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15.犯人

使用人も寝静まった真夜中、アンナは一人自室のベッドを抜け出し、屋敷の廊下を進む。足音を立てないようにそっと歩いているのだが、これは実家にいる時に遅くまで出かけていた両親を起こさぬ様歩く事に慣れていたおかげで出来るようになった事だった。


床が軋む事も無く、アンナは猫のようにするすると歩き続ける。廊下を曲がり、階段を降り、使用人用通路に繋がる扉を潜る。誰にも見つからないようにランプすら灯さず、掌と裸足の足裏の感覚だけで歩く事が出来るのも、実家で慣れていたからだった。貧乏生活も時には役に立つらしい。


アンナがコソコソしているのには理由がある。明日、パーティーで知り合った女性がアンナを訪ねてくると言ってあるのだ。使用人たちには申し訳ないが、明日客人が来る予定等ない。使用人たちはせっせと明日の来客の為に用意を済ませたようで、厨房や作業場には沢山の食器やカトラリー、ワイングラスなどが並べられている。どれもこれも磨き上げられ、曇り一つ無かった。


間違っても何かにぶつかって音を立てないように気を付けながら、アンナは隠れられる場所を探し始める。厨房の奥には貯蔵庫があり、荷物に紛れてしゃがんでいれば、暗闇に紛れて見つからないかもしれない。そう思い、アンナは早速貯蔵庫に入り込み、大きな箱の隙間に体を捻じ込んだ。


先日ソフィアとピーターを迎える時にあれだけ問題が起きたのだ。今度も何か起きるかもしれないと思い夜更かしをしているのだが、正直眠い。このまま眠ってしまわないように必死で目を開いているのだが、暗闇で静かにしていると、自然と瞼が降りてきてしまう。


「っ…」


遠くで何か音がした。びくりと肩を震わせ気配を探っていると、誰か降りて来たのか階段が僅かに軋む音がした。誰か来る、誰が来るのだろう。ソワソワと落ち着かない気持ちで待ち構えていると、現れたのはランプを手にしたバトラーだった。


てっきりケリーが来ると思っていたアンナは、バトラーの姿に目をぱちくりと瞬かせる。まさか一連の犯人はバトラーだったのかと思いそうになったが、バトラーは自分の執務室に入り、小さく声を出して何かを確認しているらしい。残念ながら貯蔵庫からではバトラーが何をしているのか見えず、アンナはそっと近付いてみた。


中にいるバトラーは、「ワインはある、きちんとある」と繰り返しながら、明日使う予定のワインを見つめていた。


「バトラー」

「ひぃ!」

「しーっ、声が大きいわ!」


悲鳴を上げたバトラーに、アンナはコソコソとした声で叱りつける。誰もいない筈の場所で、突然声がしたら叫ぶのも無理は無いのだが、今のアンナはこの場に誰かいると知られるのが怖いのだ。


「お、奥様…!」

「声を落として、ランプも消して」

「はあ…」


困惑しているバトラーは、アンナに言われた通り声を落とし、ランプの火も落とす。途端に真っ暗になってしまったが、目が慣れたらまた何となく見えるようになるだろう。


「奥様、このような時間にここで何をしていらしたのですか?」

「見張りよ。今回もまた、何かあるんじゃないかと思って」


にんまりと笑ってみせたが、恐らくバトラーには見えていないだろう。


「バトラーは何しに来たの?」

「先日の事がありましたので、念の為確認したくなりまして…」

「ワインはあったわね、私も見たわ」


二人で確認したのだから、ワインはきちんとあった。間違いのない事だと二人でうんうん言い合っていると、また遠くから音が聞こえた。


バトラーが小さく声を飲んだ声がした。すぐに向かおうと動き始めたが、アンナはそれを止め、「静かに、隠れて」と言いながらバトラーを引っ張る。部屋どこに何があるのか分かっているバトラーは、アンナの体を支えながらそっと机の影に体を隠す。


ゆっくりと近付いてくる小さな灯り。誰かがランプを持って歩いているのだろう。誰が来るんだと緊張しているバトラーの隣で、アンナはじっと灯りが近くに来るのを待った。


「やっぱりね。バトラー、まだ出ちゃ駄目よ」


灯りに照らされているのはケリーだった。あちこちをキョロキョロと落ち着きなく見まわしているが、まだ此方には気付いていない。


ケリーは厨房に入り、まずは作業台に置かれている小麦粉をぶちまける。用意されていた食器たちは、あっという間に粉塗れで、磨き直さなければ使えそうにない。


バトラーを押さえ込んでいるアンナの前で、ケリーの悪行はまだまだ続く。床まで小麦粉塗れになっているのだが、そこにアンナのドレスを放り、上から踏みつけたのだ。これは現行犯だ!とウキウキしながら、アンナはそっと机の陰から出る。


「ケリー!これはどういう事だ!」

「ひっ…!」

「ちょっと、それ私が言いたかったのよ!」


突然現れたバトラーとアンナの姿に、ケリーは腰を抜かして粉塗れのドレスに尻もちをつく。ガタガタと震えているが、怒鳴り散らしているバトラーはまだまだ気が収まらないようで、顔を真っ赤にしていた。血管が切れないと良いけれどと若干の心配をしていると、何事だとエリオットが顔を出した。


