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8.騒動

パーティーから戻ったアンナは、ぐったりと疲れ切った表情で自室のベッドに倒れ込む。どうして真夜中まで踊り明かさねばならないのだろう。もっと早くに帰って眠る方が健康に良い筈なのに。早く着替えて眠りたい。うだうだとそんな事を考えていると、寝間着を取りに衣裳部屋へ入って行ったグレースが小さな悲鳴を上げた。


「どうしたの?」

「いけません!そちらでお待ちください!」


青ざめた表情でそう言ったグレースは、アンナが衣裳部屋に近付かないように声を張る。何か起きたのだとすぐさま理解したアンナは、壁にぶら下がっている紐を何度も引き、使用人を呼んだ。


「何があったの!」

「蛇です!蛇が入り込んで…」


何か武器になるような物を探しているのが、グレースは部屋の中を見回す。暖炉脇に置いていた火掻き棒を見つけると、すぐさまそれを手にして衣裳部屋に戻って行った。


どうして衣裳部屋に蛇がいるのだろう。屋敷の庭には確かに茂みがあるが、そこにいた蛇が屋敷の中に入り込むとは思えないし、まして衣裳部屋の窓から入り込むには木なども無い。伝って来られるような場所は無い筈なのに何処から?と首を捻っているうちに、何事かと慌てて走って来たメイドが部屋の扉を開いた。


「奥様、お呼びでしょうか」

「誰か男性の使用人を呼んでくれる?蛇がいるらしいの」

「蛇ですか?!」


狼狽えるメイドの後ろから、バトラーも様子を見に来たようで顔を出してくれた。恐らく普段とは違う紐の引き方をしたせいで、何かあったのかと駆けつけてくれたようだ。


「バトラー、蛇がいるんですって。貴方、蛇は怖くない?」

「蛇?!奥様、危険ですのでこちらへ…」


失礼しますと一言残し、バトラーはグレースがいる衣裳部屋へ駆け込む。中からはグレースが奮闘している声や、バトラーの小さな悲鳴が聞こえてくるのだが、いつまで経っても蛇は捕まらないようだ。


「ちょっと…蛇はどこ?」

「こちらに…いけません、噛まれてしまうかも…」


帽子が入った箱を積み上げている場所を指差したグレースは、しっかりと火掻き棒を握りしめている。そっと箱の影を覗き込んだアンナは、大騒ぎする程大きくも無い蛇を見つけて溜息を吐いた。


この程度の蛇で騒ぐなんてみっともない。実家にいた頃はもっと大きな蛇を何度も見た。因みに皮を剥いで焼くとそれなりに美味なのだが、今それを言うとグレースが倒れてしまいそうなので言わない事にした。


「退いて」


オロオロしているグレースを押し退け、アンナは蛇の首をしっかりと掴む。噛まれないように注意はしているのだが、そう大きくもない蛇はあっけなくアンナの手の中だ。


「何処から入ったのかしら?」

「危険です!」

「大丈夫よ、この蛇毒なんて無いから」


けろりとした顔でそう言ったアンナを、信じられないとでも言いたげな顔で見つめるグレースの隣で、バトラーはあんぐりと口を開いて固まっていた。


「ちょっと庭に逃がしてくるわね」

「わ、私が」

「バトラー、本当は蛇苦手でしょう?顔が青いもの」


手を差し出すバトラーの顔色をからかうと、アンナはさっさと部屋を出て廊下を進む。アンナの部屋で騒ぎがあった事に気が付いたのか、エリオットが自分の部屋を出て此方に向かってくるのが見えた。


「アンナ、何か…」


妻の手に握られたにょろにょろとした生き物に気が付いたのか、エリオットの言葉は続かなかった。もう一度同じ説明をしても良いのだが、腕に絡みつく蛇は早く解放してやりたい。どうやって部屋に入り込んでしまったのかは知らないが、早く自然に帰してやった方が良いだろう。弱ってしまっては可哀想だ。


「この子がかくれんぼをしていたようで…庭に放してきます」


一緒に行くと言い出したエリオットと並んで歩きながら、アンナは腕に絡みついて締め上げてくる蛇の尾をぺりぺりと剥がす。痣になる程の力は無いだろうが、赤くなったりしたら嫌だった。


