男神の頭上から物凄い速さで落下し、男神はそのまま地面に倒れる。


「ったく、ちょっかい出すのもいい加減にするにゃ。そんなんだから()()()死に損なって此岸街に飛ばされンだよ」

「あはっ、凄い一撃だぁ。相変わらず容赦ないねぇ」


 土煙の中からする声はあの男神、それから──


「びょう……ら、さ……」

「おう嬢ちゃん、こんにゃトコにいたのか。部屋に居ないからてっきり最速で現世に戻ったのかと思ったんだがにゃ」


 猫蘭。

 どうしてこんな所に彼がいるのかは謎だが、助かった事に変わりはない。ありがとうございますと言おうとしたが、発作がまだ治まらず上手く言葉にできない。


「そんなことよりさぁ、僕立てないんだけどぉ〜? 助けてよぉ猫ちゃん」

「被害者ぶるのやめるにゃ。嬢ちゃんに謝るなら助けてやるにゃよ」

「はいはい、謝るから立たせてぇ」

「しょーがにゃい奴だにゃあ……」


 余程猫蘭の攻撃が効いたのか、男神は何度も立とうと試みはするもののもう一息というところで力が入りきらないらしく、座り込んだまま一人もだもだとしている。猫蘭の要求にすぐ答えると、猫蘭は雑に男神の腕を引いてその場に立たせる。


「ほら、自己紹介でもして仲良くにゃらぁ」

「あはっ、それで仲良くなれるなら人間苦労なんかシないよぉ」

「……また転ばせるゾ」

「はいはい、凶暴な猫ちゃんだねぇ」


 猫蘭の脅しが効いたのか、男神は結に対する先程までの態度から一変して悪意ある笑みから慈悲深く見える神様らしい柔らかな笑みを浮かべた。


「僕の名前は寿斗(ひさと)、見ての通り神様だよ。

さっきはごめんねぇ、ついいじめたくなっちゃってさぁ」

「現世じゃ、相手が嫌がっていたらそれはもう娯楽の一部じゃなく暴力みたいなモンって扱いなんじゃにゃかったか? それをおみゃー、前戻って来た時に話してたんじゃにゃかったか寿斗?」

「あはっ、言うようになったねぇ。僕が拾った時はまだこーんなに小さい仔猫ちゃんだったのにさぁ」

「誤魔化そうとするんじゃにゃーぞ!」


 寿斗と呼ばれた男神の瞳の色はいつの間にかまた萌黄色に戻っている。

 一方で早期に気が緩んだ為か結の発作はすぐに治まり、猫蘭の怒りは結を怖がらせた事から自分をおちょくった事へ変わったらしく黒い爪を出してシャーと猫らしい威嚇をしているが神に対して不敬だとか、天罰的な心配はないのだろうか。


「ひさ、と、さん」

「どうしたのぉ?」

「さっき、目の色が変わった気が、して」

「ああ、お嬢さんは来たばかりだから知らないのかぁ」


 自分の中では数分前のやり取りのお陰で藤茶に続き苦手な人枠に入ってしまったけれど、情報収集の為だと結は己を奮い立たせる。

 寿斗は先程までの行いに悪意が全く無いのか、結とは違って気にもしない様子で暇なのか指先から水を出すとそれを小さな水の魚に変え手の上で泳がせて遊ぶ。今はそんな遊びするタイミングではないだろうに……人外はこう、やはり人間とは感覚が違うのだろう。


「カミサマってのは、人間の内側を視ることができるらしいにゃ。ネーチャンもずっと目が黄色っぽかっただロ、あれは嬢ちゃんを調べていたからにゃ」

「内側……」


 確かに、言われてみれば淡音の瞳は菜の花色──黄色だった。会った時何か含みのある言い方をされた理由も、それなら納得がいく。


「……」

「こらこら、視られたくにゃいからって俺の後ろに隠れても今更だにゃ」

「だ、だって……」


 この神様、寿斗は結が一番言われたくない言葉ばかり口にするのだ。猫蘭には悪いが、盾にしたくなるのは当然である。


「だから名乗らずともカミサマ連中には名前も分かってるにゃよ」

「えっ」

「そいつはひらひら蝶々みてェに振る舞っちゃいるが、ネーチャンよりずっと長生きしてるんだにゃ。ネーチャンと違うのは性別と実力と、あとはそうだにゃあ……現世と此岸を()()()できるくらいにゃ?」

「現世と、此岸を行き来……?」


 猫蘭と寿斗が無言で頷く。


「出来るんですか?」

「うん、出来るよぉ」


 さすがは神様。淡音より長生きしていてそれが出来るというのは、つまり長生きしていればしているだけ、そういった特別な行動が可能になるという意味だろうか?

 そうと分かれば結が言うことはただひとつ。


「じゃあ私も一緒に、現世に連れて行ってくれませんか?」

「そりゃあ……」


 結の願いに対し、何故か寿斗ではなく猫蘭が口を開く。まるで最初から返答を知っているかのように。


「無理な話にゃ」「だねぇ」

「え……」

「寿斗は特殊なんだにゃ。普通、んにゃ無茶したらカミサマですら存在ごと消滅してもおかしくないアホみたいにゃことをこいつぁ平然とやってのける、変態だにゃ」

「あはっ☆」


 呑気に寿斗はウインクまでしているが、どうやら単独でとんでもない行動をしているだけのようだ。


「連れて行くまではいいかもしれないけどぉ、お嬢さんの魂が途中で爆散シちゃうかもぉ?」

「ば、ばく……っ!? そんな……早く戻りたいのに……」

「……諦めにゃ」


 落胆する結の肩をぽんと猫蘭が叩く。

現時点で断られたとしても、気が向いたら〜などと甘い考えもあったが、爆散すると言われたら話が変わる。彼に頼るという手は諦める他ない。


「戻って来たって事は、しばらく宿に泊まるんにゃろ?」

「そうだよぉ」

「まあ、そうなると思って部屋はずっと空きにしてたにゃ。土産話と土産、前回同様に代金として貰うからちゃーんと用意しとくんにゃぞ」

「わかってるってばぁ」


 がっかりして肩を落とす結を他所に、男二人……一匹と一柱は別な会話を始めている。どうやら寿斗は此岸街にいる間は一時的に猫蘭の宿屋で過ごしているようだ。


(どうしよう、神様に評価なんてどうしたら……。神様は心が読めるなんて知っちゃったら余計にやりづらい)


 宿で会った蓮と藤茶は、行動からして二人共結と一緒に現世に戻る協力はしてくれなさそうな気がする。淡音からは手を貸せないと堂々言われ、寿斗からもリスクから現世には連れて行けないと言われ。

 このまま動かずにいたら、そのうち獄卒が迎えに来て彼岸に行ってしまうのではないだろうか。


「お嬢さん」


 ひとまずここは一度宿に戻って出直そうと昼餉も兼ねて結は二人の後ろを追いかけようと歩き始める。

 考え事をしているとつい下を向いてしまうもので、寿斗の広い背にぶつかってようやく名を呼ばれている事に気が付いた。


「なん、でしょうか……」

「向こうに戻りたい理由を僕は知っているけれど、今は心の準備をする静養期間だとでも思ってゆっくりこの此岸街で過ごしたらいいよぉ」


 なんて言う寿斗の瞳は金色に輝いており、明らかに反省していない。


「また、視……っ」

「お嬢さんにはお詫びに、特別に教えてあげるからねぇ」

「なにを、ですか?」


 耳を貸してと言われ、結は大人しく寿斗の方に寄る。


「僕は、────の……────」


 そして、ぷつんとそこで意識が途切れた。



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