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1.バツ3伯爵

不定期更新です!いつものお約束、「ふわっとナーロッパ」を念頭にお楽しみください。

暇な貴族たちは、いつだって面白い話を求めている。どこの誰が何をしただとか、あの二人は不倫中だとか、下世話な話題で盛り上がるのはいつもの事。

もっと有意義な時間の使い方をすれば良いのにと呆れるが、関わりたくないから社交の場に行きませんとはならないのが貴族令嬢として生まれてしまった人間の性である。


「ごきげんよう、アンナ」

「ああ…こんばんは」


煌びやかな夜会に紛れ込む事にはもう慣れた。貧乏男爵家、チェストル男爵家令嬢として生まれてもう二十年。アンナ・ホリー・リックマンは笑顔を貼り付ける事にも慣れっこだった。

この人誰だったかなと記憶の引き出しを漁ってみるのだが、どうにも思い出せない。

頭の天辺からドレスの裾までジロジロと観察される事にも慣れているが、良い気分はしない。

怪訝そうな顔をしているのはきっと、随分と古臭いドレスを着ていると思われているのだろう。


「あー…素敵な、ドレスね」

「ありがとう。母の物ですの」


にっこりと微笑み、アンナはドレスの裾をちょいと摘まむ。母が若い頃着ていたドレスは、今見ると随分古臭い。

家を出る前に屋敷の鏡を見て、自分でも「これは流石に」と思ったのだから、流行りのドレスを作り放題の令嬢からしてみれば、これを着ろと渡されたら卒倒するだろう。


これしか着る物が無いのなら、文句など言える筈もない。我が家の家計は火の車。屋敷の雨漏りを直す事すら出来ない貧乏男爵家なのだから。


「えっと…それじゃあね、楽しんで」

「ええ、さよなら」


結局誰だか思い出せなかったが、声を掛けて来た令嬢はひらひらと手を振って去っていく。大方この後、仲良しの令嬢仲間とコソコソ陰口を話し合うのだろう。


そんな事でいちいち傷付く事もない。何を言われたって、事実は一つも変わらないのだから。


相変わらずコソコソと此方を見て笑う貴族連中の前で、アンナはきょろきょろと周囲を見回す。笑いものになる事が分かっていて社交の場に出るのは、目的があるからだ。


お金持ちと結婚すれば、実家の借金を返済するアテが出来る。出来ればもう長くない、妻に先立たれた金持ちが良いのだが、生憎今日はそのような人は来ていないようだ。


金目当ての結婚を自ら望むなんて、子供の頃は考えていなかった。誰か素敵な殿方と恋をして、盛大な結婚式を挙げて、幸せな結婚生活を送る。そう思っていた。


まさか自分の父が抱えた借金が膨らみ、明日食べるパンにすら苦労するようになるとは思わなかった。祖父が投資仲間に騙された事が原因なのだが、やってしまった事を今更ウダウダ言っても仕方が無い。


今日こそ金蔓、もとい素敵な旦那様候補を見つけるべく、アンナは会場内をフラフラと歩きまわる。


「おい、婚活令嬢だ」

「お前今恋人いないだろ?貰ってやれよ」

「やだよ、実家の借金払わされる」


ああ、まただ。

アンナが結婚適齢期になると、若い令息たちはアンナを避けるようになった。貧乏男爵家の借金を払わされる、何のメリットも無いと馬鹿にされ、近付いたら襲われましたと騒がれて責任を取らされるなんて馬鹿げた事まで言われるようになった。


