責任の所在が行方不明です(3)
特殊高エネルギー観測所。厚い隔壁に覆われた、静岡の山中にぽつんと建つ無人研究施設。その前に、一台の黒い装甲車がゆっくりと停まった。
鳴海優は、無言で車外に降り立った。黒いスーツの上から簡易のジャケットを羽織り、腰にはデータ端末と制御用タブレット。髪を後ろでまとめ直すと、護衛の隊員と、同行する科学者に目をやる。
「警備記録には異常なし……ですが、念のため警戒態勢でお願いします」
そう答えたのは、随行する防衛省技術顧問の一人。
科学者であると同時に、観測施設の設計にも関わっていた男だ。
その背後には、無骨な防弾ジャケットに身を包んだ護衛兵が四名、目を光らせていた。
セキュリティロックを解除し、施設内に入った一行は、長い無人の通路を慎重に進んだ。
薄暗い照明の下、しばらく歩を進めた先――
曲がり角を抜けた中間区画で、鳴海の動きが止まった。
「……ここですね」
静寂の中、通路の床に複数の残骸が散乱していた。
焼け焦げた破片、金属フレーム、そして警備ロボットのパーツ――
いずれも激しい戦闘の末に破壊された痕跡を残していた。
「明らかに誰かが侵入していた形跡……ですが、火薬臭も熱源も残っていません。数日は経過しています」
鳴海は一体の機体にしゃがみ込み、内部フレームの破損角度を確認した。
「急所を正確に突いた破壊。……素人の仕事じゃない」
彼女は顔を上げ、冷静に結論づけた。
「この通路で、本格的な交戦があったようですね。――かなりの実力者がいたはずです」
(……やっぱり、噂だけじゃない)
彼女は何も言わず、足を進めた。
やがて、一行は施設中枢にある観測室へと入った。
室内の壁一面には複数のモニターが並び、地下深部に設置された監視カメラの映像や観測データが映し出されている。
画面の一つには、鈍く光る金属の立方体――“神の箱”が静かに映っていた。
しかし、その様子は以前とどこか違っていた。
「波形に乱れがあります。以前は安定していたリズムが、今は不自然にずれています」
鳴海がグラフの表示を指しながら説明する。
それは機械の誤作動のような単なるノイズではなかった。まるで何かに反応して動いているような、不規則なうねりだった。
「箱の方が“何か”に反応している可能性があります。何かを探しているような」
別のモニターで、地下に封印された別区画――例の“あれ”が眠る培養槽からの観測データが映し出された。
「……これは……動いてる?」
技術員の声に、鳴海が目を向けた。
「はい。深部の生体反応も変化しています。
神の箱と“あれ”は、別々のシステムではありますが……互いに影響し合っているようです」
誰かが小さくつぶやいた。
「まさか、本当に目覚めるのか……」
鳴海は短くうなずいた。
「はい。もしこのまま箱の状態が悪化すれば――“あれ”は確実に動きます」
鳴海はそっとマスクを整え、意を決して言った。
「箱の間に入ります。観測限界まで接近します」
「危険です」
「承知してます。けど、今のうちにデータを取らないと、何かが“起きてから”じゃ遅い」
一行は“神の箱”へと至る長いガラスの廊下に足を踏み入れた。
全員が”神の箱”の影響を受けにくいマスクを被っている。これでも完全に防ぎきることは出来ないが、いくらか効果はある。
周囲には淡い光が反射するだけで、異常は見当たらない。
(静かだ……)
"神の箱"が安置された部屋に足を踏み入れる。
ドーム状のその部屋は、床も壁も無機質な金属で覆われ、空気そのものが微かに振動しているような錯覚すら覚える。
部屋の中央、立方体の金属塊――"神の箱"が、静かに佇んでいた。
だが、どこかがおかしい。
圧力のようなものが視界にじわじわと広がり、脳の奥をかすかに締めつける。
台座まであと5メートルといったところだろうか、空間に、目に見えない“膜”のようなものが張られていて、進行を妨げられる。
