昴の背中
放課後のチャイムが鳴ってから三十分。
2年B組の教室には、生徒たちの話し声と窓の外から吹き込む風の音が混じっていた。文化祭を三日後に控え、どのクラスも準備で慌ただしい。紙やすりの音、段ボールを切るハサミの金属音、教室を行き来する足音──学校全体がどこか浮き足立っていた。
「珍しいな。こんな時間に校舎をうろついてるなんて」
凛太郎はポケットに手を突っ込んだまま歩み寄る。
「いや、お前のほうが珍しいだろ。生徒会室じゃなく、こんなところで黄昏れてるなんてさ」
城ヶ崎 昴。同じ2年B組の生徒で、生徒会長。
誰に対しても礼儀正しく、成績は常に学年トップ。だがそれ以上に、「信用される」ことに異様な執着を持っている──そんな噂もあった。
昴は小さく笑ってから、ふと視線を逸らした。
「凛太郎。お前ってさ、たまに怖いよな」
「ほう。どこが?」
「その目。嘘をついてるとすぐ見抜く。だから、お前に話すときは慎重になる。……まるで、警察みたいだ」
凛太郎は肩をすくめた。
「それ、褒めてる?」
「どうだろうな。俺は――お前のそういうところ、正直言って苦手だよ」
言いながらも、昴の声に棘はなかった。ただ、どこか遠くを見つめるような目をしていた。
沈黙が一拍。
そして、昴がぽつりと続けた。
淡い光に照らされたそれは、どこか紙の質感すら不自然なほど整っていた。
「悪いけど、預かってくれないか。今渡しておきたい」
「……は?」
凛太郎は怪訝な顔をしたが、昴は強引に彼の手に封筒を握らせた。
手触りは硬く、中には何か――紙のようなものが一枚、入っているのがわかる。
「内容は……今じゃなくていい。必要な時に見てくれたらそれでいいから」
「……おい。お前、何か隠してるな」
凛太郎の言葉に、昴は目を伏せて微笑む。
「でも、もし俺が“間違った死に方”をしたら、お前だけはちゃんと見抜いてくれる気がする」
「……は?」
「なんでもない。忘れてくれ。じゃあな」
そう言って、昴は軽く手を振り、なぜか校舎の北側へ向かう廊下特別教室棟、美術準備室の方角へと歩き去っていった。
凛太郎はその背中を見送り、自分の教室へと戻る。
(なんだったんだ、今の……)
自分でも理由がわからなかった。ただ、その一瞬、昴の背中に漂った「違和感」は、どんな事件よりも鮮烈だった。
そのときはまだ、彼がその日、二度と教室に戻ってこないことなど、誰も知るはずもなかった