ハルカ ユータリア国王宮に行く
何だ、これはすごく甘い香りでクラクラする。
王宮への移動の為に昨夜訪れた拠点の砦についた瞬間、クリストフは部屋に充満する甘い濃厚な香りに圧倒される。
レオンハルトが眠っているハルカという『大聖女』の頭を子猫を撫でるように撫でている。気配を感じたのか、視線をクリストフに向ける。
「遅かったな。すまないが、陛下に『マナ欠乏症』を発症しているようなので、診察と魔力やマナの多い女性のみで隔離状態で別宮で彼女の世話をしてもらえるように…… 男性を避難させて対応していただきたいと報告して欲しい。準備が整ってから、迎えにきてくれ」
レオンハルトは静かにクリストフにそう言った。
『マナ欠乏症』‼︎ と驚いていると、この甘い香りがその症状の一つなんだとルイスがハルカを見下ろしながらいう。
「かなり強烈だから。近寄らない方がいい。
レオンの言うようにそのまま折り返し陛下に報告して早急に対策をとって欲しい。おそらく、謁見もお披露目もこの状態では危険すぎて無理だと思う」
二人の言葉を聞いて、慌てて折り返すようにゲートを潜り王宮へ向かう。
『マナ欠乏症』…… それは魔力を持たずマナを自力で作り出せない『渡り人』様特有のものだ。未だに治療法はない、延命のみ可能。その延命方法ですらわからなかった頃は『渡り人』様は渡られて『浄化』を行うとすぐ命を落とすことがほとんどだった。最短で一ヵ月も保たなかったと記録されている。延命には魔力やマナが強い者がマナを供給するしか方法がない。浄化力が強ければ強いほどマナの消耗も激しくなる。マナの供給者の魔力やマナもより強く多い者が求められる。
さて、どうしたものか。陛下の執務室に向かい報告をする。
「遅かったか」
深いため息が漏れる。レオンハルトやルイス、クリストフと同じような見事な銀髪。瞳は継承者を意味する琥珀色。一九〇センチを超える大柄で齢六十五歳にもなるというのにレオンハルトと同じソードマスター由縁か年齢よりもはるかに若くみえる。フリードリッヒ・ユータリア。この国の国王であり、レオンハルト、ルイスの同腹兄、クリストフの異母兄だ。
何かを準備していたのか、席を立つと何やら飴のようなものが入っている少し大きめの透明のクスリ瓶をクリストフに手渡す。
「これを『渡り人』様に食べさせてくれ。『大聖人・光様』が次の『渡り人』様の為に用意されたマナで作られた緊急用の飴だ。一応レシピの記録も残されているようだ。これの一部をルイスに渡して、同じものが作れるか確認して欲しい。それから……」
続いて銀色の薄い大判のシートを出す。
「これで『渡り人』様の身体を包んでくれ。これも『光様』が作られたものだが『マナ欠乏症』に伴うフェロモンの拡散を防いでくれるらしい。医師による公式な診断によっては『夫君候補へのお披露目』は大幅な変更になるだろう。『渡り人』様には別宮『月の光』を用意する。王太子を含む子供達も別荘へ避難させる。色々大変だろうがよろしく頼む」
『渡り人』様が渡られてから、王宮は過去の記録、『大聖人・光様の遺言』や『渡り人法』の確認、夫君候補の選定等々大騒動になっていた。
ようやく迎えの準備が整ったと思ったら『マナ欠乏症』対策で一から受け入れ準備のやり直しになってしまった。しかも警備も含め女性のみで対応をせまられることになった。
王太子を含む殿下や妃殿下の別荘への緊急避難がすべて終わり、『渡り人』様をお迎えする準備がようやく整ったのは翌日の昼だった。
砦に戻るとルイスが少しいらつきながら
「遅いよ。状態もあまり良くないんだ。早く供給できる体勢にしないと……」
レオンハルトの腕の中で意識がないのかくたっとしている『渡り人』様を見る。
陛下から預かった飴の入った瓶を取り出し、これを食べさせるように言うと、ルイスが彼女の口を開けてそれを含ませる。
フェロモン拡散を防ぐ為の銀色のシートをレインハルトに手渡す。
「フェロモン拡散防止の為のシートだ。これで彼女の身体を覆うように」
レオンハルトは一度彼女を寝かすと彼女の身体を銀色のシートで包むように覆うと、再び彼女を抱きかかえる。そして三人は開かれた移動用のゲートの中に消えた。
王宮内で魔法は禁じられている。
移動用の転移ゲートもあくまで王宮の入り口までだ。
今回『渡り人・ハルカ』様用に用意された『月の光』という別宮は王宮内でも本宮と離れた奥にある。
本来なら本宮内で国王との謁見後、そのまま過ごせるように準備をされていたのだが、『マナ欠乏症』による特殊なフェロモンが放出されているため、本宮から離れた別宮が用意され直接向かうことになった。
