責任の所在が行方不明です(4)
一方、永田町合同庁舎第六区画・特別会議室。
壁面の巨大スクリーンには、山中の崩壊地点を上空のヘリコプターから捉えた映像が映し出されていた。
黒煙、土砂、砕けた岩盤。そしてその中心で、ゆっくりと立ち上がる巨大な黒き影――。
室内には、低いざわめきが広がった。
「……これが、“ラグジュ……グリャ”……」
「違います。ラグズグラです」
「“ラグジュ……グリャ"?」
誰かが言い直そうとしたが、語尾は濁ったまま。
「どっちにしても、“あれ”で通じるからもういいだろ」
防衛大臣・高城が短く言い放ち、会議室には一瞬の乾いた笑いが走った。
だが、画面の中の巨影がぬるりと動いた瞬間、その笑いはすぐに沈黙へと変わっていった。
ざわめく中、防衛大臣・高城が立ち上がる。
「即時に自衛隊を出動させろ。対応できる部隊をすべて現地へ!」
「お待ちください、高城大臣」
制止したのは、内閣特務調整官・若宮だった。老眼鏡の奥の目を細めながら、静かに口を開く。
「これは、国内における未確認大型生物の出現であります。対処は慎重に。武力行使には総理の承認と、災害対策本部の設置が必要です」
「悠長なことを……!」
高城が苛立ちをあらわにするが、天羽瑛子が静かに続けた。
「すでに周辺の自治体には避難勧告が出され始めています。まずは人的被害を抑えるのが最優先です。出動は段階的に」
そのやり取りの最中にも、ラグズグラは前進を続けていた。
天竜区山間部――木造家屋が数軒、何の前触れもなく巨体の足によって押し潰された。
集落の一部が消し飛び、地表に巨大な足跡が残される。
その映像が会議室を包み、ようやく若宮が重く言葉を落とす。
「……総理には、私のほうから。災害対策本部の設置と、現場対応部隊の出動を要請します」
会議室に重苦しい空気が広がる中、スタイン博士が英語で一言、静かに呟いた。
「This is no longer a containment issue. It’s a matter of survival.」
訳されるその言葉に、誰も反論できなかった。
こうして、初めて正式な防衛出動が決定された。
地下での異変から二時間後。
遠く浜松市北部で、禍々しい光をまとう巨大な影が目撃された。
最初に沈黙したものは、山間部の小さな集落だった。
続いて電波障害が相次ぎ、各地で避難指示が発令される。
正午過ぎ、ニュース速報が未確認巨大災害生物の存在を伝え、市民たちは一斉に道路へと溢れ出した。
浜松市内では広域避難が開始され、主要道路は封鎖され、駅や商業施設は次々と閉鎖されていった。
「現場映像、更新されました」
モニターには、都市の入口近くに迫る黒い影が映し出される。
「浜松市北端に接近。時刻、午後三時二十分」
無機質な報告が、永田町の会議室に響いた。
官僚たちは顔を強張らせ、誰もが言葉を失っていた。
ただひとつ確かなのは、この国の防衛線が、もはや後退の余地を残していないということだった。
やがて、自衛隊の航空部隊が発進する。
「対象確認! 全機、作戦行動に移れ!」
斜陽を背に、鉄の巨鳥たちが巨大な影へ向かっていった。
浜松市郊外。
空はかすかに赤みを帯び始めていた。
航空機が爆撃を開始する。
「ターゲット、距離二千……発射許可!」
ミサイルが火を噴き、爆煙が都市の縁を包む。
しかし、ラグズグラは微動だにしなかった。
炸裂する弾頭、光の奔流。
「命中確認、効果なし――繰り返す、効果なし!」
すべてが、その巨体の前では無意味だった。
数機の戦闘機が、軌道を乱して墜落した。
「エンジン出力低下、制御不能――! 脱出する!」
「駄目だ、高度が足りない……っ!」
パイロットたちが、最後まで通信を続けようとしたが、その声すら、空に吸い込まれていった。
地上部隊が投入される。
「各班、目標正面に展開! 迫撃砲、第一波装填急げ!」
迫撃砲、地対空ミサイル、重機関銃――あらゆる火力が集結したが、何も通らなかった。
「撃てぇええええッ!!」
怒号が上がる中、都市の入口に張られた即席の防衛線は、ラグズグラの一歩に踏み砕かれる。
「う、動きが……速い!? なんだ、あの巨体で――!」
轟音が静まり、戦場に残ったのは、なおも立ち続ける黒い巨影だけだった。
その彷徨とともに、都市全域に異変が走った。
周囲すべての通信機器の使用が不可能となった。
「応答せよ! こちら浜松本部、応答せよ!」
ネットワークも、地上波も緊急通報も、あらゆる情報網が、次々に沈黙していった。
都市は神経を絶たれたかのように、音を失った。
誰も、何も伝えることができなかった。
ただ、崩壊だけが静かに進行していた。
*
ジョックス本部・作戦会議室。
巨大なスクリーンの前に、幹部たちは戦闘員を従えて並び立ち、中継映像を食い入るように見つめていた。
映像の中では、黒く巨大な怪獣――ラグズグラが都市を踏み潰し、自衛隊を圧倒していた。
「いいねえ! その調子、実に美しい!」
ジルカメスが両手を叩いて歓声を上げた。
砲撃で吹き飛ぶ戦車、爆発する建物、きれいに崩れ落ちるビル――そのすべてが彼の美的感性を刺激していた。
「どう見ても悪役の風格。あれ、絶対こっち側のやつだって」
サディーダは椅子に背を預け、ポップコーンをぽりぽりやりながら満足げに笑った。
「筋肉の質感が最高だ。動きも力強い。あれで頭が良かったら完璧だな」
ダルフィが低く感想を漏らす。
「尾のしなり……そしてあの突進力。重量級のくせに」
ゴラリラは腕を組み、戦闘用分析モードに入りながら唸るように言った。
スクリーンの中で、ラグズグラが高速道路を踏み抜いた。
アスファルトがめくれ、トラックが宙を舞って大破する。
「……で、誰があんなの起こしちゃったん?」
サディーダが無邪気に疑問を発した。
一拍の間のあと、静かにリザリスが答える。
「我々、だろうな」
会議室の笑い声がピタリとやんだ。
その沈黙の中、ふいに椅子を引く音がした。
会議室の隅、冷却装置の近くに、白衣姿のドクター・マリアが立っていた。
「本来なら、まだ封印の強度は保たれるはずだったのだけどね……“神の箱”に、思った以上の負荷がかかったようねぇ」
彼女は軽く指を鳴らし、映像に映る怪獣を指差す。
「名前あるのかな、“アレ”?」
サディーダがつぶやく。
「知らないが、あれはもう“アレ”でいいんじゃないか、通じるし」
ゴラリラがうなずきながら言った。
「賛成。“アレ”って言ってる方が、なんか怖くていいわ」
マリアが、薄く笑いながら言い添える。
そのとき、会議室の奥で椅子が静かにきしんだ。
地獄元帥――ホログラムではなく、本人が無言でそこに座っていた。
誰にも目をやらず、ただ映像を見つめながら、低く呟く。
「……これは、世界が変わるかもしれんな」
その声とともに、会議室全体の熱がすっと引いていった。
誰も言葉を発さず、誰も笑わなかった。
スクリーンには、崩れた都市と、黒煙の中でなお進み続ける“アレ”の巨影が、静かに映っていた。
「逃げ場なんて、どこにもない。目の前の“あれ”を止めなきゃ……誰がこの街を守るっていうの?」
次回、『悪が止めなきゃ誰が止める(1)』




