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知られざる者たち(3)

 ラグズグラの全身に走る脈動が、極端に早くなった。

 黒曜石のように硬化した外皮に、ピシリと音が走る。


 次の瞬間――その装甲に亀裂が走った。

 まるで内部から押し上げられるように、皮膚の裂け目が浮き上がる。

 そこから漏れ出したのは、蒸気でも熱でもない。

 極度に圧縮された――光だった。


 ドクター・マリアが目を見開く。

「……違う。これは放熱じゃない。拡散じゃない。……“放出”よ」


 彼女が指を鳴らす。

 即座に、傍らの戦闘員たちが前に出て構える。


 その中心で――地獄元帥は、構えを変えなかった。

 ラグズグラと正面で対峙したまま、わずかに足を開き、肩を落とす。

 その目だけが、裂け目の一点を、正確に捉えていた。


 ラグズグラが、弾けた。


 外皮のひび割れから、圧縮エネルギーが収束して噴出する。

 光と熱、音圧、粒子、振動――複数の物理作用が混ざり合い、ねじれた光柱として放たれる。


 そしてそれは、一方向だけではなかった。

 ラグズグラの全身各所に浮かび上がった裂け目から、バラバラのタイミングで、多方向に撃ち出される。

 回避不可能。

 だが――皮肉なことにラグズグラの黒曜石の外皮が死角となり、場所によっては、直撃を免れた。


 サディーダは跳躍の途中で光線の一条に引っかかり、空中で弾き飛ばされた。

 ジルカメスは物陰にいたため直撃を避けたが、反射した衝撃波で地に叩きつけられる。

 ゴラリラは真正面から受け、咆哮とともに腕を焼かれ、後方の壁にめり込んだ。

 ダルフィは比較的死角にいたものの、瓦礫ごと吹き飛ばされ、全身を強打する。

 メタルのバリアが破れ、装甲の隙間から火花が散る。

 リザリスは魔術障壁で正面を防いだが、横からの粒子流に襲われて肩を焼く。


 だが、全員が――生きていた。

 それは、前回のような一律の破壊ではない。


 そして、最も至近にいた地獄元帥。

 直撃するはずの光束が、彼の寸前で逸れた。

 地獄元帥は、放出の直前、死角に移動していた。


 吹き上がる地面、弾ける瓦礫。

 激しい熱風に外套が裂ける。

 それでも、彼は立ち続けていた。

_

 ドクター・マリアが瓦礫の影から顔を出し、かすれた声で呟く。


 「……さすが、首領」


 視界が戻る。

 焼け焦げた風が、まだ肌を撫でていた。

 戦場は壊滅しかけていた。

 だが、それでもまだ終わっていなかった。


 ――その中で、リザリスがゆっくりと体を起こす。

 杖を片手に、肩で息をつきながら、破れた外套を直すこともなく、顔を上げた。

 周囲に視線を走らせる。


 サディーダは地面に這いつくばっていたが、歯を食いしばって起き上がり、ジルカメスは脇腹を押さえながら立ち上がる。

 ダルフィは倒れたまま、しばらく微動だにしなかったが、リザリスの方を向き、指示を待っていた。

 ゴラリラは呻きながらも姿勢を整え、深く息を吐いたあと、無言で拳を固める。

 メタルは膝をついたまま、パネルを起動し、すでにデータの収集を始めていた。


 「……まだ、戦えるな」


 リザリスの呟きは、全員に届くように通信に乗った。


《ああ》

《もちろん》

《支援、継続可能》

《……了解》

《問題なし》

 次々と届く声。


 そして――

 ラグズグラが再び動く。

 ひび割れた外皮から、まだ余熱のように蒸気を噴き出しながら、

 その巨体は、もう一度姿勢を立て直していた。

 だが、その動きには、明らかに“痛み”の色があった。

 ラグズグラが再び姿勢を正す。

 全身の外皮は黒曜石のように光を反射し、蒸気の圧が空気をねじ曲げている。

 その前に立つ、ひとつの影。地獄元帥。


