美学で盗めないものはない(1)
ジョックス。
正式名称は Justice Opposition and Chaos Creation Syndicate。略してJOCCSである。
それは、地獄元帥を頂点とする悪の組織であり、厳格なヒエラルキーに支えられている。
怪人たちは、ドクター・マリアの手によって生み出された存在だ。
人造生命体ホムンクルスの技術に、動植物の特性を融合させることで創り出された彼らは、地獄元帥の超悪魔力を付与されることで、初めて完全な存在となる。
この超常的な製造法は、マリア一人の科学技術だけでは成し得ない。
地獄元帥の超悪魔力と、マリアの狂気と、メタルの機工技術――すべてが噛み合って、初めて“怪人”という奇跡が成立する。
怪人たちの中でも、特に際立った才能や能力を示した者は、上級怪人として組織内で地位を与えられた。
一方で、まだその域に達しない者たちは一般怪人として、幹部たちの指揮下で忠実に行動する。
戦闘員はさらにその下――
製造の過程で上等に達しなかったホムンクルスに機械工学の補強を施したサイボーグ兵だ。
知能は高くないが、命令には従い、最低限のコミュニケーションは可能。
しかし、自発的に話しかけたり、感情を交えた交流を試みることはない。
それぞれが、自らの役割を果たすために存在している。
それこそが、ジョックスにおける絶対の原則だった。
存在を許された怪人たちは、己の力と存在意義を、絶えず証明し続けなければならない。
――そして今。
上級怪人の一人、ジルカメスもまた、自らの価値を賭けた任務に挑もうとしていた。
神喰計画 《プロジェクト・デウスヴォア》を翌日に控えた夜。
円卓の会議室に、漆黒の影がひとつ――。
背筋を伸ばし、くるりと螺旋を描く尻尾を優雅に揺らしながら、ジルカメスは静かに立っていた。
裾の長い燕尾服のような軍装。尖った襟。鋭く磨かれたブーツ。そして、何よりも――完璧なシルエット。
片手に掲げた銀製の片眼鏡を磨き終えると、彼は会議室の鏡に映る自らの顔に、ゆっくりと微笑みかけた。
「美しい……ああ、今宵もこの私は、宇宙が許した唯一の芸術だ」
ナルシスティックな独白が、夜の静寂にすら調和して響いた。
ほどなくして、会議室の扉が無音で開く。現れたのはリザリス。
深い瑠璃色のローブが、彼女の身体を柔らかく包んでいた。
絹のような光沢を帯びた衣の裾が静かに揺れ、歩みのたびにわずかな音すら生まれない。
その装いは、寝所からそのまま現れたようでありながら、どこか緊張感すら帯びていた。
無表情のまま、彼女は彼の姿を正面から見据える。
「用件は?」
「遅い時間にお呼び立てしてしまい恐縮です。神喰計画の最中とは承知の上ですが、私、些末ながら気高き美を伴う“優雅な任務”を遂行したく、ご相談に参りました」
「美の……任務?」
「はい。“この私が出向かねばならない”と宇宙がささやく現場がございます」
リザリスは無言で椅子に腰掛ける。
「内容は?」
「舞台は、横浜の――“麗峰館ミュージアム”という美術館でございます。
地下金庫に保管されております文献、以前、首領の収集予定リストの中にもありました”禍胎録”の奪取でございます。
私の情報網により、麗峰館に所蔵されているという情報を得ました」
「”禍胎録”? で、首領にはすでに?」
「首領もお忙しいお方。事前のご報告の必要もない些細なミッションかと。私ひとり、あるいは“最小単位”で対応可能ですので」
「最小単位?」
「はい――私と、麗しのパートナー“ロゼリア”のみで十分かと。
ご存知、花の化身にして、優雅なる変身者。あの者の香気があれば、どんな警備網も、咲き誇る花畑に早変わり……」
リザリスは静かに目を閉じる。
「作戦名は決まっているのかしら?」
ジルカメスが、待ってましたとばかりに胸を張った。
