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恋という任務は初めてです(1)

「――それでは、会議を始める」


 低く響いたその声は、空間そのものに重みを与えるように、ジョックスのアジト地下最深部の会議室に染み渡った。


 血のような赤と闇のような黒の光が交互に脈動する、禍々しき空間。壁一面に刻まれた魔術文様は、ただ存在するだけで精神を圧迫し、冷たい黒曜石で造られた円卓は、意志を試すように沈黙している。


 その場に集うのは、すべて「上級怪人」以上の存在。

 人知を超えた力と狂気を持つ者たちだが、その中でも、椅子に深く腰かけたひとりの男だけは、別格の風格を放っていた。


 彼こそが、悪の組織ジョックス(JOCCS)――正式名称 Justice Opposition and Chaos Creation Syndicate を率いる存在。地獄元帥である。


 漆黒のダークスーツに身を包み、肩から広がる黒い外套(マント)は椅子の背を大きく覆ってなお余りある。額には湾曲した二本の角が突き出し、深紅の眼光が燃えるように輝いていた。


 悪のカリスマ。混沌の化身。ジョックスの創設者にして、組織を支配する絶対的首領である。


 その威容はまさに悪魔そのもの。しかし、ただ恐ろしい存在ではない。完璧な知性と冷徹な論理、揺るぎない信念を兼ね備えており、“理想的な悪”が人の形を取ったかのような存在である。


 その一声に、会議室は、一瞬のうちに静寂に包まれた。


 誰もが息を潜める。咳払い一つすら許されぬ空気だった。たとえこの場に欠けた者がいれば、その席は永遠に空席となる。そう理解しているからこそ、皆が真剣だった。


「リザリス」


 その一言で、場の空気が明確に動いた。

 静かに立ち上がったのは、緑色の鱗に覆われた優美な体躯の女――リザリスである。鋭く裂けた瞳孔、しなやかに動く四肢。彼女の姿はトカゲを思わせるが、その佇まいには冷淡さよりも“古代の神獣”を思わせる神秘性があった。


 手に携えた杖――螺鱗杖(バジル=スレッド)の禍々しい曲線が、彼女の風格にさらなる重圧を与えている。

 ジョックスの参謀にして地獄元帥の右腕。“超級怪人”と呼ばれる数少ない存在の一人である。


「畏まりました、首領。進行は、作戦司令に引き継ぎます。ダルフィ」


 リザリスの声は簡潔で、無駄がなかった。その響きには確かな権威と透明な冷気のようなものがあった。


 名を呼ばれたのは、異形の男――ダルフィ。海棲哺乳類のような滑らかな皮膚と艶を持つその体は、イルカとホムンクルスを融合させた怪人であり、無機質な静けさと柔らかい知性を併せ持っていた。


 彼の動きには音がない。気配すらも希薄で、まるで空気そのものが歩いているようだった。


「それでは、各部隊より順に、作戦報告を。第1作戦隊長ゴラリラ――」


 呼ばれた名に、ガタンと椅子を引く重い音が響いた。


 会議卓から立ち上がったのは、重厚な軍服に身を包んだ巨漢――ゴラリラ。身長二メートル近く、筋骨隆々の体躯に野性味と軍人然とした規律を同時に感じさせる、ジョックスの第1作戦隊長である。


「第1作戦隊長ゴラリラが報告いたします」


 堂々とした声が会議室の石壁に反響した。それは緊張感の中にも確固たる信頼を滲ませる響きだった。


 彼の胸元には、煌びやかな勲章がいくつも並んでいた。だが、それらは全て正規のものではない。アンティーク店や闇市場で買い集めたもの、あるいは過去に倒した敵の軍服から剥ぎ取ったものにすぎなかった。


 ジョックスには勲章制度など存在しない。

 しかしゴラリラにとって、それらは誇りであり、信念の象徴だった。彼にとってそれは、己が悪として立ち続けるための“戦闘記録”であり、“誓いの証”だった。


「"極地支配動物誘導作戦 《アークティック・コード》 通称:動物園ジャック作戦"、我が部隊は目標エリアへの侵入および制圧に成功。ホッキョクグマに対する洗脳プログラムを展開中、部外者による介入が発生し、作戦は中断されました」


