04翌朝の宿
「どう、ですか?」
翌朝。
淡音が大喜びで用意してくれた服に身を包んだ結は試しにその場で回ってみる。和装ではあるが淡音の考慮か動きやすいよう袴が用意され、確かに足回りは変に締め付けられず楽かもしれない。普段着物に触れない生活をしていたので今こそ一人で着付けをするのは難しいが、そのうち慣れていくだろう。
赤い袴に柄物の着物。髪飾りには此岸街で流行のデザインらしく毛糸で編まれた彼岸花があしらわれ、インナーカラーのピンクに合うよう色は控えめにされている。
「なんか、すごく高そうなんですけど……」
「大丈夫ですよぉ」
番台の前にて、結を見て周りに花を飛ばしている淡音と相変わらず暇そうにだらけている猫蘭。想像以上に明らかに高そうな品を用意されてしまったものだから、申し訳なさに結は揺らぐ。
「どうせ使い道もなく貯まるだけの物を使っただけですからお気になさらずぅ。可愛らしいお洋服を私自らが選べた、それだけでお釣りがくるくらい嬉しいのですよぉ」
「貰えるモンは貰っておくに限る。ネーチャンがそうして嬉しそうにしてんの見るのは久々にゃし、いいもん見れたナ」
「猫蘭さんは見てるだけだからそう思うのかもしれないですけど、貰う側からするとあまりに量があるので申し訳なさが勝るんですよ」
「そんなもんかにゃあ」
もしかすると、猫蘭は生前裕福な家で飼われていた猫なのかもしれない。
貢がれて当たり前、貰えるのは当たり前という考えは猫らしいといえばらしいが、今は小さな愛らしいフォルムではなく人間に寄った姿をしているので今それを言われてもヒモのようにか思えない為どうにかしてほしいところだ。
宿らしく基本的な物しか用意されていなかった結の部屋は早くも淡音が大量に用意した着物や装飾品などで溢れ、てっきり一着二着くらいだと思っていた結は何周か回って怯えた。
「それはそれとして。人間以外の知り合いだけいたって嬢ちゃんの為にはならにゃいだろうし、人間の方の知り合いも作るべきにゃ」
「人間の知り合い、ですか」
正直、結は今のままでいいと思っている。
むしろ淡音も猫蘭も人間ではないからこそ安心できているというか、相手が人間になると嫌な気分になってしまう。
「まあ、|私『わたくし』たちしか話相手がいないというのも結様の為にはなりませんからねぇ。一応私も暇ではありませんし、お知り合いは多い方がいいですからぁ」
「別に私はそんなことしなくても……」
そこまで言いかけ、淡音が明らかに悲しそうな顔をする。おまけに己の顔がいいことを完全に理解した悲しそうな顔だ、卑怯極まりない。
「い、いいえ! やっぱり私、人間の方も紹介してほしいです。現世に戻った時、経験が何かの役に立つかもしれませんから」
「結様、ご無理なさらずとも」
「大丈夫です、無理なんてしてません」
「……でしたら良いのですがぁ、頑張りすぎて此岸街で過労死するなんて笑えませんよぉ?」
「ネーチャンは心配性だにゃあ、本人が大丈夫って言ってるんにゃぞ」
「わかっていませんねぇ、現世は今すとれす社会らしいのですよぉ? すとれすはお肌にも健康にも悪いらしいですし、最近此岸に流れてくる方々の大半はすとれすが原因なんですからぁ」
「へー、人間も大変だにゃあ」
大変だなあで済むなら死にかけたりもしないのだが、猫蘭にはおそらく一生理解できないだろう。
「……それで、この宿には私以外にも人間の方はいるんですか?」
「当たり前にゃろ、ここは宿屋だからな。呼べば何人かちょうどいいのが……あ、噂をすりゃあ何とやらにゃ」
「?」
猫蘭の左耳がぴょこと動き、階段の方を見る。
つられるように何の音もしないはずの階段を一緒に見れば、次第にギシギシと板材の軋む音が聞こえてきた。
「おはよーにゃ、よく寝れたか?」
「おふぁようござい……、よく寝れ、ま……んにゃ……」
「顔洗うのはあっちで頼むにゃ」
「ふぁい……」
階段から降りてきたのはほぼ寝起きらしい男だ。
肩に洗顔用であろうタオルを引っ掛け、頭に丸眼鏡を乗せたまま歩いている男は寝癖だらけの黒髪をわしわしと乱してもう一度欠伸をし、そのままこちらを見るでもなく真っ直ぐ風呂場の方へ歩いて行く。
