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12.お客様

目の前に並べられた色とりどりの宝石。それを眺めるアンナは、ほうと小さく息を吐いた。


「どれもこれも上質な物です。王家に売り込む前に持ってきましたよ」


にっこりと笑っているピーターは、どれが良いですか?と言葉を続けながら、どんどん鞄から箱を取り出す。アクセサリーにする前のルースばかりだが、これならば好きなように加工出来るだろうと考えたらしい。


「このオパールは大粒ですし、耳飾りにしても良いかと、動きに合わせて輝き方が変わりますから、見ていて面白いと思いますよ」


箱に二つ並んで入っているオパールをしげしげと眺め、アンナは手首を動かして光の加減で色味が変わる姿を楽しんでいる。その隣でアンナの表情を見つめるエリオットは、ニコニコと嬉しそうに笑っていた。


「赤い石はお好みですか?良いガーネットが手に入ったんですよ」


取り出したのは箱では無く袋だった。中には小粒のガーネットが大量に入っており、これを使えば素敵なブレスレットが出来ますと微笑んだピーターに、アンナは「素敵ですね」と返す。


宝石はどれもこれも素敵だが、正直昨日から次々と出てくる問題をどうにかしなければならなかったせいで疲れていた。

夕食は無事に済み、ピーターの用事であった結婚祝いのプレゼントである宝石を選んでいるのだが、綺麗ですね、素敵ですねばかり言っている。


「あまり、宝石に興味はありませんの?」


反応が薄いと思われたのが、ピーターの隣に座っていたソフィアが呟いた。ブンブンと首を横に振り否定したのだが、正直言うとこれまであまり縁が無かったせいで、上手く感想を言葉にする事が出来なかった。


「アンナ、こっちの石はどう?」


エリオットが差し出したのは、透き通った緑色が美しい石だった。ピーターはそれがペリドットという名の石である事を教えてくれた。


「素敵…あの、これが良いです」


差し出された石が、エリオットの目の色に似ているような気がした。たったそれだけの理由で、一目で気に入ってしまった石を、アンナは大切そうに小箱ごと手の中に閉じ込めた。


「奥様のお気に召して良かった。どうぞ、そちらはお祝いですのでそのままお持ちください」

「本当に宜しいのですか?」

「勿論。これは先行投資でもありますから」


けらけらと笑うピーターの言葉の意味が分からず、エリオットの顔を見上げた。ひくりと口元を引き攣らせたエリオットは「贔屓にしてくれって事」と小声で教えてくれた。


「失礼いたします。遊技場の支度が整っております」

「お、それじゃあ久しぶりに勝負しよう」


ウキウキと楽しそうな顔をしているピーターは、テーブルに広げていた宝石達を鞄の中にしまい込む。男性陣が遊技場の方へ消えていくと、残されたのはアンナとソフィアの二人だけとなった。


「…あの、奥様」


先に口を開いたのはソフィアだった。彼女は先日パーティーで会った時と同じように、穏やかで優しそうな顔をして笑っていた。


「先日のパーティーではありがとうございました。お楽しみいただけましたか?」

「ええ、とても。ご招待ありがとうございました。今度は当家のパーティーにもお越しくださいね」

「…呼んでくださるのですか?私が貴方の夫の元妻であると知っていて?」


ぱちくりと目を瞬かせるソフィアは、不思議そうな顔をアンナに向ける。元妻である事を知っていてと言われても、それが嫌ならば今日の来訪は断っている。それを伝えると、ソフィアは確かにそうだと声を漏らして笑った。


「ソフィアさんの好きな物は何ですか?次に来ていただく時に用意しておきたいのです」

「干し葡萄がたっぷり入ったケーキが好きですよ。クリームが添えられていたらもっと隙です」

「では、用意してお待ちしておりますね」

「奥様は何がお好きでしょうか。私も知っておきたいわ」

「そうですねぇ…杏の砂糖漬けでしょうか」


子供の頃、一度だけ食べた美味しい思い出。あれ以来食べた事は無いが、今この場で言えるそれらしいものは、杏の砂糖漬け以外思い浮かばなかった。


「少し濃く出したお茶に合いますわね。奥様が当家にいらっしゃる際は必ず用意しておきます」


ニコニコと和やかに進む会話。元妻と現妻である事を知らない人が見れば、仲の良い友人のように見えるだろう。だが、事情を知っている下僕は気まずそうな顔をしながらお茶の用意をしに談話室に入って来た。