『渡り人』様は銀色のシートで完全に覆われ、レオンハルト大将軍に抱かれたまま、王宮内に一歩入った。その後をルイス大魔法士と宰相のクリストフが続く。
それまで何の反応もなかった銀色のシートがバタバタと身体を動かしたと思ったら、ボンと何かがはじけたようにまぶしい光りが周囲を包む。辺りの空気が洗浄されたように澄み渡る。
大魔法士と大将軍の顔が一気に強ばる。大魔法士は立ち止まり、通信用の魔道具を取り出しどこかに連絡を取り始める。大将軍はそれをちらりと見ながら、そのまま急ぐようにスピードをあげる。その後には驚きの表情を隠せない宰相が続く。
再びボンと銀色の包みが光を放つ。徐々に大規模な光りになっていく。それを何度か繰り返して王宮全体を包み込むかのようにあっという間に光りのドームが出来上がった。別宮の『月の光』に着く。その宮に入ると最後にもう一度銀の包みがボンと光を放った。
「これが『浄化』?」
宰相が大将軍を見る。
「ああ」
大将軍は用意された寝台に降ろされた、銀色のシートに包まれた『渡り人』様を厳しい表情で見る。
「『マナ欠乏症』を発症しているのに、これだけ大規模な『浄化』をするとかなり危険な状況になっている。陛下に報告をお願いしたい」
そういうと大将軍は彼女に視線を戻す。
宰相は踵を返し国王の執務室へと急ぐ。初めて『浄化』を間近に見たが、凄まじい浄化力だ。砦で見た暗闇に光る巨大な光りの道を思いだす。まさか、これほどだったとは。
執務室には国王フリードリッヒ・ユータリアが窓の外に広がる光のドームを見ている。
「これはすごいな。空気も一変した。この『恩恵』は素晴しいな」
少し興奮気味の少年のように目をキラキラさせている。
こんな陛下は久しぶりだな。
「本当に驚きました。間近で『浄化』がこれほどの規模で発動されたのを初めて見ました」
ふっと大将軍の厳しい表情が脳裏に浮かぶ。
「ただ『マナ欠乏症』を発症後のこの規模の『浄化』は『渡り人』様にとっては生死に関わります。しかもこの規模の『浄化』を行う以上、マナの消耗も激しく通常の規模では補いきれません」
「承知している。クリストフ。本来なら手順を踏み『渡り人』様の夫君候補のお披露目等をすべき所だが、この状況ではそれも難しい。
幸いこの国に置ける最も強力な魔力とマナを保有している内の三名が夫君候補に立候補している。
ただ、だからといって『渡り人』様の選択権を奪うことはできない。
今回は夫君候補が自らのマナを使って作った『渡り人』様へ贈る装飾品を『渡り人』様自ら選んでいただくことにしたことを既に周知されていることはお前も知っているはずだ。全ての情報を排除し、純粋に夫君になるマナを『渡り人』様が自ら選択するということだ。
これは『大聖人・光様』の遺言の一つでもある。既に夫君候補からこれらの装飾品は全て納められている。今回もこれを変えるつもりはない」
そう言うと国王は宰相に向けて言葉を続ける。
「しかし、状況が流動的なのも事実だ。典医による診断後、直ちに『渡り人』様に夫君候補のマナによる装飾品の選考をしていただけるよう手配する。レオンハルトもクリストフも全てが終わるまで本宮の別室で待機するように」
国王は再び窓の外の光りのドームへ視線を戻した。
別宮『月の光』に戻ると王妃と妃とその侍女達が『渡り人』様の世話をする為に集まっていた。大将軍のレオンハルトは王妃に引き継いだ後別宮の外にいた。宰相のクリストフがそこに近づき陛下と交わした会話を話す。その後二人はそのまま本宮に用意された別室に向かった。
別宮『月の光』は『大聖人・光様』の為に時の国王バルト・ユータリアによって建てられた宮だ。日本にあった温泉をテーマに和テイストが色濃く反映されている。ただここにある温泉は普通の温泉ではなく、マナを大量に含んだ温泉で『マナ欠乏症』を発症した『渡り人』専用の治療の一環として作られたものだ。
この別宮は『大聖人・光様』が亡くなって以降百年以上使われていなかった為にマナの源泉は枯れていた。ところが今回『渡り人・高瀬春香』がこの宮で『浄化』を行なった途端に、枯れていたはずのマナの源泉を含んだ温泉が再び噴き出していた。
今、『渡り人・高瀬春香』はマナを大量に含む温泉の中にいる。数時間ただ温泉につかっているだけなのだが『マナ欠乏症』特有の意識混濁から徐々に身体が回復しているのがわかる。久しぶりのお風呂だし、何かが確実に身体に染み込んでくる。気持ちいい。長風呂特有の疲れも感じない。むしろエネルギーがどんどん蓄積されていくのがわかる。こういうのいいな。自分専用のが欲しい。とか、思っていると典医が待っているというので温泉から上がるように促される。
