『恩恵』か『隔離』か:王家と『渡り人』
「クリストフは一体何を……」
国王フリードリッヒに報告するために大魔法士ルイスは青の間にいた。非公式での『謁見』として使われる場である。
「おそらく、『渡り人』の伝承の検証だと思います。それと集中的なマナ供給でしょう」
「『恩恵』か?」
「はい。『浄化』はすでに検証中ですが、人に対する『恩恵』は今回初めてデーターとして記録されました」
「うむ、お前の『マナの可視化』による検証も驚いたが、やはり伝承や文字の記録だけでは限界があるからな。……ただ、…… 寿命についてはどうなのか……」
「それにつきましては、我々自身がその検証対象になります」
「二十歳もあれが若返ったのか……」
「見た目だけでしょう…… 実際のところ『渡り人』様ご自身もこちらの世界に来てすぐの大量の『浄化』を行なったために二十歳も若返り、容姿も変化されたそうですから……」
「自己申告で記録を残されているな。体重も大幅に減少し、内臓疾患も治癒されたと…… ああ、ただ子供は望めぬのだな……」
「それに『マナ欠乏症』も重度ですし…… せっかく供給ができても、今回のクリストフによって身体中に多くの痕が残ってしまいました。そこに負荷がかかると大量に『マナ』が流出して、ショック状態になる危険性も高くなります。状態としては極めて良くないと思います」
「あのクリストフが…… なぜこんなことを……」
「箍が外れたと……」
「…… 否、信じられん…… それを信じろと?」
玉座の肘掛けに頬杖をつき、頭を左右に振りながら、それを否定する国王である同腹兄は異腹弟であるクリストフのことをよく知っている。
クリストフが単に感情的に動くことはないということを。あれが故意に痕をつけて『渡り人』をわざわざ生命の危険に晒すなど、あり得ない……
「今は、駄目です。大量のフェロモンにさらされているので、もう少し放出させてから、その影響を検証してからでなければ王宮に、陛下に会わせることはできません」
直接確かめる為にクリストフに会いたいと言えば、即座に拒否。
一体、何が起きているのか? 大魔法士であるルイスですら混乱している。現時点で、クリストフのもたらす影響がどういうものなのかは未知数 。『恩恵』によってもたらせられた魔力は本来のクリストフのものとは明らかに異なるものに変化していた。それはクリストフの展開する魔法にも大きく影響をもたらしていた。
元来クリストフは魔力はマナは膨大で、突出している長兄である国王を除いて、自分やレオンハルトと同レベルのものを持っていた。にもかかわらず、宰相という文官に甘んじていたのは、展開できる魔法が自分達ほどではなかったからだ。しかし、現在は非常に強固な広範囲での結界魔法が展開できるようになっていた。わずか、一晩で……
「…… あれは宰相だぞ。…… まあ、夫君になった時点でお前達もあれも一線から外れることには決定済みだが…… まさか、あいつそれを狙ってたんじゃないだろうな……」
「いずれにせよ、『渡り人』様対策と同レベルの対策を講じる必要があります」
直系王族に『渡り人』のフェロモンを直接浴びせることは出来ない。それは一種の精神支配をもたらすもので国政を司る者にとっては危険を伴うものとされている。結果『渡り人』の伴侶に選ばれた時点で即国政や国防の第一線から外れることになっている。これらは『渡り人』に対しては伏せられた直系王族のみに口承で伝えられているものだ。レオンハルトやルイス、クリストフも父王から成人の時に直接伝えられていた。いつか来る『渡り人』の為に。その危険性についても。
有能で冷静で常に客観性を失わなかった理性の塊のような異腹弟の暴走…… それすらも『渡り人』の影響だとしたら……
「つまりはクリストフも『隔離』という事か?レオンハルトも同意見という事だな?」
双子の同腹弟達の出した判断はかなり厳しいものだ。恐らく自分達も遅かれ早かれ『隔離』されることも想定しているのだろう……
『渡り人』とは一体どういう存在なのか、見てみたい、触れてみたい、興味はあれど、国政を統べる身としてはもはやそれは叶わぬこと。記録として残される映像の中でしか会うことができない存在。自分にとって近しい存在である兄弟ですら直接会うこともできなくさせる存在。