「あら…このカップを出したの?金色の物ではなくて?」


怪訝そうな顔をしているソフィアは、ティーカップにお湯を注いだ下僕に声を掛けた。金色のカップは、白地のカップの淵に金色のリボンが描かれた物なのだが、それは数時間前割られてしまっているのが見つかったところだ。


今は淡いブルーに小花が描かれたカップを出している。


「それから少し気になったのだけれど、エリソンなら来客時に鶏肉を使おうとは考えない筈だわ。あの人なら羊か…牛を使いたがる筈よ」

「う…」

「それに、私が植えるように言ったスイートピーの花が庭の何処にも無いわ。どこへ行ってしまったの?」


ずけずけと指摘するソフィアの前で、アンナは何も言えずに唇を引き結んで俯いた。元妻であるという事は、この家の事をよく知っているという事。


来客時によく使われるカップではない事、料理に使われた食材、植えさせた筈の花が何処にも無い事。全てに気が付かれてしまった事で、アンナだけでなくお茶を淹れた下僕は気まずそうに口をもごもごさせる事しか出来なかった。


「あの…私なりに頑張った結果と申しますか…」

「ええ?お義母様が貴方に支度を任せたの?本当に?」


目を見開き驚いているソフィアは、面白そうに口元を緩めながら体を乗り出した。二人分のお茶を出して役目を終えた下僕は、頭を下げてさっさと部屋を出て行ってしまった。


「どうやって手懐けたの?あの人とっても気難しいのに」

「手懐けるなんてそんな…未だに小言は毎日のように…あ」


言わなくても良い事を言ってしまった事に気が付き、アンナは慌てて口元を手で押さえた。その姿が面白いのか、ソフィアはコロコロと楽しそうに笑いながらエミリーの事を話す。


「お義母様は私の事が大嫌いなんです。当然ですけれどね、財産を散々使い込んでしまいましたから」

「ああ…先日仰っていた」

「ええ。本当に、申し訳ない事をしました」


しゅんと肩を落としたソフィアは、過去の自分の行いを恥じているらしい。芋づる式に色々と思い出してしまったのか、時々小さな唸り声を漏らしていた。


「お義母様はいつまでも私に伯爵夫人としての役目を譲ってくれなかったのです。それが本当に面白くなくて…」

「私もそうですよ。今回は任せてもらえましたが、普段はお義母様のチェックが入ります」

「多分前の奥様たちも同じだったのではないかしら?お義母様お元気だから…」


ふう、と溜息を吐いたソフィアは、ハッと何かに気が付いた様な顔をして慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません、私はもうこの家に関係無いのに…」

「いえいえ、お気になさらず。それにしても、カップやお料理によく気が付きましたね」

「どうしてもお義母様に認められたくて、いつも後ろをついて回っていましたから」


うふふと小さく笑うと、ソフィアは懐かしむように談話室を見まわした。部屋を飾る筈だった花は、ラナンキュラスに変更されている。


「お義母様のおかげで、再婚してもなんとかやっていけそうです」


結婚式の準備で忙しいだろうが、ソフィアの顔に疲れは見えない。それどころか、幸せそうに微笑んでいる顔がとても美しく見えた。


「公爵家の娘が商人と結婚するなんてと、両親はとても怒っておりますけれど…私これでも幸せなのですよ」


ニコニコと嬉しそうに話しだしたソフィアは、ピーターがとても素晴らしい人であると話して聞かせてくれた。

エリオットと離縁した後、ピーターはソフィアを心配してよく顔を出してくれたらしい。宝石を売りに来たという理由を付けてきていたが、本当に宝石を売り込みにきたわけでは無く、元気にしているかだとか、少し庭を歩いたり、手紙のやり取りをし続けてくれたのだという。


