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17.夫の後悔

ローラを追い出してから一週間が経った。突然実家に送り帰した事で、ロージアン伯からは文句を言われたが、何があったのかを懇切丁寧に説明してやれば、娘が申し訳なかったと頭を下げられたらしい。

これはエリオットから聞いた話で、アンナはその場に居なかったのだが、悲しそうな顔をしていたエリオットの頭を撫でてやっているうちに、幼い頃の思い出話をされてしまった。


昔は本当に体が弱く、倒れる度に心配になって部屋に顔を見に行ったり、元気な日は散歩をしたり、一緒に本を読んだりしていたそうだ。成長するにつれ少しずつ元気になってきた事には気が付いていた。ローラから向けられている感情にも気が付いていたのだが、母であるエミリーは、エリオットとローラが恋仲になる事を許さなかった。


エリオットも、ローラは妹のような存在としか思えなかったし、従妹と結婚しても利益が無い。親戚同士での結婚は、金銭的な面や多産で子供を望む事が出来るなどの理由が無ければする意味は無い。


グルテール伯爵家は金銭的に困っている事もないし、病弱なローラが子供を産む事が出来るのか不安であった為、結婚する意味が無かったのだ。


元気になっても追い出せなかったのは、エミリーに理由があった。


ローラの父は、エミリーにとっては弟だ。幼い頃、エミリーは弟と遊んでいるうちに怪我をさせてしまった。おかげで大きな傷を右足に残す事になり、エミリーはずっとそれを悔いていた。だからこそ、娘を預かってほしいという申し出を断る事が出来なかったし、そのまま預かっていてくれという言葉にも逆らわなかった。


歩行に問題無く普通に生活が出来ているというのに、そこまでいう事を聞かなくても良かったのではと思ったが、そこは姉弟の間での話であり、アンナが口を挟む事ではない。


もうローラはいない。それで良いと思う事にしたのだが、エリオットはそうではないようで、体調を崩して寝込んでしまっている。


「エリオット様、入っても宜しいですか?」


コンコンコンとノックをしてから声を掛けたのだが、エリオットは眠っているのか返事がない。昨日まで何とか動き回っていたのだが、夕方にロージアン伯が頭を下げに来てから部屋に籠ってしまっている。


返事は無いが、そっと扉を開いてみる。ベッドの布団はこんもりと膨らんでおり、エリオットが布団に包まっている事が分かった。


「暑くないのかしら」


ぽそりと呟き、ベッドの端に座ったアンナは布団を少しだけ持ち上げて中を覗き込む。まるで胎児のように丸まっているエリオットの顔は見えないが、身じろぎをしているようで、何となく起きているような気がした。


「お腹は空いていませんか?何か持ってこさせましょう。それとも、私が何か作りましょうか」

「…いらない」


起きているではないかと口元を緩め、アンナは布団の中に腕を突っ込み、エリオットの手をそっと握った。温かい手がアンナの手を握り返す。拒否はされていない様子に安心しながら、アンナは優しい声で話し続けた。


「最近忙しかったですから、今日はゆっくり休みましょうね」

「うん…」


話はしてくれるが、動く気にはならないようで、エリオットはしっかりとアンナの手を握ったまま布団の中に閉じこもったままだ。

さてどうしようと考えていると、ふいにエリオットが話し始める。布団のせいでよく聞こえないが、どうやらアンナに謝っている事は何となく分かった。


もごもごとして聞こえない事に少し苛立ち、アンナはそっと布団を持ち上げて頭を突っ込む。中にいたエリオットは驚いたようだが、にっこりと微笑んでいるアンナの顔を見て、すぐにシーツに顔を埋めてしまった。


「すみません、よく聞こえなかったものですから」

「…ごめんね」


ぽつりと謝る声に、アンナは小さく笑う。

どうして謝るのかと問いかけると、エリオットはぽつぽつと過去の出来事を話し始めた。


かつての結婚生活の事を話しているのだと分かり、アンナは黙ってエリオットの言葉を聞いた。


「私は三人もの女性を不幸にしてしまった。だから君の事は、大切に、幸せにしてあげたいと思っていたのに…ローラがとても酷い事をしてしまった。守れなくて、ごめん」


最初の妻は心を病んだ。二番目の妻は男に逃げた。三番目の妻は買い物に逃げた。守らねばと思っていたのに、守る事が出来なかったと未だに気に病んでいたようで、エリオットはスンと鼻を鳴らす。