「……リザリス」


 短く、その名を呼ぶ。

 参謀は即座に膝をつき、指示を待った。


「ご命令を」


 首領の視線は、巨大な怪獣の――その下へ向けられていた。


「――こいつを、わたしの前に土下座させろ」


 一瞬の沈黙。

 だが、問い返す者は一人もいなかった。


 リザリスの眼が細まり、静かに立ち上がる。

 そして通信を開き、短く指示を飛ばす。


「これから、こいつを土下座させる。――各人、指示の通り、動け」


 それだけで、十分だった。

 幹部たちは、一言も返さず動き出す。

 誰も理由を問わない。誰も迷わない。

 ただ一つ、リザリスの言葉を信じ、その先に待つ“終わり”を叩き込むために――


「投射ポイント、照準完了。――射出する」


 ミスター・メタルの背部装甲が展開し、小型射出機から複数の筒状ユニットが次々に発射される。


 目標は、ラグズグラの左前脚が数秒後に踏み込むであろう地点――ごく限られた空白地帯。

 その弾道は、完全に制御されていた。


 ――だが、完璧ではない。


「マリア、補正を。設置と展開、任せる」

 

 白衣の女は、地を滑るユニット群を視界の隅で捉えながら、インカムを軽くタップした。


「拡散ユニット、接近中。各班、現場で手動設置を。狙うは“あと一歩”の床面」


 指示を受けた戦闘員たちが、飛来するユニットを回収し、瓦礫の間を駆け抜ける。

 突き刺すように地面へ設置されたユニットから、白く霞んだ粒子が噴き出しはじめた。

 

「ただ滑らせるだけじゃ意味がない。支点を奪うの。ちょっと、ぐらつく程度でいい」


 マリアは唇を歪めて言う。


「その“ちょっと”が、何千トンの巨体には十分すぎる引き金になる」


 粒子が地面に薄く膜を張るように広がり、淡く光を帯びていく。

 それは一見、何も変化のない“濡れた床”のように見えた。

 だが――確かに、そこには「罠」が仕込まれていた。


 潤滑剤の散布が完了したのを確認したダルフィは、すでに瓦礫の稜線を駆け抜け、

 ラグズグラの前脚の着地点を正確に見定めていた。

 その動きはいつになく滑らかだった。


 ドクター・マリアの薬の効果が全身に行き渡っている。

 皮膚の下、筋肉の走行に合わせるように、淡い青白い“気流”のようなオーラが立ち上がっている。

 ダルフィは無言のまま膝をつき、槍を逆手に構える。


「……いい足場だな。崩すには、ちょうどいい」


 そう低く呟くと、彼は槍の石突を地面に突き立て、

 掌でアスファルトの裂け目をなぞった。


 脈打つ魔力が地中に走る。

 揺れる。震える。沈む――


 次の瞬間、地面が低く唸りを上げ、ラグズグラの前脚の半歩先に、段差のような盛り上がりが出現した。

 足元の支えが――“罠”へと変貌した。


 ――そして、タイミングは完全に一致した。


 ラグズグラの左前脚が、微かに踏み出す。

 蹄のような爪が、潤滑剤で覆われた地面に触れた瞬間、ズルリと滑った。


 支えを失いかけた体を、本能的に右脚で支えようとした――が、そこには、ダルフィが仕込んだ“わずかな隆起”が待ち構えていた。


 カクン、と右前脚がつまずく。

 巨体の重心が、一気に前へ――傾ぐ。


「押すぞ……!」


 薬の効果により、ゴラリラの全身からは蒸気のようなオーラが立ち上っていた。

 青黒い筋肉が張りつめ、毛並みは逆立ち、野獣のような気迫が周囲に滲み出ている。


 その体が、しゃがみ込む。


「――首領の御前へ、頭を差し出せェッ!!」


 次の瞬間、ゴラリラは爆発的な回転を伴って跳び出した。

 瓦礫の間の鉄骨を蹴り、身を丸めながら弾丸のように回転加速。

 両腕を体に巻きつけ、拳ではなく、全身を一つの“塊”として打ち込む。

 狙いは、ラグズグラの背中――腰椎付近。


 ガガガッ――!!