「お優しい方なのですね」

「ええ、とても。おかげで買い物に夢中になる事は無くなりました。結婚したら実家に戻る事は許さないと言われてしまいましたけれど…それでも、彼と一緒になりたいのです」


先日パーティーの時にエリオットに恋をしていたと言っていたが、今はもうその気持ちは無いのだろう。そして、新たな夫となるピーターを深く愛しているように見えた。


「素敵な関係ですね」

「ありがとう。でも私から見たら、お二人も素敵な関係に見えますわ」

「そうでしょうか?」

「ええ。だって、エリオットのあんなに優しい顔、初めて見ましたもの」


うふふと笑うソフィアの前で、アンナは訳が分からないと小首を傾げる。アンナには分からないが、ソフィアは何か確信めいた物を抱いているようだ。


「そうそう、ローラはどうしていますか?」

「今日は熱があるそうで、部屋で休んでいますよ」


思い出したかのようにローラの名を出したソフィアは、やっぱりねと小さく笑う。


「あの子、きちんと病院に通っていますか?」

「ええ、時々出かけて行きます」

「病院、変えた方が宜しいわ。いつまでも病弱では困りますもの」

「長く通っているのなら、ローラさんの事をよく知っているお医者様にお願いした方が宜しいのでは?」

「その医師が本物なら、ね」


目を細めたソフィアの言葉を飲み込もうとしたのだが、アンナはふと思い出す。先日ローラが体調を崩した結婚式の後、何度か医師が屋敷に呼ばれて来た事があった。少し若い医師だなと思っていたのだが、エリオットが言うに昔から世話になっている医師だという。


ローラがグルテール伯爵家に預けられたのは約十年前。その頃から世話になっている医者なのならば、もう少し歳を重ねている筈だが、あの時見た医師は十年前ならばまだ見習い程度の年齢の筈。


「…偽の医者?」

「その可能性があります。若いお医者様だったでしょう?」


ソフィアも以前同じ医師を見たのだろう。まさかと疑いたくなったが、確証が持てない以上、この話を掘り下げる気にはなれなかった。


「それと、もう一つ忠告です。二番目の妻がどうして離縁したのかご存知ですか?」

「恋人を作って…子供が出来たと聞いております」

「その通りです。恋人は、ローラが呼び寄せた医師見習いでした」


ソフィアは小さな溜息を吐くと、言葉を続ける。

二番目の妻はアリシアという名の女性で、ソフィアとは友人関係にあったという。婚家での悩みをよく聞いていたそうだが、ある時からアリシアはとても幸せそうに微笑みながら「友人」の話をするようになったそうだ。


あまり男性と仲良くなるのは良くないと止めたのだが、アリシアは友人からの忠告を聞き入れなかった。とても素敵な人、どうしてそんな事を言うのと怒ったアリシアはすぐに帰ってしまったそうだが、暫くするとアリシアが夫を裏切り、不義の子を身籠ったと大騒ぎになったらしい。


「同じ手は使わないと思いますが、ローラは妻を追い出す為ならあらゆる手を使います。世話係のケリーを使ってね」

「でも私、エリオット以外の殿方に興味は無くて…」

「それなら安心だわ。どうかそのままでいらしてね」


ニコニコと微笑んでいるソフィアの前で、アンナは腕を組んで考え込む。

二番目の妻を追い出す為に男を宛がったという話が本当だとして、ローラは何故妻を追い出そうとするのだろう。そんな事をする理由は、いくら考えてもよく分からなかった。


「理由が分からないのかしら」

「はい…」

「ローラはね、エリオットの隣に女性がいる事が許せないの」

「はい…?」


ソフィアの言葉に思わず間抜けな声が出てしまったが、思い当たる節はあった。アンナがエリオットと仲良く過ごしていると、体調が悪いと騒いでエリオットに助けを求めたり、隙あらばエリオットの隣に居る事もある。