「どうしてアンナの部屋に蛇なんて…」

「さあ…衣裳部屋にいたところをグレースが見つけたのです。何処から入り込んだのでしょうね?」


ふうと小さな溜息を吐いたアンナの隣で、エリオットは顔色を悪くさせる。妻の部屋に蛇が居たともなればその反応は当然の事なのだろうが、今のアンナは疲れているのだ。今着ているドレスを脱いでさっさと休みたいのに、この小さな蛇のせいでまだ眠る事は出来そうにない。


「お前のせいで眠れないわ。どうしてくれるのかしら」


ツンツンと蛇を突きながら文句を言うアンナの隣で、エリオットは何とも言えない表情をした。普通の貴族女性ならば、蛇を見たら悲鳴を上げて逃げ惑うのが常の筈。ところがアンナは悲鳴を上げるどころか手にしっかりと掴んで話しかけてまでいるのだ。


普通の男爵令嬢ではなかったアンナにとって、蛇を捕まえるなんて造作もない事。それを、エリオットは知らなかった。


「君は…一体どんな生活をしていたんだい?」

「どうと言われましても…雨漏りは当たり前、壁にも小さな穴が開いていて、蛇や鼠が追いかけっこをしている姿はよく見ましたね。食糧庫に鼠が入り込んでしまうので、駆除する為に蛇を捕まえて放ってみたり…」


近くの林に行けば、蛇を見つける事はよくあった。何匹か捕まえて食糧庫に放ってしまえば、食料を奪う小さな盗賊はあっという間に姿を消した。つまりアンナにとって蛇とは、恐れる相手ではなく心強い用心棒なのだ。


二人で階段を降り、玄関ホールに降り立つ。エリオットが開いてくれた扉を潜り抜け、アンナは蛇を逃がすのに丁度良さそうな茂みを目指して歩き出した。


真夜中の空気は冷える。露出している肩や背中に感じるひやりとした空気に体を震わせていると、ふいに肩に温もりを感じた。


「寒いからね、掛けておいて」

「ありがとうございます」


着ていた上着を掛けてくれたエリオットにお礼を言ったは良いが、何となく胸がドキドキとして落ち着かない。つい数時間前まで夫婦として公の場に出て、手を取り合ってダンスをしたり、エスコートをされていたというのに、上着を掛けてもらったというだけで、まるで初めての恋をした少女のようになってしまうのだから情けない。


「その…やはりブルックスは優秀ですね!この子を逃がしてあげられる場所が見つからない程見事に手入れされています」


歩きながら庭を見渡すが、どこもかしこも丁寧に整えられており、蛇を逃がしてやれるような茂みが見つからない。時々庭を散歩しているのだが、いつもアンナの目を楽しませてくれる。


「あ…ここなら良さそうです」


低木が植えられている場所を見つけ、アンナは膝を折って蛇を地面に降ろしてやる。絡みついていた蛇はそそくさと茂みの中に体を滑らせ、すぐに姿は見えなくなった。


「任務完了だね。戻ろうか」

「はい、お付き合いいただきありがとうございました」


真夜中に庭を散歩するのは悪くないが、流石に少し冷える。何より、ダンスを踊ったり周りに気を遣っている時間が長かったせいか、疲れていて早く眠りたい。


「眠りたいだろうけれど、今夜は部屋に戻ってはいけないよ。まだ蛇がいるかもしれないから、誰かに部屋を確認させてからじゃないと…」

「では、私は今日は眠れないのですか?」


それは流石に困る。サッと顔を青くさせたアンナの隣で、エリオットは小さく声を漏らして笑った。


「夫婦なんだから、私の部屋に来たら良いよ」

「え」

「大丈夫、流石に今夜は私も疲れているからすぐに休むよ」


結婚式の日にエリオットとは夜を共にしているが、その後は何も無いまま。突然の誘いに困惑しているアンナの表情が面白いのか、エリオットは声を震わせながら「何もしない」と繰り返した。