「二階まで声が聞こえてるぞ。何を…」


粉塗れの厨房と、泣きながらへたり込んでいるケリーを怒鳴りつけるバトラー。そして、面白くなさそうな顔をしているアンナの姿に、エリオットは言葉が続かなかったようだ。


「バトラー。お茶を淹れて。四人分ね」

「は…」

「早く!あんまり怒鳴ると皆起きちゃうわ」


眉間に皺を寄せたアンナは、まだへたり込んでいるケリーの腕を掴んで立ち上がらせる。完全に怯えてしまっているのか、ケリーの顔は青かった。


「あーあー、勿体ない…貴方ね、小麦粉ってどれだけの値段だか分かっているの?こんなに無駄にして!」

「怒る所はそこなのかい?」

「怒るに決まっているではありませんか!ああ勿体ない!これでどれだけパンを焼けるかご存知でないのね!使用人たちも合わせて三日は食べられる程…」

「分かった!分かった悪かった!」


勿体ないと怒っているアンナは、逃げられないようにケリーの手首をしっかりと握りしめている。まだ落ち着かないバトラーは慣れない手つきでお湯を沸かそうと奮闘しているのだが、普段厨房を使わないバトラーでは火を起こす事も出来ないようだ。


「ああもう!退いてバトラー。エリオット様とケリーと一緒に休憩場所にいてね。怒るのは良いけれど声は小さく、良い?」

「で、ですが奥様、そのような事をさせるわけには」

「あら、じゃあお湯を沸かせる?さっきから見ていたけれど出来ないじゃない」


バトラーを睨みながら話すアンナは、慣れた手付きでさっさと火を起こす。小さくしてあっただけで消えてはいなかった火は、かまどの小窓を少し開けばすぐさま大きくなってくれた。


「まだ何か?」

「いえ…その、お手伝いを。カップの用意を…」

「そう、お願いね。エリオット様、ケリーが逃げないように見張っていてくださいな」

「あ、ああ分かったよ」


久しぶりに厨房に立ったアンナは、寝間着姿のままくるくると動く。すぐに使えるカップを持って来たバトラーと共にお茶を用意しながら、やっと犯人を見つけた事で浮足立っている心を落ち着けるように、静かな呼吸を繰り返した。


◆◆◆


気まずそうな顔をしているケリーを囲みながら、アンナはニコニコと微笑み、バトラーは怒り狂っている。エリオットは何とかバトラーを落ち着かせようと頑張っているのだが、一度怒り出したバトラーが落ち着くにはまだ時間が掛かるようだ。


「さてケリー、こんな時間に何をしていたの?」

「あの…私、ローラ様にお水を…」

「水ねぇ…さっきぶちまけた小麦粉は?あれはどう説明するのかしら」

「あ…その、暗くてよく見えなくて」


再び震え始めたケリーは、どう頑張ってもそれは無理だろうと言いたくなる言い訳を始める。暗くてよく見えなかった為に作業台にぶつかったのだそうだ。


「ランプを持ってきていたのに?それに、ぶつかったようには見えなかったわ」


冷めた視線を向けるアンナの前で、ケリーは大粒の涙を零しながら頭を下げる。


「申し訳ございません…全てお話しします」


震える声でそう言うと、ケリーはぽつぽつと話し始めた。自分は命令された事をしていただけで、自分の意思でやった事ではない。命令してきたのはローラであると。


「ローラが?どうして…」

「少し困らせてやりたいと仰せでした。奥様がお客様をお迎えする用意をしているから、それを台無しにして…でも、何とか迎えられる程度の被害に抑えるようにと」


ごめんなさいと繰り返しながらそう言うと、ケリーは両手で顔を覆いながらさめざめと泣いた。いくら命令されていたとはいえ、実際行動に移したのはケリーだ。


命令に従わなければならなかったのだから仕方ないわねと、御咎め無しにするわけにはいかない。現に、バトラーはぶるぶると怒りに震え、言葉を紡ぐ事が出来ない様子で「この」だとか、「恥を」と呟いている。


「この間の不測の事態とやらも貴方の仕業ね?」

「そうです…全て私がやりました」


エリソンが買い出しに出掛けた後、ローラのお使いだと言って自分も外出した。いつもの肉屋で発注した事は分かっていた為、「お肉はキャンセル」と伝えたのだと言う。肉屋の主人は訝しんだようだが、メニューが変更になったのだと言えば、「分かった」と首を縦に振ったそうだ。


「塩を盗み出したのは?」

「真夜中に忍び込んで、ワインと一緒に…ブルックスがスイートピーを使うと言っていたので、水に溶かして撒きました。ワインは一度ローラ様の衣裳部屋に隠して、奥様のお部屋に誰も居なくなったところで忍び込んで…」

