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トロがとろけてなにが悪い!?

作者: 如月 和

 彼女は、刺身がとても好きだ。


 居酒屋に行っても先ずは刺身とビール。またかと呆れてみても、好きだからいいでしょと拗ねてみせる。だからお通しはあげると、目の前に並んだ二つの和え物を見て、また呆れてしまうのだ。


 僕は、刺身が苦手だ。


 子供の頃――おそらくは思い起こせる最古の記憶だと思う――に食べた刺身が、途轍もなく、猛烈に、さまざまな表現を駆使したいほどに口に合わなかった。それだけで酒が飲めるようになった今でも苦手でいられるのだから、それは余程トラウマとなっているのだろう。


 そんな僕を、彼女は放っておいてくれなかった。


 先ずはと注文するのは、刺身の盛り合わせとビール。これもその表現の一つだと、三度を越えてその光景を眺めれば、いやでも察するしかないだろう。


 けして僕に勧めてくることはしないけれど、必要以上に出てくる感想の嵐はとても表現豊で笑ってしまい、テレビバラエティーの食事リポートにも引けを取らないと、酒のつまみには困りそうもない。


 賑やかな空間には溶けてしまう声量だけれども、楽しさならどの席の人達にも負けないだろうと、その自信が、この二人だけの会を彩っていた。


 ――ある日のこと。


「マグロのー、大トロと中トロ、そんで赤身。どれが好きかな?」


 そんな彼女の質問に、僕は困ってしまって酒を呷るペースが早くなった。


 遂に食べさせられるのだろうかと、身構えて乾き出す口の中を酒で潤す。これがどのくらい続いただろうか。――彼女はカラカラと笑いながら、たった一言「見てたでしょ?」と呟き僕の目を指で指す。


 それは微妙なニュアンスの違いだったらしい。なる程、自分の好きな刺身を当てて欲しい、という、何気ないクイズであったのか。


「焼き鳥のタレがついている」


 誤魔化すように呟いた言葉を受けて、彼女は気まずそうに指を舐めた。その隙にテーブルの上に置かれた皿に隈無く視線を這わせるも、どれもこれも寂しげに空いている。


 全て食べ尽くしてから出題するあたり、狡いというのか賢いというのか。そんな彼女に呆れるのと同時に、すっと答えが出てこない自分自身にも呆れてしまう。


 こうして共に酒を飲み交わすのは、もう何度目になるだろうか。きっと、捲ったカレンダー――日捲りである――を元に戻すのに苦労するほどだ。


 それ程の月日の中で、彼女はどれだけの刺身を食べてきただろうか。選択肢を三つにまでに絞ってくれているというのに、きっと豊富な語彙で感想を言っていただろうに、僕はそれに答えられないでいる。


 外したら怒るのだろうか。――いや、そんなことで怒るような人ではないと、僕はよく知っている。アルコールの入った状態で完全に僕を欺けていられる、と言うのなら、敗北宣言を出さずにはいられないが。けれど、もしも、例えば外してしまったのだとしても、今度はよく見ていてよと、笑いながら刺身を注文するだけなのは目に見えている。


 僕達は、そんな関係なのだ。


 だからきっと、適当に、それこそ解んないとだって言っていいのだ。なのに何故だろうか。僕はその質問に真剣に答えてみたくなった。


「寿司にしたら、答えは変わってくる?」


 その問い掛けに、彼女は一瞬ポカンとした表情を見せる。しかし直ぐにいつもの柔らかな笑顔を浮かべ、ビールじゃなくて日本酒が飲みたくなってくるかな、と濁すかのような答えをくれた。


 この答えも、最初の質問と本質は同じだろう。彼女は最初にビールを注文する。そして次にハイボールや焼酎の水割りと言ったものを飲んで、最後に日本酒で締めると言うのがお決まりのパターンになっているのだから。


 つまりいつもの彼女の姿を思い出せば、最初に食べる刺身とは違い、最後に飲む日本酒に合わせたくなってくるものを考えれば良い。……いや、少し違うかな。


 通な人ならば、寿司を食べるときにその順番にも拘るものだという。先ずは淡泊なものから食べ始めていき、段々と濃いもの、脂ののっているものを食べるのだとか。


 刺身の苦手な僕にとっては、当然の如く寿司だって苦手の対象だ。だからこれは聞きかじった程度の知識ではあるのだが、……それを自信満々に話していたのは他ならぬ、彼女なのだから間違いない。


 要は、そう言うことを言いたいのだろう。会話の中で出来てたものを憶えていれば、順番から割り出せるよね、と。


 だとすると、選択肢は二つに絞られた。いや、順当にいけば答えは一つしかないだろう。自分の出した結論に自信がある所為か、普段よりも早くなったペースの所為で、酔いが深くなっているのだろうか。僕は自信満々にこう言いたくなってしまった。


「僕は君が大好きだから、きっと大トロじゃないかな」


 結果、この答えはいつまでもいじり倒される事となるのだけども、その話をする彼女はいつも柔らかな笑顔を浮かべ、豊富な語彙を披露するものだから、僕はやっぱり、酒が進んでしまうのだ。

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