1.チェンジアップという魔球
初めてその球を見たのはテレビでやっていたプロ野球だ。当時の俺は、ただ遅いだけのその変化球で空振りしているバッターを下手だなぁと思っていた。しかし、自分が実際に投げてみると凄い球だということを実感した。ストレートと全く同じ振りなのにも関わらず、ボールはバットのまだ手前にある。投げるたびに空振りを誘うことができるこの魔球に、俺はどんどん引き込まれていく…。
俺は星谷翔大。今年から三橋高校に通う1年生である。三橋高校の野球部は公立高校ながらも強豪校として有名で、一昨年は甲子園出場も果たしている。
入学式も終わり、俺はすぐに野球部のグラウンドへ向かう。強豪である野球部は、部活動の仮入部よりも前に入部希望者を集めてテストをする。
「集合!」
集合の声をかけたのは、三橋高校野球部の顧問である宮野先生だ。宮野先生は、高校1年生でありながら、超高校級エースとして甲子園に出場していたほど凄い選手だ。プロ野球で選手として活躍した後、大学へ入学し教員免許を取得。その後、この三橋高校の野球部顧問になったのだ。
グラウンドには、40人以上もの1年生がいた。そのほとんどの人は、宮野先生に指導してもらいたいという人だろう。俺もその一人だ。
「1年生の皆さん初めまして。野球部顧問の宮野だ。今日は野球部の入部テストに来てくれてありがとう。初めにとりあえず、自己紹介をしてくれ。」
自己紹介の中で、ものすごく目立っていたのが3人いる。
「三橋中学出身、帯島湊です。ポジションはセンターです。よろしくお願いします。」
帯島湊。去年、全国大会に出場し準優勝した三橋中学で4番を打っていた強打者で、かつ足がとても速いため、走塁はもちろんのこと、足の速さを活かした驚異的な守備範囲で有名である。
「同じく三橋中学出身、上野千晴です。ポジションはサードです。1年からレギュラー狙っていきますので、よろしくお願いします!」
上野千晴。帯島と同じ中学で1番を打っていた。帯島よりも俊足である。守備では、強肩でセーフであろうボールも彼の足と送球によってアウトになってしまう。
「浦和清麗中学出身、武野優希。ポジションはピッチャー。よろしく。」
武野優希。名門である浦和清麗中学で2年生ながら全国優勝に導いた超実力派ピッチャーで、彼180cmの身長から放たれる左の速球は、中学3年では140km後半に迫っていた。中学3年では、準決勝で三橋中学に敗れてしまったが、当時、埼玉には彼を知らない野球人はいなかったんじゃ無いかと言われるほどだ。
「よし、次が最後だな。」
と宮野先生が言った。俺は前に出て自己紹介をする。
「稲荷中学出身、星谷翔大です。ポジションはピッチャーです。自分よりもチェンジアップを投げれる投手はいないという自信があります!よろしくお願いします!」
と大きな声で宣言した。すると、グラウンドは笑いに包まれた。
「チェンジアップがなんだって?」
「稲荷中学とか無名じゃん。よくそんな自信あるよね?」
色々な声が聞こえたが、自分は事実を言っただけだ。恥ずかしいことは一つもない。
「皆、静かに!自己紹介も終了したので、テストを始める。全員、ポジションごとに別の場所に行ってくれ。ピッチャーとキャッチャーはここに残れ。内野手は隣のBグラウンド、外野手はサッカーコートに移動だ。」
みんなが移動し、このAグラウンドに残ったのは、ピッチャー5人と、キャッチャー2人だ。
「キャッチャーはここで3年のピッチャーので球を受けてもらう。その後守備のテストだ。ピッチャーはブルペンに来てくれ。」
宮野先生についていき、ブルペンについた。
「まず、投球を見る。ストレートと、自信のある変化球を一つ投げろ。それぞれ5球ずつだ。」
みんな、強豪に来るだけあってとても強い武器があるようだ。ただ、それを嘲笑うかのような武野の投球に全員が戦慄した。
パァン!とストレートを投げるたびにでかい音がする。中3の頃よりもとても速くなっているのではないだろうかと感じさせるほどからのある速球。そして、右バッターの胸元を目掛けて曲がってくるスライダー。とても高校1年生レベルに見えない彼に3人は驚いたようだ。だけど、俺は違う。こんなレベルのやつと一緒に野球をできることに喜びを感じていた。
「次、星谷!」
「はい!」
そして、俺がブルペンに立つ。中学では6月で野球部を引退したので、久しぶりのマウンドがとても嬉しい。そして、その喜びを噛み締めながら全力でストレートを投げた。
パァーン!と長く響いた。俺のストレートを初めて見たのか、全員がとても驚いていた。俺はチェンジアップを極めるために、球速差を生み出すためのストレートを磨き続けてきた。野球部を引退してからもずっと磨き続けてきた結果、俺のストレートは高校1年生ながら、150kmに到達していた。そして次は、チェンジアップだ。
「チェンジアップ行きます!」
俺はキャッチャーの先輩に伝え、ストレートと同じフォームで投げる。キャッチャーのミットに向かって緩く進む。そして、
「うわっ!」
とキャッチャーの先輩が叫んだ。ボールはミットの中にはなく、後ろに逸れていた。その場にいたもの全員が戦慄した。なぜなら、俺のチェンジアップがキャッチャーの視界から消えるように落ちたのだから。
バルカンチェンジ。それが俺の決め球だ。メジャーでも使われている変化球で、シンカーのような落ち方をする。このチェンジアップは、タイミングを外すチェンジアップではなく、空振りを取るチェンジアップだ。中学でも、このバルカンチェンジを打たれた経験はない。
おそらく初めて見たチェンジアップだったのか、選手全員が驚いていた。
「バルカンチェンジか。とてもいい変化球だ。」
と宮野先生が俺を褒めてくれた。大エースとして活躍していた宮野先生に褒められると、とても嬉しかった。ただ、その後に続く言葉にその場にいた全員が驚いた。
「次の春季大会の先発はお前に任せる。」
俺はその言葉を聞いて、固まった。
バルカンチェンジは、実際にある変化球です。右手でOKマークを作り、親指の爪のところに人差し指を乗せてボールを薬指と中指の間を真ん中にするように指を広げて持ちます。この変化球はとても投げにくいですが、うまく投げれるようになると打つのが難しいほど凄い変化球になります。自分も中学の頃は、このバルカンチェンジを使っていました。全国に行くことはできませんでしたが、全国に行った中学相手にこのバルカンチェンジで三振を取れるほどでした。ピッチャーをやっている人は是非一度、このバルカンチェンジに出会ってほしいと思います。