(な、なんだあの人……)
それから五分程経過して。
「名乗るのを忘れていました、僕は蓮。一昨昨日くらいにこの街に来ました」
「初めまして、結です。昨日この街に来ました」
先程の姿はどこへやら。
ボサボサの黒髪は整えられ、前髪は可愛らしいピンで留められている。若芽色の薄羽織をポンチョのように掛け、猫蘭から譲り受けたであろう着物は猫蘭の方が体格がいいのか一見するとサイズが合っているように少し大きいようだ。
いや、体格に服が合っていないというよりも手首の細さから察するに身体があまりに痩せこけているのだろう。よく見れば目の下には隈があり、蓮はいかにも病弱そうな見た目をしている。
(あれ? 私この人をどこかで見たような気がする)
現世に居た時ではなく、ごく最近……そう、昨日街に入る前、似たような人を見かけた。
黒髪ならアジア人は大体そうだとも言われそうだが、このいかにも虚弱そうな感じはそう多くはいまい。
「……」
「……」
「……」
「……」
社交辞令として簡単に挨拶はしたが、これで合ってるだろうか?
「もっと会話の引き出しってモンはにゃーのか最近の若いのは!」
この間に耐えられなかったのは結と蓮の当人同士ではなく、予想外にも猫蘭だった。
「はい、無いです……」
「部屋に戻って二度寝しようかと思って」
「どうにゃってンだ若いのは! 会話ってのはもっとこう、あぐれっしぶなわんだぁで……」
「猫ちゃんの価値観で説明されても困りますよぉ」
「はーっ! 暇すぎてこいつらがうだうだする間にネズミが三匹は捕まえられそうだにゃ!」
猫蘭は見てられないと吐き捨て、本当にネズミ狩りに出てしまった。いやはや、店番があるだろうに困った猫である。
「蓮さんは、あの……寝るのが好きなんですか?」
会話は何か話題を振らなくては始まらない。とりあえず、と先程蓮が二度寝したいと話していた為、結はそれについて問う。
「僕が? いや、好きって言うより身体が楽だから」
「楽、ですか」
「うん。生まれた時から身体が弱くて、ほとんどの時間は咳をしていたり熱が出たり。此岸街に来たらそういうのが一切無いから、いつまでいられるかは知らないけど限界まで現世で出来なかったこと色々試したくてね」
「なるほど……」
要するに、蓮は今病により危篤状態にあるのだろう。病が原因となるとあまり長居はできそうにないが、それもあって蓮は様々な体験をしたいそうな。
「結さんはどうして此岸街に?」
「私はその、記憶があやふやで」
「へー」
なんだか含みのある声だ。悪意らしいものは感じられないが、悪意というよりこれは疑われているような感じがする。
「まあいいや、僕は二度寝するから此岸生活を楽しんでね」
「あっ」
反応からしてもしや何か誤解させたかもしれない。去ってしまった後ではもう何も出来ないし、彼の部屋番号も結はまだ知らない。
(何か間違えちゃったかな)
選択を間違えれば相手の機嫌を損ねる、なんて今まで散々遊んだ乙女ゲームで学んだ事ではないか。
数値やパロメータが変化する方式だったりポイント加算制であったり攻略サイトを見なければクリア出来ない複雑なシステム制であったり、色々と遊んできたが実践はまだまだ難しそうだ。
「蓮様はまだ自分のことで精一杯なのですぅ、結様はあまり気にしないでくださいねぇ」
「はい……」
淡音にまで気を使われた。
「失礼、私もそろそろ用事がありますので少し離れなくてはなりません」
「用事……ですか」
用事とは此岸街での神様としての役割をするという事だろうか。淡音は口元を袖で隠しながら喋るのが癖なのか、今も口元を袖で隠しながら話している。
「結様、外に出る時は必ず薄羽織をお忘れないよう」
「わかりました。淡音さんも気をつけて……」
「ええ」
ぺこりと軽く会釈すると突然どこからか淡音を中心として風が吹き始め、足先から式神として使われるような紙製の蝶が大量に現れた。大量の蝶は淡い桃色の光を帯びながら空へと一斉に飛び立ち、結だけがぽつんとその場に残される。