「そう…大忙しだったわね」


ハンと鼻を鳴らしたアンナに、ケリーは縋る様な視線を向ける。実際行動に移したのは自分だが、命令されていただけ。屋敷から追い出さないで、追い出すのならせめて紹介状を書いてほしいと懇願した瞬間、バトラーが怒鳴り声を上げた。


「恥を知らんか!これ程の事をして紹介状を書いてほしい?馬鹿を言うのも大概にしないか!」

「バトラー、黙って。皆が起きてしまうわ」

「奥様、これは言わねばなりません。主人に対してこのような…」

「黙りなさい」


きっぱりと言い切ったアンナの隣で、バトラーは不服そうな顔をしながら口を噤む。ケリーは味方をしてもらえると思ったのか顔を上げたが、アンナは別にケリーの味方をするつもりは一切無かった。


「ねえケリー?これに見覚えはあるかしら」

「はい…?」

「今日弟が持ってきてくれたのよ。そういえば手紙が何故だか私の元へ届かなかったのだけれど…それも貴方の仕業かしら?」


ちょいと摘んだ小さな銀色の欠片をケリーの眼前に突き出す。それが何なのか分からないようで、困惑したような顔をしていたが、アンナはにこりともせずに言い放つ。


「ティアラの破片よ。知っているでしょう?結婚式の日、私のティアラが壊された事」

「あ…」

「ローラさんを運んだ時、弟が貴方のブーツに引っ掛かっていたコレが落ちるのを見て、拾っておいてくれたの。どうして、貴方のブーツに引っ掛かっていたのかしらね?」


黙っていたエリオットは、アンナの言葉に反応し立ち上がる。どうしたのだと見上げると、普段穏やかに微笑んでいる筈のエリオットの顔がとても恐ろしく、静かに怒っている事が分かった。


「ケリー、ティアラを破壊したのは君なのかい?」

「ローラ様の命令だったのです!結婚式が中止になれば良いと!」


泣き喚くケリーは、どうして結婚式が中止にならなかったのか分からなかったらしい。客席で大人しく座っていたローラは、何をしているのだと恐ろしい顔でケリーを睨みつけたそうだ。屋敷に戻ってすぐに、ケリーはローラから折檻を受けた。服を着ていると分からない場所ばかりを殴られ、酷くなじられたそうだ。


「病弱なあの子が君を殴る?そんな事をしたら心臓に負担がかかってすぐ倒れてしまうじゃないか」

「ローラ様は健康そのものですわ!普段呼んでいる医師も、薬も偽物です!」

「あら、お薬ってこれかしら」


サッと取り出した薬の包みを見せると、ケリーはどうしてと声を震わせた。どうしても何も、衣裳部屋に落ちていた物をグレースから受け取っていただけの事。それをこの場に持ってきていたのは、一連の犯人はケリーだと思っていたからだ。


「中身、お砂糖よね?」

「ご存知、だったのですか…?」

「たまたまこれを手に入れる事が出来たのよ。私薬ってどんな味がするのか知らなかったから、少し舐めてみたのだけれど…驚いたわ、こんなに甘いだなんて」


目を細めて口元を緩ませるアンナの前で、ケリーは頭を抱えて項垂れた。自分が何処かで落とした物だと気が付いたようだ。


「ローラ様は、既に健康な体を手に入れていらっしゃいます…熱が出たり、倒れたりしているのは全て嘘なんです」


アンナとソフィアが思っていた通り、ローラの病気は仮病で、全て演技だったようだ。全てを知ったエリオットは、わなわなと震えながら目を見開いていた。


「ケリー…君をクビにしたいが、正式な雇い主はロージアン伯爵である叔父上だ。手紙を持たせるからすぐそっちに行くと良い。紹介状は叔母上に頼むんだな」

「そんな…!私は」

「黙れ!バトラー、この女をすぐに屋敷から追い出すんだ。これ以上私の妻に危害を加える女を置いておく事は出来ない!」

「はい、旦那様」

「そんな!あんまりです私はただ命令に従っただけで!」


嫌だと喚くケリーの腕を掴み、バトラーはさっさと階段を昇って行く。眠っている人々を起こしてしまう事を気遣うことなく、ケリーは「私は悪くない」と喚き続けていた。


「アンナ、嫌な思いをさせて申し訳なかった。ティアラを盗み出した犯人も、結局君が見つけてしまうなんて…」

「ダニエルが証拠を持ってきてくれたおかげですから。それに、これで平和になるのならもう良いです。ですが…この大騒ぎでローラさんが起きてしまうでしょうから、逃げ出さないように部屋に見張りを付けましょう」


にっこりと微笑んだアンナは、頭を下げているエリオットの手を取った。

この人は目の前で「私の妻」と言ってくれた。その言葉に深い意味は無いのかもしれないが、妻を大切にしようとしてくれている事はよく分かった。そして、深々と頭を下げて詫びてくれているのだ。


「大丈夫、私は雑草のように強いと言ったでしょう?」

「私からすれば、君は可憐な花のような人だよ」

「ま、よく言いますね」


クスクスと笑ったアンナは、ごめんねを繰り返すエリオットの頭を抱きしめた。普段ならばこんな事はしないのだが、何となく今はこうしていたかった。


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