女官らしき女性達が用意した衣服に着替える。診察の為に用意された部屋に入ると白い衣装をまとった四十歳くらいの女性が椅子に座っていた。立ち上がり私に一礼をする。診察の為のベッドに仰向けになって寝るように言われる。
「ただ今から『渡り人』様の診察を始めます。これは公的記録として残されます」
そう言うと光のセンサーのような輪が身体の前後を行き来する。
「これはスキャンというものです。これも『大聖人・光様』が作られたものです」
確かに簡易MRIに見えなくもない。それもしても『大聖人・光様』とは何者なんだろう。
「お名前とご年齢、こちらに来られる前の身長、体重を教えていただけますか」
「高瀬春香。五十五歳。身長は一六三センチ。体重は七…七十七キロです……」
は、恥ずかしい…… 恥ずかしがる私をスルーするかのように質問を続ける。
「何か既往症等はありましたか」
「高血圧で動脈硬化で脂肪肝がありました」
「閉経されていると記録されていますが、おいくつの時でしたか?」
「完全に無くなったのは四十歳くらいの時です」
淡々とカルテに記録されていく。
「それではスキャンを始めます」
女医がスイッチを入れたのかスキャンが始まった。
「身長は一六〇センチ、体重は五十七キロですね。既往症は現在該当無しです。閉経はされたままのようです」
そう言いながらこれもカルテに記録される。CT、MRI、エコー機能もあるんだろうか。
「ただ重度の『マナ欠乏症』ですね。マナの供給が即必要です」
女医が深緑色の液体の入った小さな小瓶を私に手渡す。
「一時的ではありますが、こちらは高濃度のマナを高濃度に凝縮させたものです。こちらを今お飲み下さい」
仕方なく小瓶の液体を飲み干す。色味的に苦いのかと思ったら、それほどでもない。濃縮されたお茶のような味がする。意外そうな私の反応を見て、
「美味しくないと緊急時に飲みたくなくなるから、ということで作られていますから。飲みやすいでしょう?」
女医そう言うとにっこりと微笑んだ。
「『渡り人』様の診断書は陛下の方に送っておきますね」
席を立つと女医はそのまま部屋を出て行った。
なんという事だろう…… 身長も体重も減って、さらに既往症までも治っているなんて…… しかも近眼・斜視・老眼まで治っていた。一番びっくりしたのは、歯まで綺麗に生え変わっていたこと。白髪も無くなってたし…… あ、でも閉経はしたままなのよね……
不思議なことに「高濃度のマナを高濃度に凝縮させたもの」はかなり効果が高いらしい。身体の内側からポッカポッカと温かくなり力がみなぎってくる。
外から見てもわかるのか、女官達が急に動き出した。促されるまま案内された部屋には王妃達が色とりどりのドレスを手に取って見ている。何やら私の着るドレスを選んでいるらしい。様々な色味のドレスを胸に当てられる。その内の一着を王妃自らが選ぶ。普段の自分なら先ず選ばないなっという色味。白を基調に金と銀の刺繍と繊細なレースがとてもエレガントに施されている。
庶民なおばちゃんでも、これはかなりお高いものだとわかる。ってか、これは入らないだろ。めちゃ細いんだけど。
とか思っていると、あれよあれよという間に女官達に周囲をがっちり囲まれて、人生初コルセットで呼吸もできないくらい締め上げられると、驚いたことに絶対は要らないと思っていたドレスがするりと入ってしまった。
コルセットで締められた為に胸も盛られている。髪も短いなりに色々アレンジしてくれて、ドレスと違和感を感じないくらいになっている。
大きな鏡に映る自分は、見覚えのある、まるでアルバムの中の一枚のような二十代前半の過去の自分だった。すごい違和感。中身年齢とのギャップがありすぎる。それにしても…… このドレス、まるでウェディングドレスみたい。鏡に映る自分を見ながら色々考えていると、女官の一人が声をかけてきた。
「装飾品は夫君様候補の皆様が『渡り人』様に贈られたものからお選び下さい」
そういうとドレスを選んだ部屋の隣の部屋の扉が開かれた。
そこには目映いばかりの装飾品が『首飾り』『耳飾り』『腕飾り』に分けられて置かれていた。王妃の説明によるとこれらの装飾品は全て夫君候補が自らのマナを利用して作り上げられているらしい。
自分のマナで装飾品を作る⁇ 自分の体から作るってこと⁇ 想像もできない手法に驚いた。
その装飾品を選ぶということは夫君のマナを選ぶということになるらしく、これをもって夫君の選考にするとのこと。今回は私が『マナ欠乏症』に罹ってしまうという特殊事情により本来の夫君候補との顔合わせは中止となってしまっている。
つまり顔や人柄云々ですらなく『マナ』で夫君を決めるということになる。
ぶっ飛びすぎてる……