「どうしても嫌なら私はソファーで眠るから、君はベッドで休みなさい」

「い、いえ!エリオット様がベッドで…」

「レディをソファーで眠らせるなんて出来ないよ」

「…それでは、二人で」


バクバクと心臓が煩い。これは緊急事態だから仕方のない事。夫婦なのだから同じベッドで眠っても何の問題も無いし、エリオットは今夜は何もしないと言った。約束を違えるような人ではないと知っているし、変に意識をしているのはアンナだけだ。


「今夜は冷えますね」

「そうだね。二人で眠れば温かそうだ」


けろりとした顔でそう言うのは、二人でベッドに入る事に慣れているせいなのだろうか。それとも、ただ跡継ぎを産むためだけの結婚だからなのだろうか。


少しも、女として見てはくれていないの?


ふいに心に浮かんでしまった疑問が、アンナの胸をずっしりと重くさせた。


◆◆◆


エリオットの腕の中は温かい。最初は並んでベッドに入っただけだったのだが、寒いと体を震わせたアンナをエリオットはすぐさま腕の中に閉じ込めた。

ぎくりと体を強張らせてしまったが、エリオットは安心させるように優しい声色で話しかける。


「今日はお疲れ様。ピーターは私の古くからの友人でね。まさかソフィアと結婚するとは思わなかった」

「ソフィアさん、とても面白いお方でした。お式に呼んでくださると良いのですけれど」

「どうかなあ…元夫が式に行くのはあまり良くないかもしれないね」


そういえばそうだったと思い出し、何となくアンナの心がざわついた。


ソフィアはエリオットに恋をしていたと言った。今はもうその気持ちは無いのかもしれないが、元は夫婦であったのだから、もしかしたらすぐにその気持ちが再燃してしまうかもしれない。そうなった時、公爵家の令嬢であるソフィアと張り合って勝てるのかどうか自信が持てない。


よく考えれば、ソフィアはピーターの妻となるのだから、そのような事にはならないのだろうが、今のアンナは有り得もしない「もしかして」を考えて不安だった。


「お美しい方でした」

「そうだね、ソフィアは美しい人だ」


自分が言った言葉なのに、肯定された事に傷付いた。自分ではない他の女性を美しいと言われただけでこんなにも胸が苦しくなる。この感情が何なのか分からず、アンナはぎゅっと目を閉じて眠ろうと努力をし始めた。


「アンナは美しいというよりも可愛らしいから…今度アンナに似合うドレスを作ろうね。何色が良いかな…淡い紫なんてどうかな。お揃いのタイを一緒に作って、庭でパーティーでも開こうか」


つらつらと楽しそうに笑うエリオットは、ゆったりとした手付きでアンナの頭を撫でる。可愛らしいと言われた事も、アンナの為にドレスを作ってパーティーをしようと誘ってくれる事も嬉しい。頭を撫でられる感覚にふわふわと気持ちが浮ついた。


「他にも何か欲しいものはない?一緒に注文してあげる」

「何不自由しておりません。毎日綺麗なドレスを着て、美味しい物を沢山食べて…私には贅沢すぎる程ですわ」

「そう?もっと贅沢しても良いんだよ」


散財が原因で離縁した経験があるというのに、贅沢をしても良いと言うエリオットの言葉は何だか面白かった。クスクスと笑えば、エリオットも一緒になって小さく笑う。広いベッドの真ん中で、新婚夫婦はぴったりと身を寄せ合って笑い合っていた。


「あの日、私に妻になってほしいと言ってくださったから、私はこうして毎日何不自由なく生活出来ているのです。実家の家族たちも…感謝してもしきれません」

「それは良かった」

「何故、私だったのですか?」


深くは考えずに口にした言葉。どうせ不名誉な二つ名のせいで他の貴族令嬢たちから縁談を断られ続けていて、たまたま目の前に訳アリ令嬢がいたから声を掛けただけだという事くらい分かっている。


分かっていても、エリオットの言葉でそう言われたくは無かった。


「やっぱり言わないで」


エリオットが口を開くより先にそう言って、アンナはぎゅうとエリオットの胸に顔を埋めた。今は何も聞きたくない。規則正しく刻まれる夫の胸の音だけを聞きながら、疲れ切ったアンナはゆっくりと意識を手放した。

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