「薔薇色の神託を抱いて夜を征すもの 《ノクターナル・ロゼ・オラトリオ》でございます!」
「…………まあいい。任務は許可する。自己責任で行え。以上だ」
「ありがとうございます」
ジルカメスは、扉の外へ歩み出ながら、コートの裾を翻す。
「この私が、美しく成し遂げてみせましょう。夜を――征しに参ります」
その言葉とともに、ジルカメスはくるりと回って会議室を後にした。
残されたリザリスは、長いため息をひとつ吐いた。
「作戦名……首領がおそらく変更なさるだろうな」
* * *
翌日、日差し豊かな午前。
横浜・港湾地区に佇む美術館"麗峰館ミュージアム"。
西洋の古典建築を模した白亜の外観に、東洋的意匠を巧みに融合させたその構造は、訪れる者に圧倒的な品格を印象づけていた。
その正面階段を、二人の人物が並んで上がってくる。
男は、栗色の髪を丁寧に撫でつけ、グレーのスリーピースを完璧に着こなした長身の紳士。
ひとたび歩けば、その足取りは無駄なく優美で、仕草は控えめにして計算された存在感を放っていた。
女は、真紅のドレスと同色の薔薇を髪に飾り、絹のグローブを指先まで行き届かせた細身の美女。
口元に浮かぶ微笑みと、その奥に隠された冷静な眼差しは、まるで香りを纏った刃のよう。
「ふむ……空気が良い。風の流れ、陽光の反射、庭の剪定に至るまで、悪くない構えだ」
ジルカメスが微かに目を細める。あくまで自身の美的基準で“合格”を出したらしい。
「ええ。こういう場所は、時として“格”に見合わぬ者たちで満ちているものですけれど」
ロゼリアが、冷たい微笑みを保ったまま応じる。
受付に立つ職員にさえ、ジルカメスは軽く礼をして名刺を差し出す。
「某国文化交流監査局よりの非公開審査視察でね。事前に連絡は送ってあるはずだが?」
穏やかな口調と、完璧に偽装された文書。
ロゼリアは既に、案内係との会話の中で“次回展示の搬出経路”について自然に情報を引き出していた。
そのまま二人は軽やかに館内を一巡し、スタッフ動線、非常口、監視死角、展示台のセンサーまで――
必要なすべてを、たった一時間の散策で掌握してしまった。
「夜が来る。光が沈み、闇が咲く。……よろしい。準備は整った」
「今宵、踊って差し上げましょうか。花と共に」
「いや、ロゼリア。花ではない。我らは“華”を咲かせるのだ」
その夜、ジョックスの転送室に、ふたりの怪人が現れる。
ジルカメスとロゼリアは、いつでも出発できる準備を終えていた。
ジルカメス――
深い紫と黒を基調とした貴族風の戦闘装束。
腰には自慢のレイピア、その名も 《カンタービレ・スティレット》。
肌は鱗模様が光の加減で反射し、全身にしなやかな美しさと凶気を漂わせる。
瞳は夜に馴染む深緑に変化していた。
一方のロゼリアもまた、人間形態時よりさらに引き締まった輪郭と、妖艶な赤の戦装束を身に纏っていた。
背には薔薇の棘を模したアームユニットが展開され、香気を操る細胞制御装置が左腕に内蔵されている。
「転送準備、完了しています」
戦闘員が静かに言う。
その声に、ロゼリアが、微かに息を整えているのがわかった。
「緊張しているのか?」
「会議室に招かれるよりは、ずっと落ち着いています」
ジルカメスはくすりと笑い、ロゼリアの肩に軽く手を置く。
「美術品は、眺めるものではなく、手にするものだ。今日はその“特別展示”をいただきに行くのだからな」
転送装置が淡く発光し、空間がゆっくりと歪む。
「目標、横浜――麗峰館ミュージアム・搬入口付近へ。出力、安定圏内」
戦闘員が短く報告を終えると、転送ユニットがふたりを包み込むように光を強めていく。
「――夜を征す、美の時間だ」
ジルカメスのつぶやきを最後に、ふたりの姿は光の中へと消えた。
「……香りは欺くためにあらず。優雅に進むための、お支度ですの」
次回、『美学で盗めないものはない(2)』




