余韻に浸る暇もない(2)
場面は変わる。
永田町合同庁舎第六区画・特別会議室。
厚い遮音壁に囲まれた無窓の会議室。
十数名の官僚たちが資料を前に沈黙し、ただ淡々と時間が流れていた。
そこに立つのは、一人の女性――鳴海優。
震える手で差し出した報告書は、誰の手にも渡らないまま、テーブルの中央に置かれていた。
「……報告します」
かすれた声が、室内に響く。
「怪獣ラグズグラ出現地点において、未確認戦力――悪の組織ジョックスの介入を確認。
彼らは、単独での戦闘によって、巨大生物を完全に撃破しました」
一瞬の沈黙。
しかし、会議室の誰も顔を上げない。
彼女の声は、硬い書類の山に吸い込まれるように消えていく。
「……ドローンは一機、爆心地上空で活動停止。
しかし停止直前の映像記録から、複数の人型戦力の活動が確認されています」
それでも、官僚たちは書類から目を離そうとしなかった。
まるで“目を逸らす”ことが、既に決定事項であるかのように。
やがて、最上席の老練な官僚が、書類に目を落としたまま言った。
「……その情報は、機密とする。公式記録には残さない」
「……なぜですか!」
鳴海が声を上げる。
無意識に机を叩きそうになった手を、必死で押さえ込む。
「通信障害により、現地との連絡は途絶。航空機の接近も不可能だった。
よって、“確認不能”。――怪獣は自然消滅とする。以上だ」
事務的で、何の感情もこもらない声だった。
英雄も、犠牲も、すべて“なかったこと”にするには、それで充分というわけだ。
鳴海の拳が、膝の上で震えた。
あの戦場を。あの死線を。
誰よりも間近で見たのは――自分たちだった。
命を賭けて街を守った者たちがいた。
悪であるはずの彼らが、確かにこの国を救った。
(それでも、“なかったこと”にするのか……?)
背筋が震える。喉が詰まる。目が熱い。
だが誰も、彼女の問いに答えようとはしなかった。
政府が守ったのは、国ではなかった。
この国の“秩序”だった。
会議室の時計が、無慈悲に時を刻む。
誰もが黙り、誰もが、何もなかったことにする準備を進めていた。
だが――
鳴海優の胸の中には、揺るがぬ記憶があった。
あの巨大な怪物を前に、確かに立っていた黒き影たち。
己を顧みず、災厄を迎え撃ち、圧倒的な力で打ち砕いた存在。
それは――誰にも称賛されることなく、ただ静かに姿を消した“英雄”だった。
(あれが、現実じゃないというなら……この世界のどこに現実があるというのか)
思い返せば、災害の直後から、街の広場に設置された仮設掲示板にはざわめきが走っていた。
《黒いマントの奴らが空から降ってきた!》
《地震かと思ったら、ビルの影から赤い目のロボットみたいなのが……!》
《見た。絶対に見た! あれは人間じゃない!》
SNSにも、断片的な映像が次々と投稿されていた。
瓦礫の中で跳躍する黒い影。
燃え上がる空を背に立つ異形の輪郭。
そして、裂けた夜空の中から現れる、巨大な“何か”――
それらすべては、確たる証拠にはならなかった。
だが、人々の記憶には、確かに焼きついていた。
“何かがいた”という確信。
“何かが戦った”という感触。
ヒーローでも、救世主でもない。
ただ静かに現れ、災厄を打ち倒し、また闇へと消えた存在。
人々は、恐れと憧れ、感謝と畏怖の入り混じった感情で、彼らを語り継いでいくのだろう。
まるで――世界がもう一度壊れたとき、
彼らがどこからともなく現れてくれると信じるかのように。
*
――再び場面は戻る。
関東某所、地中深くに築かれたジョックス本部。
黒鋼の壁に魔術的な光が脈打つ、闇の円卓の間。
幹部たちは、重たい身体を押して、再びそこへ集っていた。
サディーダは肩を押さえながらも、静かに姿勢を正して座る。
ゴラリラは勲章のついた胸元に腕を添え、口を閉ざしたまま目を上げる。
ダルフィは端末を開きながらも、リザリスのほうを何度も見ている。
ジルカメスはナイフの刃を鏡代わりにしながら、髪の乱れを整えている。
ミスター・メタルはスーツの内部構造を調整しつつ、無言のまま視線を前へ向けていた。
その場には――
参謀リザリスの姿もあった。
静かに目を閉じ、深く息を吐いたあと、円卓の中心を見つめている。
白衣の裾を翻して座るのは、ドクター・マリア。
唇の端に、にやりと笑みを浮かべ、何も言わずただ楽しそうに場の空気を味わっている。
そして――
円卓の最奥。
玉座から、地獄元帥がゆっくりと立ち上がった。
その目が、静かにすべてを見渡す。
重く、確かに、堂々と。
その視線は、力ある者だけが持つ“覚悟”と“意志”を帯びていた。
静まり返った空間で、元帥はひとことだけ、言葉を発した。
「――それでは、会議を始める」
瓦礫の谷間に、ひとつの立方体が、ただ沈黙していた。