従妹だから仲が良いのだろうと思うようにしていたのだが、あまり面白く無いなとは思っていた。


「エリオットに、恋をしているとでも?」

「そうよ。嘘だと思うのなら、今度ローラの前でエリオットにキスでもしてみたら良いわ。夫婦なら行ってらっしゃいのキスくらい普通にするものでしょう?」

「うっ」


エリオットが出かける時には必ず見送りをしているが、初めて見送る時にキスを求められた。あまりに恥ずかしくて断って以来、求められる事は無くなったのだが、ローラを試す為だけにそんな事をする勇気は無かった。


「あらあら、真っ赤になって可愛らしいお方」

「からかわないでください!」


両手で頬を抑え、アンナは「ひぃ」と小さな声を漏らす。その様子が面白いようで、ソフィアは少し冷めたお茶を飲みながら目を細めていた。


◆◆◆


「それではこれで」


帰り支度を済ませたピーターとソフィアは、玄関ホールでアンナとエリオットに頭を下げる。また来てくださいねと微笑んでいると、ふいに階段から誰かが降りてくる気配に気が付き振り向いた。


そこにいたのは顔色の悪いローラで、手すりにしっかりと掴まり、よろよろとした危うい足取りで歩いている。


「ローラ、休んでいた方が…」

「お客様にご挨拶をと思って…」


玄関ホールにいるソフィアに気が付いた瞬間目を見張っていたが、その表情はすぐに消し去り辛そうに眉尻を下げる。

何とか階段を降りると、客人二人に向けて深々と頭を下げた。


「おもてなしも出来ず、申し訳ございませんでした。お気を付けてお帰りくださいませ」


もてなしをするのはローラの役目ではなく、アンナとエリオットの役目だ。それは自分が妻の役目をするつもりの言葉なのかと苛立ったが、今この場で問い詰める事はしない方が良さそうだ。


「お久しぶりですね、ローラさん。お熱があるのに見送っていただけるなんて」


にっこりと微笑んだソフィアの視線は冷たい。その視線に怯えたような顔を作ったローラは、胸の前で手を組んで、指先をもぞもぞと動かす。いつもの可憐な令嬢の恰好だった。


「あの…お元気そうで安心しました」

「貴方は相変わらずのようね。お医者様を変えた方が宜しいのではなくて?私が良い医師を紹介しますわよ」

「いえ…いつもの医師がおりますから」


ふるふると首を横に振ると、ローラはぐらりと体を揺らす。床にへたり込むローラを案じ、エリオットは慌てて駆け寄った。


「ああ、無理をするから…」

「大変そうですから私共はこれで。奥様、お手紙をお送りしてもよろしいかしら」

「ええ勿論。エリオット、馬車まで見送りをしてきますね」

「すまない、頼むよ。二人共、また来てくれ」


ひらひらと手を振ったピーターとソフィアは、アンナと共に玄関扉を潜って外に出る。夜の空気は、三人の頬をひやりと冷やした。


「全く、相変わらずあれやっているのね」

「以前からですか?」

「ええ。私がこの屋敷に居た時もやっていたわ。体調が悪くても見送りをしてくれる健気でか弱い令嬢であると、客人に見せ付けたついでにエリオットを妻から引き剥がすの。あの人いつまで引っ掛かるのかしら」


呆れた溜息を吐いたソフィアは、先に馬車に乗り込んだピーターに差し出された手を取り、向かいの席に乗り込んだ。


「優しい人ですから」

「ええ…そうね」


にこりと微笑みながら言うと、ソフィアも穏やかに微笑みながら言葉を返す。そう長くない時間だったが、二人で話しているうちにアンナはソフィアと友人になれそうだと思っていた。それはソフィアも同じようで、また改めてお手紙を出しますと言って、扉を閉じられた馬車の中から嬉しそうに手を振っていた。


ゆっくりと進みだした馬車を見送り、アンナはくるりと振り返る。きっと今頃、屋敷の中は騒ぎになっているだろう。ローラの為に医師を呼べだとか、ケリーはどこだ、薬を早く…。これから客人をもてなした後片付けをして、終わったら一人ずつ主夫妻と面談。


まだまだ部屋に戻って眠る事は出来そうにないなと思いながら、バトラーによって開かれた扉を潜り抜けた。


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