 衝突の音が大地に響き、怪獣の腰が大きく前へと撓った。

 それでもまだ倒れない。だが――確実に“限界”へ近づいている。


「ならば、支えを断ちましょうか」


 ジルカメスの眼は、すでに崩れかけた右足に向けられていた。

 その姿からも、淡く紫紺のオーラが立ち上っている。

 しなやかに接近し、刃を構えると、彼は一言だけ呟いた。


「整えた刃先。断ち切るに、これ以上の的はない」


 突きではなく、滑らせるように一閃。

 狙うはアキレス腱。関節の内側――

 巨体を支える“最後の支柱”が、切り裂かれた。

 脚が揺れる。完全に支えを失い、ラグズグラの前傾が強まる。


「じゃ、私のターンねッ!」


 サディーダの脚部にも、真紅のオーラが脈動していた。

 彼女は崩れゆく巨体の斜背を駆け上がり、傾いた肩甲骨を踏み台にして――跳んだ。

 空中で体をひねり、狙いを定めるのは、首の後ろ。


「――沈んでッ!!」


 その脚が、全体重と加速を乗せて、首根っこを踏み抜くように撃ち込まれる。


 グッ、と音を立ててラグズグラの頭がさらに前へと傾ぐ。

 ラグズグラの頭部が――傾いた。

 巨体が前のめりに崩れていく。その衝撃が、大地を、空気を、空そのものを震わせる。


 真正面。

 地獄元帥は、微動だにせず、ただその場に立っていた。

 右手をゆっくりと拳へと閉じ、左掌でそれを覆うように重ねる。

 全身の筋肉が、静かにうねり始めていた。

 その様子は、ただの構えではない。

 力を――溜めている。

 竜すら屈する“断罪の拳”を放つ、そのために。


 そして、リザリス。

 傾いた頭部は、まだ地についてはいなかった。

 彼女は、そこに踏み出す。

 杖を掲げ、空中に展開された魔法陣が極光のように輝く。

 その中心で、蒼黒の竜の幻影が形を成す。


 「――竜闘魔操、破滅掌ドラゴニック・ディセント

 静かに、魔力が降下する。

 蒼い竜が、天より無音で落ち――ラグズグラの頭頂部を貫いた。


 頭部が沈む。砕ける。

 あらゆる支えが、断たれる。

 巨獣の頭が、地獄元帥の足元に――完全に、差し出された。

 その姿はまるで、主君に屈する“絶対服従の土下座”だった。


 頭を地に伏したラグズグラの前に、地獄元帥は静かに立っていた。


 胸元で輝く夢幻のアミュレットは、もはや宝石ではなかった。

 真紅の奔流がその核から溢れ、まるで世界そのものを照らすような光の塊となって空気を焼いていた。

 その光に照らされ、周囲の塵すらも“影を持つ”。


 空気が、振動する。

 拳を構えるだけで、天地の圧が揺れる。


 幹部たちは、遠くからその姿を見つめていた。

 ――その“力”を、誰一人として見たことはない。

 リザリスですら、かつて言葉の端々から推し量っただけに過ぎず、今、目の前で展開されている現実は、すべての想像を超えていた。

 その拳に集まる圧――

 その存在そのものが、世界の理を歪めているかのようだった。


「……あれが、超悪魔力の“本質”……」


 リザリスが呟く。感情を抑えた声に、わずかに震えが混じる。


 元帥が、ゆっくりと拳を引いた。

 足元の地面が、みしりと音を立ててひび割れる。

 背筋が、天に向かって一直線に伸びる。

 その姿は、まるで“断罪”の体現者。

 そして――


「――夢幻轟掌(むげんごうしょう)……」


 ひと呼吸の“間”。

 そして、静かに名を告げる。


「……|Dominus Breakerドミナス・ブレイカー。」


 拳が放たれた。

 跳躍もなかった。

 ただ“拳が振るわれた”という結果が、すべてを変えた。


 ――ゴオオオオンッッ!!!!!!


 衝撃が、世界を貫いた。

 拳は、頭部を粉砕し、骨を砕き、核を消滅させ、肉体の全長を貫いた。

 そして次の瞬間。

 内部の圧が限界を超え、

 ラグズグラの全身が、内側から弾け飛ぶ。


 爆散。


 それは破壊ではなかった。

 再生不能の完全崩壊。

 皮膚は焼け、骨は砕け、心臓も脳も“形”を保たぬまま蒸発する。

 幹部たちが見上げたその空には、もはや「敵の影」は存在しなかった。

「……これが、首領の“力”。何度目だろうな。この背筋を駆ける感覚は」

 次回、『知られざる者たち(4)』

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