『夫君教育』と『一人称談義』
「僕達王族は『渡り人様の夫君教育』というものを幼い時から受けています」
珈琲の香りを燻らせながらクリストフは独白するように言う。
「婚姻を結ぶと基本的に夫君候補の優先順位が下がる為、『夫君教育』はほとんどの場合は中断されます。
僕の場合も一時的とはいえ、婚姻を結んでいますので『夫君教育』は中断されました。ただ、伴侶が若くして亡くなった事と僕の持つ魔力やマナの量がレオンやルイスに匹敵することで、再び『夫君教育』が再開されました」
私はクリストフの話に耳を傾ける。
「『夫君教育』は二段階に分けられています。一段階目は『渡り人』様が渡られた時に対応すべき共通認識となる基礎的なもの。二段階目は『夫君』に選ばれた後『渡り人』と人生を共にする為のあらゆる知識です。衣食住に関する事はもとより夫婦生活についても多岐にわたって対処できる知識を学びます」
『地球の文化的なもの』を学ぶと言う事なのか。そういえば食事についても私の味覚に合うものを探していたな。衣類についても…… 『渡り人』の個々の好みもあるだろうけれど、自分である程度服飾カタログを見ながら好みについて聞かれたこともあったことも思い出す。夫君達が用意してくれるのも今ではそういうのが主になっている……
全ては『渡り人』にストレスを与えないため。その為の知識の共有らしい。
性生活のしても同様で、かつての『渡り人』の残したものを参考にしているという話になった。
なるほどねえ…… 複数人との性交渉で目覚めた人もいたのかもしれないなあ。この星の人にはそもそも後ろの口がないのだから…… 普通では考えもしないことなんだろうし。紐で身動きが取れなくするのも…… それを好む性的嗜好の人もいたんだろう……
とりあえず試してみて私の反応を見ていたという事なのかもしれない。『マナ欠乏症』っていうのも大きく影響をしていたのかもしれないけれど……
つまりはその第二段階の『夫君教育』を受けたのは私の現夫君達なのか?
『渡り人』のもたらす『恩恵』についてもただ単に『浄化』されるだけだとされているのが第一段階の『夫君教育』を受けるまでの認識になっているらしい。そこには第二段階の『夫君教育』で教わる伴侶に与える『恩恵』は含まれてはいないし、『浄化』にしても草木や生命を息吹かせる程の影響についても教わることはないそうだ。
これらの説明を私にした後、クリストフは言葉を切って、私の方を向き直り、私の手を取る。
「実は今日『浄化』をした南の大公国の領主であるアレク公は四人目の夫君候補なんですよ」
今回は私との年齢的な差(プラス十歳以上)もある為、選考時辞退をしたので彼の装飾品は選考の時には並んでいなかったそうだ。
ただし、彼は既に第二段階の『夫君教育』を修了している為、南大公国への『恩恵』による『浄化』もしくは同等の『浄化』を希望している…… これが、テリトリー以外の他領地での「性行為」という迷走? 暴走? に及んだ事の端緒らしい。
『渡り人』の情報を熟知しているという事なのか……
「『浄化』の重ねがけをすることで今日は『恩恵』に近い効果も出すことができました。ただ、これを他領地までする必要はありません、ハルカ」
瘴気に最もひどく汚染されているのは大陸の外側にある東西南北の大公国。その内側にある他の公国は大公国に比べると断然マシなのだそうだ。
瘴気に汚染されれば魔獣や魔物、疫病や大地が汚染されれば枯れ木ばかりで草花すら生えてこない。河川も汚染されてしまう…… この為、魔力やマナが多い王族がこの地を治めることになったそうだ。
「西の大公国、つまり僕の領地は僕が宰相となって王宮でいる間、レオンハルトやルイスが西大公国の瘴気対策を講じてくれていました」
いくら魔力やマナが多くても肝心の魔法が使えなければ『浄化』や『結界』を張ることもできませんからね…… クリストフは厳しい表情で息を吐くようにそう呟く。
「今回、ハルカの齎してくれた『恩恵』で、南大公国を除く三大公国が一気に『浄化』された。本当に心から感謝しています」
そういうといったん言葉を止め、私の瞳を覗き込む。
「だからこそ南大公国での『浄化』作業はとても重要になってきます。ただ…… 同時にハルカ自身も感じている『渡り人』の『恩恵』の危険さは正しい認識だと僕達も思っています。
特に僕自身が身をもって経験した『恩恵』(見た目だけとはいえ大幅な若返り)。水や空気、草木や生命すらも息吹かせてしまう強い力…… それらの与える影響は大きいものです。しかし、ハルカ、僕達は貴女を危険に晒すことがないよう、全力で貴女を守ります」
だから…… 心配しなくても大丈夫ですよ。そう言いながら、幼子をあやすように私の頭を優しく撫でる。
そうか、気が付いてたんだ…… 私が自分の力に恐怖心を持ったこと。そして、その影響力がもたらすものへの恐れ…… それが『夫君教育』によるものなのか、彼ら本来の優しさなのか……
自分を見つめるグリーンサファイヤの瞳を見つめながら…… ふとそんなことを思った。
それから、どちらからともなく口付けをする。チュッチュッと軽いバードキス。先ほどとは全然違う優しいキス。愛しむかのようなやさしい愛撫。琥珀の色を纏うグリーンサファイヤの瞳に両方の手の指をガッチリと絡ませられ満たされながら……
つかみどころのない男ひとだな…… いや、これが彼本来の愛し方なのかもしれない…… そんなことを思いながら、初めて深くクリストフと繋がったような気がした。
目が覚めると銀色の整った眉とふさふさ長いの綺麗なまつ毛が目に入る。整った鼻筋、薄いけれど冷たさを感じない唇。本当に綺麗な男ひとだ。まじまじと見てしまう。三人ともよく似てるけど、やっぱり違うなあ。
「そんなに見つめられたら穴があいちゃいます」
グリーンサファイヤの瞳がぱちっと見開かれ、くすくすかわいい声で笑う。なんか、一気に可愛いモードに入ってきてるんですが…… 一夜でいきなり警戒心を解いた、蕩けたような笑みを浮かべられてドギマギしてしまう。
ああ、そうか…… 警戒心…… クリストフのやや攻撃的な愛し方は…… 警戒されていたのかもしれない。
その考えが腑に落ちる。いや、クリストフだけではない、レオンハルトもルイスも……
…… そりゃあ、そうだよ。
いくらなんでもいきなり結婚とか、お互いも知らないのに無警戒というのはないよなあ……
まあ、昨日のどのタイミングでクリストフの警戒が解けたのかはわからないけれど……
なんだ、三人とも可愛い系の乙女君達か…… 一人称、僕だもんなあ…… って自動翻訳(通訳)って何を基準に決めてるんだろうか?