「母上が原因だと思っていたんだよ。言葉がキツイから、仲良くやれないから疲れてしまったんだと。でもそれだけが理由じゃなかったなんて」

「お義母様は良いお方ですよ。確かに少し…厳しい事も仰いますが、仰る事に間違いはありませんもの」


よしよしとエリオットの頭を撫でながらアンナは言う。義母であるエミリーと仲良くするのは大変だと思う。気位の高い女性ならば、口煩いエミリーを嫌うのは無理もない話。アンナがエミリーを悪く思っていないのは、自分が伯爵家の夫人として未熟である事を理解している事と、元々気位の高い貴族令嬢ではなかったという事も理由なのだろう。

もう少し優しく言ってくれても良いじゃないかと思う事もあるが、エミリーは叱る時は叱るが、褒める時は褒めてくれる。ご褒美だと言って甘いお菓子を与えてくれたり、もう私には似合わないからと、金細工の指輪をくれた事もある。


「まさか、ローラが嫌がらせをしていたなんて」


ぽそりと呟いたエリオットは、落ち込んでいるのかシーツに顔を押し付けたまま動かない。泣かないでと頭を撫でてやったのだが、やはり動かないエリオットを前に、アンナはどうしようかと困り果ててしまった。


「私はあの子が本当に病弱で、か弱い子だと思って…守ってあげなくてはと思っていたんだ。でも…全部嘘だったなんて」


途中までは本当だったのかもしれない。病弱だったのも、か弱かったのも本当。誰かに守ってもらわなくては生きていけなかったのかもしれないが、健康な体を手に入れる事が出来ていたのだから、エリオットに想いを寄せているのなら真正面から想いを告げれば良かったのだ。


「騙されたと怒るべきなのか、それともあの子の嘘を見破れず、妻たちを守れなかった己を恥じるべきなのか…どっちなんだろうね」

「怒って良いのではありませんか?エリオット様は心からローラさんを心配していらしたのですから」


動かないエリオットの頭を撫で、アンナはにっこりと微笑む。アンナの顔は見えていないだろうが、それでも笑う事で安心してくれたら良いなと思った。


「三人もの女性を、不幸にしてしまった」

「それ、前も仰っていましたけれど…本当にそうでしょうか?」


少なくともソフィアは幸せそうにしている。新しい婚約者の話をしている彼女はとても穏やかに、幸せそうな顔をして微笑んでいた。エリオットとの結婚生活はあまり幸福ではなかったのかもしれないが、それでも今幸せに生きているのならそれで良いのではないかと思った。


「ソフィアさんは幸せそうでしたもの」

「…二人の女性は」

「それは分かりませんけれど…」


これ以上どうやって慰めたら良いのだろう。会った事も無い女性が幸せかどうかなんて、アンナに分かる筈もない。想像であれこれ勝手な事を言うのは簡単だが、それでは慰めにならないような気がする。


「…ごめんよ。君にこんな話をしても困らせるだけなのに」

「いえ…話して楽になるのなら、いくらでも聞きますよ」

「話を聞いてもらうより、二人で楽しい話をしたいな」


漸く顔を見せてくれたが、エリオットの目尻は薄らと濡れているように見えた。それに気が付かないふりをして、アンナは穏やかな声色で話し始める。


「そうですねぇ…まだ結婚したばかりですが、お義母様から跡継ぎを期待されておりますし、子供の名前でも考えますか?」

「気が早くないかい?」

「未来の事を考えた方が楽しいですよ。子供の名前以外なら…領地に戻ったらすぐに聖夜祭でしょう?大きなツリーを飾りましょう!私の実家では盛大にお祝いなど出来ませんでしたから」


子供なら皆楽しみにしている冬のお祭りなのだが、アンナは聖夜祭にあまり楽しい思い出は無い。ツリーの下にプレゼントが置かれているのだが、アンナはいつも家計に無理のない金額のプレゼントを強請るだけ。本当は可愛いぬいぐるみが欲しかったのだが、それはたった一つで二週間分の食料を買える金額だった為諦めた記憶がある。


