悪が止めなきゃ誰が止める(3)
傾いたビルの屋上。
西の空は深く染まりかけ、建物の影が長く伸びる黄昏時――。
その屋上の縁に立つひとりの影。
黒と紫の軍装を風に揺らしながら、ジルカメスがゆっくりと銀の細剣を抜く。
「単純な接近戦は、全く通じない……ならば」
《カンタービレ・スティレット》――ジルカメスの愛剣。
抜かれたその瞬間、剣が放つ紫の光が、夕陽の名残をかき消すように煌めいた。
剣先を小さく旋回させ、足を一歩踏み出す。
「美を持って、滅を刻む。煌斬舞術 《コレグラフィ・デクラ》――“軌影閃花 《フルール・ド・ロンブル》”」
跳ぶ。
屋上から飛び出し、空を駆ける。
身体は放物線を描き、剣は風と共に唸る。
ジルカメスの構えは崩れず、跳躍中すら舞踏のごとく端整。
そのまま、空中で紫の螺旋が咲いた。
――斬撃、命中。
ラグズグラの左肩の甲殻に、鋭く走る傷。
紫の斬光が、ほんのわずかに装甲を裂き、銀の粉塵が舞った。
「……通った、か?」
その瞬間、ラグズグラが鈍く唸るような気配を放ち、わずかに重心を傾けた。
ジルカメスは、着地と同時に剣を払う。
だが――
反応はない。
呻きも、後退も、痛みによる動揺もない。
まるで、今の一撃が「不快だとすら思われなかった」ように。
斬られた事実すら、あの巨体にとっては“些細”だったのかもしれない。
ジルカメスは、剣を横に振るい、残響のように余韻の光を散らす。
「……まったく。あれほど精妙な構えを、無視するとは」
その言葉に怒りはなく――ただ、深い“嘆き”があった。
美しく整えた軌道、破綻なき一撃、それでも――意味はなかったのか。
風が吹く。
鱗の浮かぶ頬を、そっと風が撫でていった。
「だが――それでも演じる。それが、美というものだ」
次の瞬間、ジルカメスは再び脚を踏み出した。
瓦礫の上、わずかに隆起した足場に立ち、ダルフィは静かに怪獣を見上げていた。
その瞳には、焦りも怒りもなかった。ただ、冷静な観察者の光が宿っている。
ダルフィは腰に装備した槍――《トライデント・スパイン》を引き抜く。
水中戦闘にも適応した、彼専用の三叉伸縮槍だ。
硬質の骨格と超弾性素材が融合したそれは、生物である彼の肉体に完璧に同調していた。
「……外皮は予想通り、硬い。だが、薄そうな関節部分はどうだ」
次の瞬間、ダルフィの身体が、風のように滑り出す。
まっすぐには向かわない。緩やかに弧を描きながら、怪獣の左脚に向けて駆ける。
崩れた車、傾いた信号、跳ねた水飛沫――不安定な足場を利用しながら、正確に死角へと近づいていく。
そして跳ぶ。
空中で体をひねりながら、ダルフィは《トライデント・スパイン》を怪獣の関節に似た部位の隙間へ突き立てた。
「……通れ」
乾いた音。鈍い手応え。槍の先端が、わずかに黒い“肉”を抉った。
内部には、金属でも岩でもない、しっとりとした生体の抵抗があった。
だが、次の瞬間だった。
周囲の“皮膚”がうねるように盛り上がり、傷口へと集まっていく。
見る間に、抉ったはずの傷が――跡形もなく、塞がった。
ダルフィは無言で地面に着地する。
足元に爆風が巻き起こるが、彼の表情に揺らぎはない。
「なるほど……塞がれるなら、閉じる暇も与えなければいい」
その声は静かで、熱はなかった。
だが、その背に流れるのは確かに、“闘志”だった。
重力を断ち切るように、爆音とともに宙へと浮かび上がる影があった。
黒光りする複合装甲。背中に展開されたのは、高出力の飛行ユニット。