自分の場合は関西系方言が混じると微妙な反応が返ってくるから、できるだけ共通語基準で話すようにしてるけど……とはいえイントネーションまでは流石に無理で…… 関西風共通語だ。いわゆる地方あるあるだ。
何を基準に一人称が決まってるんだろう? すごい変なところに気がついてしまった。めちゃ、気になる……
「どうしましたか?」
「なんか、言語の自動通訳が気になってしまって」
「どういうことですか?」
「ここにきてすぐにルイスが言葉を理解できるようにしてくれてんだけれど……」
「大したことではないんだけど…… 自動翻訳や通訳の基準てどうなってるのかな?って」
「基準ですか……」
「例えば、一人称とか」
「一人称?」
クリストフは興味深そうに私を見る。
「ほう、僕達の話し方もそれぞれ違うようにハルカには聞こえるのですか?」
「微妙に違っているというか…… ルイスは自分に対する一人称は出会った当時から一貫していたんだけど、レオンとクリスはある時期から変化したというか……」
「変化? レオンやルイスも僕とは変わりませんよ…… 少なくとも僕は最初から自分の呼称(一人称)は同じです」
「ええ、クリスの言っていることは理解できるよ。ただ私の生まれた日本という国は一人称も二人称も三人称も色々なパターンを持っている結構特殊な言語なんだよね。それは身分や環境、職種性別年齢様々な要因で変化していて、使い分けている。公私でも使い分けもされているし……」
どう説明すればいいのか……
「そうだねえ…… 『私』『俺』『わし』『我』『おいら』『僕』…… まだまだあるけれど…… クリスは今のを区別できる?」
「全て『私』に聞こえますね』
「まあ、そうだよね」
つまりここも地球における英語圏の『I』やドイツ語圏の『Ich』のように一人称は固定しているということなんだろう。
「でも私の場合(日本語話者)の場合は違っていて…… 例えば『私』には『私A(私)』『私B(僕)』『私C(俺)』等々といった風に一人称が脳内で変換されて聞こえているんだけど…… 」
クリストフは訝しげに首を傾ける。なかなか難しいよね。説明するのも難しい……
「ルイスは『私B(僕)』を出会った当初から使ってたんだけど。レオンとクリスは『私A(私)』を出会った当初使っていたのがいつの間にか『私B(僕)』に私の脳内で変換されていて…… 」
「つまり、僕が貴女に自分のことを一人称で言い表す表現方法がAからBに変化しているということですか」
「はい。そういうこと」
同意と肯定で頷く。こんな拙い説明ですら理解が早いなんて、さすがクリス…… 私なんか自分で説明しても若干意味不明なのに……
「それは…… なぜ?」
「…… 色々な要因があると思うけれど…… おそらく私が受け取る関係性の変化ですかね。それか貴方の感情の微妙な差異を汲み取っているのか……」
「関係性の変化…… そうですか…… ちなみに僕はどのタイミングで……」
「クリスは…… 確か初夜の後寝込んじゃって…… 謝罪しあった時」
そういうと、ああっと何か思い当たる節があったのか耳どころか結構広範囲まで真っ赤になってしまった。
ベッドの上で白い掛け衣に包まって話す内容ではなかったかもしれないけど…… そのシチュエーションですらも色香ダダ漏れのクリストフはかなり視覚的にかなりの悩殺者だった。
寝込んでいた間になんらかの心境の変化があったということなのか…… 目と目が合うと、乙女のような初々しい可愛らしさで……
「確かに…… 心理的にも身体的にも関係性の変化は大きかったからでしょうね」
そういうとチュッと軽く唇に口付ける。
「このままずっと一緒にいたいのですが…… 残念ながらそろそろお仕事(『浄化』作業)です。
今日はルイスと一緒に現場に行ってください。僕は別の場所での作業になるので先に出ます」
クリストフは掛け衣をぱっとはぐると一糸纏わぬ格好でバスルームへ直行する。
おっと目のやり場に困る…… 何で皆素っ裸なんだろう…… ここの男の人ってそういうものなの⁇
一瞬で目が覚めちゃう……
そろりと掛け衣で体を覆いベッドサイドに立つ。いつの間にか湯浴みをし魔法士団のユニフォームに身を包んだクリストフが目の前にいる。
「今『マナの源泉』入りの湯を張っています、ちゃんと疲れをとってください。食事の用意をしてきますから」
そういうと部屋を出て行った。