「聖夜祭は少し先だけれど…そうだなあ、領民も招待してみようか。屋敷の大広間を開いて、沢山の料理とお菓子を準備するんだ」

「お土産にケーキを用意しませんか?冬場は食糧確保も大変ですし」


ベッドの中で話すには少々色気の無い話だが、グルテール伯爵領の冬は厳しい。沢山の雪が降り積もり、領民たちは秋の間に貯めておいた食糧を少しずつ食べているのだ。


甘いケーキをお土産に持たせてやれば喜ばれるかもしれない。保存食にもなるし、良い考えだと賛成してくれたエリオットの顔は、とても穏やかな顔だった。


◆◆◆


「奥様!俺がやりますから!」


大慌てでアンナを止めているのは庭師のブルックスだ。生き生きとした表情で楽しそうに袖を捲っているアンナは、山積みにされた石灰を前に目を輝かせていた。


ケリーによって塩水を撒かれてしまった庭の一角の土を綺麗にすべく、エリオットは大量の石灰を用意してくれた。これから土を掘り返し、そこに石灰を混ぜる作業をするのだ。


「だってこれを一人で撒くなんて大変でしょう?二人でやった方が早いわよ!」

「伯爵夫人の仕事ではありません!俺の仕事を奪わないでくださいよ!」


石灰とアンナの間に体を捻じ込んだブルックスは、ぶんぶんと首を横に振って抵抗しているのだが、アンナは庭師の言う事を聞く気がないようで、邪魔だと言いながら石灰入りの袋に手を掛けた。


「アンナ!」

「うぇ…お義母様」

「使用人の真似事はやめなさいと何度も言っているでしょう!ブルックス、その小娘を屋敷まで担いでちょうだい!」


苛々と眉間に皺を寄せながら歩いて来たエミリーは、ブルックスの背中に隠れたアンナを睨みつける。屋敷の中でアンナが何かしようとしている事に気が付き出てきたようだ。


「で、でもお義母様…ここに今度は私の好きなお花を植えてもらおうと思って…」

「お黙りなさい!最近少しはマシになったと思っていたのに…まだ私の教育が足りなかったのかしら?」

「奥様、ここは引いた方が…」


コソコソと自分の背中に言ったブルックスの声に、アンナは悔しそうに「うぐぅ」と呻く。腕を組んで仁王立ち状態のエミリーは引く気が無いようで、アンナは諦めてブルックスに仕事を任せる事にした。


「宜しい。ブルックス、人手が足りなかったら誰か呼ぶと良いわ」

「はい、大奥様。お心遣い感謝致します」


深々と頭を下げたブルックスに、エミリーは満足げに小さく頷いた。そっと逃げようとしていたアンナの腕を掴むと、今度はじとりと睨みつけ、「来なさい」と低く唸る。


「あの…未遂ですから!」

「お黙りなさい。未遂でしょうが何でしょうが、伯爵夫人らしからぬ行動は控えなさいと何度も言っているでしょう!」

「ひぃ…え、エリオット様!味方を呼ばせてください!」

「あの子は外出中よ!」


ぎゃあぎゃあと大騒ぎをしている嫁姑を見送るブルックスは、微笑ましそうにそのやり取りを見ているのだが、アンナは今すぐに逃げ出したい。夫という最大の味方がいないのだから、これから数時間はエミリーのお説教を一人で受けなければならないのだから。


「お義母様!お出かけの予定ではなかったのですか!」


そういえばと思い出し、アンナは苦し紛れにそう言ったのだが、エミリーは「外出は取りやめになった」と睨みつけてくる。エミリーが出かけると思ったから庭仕事を手伝うつもりだったのに、計画が台無しだ。


「お義母様何卒…何卒短時間で…」

「貴方が改心しないからよ」


どこからこんな力が出てくるのだと信じられないような物を見るような目でエミリーの腕を振り払おうとするのだが、どう頑張ってもそれは出来なかった。

ずるずると屋敷まで引きずられるアンナが解放されたのは、昼をとっくに過ぎてからの事だった。


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