知られざる者たち(1)
――コツ、コツ、と、瓦礫を踏みしめるヒールの音が響いた。
崩れたビルの影から、白衣を揺らして歩み出る女――ドクター・マリア。
その背には数名の戦闘員たちが控えている。いずれも無言。
戦闘力よりも機動・知識面に特化した、医療班所属の戦闘員たちだ。
焼け爛れた地面。吹き飛んだ街並み。倒れ伏す幹部たち。
静まり返った戦場の中心で、ラグズグラはまだ沈黙していた。
頭部の裂け目から、蒸気だけが静かに立ち昇っている。
まずドクター・マリアの目に入ったのは、倒れ伏したゴラリラだった。
巨体は崩れた鉄骨の陰に埋もれていたが、マリアはためらいなく歩み寄り、軽く指を鳴らす。
無言の戦闘員が素早く周囲の瓦礫をどけ、最小限の動作で処置空間を確保する。
ゴラリラの片目がゆっくりと開いた。
「……ドクター。戦場とは珍しい……な」
「そうね、私が現場に出るってことは、かなりやばいってことね」
そう言いながらマリアが白衣の内ポケットから取り出したのは、蛍光ブルーの液体が詰まった薬筒。注射器というより、試験管に近い代物だった。
「……まさか、例のやつか」
「ええ。“改良型”。ホムンクルスでの実験は――まあ、綺麗に組織が崩壊したけど、怪人なら大丈夫じゃないかしら。たぶん」
「断る。お前の薬は、以前に私の筋肉を震え上がらせた。三日は眠れなかった」
「でも、ちゃんと動けたでしょ? 寝てなかったけど」
「副作用は?」
「予想だけど、全身疼痛、視覚異常、幻覚、言語障害。あと、筋肉が勝手にピクピク動く感じ?」
「断固として断る。命令でなければ、これほどの愚行はない」
「だから命令じゃなくて提案って言ってるじゃない。……はい、準備」
マリアが注射器を構えると、隣の戦闘員が無言でゴラリラの腕を押さえる。
ゴラリラは本気で嫌がり、腕を振ろうとする――が、動かない。
筋肉が痛みで軋み、全身が拒絶している。跳ね返す力は、今の彼にはなかった。
「やめろ……離せ……ドクター、やめろ……本当にやめろ……!」
「動けるなら止めてもいいのよ? でも今は、残念ね」
プシュッ、と音がして薬液が注入された。
ゴラリラの体が大きく痙攣する。
毛並みが一斉に逆立ち、目が見開かれる。
声にならない呻きが喉奥から洩れた。
「……っぐ……これは……! 焼けるような、毒……!」
「効いてるってこと。ありがたく思って」
マリアがインカムを軽くタップすると、無機質な音声が応答する。
《確認。幹部全員、かろうじて生命反応あり。各班、順次展開を開始》
戦闘員たちは頷きもせず、無言のまま、それぞれの方向へと走り出していった。
「メタルくんのところは私が行くわ。あの子は人間だから別の薬ね」
白衣を翻し、マリアが再び歩き出す。
その背後で、巨大な影――ラグズグラ――はまだ、じっとしていた。
だが、立ち昇る蒸気の量が、ほんのわずかに増えていた。
――サディーダ
「え、待って待って、そういうの聞いてないんだけど! ねえ、ほんとに大丈夫なやつ!?」
答えはない。だが、容赦もなかった。
プシュ、と小さく空気を裂く音。
「――いったぁああああ!? マジで!? 聞いてないってばぁああ!!」
――ジルカメス
「待て、待て……せめて痛くしないと言ってくれ……!」
だが、戦闘員の手は止まらない。
プシュ、と鋭く薬液が打ち込まれる。
「っ……ッ、くそっ……覚えてろよ、ドクター……!」
――ダルフィ
「……了解。処置……必要……だな……」
力なく差し出した腕に、無言のまま注射器が押し込まれる。
プシュ、と小さく音が鳴り、肩がわずかに震えた。
「も……問題なし……」
――リザリス
伏せたまま、ようやく顔を上げたリザリスの前に、戦闘員が音もなく現れる。
「……処置は、了承する。だが、的確に」
頷きもせず、戦闘員は注射を打ち込んだ。
プシュ――
「……ふぅ。少しは、動けそうだ」
――ミスター・メタル
転倒したまま意識を保っていたメタルのもとへ、マリアが歩み寄る。
「はいはい、人間用。怪人仕様じゃあ、あなた死んじゃうしね」
「当然だ。猛毒を打たれて生きていたら人間じゃない」
メタルは静かに腕を差し出す。
マリアは迷いなく注射器を突き刺した。
プシュ。
「……感覚、良好。行動に支障なし。続行する」
注射の余韻が、まだ身体に残っている。
それでも、幹部たちは立ち上がりつつあった。
ゴラリラは想像以上の回復に、筋肉を感じられるポーズをとってみた。
「これはすごい。パワーがみなぎってくる。そして、あとが怖い……」
サディーダは瓦礫の山から足を抜き、何度か膝を曲げて跳ねてみせた。
「……ん、いける。いやこれ、逆にちょっとやばいかも……」
ジルカメスはまだ額に汗を浮かべながらも、乱れた髪をかき上げてゆっくり立ち上がる。
「痛みも痺れもある……が、力が通る。これは……いけるな」
ダルフィは深く息を吐き、手の中で槍を回した。
「各部、問題なし。……補佐任務、再開可能」
リザリスの杖に魔力が走る。戦場全体の流れを“感じ取る”ように、彼女の意識が拡がった。
「全員、動けるようね……」
その言葉と同時に、ラグズグラの頭部から、ふたたび蒸気が噴き上がった。
だが、今度のそれは明らかに“違う”。
ただ立ちのぼるだけだったはずの蒸気が、脈を打っていた。
まるで巨大な生物の呼吸器官が、外気を貪るように。
巨体全体が、低く、音もなく、微かに震えていた。
メタルがすぐに反応する。
「……反応に異常。再生パターンから逸脱。これは、単なる修復ではない」
リザリスの目が細められる。
「反応が変質している……? 違う、“再構築”……?」
幹部たちは即座に構えを取り、再戦の体勢を整えた。
だが、誰もが、同じことを感じていた。
――これは、さっきまでのラグズグラではない。
ラグズグラの巨体が、音もなく蠢いた。
砕けた左頭部のあたりから、再び蒸気が噴き上がる。
今度は明らかに――敵意を含んでいた。
背筋を走る悪寒。誰も言葉を発さない。
全員が、次の一手を構えた。
「まだ終わらん。あれが“怪物”なら――こちらは“悪”で応えるまで」
次回、『知られざる者たち(2)』