「部外者……つまりブッダマンか」


 地獄元帥の一言が落ちると、室内の温度が一瞬で下がったような錯覚を覚える。ゴラリラは静かに頷いた。


「はい、首領。奴の出現は予測されてはおりましたが、その予測より二分早く、かつ異例の進入経路でした。予定通りの退避行動を実施し、損耗ゼロでの撤退に成功しております」


 報告を終えると、ゴラリラは背筋をさらに伸ばした。

 それは威厳の表れというよりも、そうしなければ自らが揺らいでしまうからだった。

 彼の視線は地獄元帥を真っ直ぐに捉えていた。忠誠と規律、それがすべてであることを、その姿勢が語っていた。


「作戦としては失敗。だが対応は冷静だった。次に繋げよ」


「はっ!」


「ていうか……ホッキョクグマって洗脳できるんだ?」


 その場の重苦しい空気を切り裂くように、軽い調子で口を挟んだのは、チーター型の怪人――サディーダだった。


 第3作戦隊長。普段はノリの軽い女子高生のような口調だが、戦場では冷徹かつ的確な判断を下す、若き実力者として知られている。

 長い脚を組み替えながら、彼女はくつろぐように椅子にもたれかかっていた。


「あたしも動物は好きだからさ、ホッキョクグマが仲間になるのはちょっとテンション上がったかも~」


「……真面目な作戦報告の最中だぞ」


 ダルフィが小声でたしなめたが、彼女は気にする様子もなく笑っていた。


「それでは、次。第2作戦隊長ジルカメス、報告を」


 ダルフィの進行に従い、ジルカメスが優雅に立ち上がった。

 カメレオンとホムンクルスを融合した上級怪人。

 細身の体に纏うのは、中世の貴族を思わせる華美な礼装。深い緋色のベルベット地に金糸の刺繍が施され、袖口や裾には豪奢なレースが揺れている。

 左目には煌めく銀のモノクルをかけ、鱗の煌きと流れるような身のこなしが、そのナルシズムをいやが上にも際立たせていた。


「第2作戦隊長ジルカメスより報告いたします。我が部隊が遂行していた"市民感情統一計画 《ユナイト・トリガー》 通称:コンビニ割引券バラ撒き作戦"――その目的は、全国に割引券と見せかけた特殊誘導チラシをばら撒き、人々を一斉に特定商品へ誘導。嗜好と購買意欲を統一し、感情誘導システムの初期検証を行うことでした」


 ジルカメスは滑らかな口調で説明を続ける。まるで自分の美しさをプレゼンテーションに乗せて伝えるような、自意識を帯びた抑揚だった。


「前半までは完璧。私の顔写真入りチラシの配布、SNS拡散率75%、ポイントサイトの制圧までは成功しましたが……」


 報告の中に、「私の顔入りチラシ」や「SNS拡散率75%」といった自己満足のような言葉がさりげなく盛り込まれており、サディーダは吹き出しそうになったが、なんとか堪えた。


「だが、阻まれたか」


 地獄元帥の一言に、ジルカメスは肩を落とすことなく頷いた。


「はい……直接の交戦はありませんでしたが、作戦の現場に例の印があったことから、おそらくはブッダマンによる介入かと推察します。対象商品の価格が改定され、さらに在庫制限が実施され、我々の『衝動買いの連鎖』が断ち切られました。しかし、約30%の対象者には影響を与えることに成功。購買データも確保済みです」


 ついに笑いを堪えることができなくなり、サディーダが吹き出してしまった。


「あははは、写真入りチラシとか……ひ、必要?」


「美とは、常に語られねばならないのさ」


「語るのは他人じゃないと意味ないよ」


 やりとりの間に、ドクター・マリアがメモを取りながら呟いた。


「“チラシに美が宿るかどうか”……興味深い命題ね。視覚刺激と購買意欲の関係性、次の実験テーマにいいかも」


 ジルカメスが頬を引きつらせた。


「よい。報告を続けよ」


 地獄元帥の言葉に、会議の空気がまた締まる。


「以上が、我が部隊の戦果です。現在、収集したデータも解析中です」


「ふむ。次に繋がるデータだ。引き続き解析を」


 地獄元帥が短く言うと、ジルカメスは一礼して席に座った。

「恋を作戦にするなんて、ウチ聞いてないんだけど!」

 次回、『恋という任務は初めてです(2)』


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