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16.追い出せ

ケリーが叫びながら連れて行かれたせいで、屋敷で眠っていた人々は残らず目を覚ます事になった。それはエミリーも同じで、不機嫌そうな顔をしながら寝間着にガウンを着た状態で廊下に出ている。


「何事なの?」

「お義母様、お騒がせして申し訳ございません。少し…騒ぎがありまして」


曖昧に微笑んだアンナは、ここ数日の不測の事態をエミリーに報せていなかった事を思い出す。どこから説明しようかと考えていたのだが、ふいにもう一室扉が開いた部屋があった。ローラの部屋だ。


「何かあったのでしょうか…?」


不安げな顔をしているローラは、眉尻を下げて怯えているように見えた。アンナはその表情を見てフンと鼻を鳴らしたのだが、隣に立っていたエリオットは何から言えば良いのか分からないようで、何とも言えない顔をしている。


「ローラさん、お話ししなければならない事がありますの。少しお時間いただける?」

「こんな時間にですか?」

「ええ、今すぐ話さなければ」


目を細めるアンナに引き下がる気が無い事が分かったのか、ローラはぎゅっと唇を引き結んで見つめ返してくる。どこで話そうかと考えていたが、ローラはどうぞと言って部屋に招き入れてくれた。


「エリオット様、お義母様に説明をお願いしてもよろしいでしょうか?私はローラさんにお話ししたい事が山ほどありますから」

「私も一緒に…」

「いえ、私だけで。女同士の方が話が捗りそうですもの」


うふふと笑ったアンナは、ローラがエリオットに助けを求めるような視線を向けている事に気が付きながらも、あえて無視をして後ろ手に扉を閉めた。


不安げな顔をしているローラは、いつものように胸の前で手をもぞもぞと動かしながら、アンナに椅子に座るよう勧めた。


「あの…何があったのですか?」

「ケリーを追い出したわ。今頃部屋で荷造りをさせられている筈よ」

「何ですって!」


サッと顔色を悪くさせたローラは、その場でぶるぶると震え始めた。随分大袈裟だなと呆れたが、ローラはオロオロとした目でアンナを見つめて口を開く。


「何故、私の世話係を追い出すの?」

「あら、理由なら貴方が一番よく分かっているでしょう?世話係に命令をして、散々嫌がらせをしてくれたのだから」


にんまりと笑ったアンナは、ケリーが何をしたのか一つずつ説明してやった。おかげでどれだけ大変だったかも聞かせてやったのだが、椅子に座って話を聞いているローラは、徐々に悔しそうな顔になりながらアンナを睨みつけて来た。


「全く…どれだけの損害だか分かっているのかしら?」


どうしてくれるのだと怒るアンナに、ローラは困惑しているように見えた。きっと「怒るところはそこなのか」と考えているのだろうが、アンナは大真面目に怒っている。


嫌がらせをするのならすれば良い。だが、その結果グルテール伯爵家に金銭的な打撃を与える事は許せなかった。


「ソフィアさんたちをお迎えする日の損害は大体金貨五枚。使用人たちに無駄な仕事をさせてしまったから給金に色を付けなくちゃいけないわ。そうなると更に銀貨三十枚!お庭も台無しになっているから、手入れをし直すのにまたお金がかかるのよ?貴方これがどういう事だか分かっているの?」


つらつらと喋り続けるアンナに気圧されているのか、ローラは何も言わなかった。この女は何を言っているのだと言いたげな顔をしている事は何となく分かったが、文句を言い始めたアンナは止まる事が出来なかった。


「これだから生まれながらの金持ちは!良い?お金は無限じゃないの、有限なの!銅貨一枚だって無駄にしてはいけないの!貴方は私に嫌がらせをする為だけに大金を使わせる事になっているのよ!これは私だけじゃない、主であるエリオットにも迷惑をかけているって分からないの?!」


ぎゃんぎゃんと吠えるアンナは興奮のせいで体をテーブルに乗り出していたが、ローラは近付かれた事に怯えたように体を引いている。


「あの…ケリーがやった事ですよね?どうして私を責めるような事を言うの?」


やっと喋ったかと思えば、自分は悪くないとでも言いたげな言葉を吐き捨てた。それがどうしても気に入らなくて、アンナは自分の頭をガシガシと掻き回し、大袈裟な溜息を吐くと、偉そうに腕を組んでふんぞり返りながら言った。


「言ったでしょう?ケリーは貴方に命令されたからやったと言ったわ」

「命令なんてしていないわ」

「お願いしただけ、と言うのなら無駄よ。貴方にとってはお願いでも、ケリーにとっては命令だったのかもしれないわ」


素直にごめんなさいと謝るとは思っていなかったが、忙しなく指先を動かすローラは、どうやってこの場を切り抜けるか考えているのだろう。視線もうろうろと動き回って落ち着きが無いし、顔色も何となく悪いように見えた。