言いたいやつには言わせておけば良いのだが、流石に少し落ち込んだ。


近付いただけで襲われたと叫ぶ程浅ましい女じゃない!と怒っても、どうせ暇な貴族たちからまた面白可笑しく噂の種にされるだけだ。


「ねえ、あの方って…」


男連中がコソコソと話している傍を通り過ぎたアンナの耳に、今度は令嬢たちの声が聞こえた。


少し離れた場所、会場の入り口近くに一人で立っている男に視線を向けているのだが、その男の噂はアンナも聞いた事がある。


輝く金髪に、釣り上がった緑色の目。綺麗な人だなと皆思うが、男には不名誉な二つ名があった。


バツ3伯爵。


まだ二十代中盤の年頃だというのに、既に三度の結婚と離婚を経験しているというのは、有名な話だ。


見目麗しく、由緒正しい家柄だというのに、この二つ名のせいで最近はどの家の令嬢たちも彼に近寄ろうとはしない。


お互い苦労しますね。そんな気分で男の顔をぼうっと眺めていたのだが、視線を感じたのか、男がふいにアンナを見た。


「あ…」

「…こんばんは、レディ」


にっこりと口元を緩ませた男は、壁にもたれていた体を起こし、ゆっくりとアンナの元へ歩いてくる。


「良い夜だ」

「ええ…そうですね」


何だか怖いなと思いつつ、アンナはにっこりと笑顔を貼り付ける。作り笑いにはすっかり慣れてしまった。大人になるって、きっとこういう事なのねと自分に言い聞かせたのはもう随分と前の事。


「初めまして、エリオット・ウィルソンだ」

「初めまして、アンナ・ホリー・リックマンと申します。チェストル男爵家令嬢です」


慌ててお辞儀をすると、エリオットと名乗った男はぱちくりと目を瞬かせる。

声を掛けて来たのは其方でしょうと言いたくなったが、相手は若き伯爵様だ。


貴族社会は縦社会。階級がものを言う世界に生きているのだから、ただの男爵家令嬢が伯爵様に失礼な物言いは出来る筈も無かった。


「…素敵なドレスだ」

「母のものです」


話題に困るくらいならば最初から声など掛けなければ良かったのにと内心思いながら、アンナは小さく笑う。

何か話そうと努力しているのは分かるのだが、その話はつい先程したばかりだった。


「君は…その、流行りのドレスに興味は?」


もごもごと口ごもりながら言ったエリオットは、視線をうろつかせて落ち着かない。

何故そんな事を聞くのだろうと疑問に思ったが、あまりに古臭いドレスを着ている若い令嬢を哀れに思ったのだろう。


「我が家の噂はご存知では?」

「まあ…そう、だな」


じとりと睨みつけるくらいは許してほしかった。

本当は、もう少し新しいドレスを着てみたい。母のドレスを直しながら着るよりも、自分の為だけに作られたドレスの一着くらいは欲しい。そう言えない家に生まれてしまったのだから仕方ないが、面と向かってこう言われてしまうと面白くない。


少し意地の悪い事を言っても、許されたかった。


「見ろよ、あの二人…」

「あの二人が結婚すれば、丸く収まるんじゃないか?」


借金まみれの男爵家令嬢。

三度も妻に逃げられた伯爵。


面白いカップルだと酒の肴にされるのは不愉快だったが、確かに彼と結婚すれば問題は解決だと思った。

だが、流石に三度も嫁に逃げられた男に嫁ぐ勇気はない。

家に問題があるか、それともエリオット自身に問題があるのか。


絶対に何かあるであろう家に嫁ぐ気にはなれず、アンナは当たり障りのない会話を何となく続け、エリオットが会話に飽きるのを待つしか無かった。


「チェストル嬢、少し私に時間をもらえないだろうか」

「はい…?」

「君と話がしてみたい」


にっこりと微笑んではいるが、断る事は出来そうにない。相手は伯爵様で、自分は男爵令嬢。誰がどう見ても、アンナの方が格下なのだから。


差し出された手をそっと取ると、周りの人々はより一層興味深そうに此方を見る。見るだけなら勝手にしてくれたら良いのだが、コソコソと何か話すくらいならいっその事聞こえるように話してくれたら良い。


会場の人込みをするすると抜け、エリオットとアンナは風に当たれるように解放されているテラスへと出た。ここならば、落ち着いて二人きりで話が出来るだろう。


「寒くはないかな?」

「はい、大丈夫です」


寒くはないが落ち着かない。一緒に来た筈の叔母は友人たちと楽しそうに話をしているようで、姪っ子が男と消えた事に気が付いていないらしい。

早く気付いて連れ戻しに来てほしいが、残念ながらそれは期待出来そうになかった。


「私に、何か?」

「素敵なお嬢さんと会話を楽しむのに、何か理由が必要かな?」


にっこりと微笑んだエリオットの顔を見つめながら、アンナはぱちくりと目を瞬かせる。素敵なお嬢さんなんて初めて言われたし、言った相手がとても綺麗な顔をしている殿方だと思うと、まるで御伽噺の出来事のようで現実味が無い。