ミスター・メタルは、舞い上がる瓦礫を突き抜け、怪獣の頭上へと出た。
「高度、確保。敵構造、照射スキャンを開始」
彼の視界に、情報が次々と重ねられていく。
外殻の温度分布、内部の応力構造、微細な振動応答――
「……全身が高熱。だが、頭頂部だけは異常だ。熱源が集束している……外殻ではない、内部発生。これは、“核”そのものの熱だ」
スキャンに重ねられた映像に、ひとつの球体構造が浮かび上がる。
極端な密度と、揺るぎない熱量。機能性、反応性、そして形状――
「中枢……あるいは、エネルギーの起点。全身の均質な反応とは異なる、明確な“意図”を感じる」
右腕部から、重厚な機構音とともに武装が展開される。
斧に似た曲線を描く高圧切断兵器――《フォース・スパイン》。
ミスター・メタル自身の設計による、最大出力の近接攻撃装備だった。
推力、最大。
狙うは、頭頂部の一点のみ。
「核を晒せ」
音速の衝撃波をまとい、彼の身体が地表へと急降下する。
《フォース・スパイン》が閃光を放ち、ラグズグラの頭頂部へと叩き込まれた。
直撃の瞬間、爆音と共に反発の衝撃が襲う――
だが、それより先に、装甲越しの身体を焼くような熱量がメタルを貫いていた。
「く……っ……!」
強化服の防熱処理をも貫く熱。
皮膚の内側が灼けるような痛覚信号が、神経をノイズで満たしていく。
空中で跳ね上げられながら、メタルは姿勢を制御しつつ、すぐさま情報解析に移行する。
視界は揺らいでいたが、ホロビジョンの記録は鮮明だった。
「……外皮は破れなかった。だが、内部に届いた。衝撃波の揺れが、核に反応を与えた。……伝わった」
スキャンには、一瞬だけ核と思われる球体が震えるようなノイズを帯びていた。
それは、全身でただ一箇所――“揺れた”場所だった。
「防御層は厚い。だが、無敵ではない。この個体には、“中心”がある。破壊可能な構造として、存在している」
飛行ユニットを噴かし、高度を取り直す。
焼けつくような熱が、まだ身体にまとわりついていた。
だが、彼の声は変わらない。
「……ここが、突破口だ」
その言葉に熱はなかった。
だが、視線の先にある一点には、すでに照準が定まっていた。
崩れた屋上に立ち、ダルフィは視線を巡らせた。
瓦礫の街。その各所に、仲間たちの攻撃の痕跡が残っている。
「……拳も、爪も、刃も届いた。だが、どれも決定打には至らない」
低く言いながら、彼は静かに状況を確認していく。
「しかし、無駄じゃない。全ての行動が、“何が効かないか”を示している」
通じなかったのではない。通じるために、何が欠けているかが見えた。
この段階で必要だったのは、それを知ること。
「“個”は通じない。……それも、最初からわかっていた」
小さく息を吐き、視線を空へ向ける。
「次は――“組み”で動く」
連携。陣形。役割分担。
今までの試行が、次の攻撃の根拠になる。
その時、遠くの空で、風の流れが変わる。
煙が切れ、圧が落ち、何かが接近してくる気配――
空間の揺らぎのようなものが、ほんのわずかに戦場を撫でた。
ダルフィは眉一つ動かさず、ただ事実としてそれを受け取る。
「……切り替え時だな」
誰かが来る。だが、それは予定のうちだ。
期待でも依存でもなく、作戦の一部として当然の流れ。
ダルフィは再び地上を見据えた。
ラグズグラはまだ止まっていない。
だが――“止める算段”は、立ち始めている。
「“力”を重ねなければ、届かぬものがある。だからこそ――ここからが本番だ」
次回、『悪が止めなきゃ誰が止める(4)』