(行っちゃった……)
賑やかだった分、訪れた静寂は落ち着かない。
早くネズミ狩りに出てしまった猫蘭が戻ってきてくれるのを願うばかりだが、猫蘭も自分一人にいつまでも構っていられる程暇人ではないだろう。
(私も街を探索した方がいいのかな? ずっと宿に引きこもっていても何も起きないだろうし)
脳裏にすぐ蓮の姿が浮かぶが彼には彼なりの事情というものがあるのだ、仕方ない。
「おはよう猫……あれ、今日は可愛い子が店番してるんだね」
「!」
一度部屋に戻り必要そうな物を見てから外に出るかと思い立った結に、蓮同様欠伸をしながら階段を降りながら誰かが話しかけてくる。
もしや、この宿を利用する男性客は朝が弱くなるデバフでもあるのだろうか。
「おはようございます、ええっと……」
「見ない顔だ。最近来た子? いつから此岸街に? 趣味は? 好みのタイプは? 年齢は? 此岸にいる理由は?」
「えっと……」
首に包帯を何重にも巻き、黒紅色のゆるいカールのかかった髪が印象的な青年がいると思いきや、青年は結を目にするなり物凄い勢いで結に接近する。
「あ、あの……近い、です」
「可愛いね、お名前は?」
「ゆ、結……です」
「結ちゃんか。名前まで可愛いんだね」
青年の顔の左側は髪に覆われており、興奮して体を左右に揺らす度に隠れた左目が眼帯に覆われているのが見えた。若芽色の薄羽織はストール代わりにしており、着物はまるで誂られた物が気に食わないからと無理矢理染め直したような黒。全体的に暗い色で、夜に出くわしたら悲鳴が出てしまうに違いない。
場をしのぐ為に愛想笑いをして返せば、青年はにこやかに笑いながら一歩後ろに下がる。
「俺は藤茶。ふふ……よろしくね、結ちゃん。ふふふふ」
「は、はい……」
この挙動不審さ、笑い方、そしてこの言い難いもう一歩感。間違いない、と身に覚えがありすぎる結は確信した。
(この人……陰キャだ!)
見た目からするに磨けばかなり輝く原石になるであろうに、勿体ないにも程がある。淡音に彼の全身コーディネート、及び髪型のセットも頼んだら街中の現世から来た若い女性がすっ飛んでくる出来になるに違いないだろう。
そんなくだらない妄想をする結を前に、藤茶もまた不気味に笑っている。
「と……藤茶、さんは……どうして此岸街に?」
「俺? 俺はね、自殺しようとしてしくじったんだよ」
「自殺?」
そういえば淡音がストレス社会になったせいでストレスが要因となり此岸街に来る人間が増えたと言っていた。陰キャで自殺未遂、これはストレス社会の被害者に違いない。
「恥ずかしい話、趣味で一番苦しむ自殺方法を探してるんだけどさ」
「は?」
思わず予想の斜め上すぎて自分でも驚くくらい大きい声が出た。
(趣味? この藤茶って人今、趣味って言わなかった? え?)
馬鹿と鋏は使いようという諺があるが、この人は馬鹿どころか頭がおかしい。イカれている。
顔はいいのに、はちゃめちゃに頭が狂っているようだ。残念系イケメンだとか、そういう可愛い次元ではない。
「うん、結ちゃんがそうなっちゃうのも無理はないよ。でもさ、人生って長いんだよ? 暇で暇で暇で……。そうなるとやっぱりさ、やっちゃお!ってなるんだよね、実際」
「な……りますかね」
「なるんだよ本当に!」
おお神よ……彼の頭のネジを一体何百本締め忘れたんだ。
当の神とは既に会話までしてしまっているのだが、そう思わずにいられない。
(注目されたくて生配信しながら危ないことする評価欲しがりな動画配信者より遥かにおかしいよ、この人)
そういえば、似たような事を繰り返していた文豪がいた気がする。バカと天才は紙一重というか、だからこそ彼らはああいった才能を文面で発揮できたのか。
もしかすると、彼もその類いの人間なのだろう。
「結ちゃん、俺と自殺してくれないか?」
「お断りします」
どうしてこう、神はバグった人間を生み出してしまうのか。
頭を深々と下げてそう返した後、結はそそくさと逃げ出すように宿を後にした。