「それとも、誰かパートナーがいたのかな」

「いえ…叔母と参りましたので。その叔母は楽しく過ごしているようです」


会場内に視線を向ければ、エリオットは何となく察したような顔をして、「ふむ」と小さく声を漏らした。


「失礼ですが、グルテール伯こそ御相手がいらっしゃるのではありませんか?」


さっさと開放しろという意味を込めてそう言ったのだが、エリオットはにっこりと笑ったまま「一人だ」と言って残念そうに肩を竦めた。

演技がかった動きがまた似合うなと若干の腹立たしさを覚えたが、表情には出なかったようでエリオットは置かれているベンチにアンナを座らせようとハンカチを敷いてくれている。


もうこうなったらエリオットの気が済むまで付き合うしか無いなと諦めて、アンナはそっとハンカチの上に腰を下ろした。


「その…私の噂は君も知っていると思うんだが」


もごもごと口を動かすエリオットは、アンナの隣に腰を下ろす。噂というのはきっと「バツ3伯爵」の事だろう。


「奥様方のお話でしたら」

「それだ。私はその…どうにも妻に逃げられてしまう」


何がどうして三人もの女性に逃げられるのかは知らないが、跡継ぎを必要とする伯爵からしてみれば、妻に逃げられるというのは大問題なのだろう。

ちらりと横顔を盗み見ると、エリオットは憔悴したように溜息を吐いていた。


「また新たな妻を探さねばならないんだが…噂のせいで誰も私に近付こうともしない」

「はあ…」


大変ですねと続けるべきなのか分からず、アンナは曖昧に声を漏らすだけに留め、膝の上でもぞもぞと手を動かす。


「我が家はそれなりに古い家でね。伝統もあるし、何より私の母は厳しい人だ。姑との同居はよくある話だが…その、仲良く出来なかったんだと思う」

「…あの、初対面の私にそのようなお話をされる意図が分かりかねます」


愚痴を聞いてほしいのなら、話す相手を間違えている。こんな話を聞かされて、どうしてほしいのかも分からない。

困り顔を作ってエリオットを見つめていると、確かにそうだと笑ったエリオットがアンナの顔を見つめた。


「我が家は子供を産んでくれる女性を求めている。だが貴族であるが故に、妻となる女性も貴族でなければならない」

「…そうですね」

「君、婚約者は?」

「おりません」

「では、私と結婚してくれないだろうか」


何を言いだすのだと睨みつけ、アンナはこれ以上聞きたくないと立ち上がる。

会場に戻り、叔母を見つけ出してすぐに帰ろう。結婚相手を見つけなければならないが、少なくともこの男は嫌だと思った。


「私と結婚してくれるのなら、君の実家の借金は全て当家が支払おう。返済もしなくて良い」

「は…?」

「持参金も必要ない。そうだな…生活の立て直しが出来るように追加で援助をしても良いね。君の御父上の跡を継ぐのは弟だろう?弟が男爵として領地経営をする為に、良い相談相手も用意しよう」


何を言っているのだと口を開こうとしたアンナが動きを止める。あまりにもチェストル男爵家に都合が良すぎる。


「私は…お金の代わりに貴方の妻になるという事でしょうか」

「そうだね、言い方は悪いが、私が君を買おう」

「随分と高くつきますが」

「子供を産んでくれるのなら、当家にとっては安い買い物だ」


にんまりと笑ったエリオットが手を差し出す。その手を取れば、アンナは彼の妻として伯爵家に嫁ぐ事になる。代わりに、チェストル男爵家は莫大な金を手に入れる。


自分一人が我慢をすれば、実家は明日食べるパンにも困るような生活をしなくて済む。雨漏りしている屋根も全て直せるだろう。

これから父の跡を継ぐ弟の苦労が少しは楽になるだろう。


こくりと喉が鳴った。


この手を取れば、家族の生活は楽になる。

子供を産めばそれで良い。こんなに条件の良い取引が他にあるだろうか?


愛の無い結婚など、貴族ならば当たり前。

相手が三度の離婚歴があろうが、実家の為を思うのなら断る事は出来そうになかった。


「…父へ、お話を」


差し出された手を取り、アンナは震える声でそう言った。にっこりと笑ったエリオットがその手に軽いキスを落として、またにんまりと笑う。


「明日、君の家に手紙を出すよ」


今日はこれでと言い残し、エリオットは一人で会場の中へと戻って行く。

金で買われる。妻として伯爵家へ嫁ぐ。これで実家は楽になる。ぐるぐると頭の中に同じ事ばかりが巡り、ぎゅうと胸を締め付けた。


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