悪が止めなきゃ誰が止める(1)
……浜松北部、郊外の高台。
市街地からは直線で二十キロ以上離れたこの場所で、鳴海優は双眼鏡――高倍率仕様の軍用スコープ――を構え、地平を睨んでいた。
音は届かない。爆炎と黒煙だけが、沈む夕陽を背に、かすかな震えとなって見えるだけだった。
黒煙が、風に流されながら山の稜線を覆っていく。
陽の光は弱く、崩れかけた雲の切れ間から差し込むわずかな光が、巨影の輪郭を朧に照らしていた。
“あれ”は、ゆっくりと、しかし確実に――動いていた。
静岡北部・明石山脈付近。
特殊高エネルギー観測所の封印が破られ、地中から現れた超巨大生物・ラグズグラ。
今や、それは市街地の目前に迫り、重たい一歩ごとに、地鳴りのような震動を伴って進行を続けていた。
「……ジョックスが、"あれ"を意図的に目覚めさせたのだとしたら――許されることではない」
鳴海は小さく呟いた。
声に怒気はない。ただ、冷たい刃のように、その言葉を吐き捨てた。
観測用タブレットに、次々と異常波形が記録される。
重力偏差、生体振動、空間干渉。全てが平常値を逸脱し、まったく意味のない数字となっていた。
再度、双眼鏡を覗く。
視線の先には、崩れ落ちた高速道路の橋脚、半壊したビル群――そして、振動による地盤の崩れで傾き、上層部を失った浜松アクトタワーの姿があった。
浜松の街が、ゆっくりと、確実に――蹂躙されていく。
そのときだった。
「何あれ?」
空が、音もなく裂けた。上空に、暗黒の裂け目が生じた。
その裂け目から出現したのは、金属質の外殻を持つ降下カプセル。
それは、地上に達する直前、鋭く展開し――中から、ひとりの影が飛び出した。
甲高い振動音が大地を震わせ、着地とともに爆煙が巻き上がる。
爆煙の中心。
そこに、黒光りする異形が立っていた。
漆黒の装甲。
鈍く光る赤い視覚センサー。
背に格納された滑空用ユニット。
鋼鉄の嵐をまといながら、静かに、確かに――そこに立つ。
その降り立つ姿は、まるでこの危機を救うために現れたヒーローのようであった。
漆黒の影――ミスター・メタル。
その姿に、遠方から双眼鏡で覗いていた護衛の一人が声を詰まらせる。
「なっ……誰、あれ……ヒーロー?」
だが鳴海の眼は、次の瞬間、ふたたび空の裂け目へと向けられていた。
ミスター・メタルが降下した後も、空に生じた巨大な亀裂は閉じる気配を見せず、不気味に口を開けたまま。
そしてそこから――次なる漆黒のカプセルが、間を置かずに落下してくる。
一つ、また一つ。
空から降ってくるのは、精密な軍事兵器のような降下カプセル。
その中には、人ならぬ者たちが収められている。
最初に着地したのは、巨大な影だった。
重量感のある鈍い衝撃と共に、地面が震える。
カプセルの装甲が展開し、煙の中から現れたのは――ゴラリラ。
まるで戦場の象徴のような威容。
旧帝国軍人を思わせる礼装の上からは、ゴリラの筋骨が隆起している。
鋼鉄よりも分厚い肉体をまとい、無言で一歩を踏み出すその姿は、戦争の権化そのものだった。
次に降り立った影は、まるで舞うように地を蹴った。
軽やかに着地したその者は、ジルカメス。
緻密に設計された降下動作、決して乱れない姿勢。
青白く光る視線をちらりと地上に送りながら、ひとつため息のような笑みを浮かべる。
その立ち姿は、まさに“優雅なる武人”。鋭さと気品を同時に備えた刃であった。
三番目のカプセルが爆ぜる。
割れる煙の中から、猫のようにしなやかに跳び出したのは――サディーダ。
空中で身をひねり、瓦礫の上にかかとから着地する。
獣の俊敏さと人間の鋭敏な感覚。その両方を併せ持つ戦士は、周囲に一瞥をくれてから肩を回すように小さく身をほぐした。
最後のカプセルが地を穿ち、開いた。
中から現れたのは、ダルフィ。
無駄な動き一つなく、静かに足を地面に下ろす。
濡れた石のように冷静な瞳が、既に戦況の把握に向けられていた。
その立ち姿には浮ついた感情は一切ない。ただ必要な情報と行動だけが積み重ねられていく。
やがて――
五人の幹部が、何の指示もなく自然と横一列に並ぶ。
右端にミスター・メタル。
隣に、軍服を揺らすゴラリラ。
中央に、腕を軽く組むジルカメス。
その左に、サディーダとダルフィが並ぶ。
誰一人、視線を交わさず、口を開くこともない。
ただ、崩壊した都市の中心で、確かに“陣形”を形作っていた。
禍々しくも、完成された構図。
まるで――“希望”の到来を思わせるほどに、洗練されていた。
だが、それは違う。
そこに立つのは、悪の組織ジョックス。
世界征服を掲げる、混沌の使徒たち。
にもかかわらず、彼らの登場は――どこか、美しかった。
(ジョ…ジョックス?何しにきたの?)
鳴海は眉をひそめた。
この状況で、彼らが“怪獣を止めに来た”などと信じる理由は、どこにもない。
むしろ、さらなる混乱の火種にしか見えなかった。
まるで、災厄を迎えに来たかのように、あまりにも自然に――あの怪物の進行ルートに、奴らは現れた。
「……ふざけないで」
鳴海は小さく吐き捨てた。
「殴った。全力で。砕けたのは……拳か、それとも――」
次回、『悪が止めなきゃ誰が止める(2)』