「また倒れてみる?私はエリオットのように優しくないから心配なんてしないけれど」

「酷い人…」

「何とでも言いなさい。夫に纏わりつくコバエを追い出せそうで気分が良いわ」


ニコニコと嬉しそうに微笑むアンナに、ローラは憎しみを込めた目を向けた。血走った目を向けられるような経験は無いが、見てみると少し恐ろしい。


「貴方が出て行けば良いじゃない。貴方は他人でしょう?どうして貴方なんかに偉そうにされなくちゃいけないのよ!」

「私がグルテール伯爵夫人だからよ。偉そうなんじゃなくて、貴方よりも身分は上なの」


ローラの身分はロージアン伯爵令嬢。対してアンナはグルテール伯爵夫人。誰がどう見ても、アンナの方が身分は上だ。それを分かっているのかいないのか、ローラは悔しそうな顔をしながら「貧乏育ちのくせに」と呟いた。


「悔しかったら私より上の身分になってみたら?そうねぇ…公爵家の夫人とか?同じ伯爵夫人でも家格が上のお家に嫁いだら良いわよ。相手を見つける為にも早く社交の場に出たら?健康なのだから、いつまでも屋敷に引き籠っていないで」


ふふんと挑発するように笑ったアンナに腹が立ったのか、ローラはぎゅっと拳を握りしめながら震えている。

貴族にとって身分による序列は絶対。それくらいは分かっているようだ。


「またエリオットに泣きついてみる?今頃お義母様に何が起きていたのか説明しているでしょうから、味方をしてくれるかは分からないけれど…」


ぶるぶると震えているローラは、敵意を込めた視線をアンナに向け続ける。黙ってはいるが、どう見ても怒っている事は分かった。


「入るわよ」


ノックもせずに開かれた扉から、エミリーが息子を連れて入ってくる。アンナがそちらに振り向けば、エミリーの顔は恐ろしい程怒りに満ちている。

アンナがごくりと喉を鳴らして唾液を飲み込むと、ローラはパッと表情を変えてエミリーに縋りついた。


「伯母様、アンナさんが酷い事を言うの!」


涙ながらにそう訴えるローラは、絶対に自分の味方をしてもらえるとでも思っているのだろう。きっと、今まではそうだったのかもしれない。だが、アンナはローラをこれ以上屋敷に置いておくつもりはないし、エミリーもきっと同じ考えだと思っている。


「実家に戻る支度をなさい。メイドを一人呼んであげるわ」

「え…?」


ひくりと口元を引き攣らせたローラは、信じられないと言いたげな視線をエミリーに向ける。どうして庇ってもらえないのか分からないようで、困った顔でエリオットを見た。


「エリオット…貴方まで私を追い出そうとはしないわよね?」

「…君を、これ以上我が家に置いておく理由は無いよ」


絞り出す様に震えた声でそう言ったエリオットは、ローラから視線を逸らす。ゆっくりと歩き、アンナの隣に立つと、妻の細い肩を抱き寄せて言う。


「朝になったら実家に送り返す。丁度ロージアン伯も王都にいらっしゃるだろうから、丁度良いよ」

「は…?」


エミリーに縋りついたまま動きを止めたローラは、どういう事なのか理解出来ていないようで、視線だけが忙しなく動いている。

散々人を使って嫌がらせをしていたくせに、自分でどうにかするという事を知らないようだ。


「ローラ、貴方は金輪際当家の門をくぐる事を許しません」

「伯母様…どうして?お父様との約束はどうしてしまったの?」

「もう充分でしょう。それに、貴方を置いておくと面倒事ばかり起こされるようですから」


しらっとした顔でそう言うと、エミリーは体を引いてローラから距離を取る。三人から冷たい視線を向けられている事に気付き、ローラは顔色を悪くさせながら胸を押さえて倒れ込んだ。

いつもの発作だろう。やれやれと溜息を吐き、アンナはにっこりと微笑みながら言った。


「またいつもの発作ですか?もう騙されませんけれど」


アンナの声に反応する事無く、ローラは床に倒れ込んだまま動こうとしない。きっと誰か助けてくれる、エリオットが心配してくれると思っているのだろう。だが、エリオットはアンナの肩をしっかりと抱いたまま動こうとはしなかった。


「砂糖を舐めれば、元気になる?」


悲しそうな顔でそう言うと、ローラはスッと顔を上げてエリオットを見つめた。その顔は、表情を全て消し去った、何とも言えない不気味な顔だった。


「そう…貴方まで私に酷い事を言うのね。その女が何か言ったの?その女が来るまでは優しい人だったのに」


じっとエリオットを見つめるローラの真っ青な瞳には温度を感じない。ひやりと背中が冷たくなり、アンナは無意識に拳を握りしめていた。


「どうしていつものように優しくしてくれないの?いつもなら優しく抱き上げてベッドまで運んでくれるじゃない」


ゆらりと立ち上がったローラは、無表情のままフラフラとエリオットに向かって歩き出す。その様子が恐ろしく思えて、アンナは僅かに体を引いた。


「君を信じていたからだ。妻たちは皆、君を追い出してくれと言ったよ。でも、君が病弱で、うちにいた方が良いと思ったから応じなかった」


そこまで言って、エリオットは腕の中にアンナを閉じ込める。ローラがアンナに何かするとでも思ったのだろうが、この行動がローラの怒りを買った。


「離れなさいよ!アンタのせいで私の家族が壊れてしまうんだわ!アンタさえいなければ完璧だったのに!」


血走った目を向けながら喚くローラは、全てアンナが悪いのだと言葉を続ける。

アンナが来てから全てが狂った。エミリーがまた妻を追い出してくれると思ったのに、どういうわけだかアンナを気に入ってしまった。エリオットも新しい妻を気に入り、大切そうに見つめながら毎日出かけていく。