機器がビリビリと反応を示し、視界の隅が滲むような錯覚に襲われる。
「……これ以上は危険です。感覚器に直接、干渉が入るレベルです」
鳴海が静かに言うと、護衛の一人が観測ユニットを指さす。
「その機器は……"神の箱"とやらの影響は受けないんですか?」
鳴海は手元の操作を止めることなく答える。
「干渉波を避ける特殊な波長で制御されています。このマスクと一緒ですね。
この空間での使用を前提に設計されたものですから、ある程度は動作可能です。でもここまでらしいですね」
彼女は箱に正面から近づくことを諦め、慎重に脇へとまわり込む。
目視ではわかりにくい、台座の構造を確認するようにしゃがみ込むと――
「……これ、なに……?」
鳴海の声が、わずかに上ずった。
台座の裏側。そこに貼られていたのは、一枚の古びた紙だった。御朱印のような印が、奇妙に歪んだ字体で刻まれている。
「記録を……」
震えを抑えながら、鳴海は静かに観測ユニットを構えた。
墨書で描かれたような不思議な図形――中心には蓮の花。周囲に梵字のような不可解な文字列。
そしてその下に、見覚えのある紋章。
「この紋……資料にありました。“ブッダマン”の記録……う……気持ち悪い……頭がふわっとする」
鳴海が額に手を当てながら、ゆっくりと立ち上がった。
装備を収め、一行は慎重に箱の間を後にした。
重たい扉をくぐり、再びガラス張りの廊下へと戻る。
廊下の先――反射する壁面の中に、奇妙な違和感があった。
最初に気づいたのは護衛の一人だった。
「……あれ、何か浮いてませんか?」
ガラスに映る“それ”は、最初は幻かと思えた。だが――
反射するガラスの向こう、ゆらりと何かが浮かび上がる。
巨大な“目”。
瞳孔を持ち、壁面全体を覆うほどの、まばたきひとつしない異形の眼球が、廊下の向こう側から、じっとこちらを――見ていた。
「――っ!!」
短く、抑えきれぬ悲鳴が漏れた。
警報は鳴らない。
だが、視線を合わせた瞬間、全身を締めつけるような“圧”が走った。
「離脱します!」
護衛が叫ぶ。一行は踵を返し、ガラス張りの廊下を駆け出す。
その瞬間、施設全体が――大きく、軋むように揺れた。
「地震!? いや、違う、これは……!」
誰かが叫ぶ。廊下の天井が軋み、ガラスの壁が波のように震える。
鳴海たちはそのまま、"神の箱"の背にし、退避経路へと走り去る。
――ふと振り返ると、あの“目”はもう消えていた。
だが、違和感は消えなかった。
背後の廊下からは、今もどこかで“何か”が脈打つような音が響いていた。
空間の歪みが収束せず、まるで“別のもの”が現れようとしているような、重く沈んだ予感が足元から伝わってくる。
地下奥深く――。
封印用の培養液タンクの内圧が、臨界を超えていた。
高密度の抑制液は、温度上昇と圧力変化によって白く気化し、装置全体が蒸気に包まれていく。
白煙の向こう。鈍く光る骨のような突起が、ゆっくりと浮かび上がった。
タンクの内壁を押し割るようにして、巨大な生物の背が持ち上がる。
装置の枠が歪み、鋼鉄が引き裂かれる音が響く。
中から現れたのは、角のようにねじれた前頭部を持つ、異形の巨体だった。
それは、音もなく――目を閉じ、そして大きく見開いた。
地上では、調査班が装甲車に乗り込み、山道を駆け下りていた。
土煙を巻き上げながら、車体がきしむ。
「急げ、ここはもう危険だ!」
護衛の声が車内に響く。
その直後、背後で“地鳴り”のような重低音が響いた。
車両の背後――山肌の一角が、盛り上がっていた。
乾いた地表に亀裂が走り、大地がうねるように持ち上がる。
土砂と瓦礫の中から、ゆっくりと立ち上がる影。
全長およそ八十メートル、黒き巨獣。
その姿が、世界に再び、現れようとしていた。
「引き金を引いたのが我々だという自覚はある。だが――いまさら指を離すつもりもない」
次回、『責任の所在が行方不明です(4)』