ローラが倒れたらいつも通り運んでくれるが、医師が来たらすぐに部屋から出て行って、妻の元へ行ってしまう。気に入らない。今までは「一緒にいて」と言えば居てくれたのに。どうしてアンナが待っているからと出て行ってしまうのか分からない。


「借金まみれの男爵令嬢のくせに!この女の何が良いの?お金で買われた女じゃないの!そんな女より私の方がエリオットの妻に相応しいのに!」


ローラの言葉が、今度はエリオットの怒りを買った。ゆっくりと、細く息を吐いたエリオットは、出来るだけ静かな声色で言った。


「私の妻を侮辱するつもりかな?」


怒りを抱いたエリオットの顔は恐ろしい。そっと見上げた事を後悔しながら、アンナはそっと視線を下げた。

睨みつけられているローラは僅かに震えているが、まだアンナを罵倒したいようでうっすらと口を開いている。


「金で買った妻だと言いたいのなら言えば良い。高い買い物だったが、とても良い女性を迎える事が出来たよ」


あ、それ言うんですねと心の内で言いながら、アンナはまだ怒りに震えているエリオットの腕を優しくトントンと叩いた。少し落ち着けと言いたかったのだが、エリオットはまだ落ち着いてくれないようだ。


「アンナを失うくらいなら、血の繋がった親戚を切り捨てるくらい簡単なんだよ。それに、君は随分派手にやってくれたからね。これ以上我が家に置いておくことは出来ない。これは従兄としてではなく、グルテール伯爵としての決定だ。君は大人しく分かりましたと言って、荷物を纏める事しか許されない。分かるね?」

「嫌よ…どうして私が…」


ふるふると首を横に振ったローラだったが、ふいに廊下が騒がしくなる。複数人の足音と、女性の叫び声が響いているのだが、呆れ顔のエミリーが扉を開けば、その騒ぎが何なのかすぐに分かる。


「お嬢様!」

「ケリー」


ひきつった笑みを浮かべているケリーは、涙を浮かべながらローラの部屋に顔を出した。追いかけて来たバトラーを始めとする使用人たちは、ケリーの腕を掴んで引き摺って行こうとするのだが、エミリーが小さく首を横に振ってそれを止める。


「お嬢様、私を守ってくださいませ!忠実な世話係だったではありませんか!お嬢様のご命令通りすべての仕事をこなしました!ティアラの破壊だって!」


自分だけ悪者になる事は許さないつもりなのか、ケリーは次々に自分が命令された事を言葉にしてぶちまける。

それはアンナに対する嫌がらせだけでなく、かつての妻たちにしてきた嫌がらせも含まれていたようで、エミリーもエリオットも信じられないと言いたげな視線をローラに向けた。


「オリバーの命も奪いました!お忘れではないでしょう?アリシア様の恋人です!」

「黙りなさい!」


金切り声を上げたローラは、何とかケリーを黙らせようと怒鳴り散らすのだが、もう遅い。ケタケタと笑いながら涙を流すケリーは、ローラに命じられて恋人役に仕立てた男の命を奪った事を声高に叫んだ。


「アリシア様に恋人を作るよう言ったのはお嬢様ではありませんか。運良く身籠り、追い出されたとあんなに嬉しそうに笑っていたのに!」

「煩い!私のせいじゃないわ!あの人が夫を裏切っただけよ!」


ぎゃあぎゃあと大騒ぎをしている二人の前で、エリオットは呆然と呆けていた。何があったのか理解しきれていないのだろう。エミリーは頭を抱えて深く溜息を吐いていたが、頭を上げるとすぐさまバトラーに命じて馬車を用意させる事にしたらしい。


「もう結構。これ以上騒ぎを起こさないでちょうだい。ローラ、今すぐ屋敷を出て行って」

「は…?」

「盗人を置いておいたら、次は何を盗んで破壊されるか分かったものではないもの」


冷めた視線を向けるエミリーの言葉に倣うように、下僕たちが部屋に押し入り、狼狽えているローラの腕を掴んだ。

未婚の令嬢の体に触れる事は憚られたようだが、元伯爵夫人の迫力に負けたようだ。


「エリオット!」


部屋から引き摺り出される間、ローラは何度もエリオットの名を呼んだ。だが、エリオットは何も答える事無く、黙ってその姿を見つめながらアンナの体をしっかりと抱きしめる。


遠くなっていく二人の女性の声を聞きながら、家族三人はゆっくりと息を吐いた。


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