今、自分と話している同腹弟の大魔法士でさえ、自分の周囲に結界を張り巡らせ、細心の注意を払って報告を挙げに来ている。かつて第二継承権を持っていたレオンハルトであれば尚更だろう。スペアとして同等の帝王教育を受け、この星の秘密も知っている。蒼と白の星の秘密。
国王フリードリッヒは大きくため息を一つつく。外交上の脅威のないこの時代に『渡り人』が渡ってきたのは意味があるのかもしれない。
「…… 了承した。クリストフは大魔法士ルイスに預ける。皆で『浄化』にあたるように」
そう告げると、目の前にいる大魔法士は一礼をして、転移魔法で姿を消した。
「『渡り人』か……」
誰もいなくなった青の間にフリードリッヒの声だけが吐息のように零れ落ちた。
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[side レオンハルト]
レオンハルトによってクリストフから保護された『渡り人』であるハルカは高熱を出してベットの上で寝込んでいた。『渡り人』には治癒魔法は効かない。従来の自己治癒力を高めるためのマナを凝縮したポーションを与えることぐらいしかできない。高熱で意識を失ったハルカにレオンハルトは規則的に口移しでポーションと同時に自分のマナを与えていく。
『マナ欠乏症』を発症すると『渡り人』の寿命は著しく短命になるといわれている。常に何らかの形で補い続けなければマナが枯渇して死に至る。幸か不幸かクリストフによって大量のマナが供給されているお陰で今のところハルカは持ち堪えている状態だ。ただこの状態がいつまでも続くかと言えば……
何か夢を見ているのか、時折うなされたり、涙を流すこともある。両親を呼ぶことも。そんな時は抱きしめたり、手を握ったり…… 早く回復するように祈りながら額にキスをする。そうすると不思議なことにハルカはにっこりと笑みを浮かべて満足げに眠りにつく。
彼女の星はもう……
その事実を知るのは成人した王位継承者第二位までの者たちのみ。国王であるフリードリッヒと自分、先帝の王弟だった叔父、アレクサンダー公。そして現王太子と第二王子。
青の星の最後の記録とされた永久保存魔法がかけられた映像。
それが、いつ、どこで、誰によって記録されたのか、何故この星にそれがあるのか、恐らくその謎を解く術を持つものは存在しない。
王家はそれを、青と白の星の記憶の記録を保存し次世代へと伝える為にだけに存在している。『渡り人』を保護しつつ、ここでの一生を全て記録する。それが王族であり、『渡り人』の伴侶の仕事であり、存在意義とされている。
ハルカの笑みを浮かべた寝顔は無警戒の幼子のようだ。ここに来てからの彼女はいつもどこか虚無感を漂わせていた。自分の現状を受け入れたいのに受け入れられないジレンマを常に抱え込んでいるのに、それを弱さと感じ表に出さないように、無意識に一線を引こうとしていた。
本来なら受け入れられないものも、後に続くかもしれない『渡り人』の置かれる環境が悪くならないために納得できなくても納得しようとしていた。
自分のことを常に記録される。動物実験のように観察される。そんなことを受け入れられるはずがない。
本来は秘密裏に記録されていた『渡り人』。それを『渡り人』の保護という形で法として確立させたのが百五十年前に渡ってきた『渡り人』である「サヤマ・ヒカル」という青年だった。彼は大陸全土に散らばる『渡り人』についてその記録を全て収集、保管した。それらを元に今後訪れるであろう『渡り人』を保護するための法を作り上げた。
『渡り人』は公的には二十人とされてきたが、彼が集めた記録を精査するとその倍はここに来ていたようだった。王家の管理下に置かれる前に何らかの原因で命を落としたものもいれば、市井に紛れ込んだものもいたようだ。
『恩恵』もハルカのような大規模な『浄化』をする者や治癒魔法に長けた者、魔力がなくてもマナを転用して魔法を発動させる聖具を作り出す者等多種多様だった。『光様』は『渡り人』の記録を全て収集しただけではなく、『渡り人』である自分自身の一生を記録させた、それが彼が後に聖人と呼ばれる由縁になっている。
そんな彼以降、公式として渡ってきたのが『ハルカ』。『光様』とは違い、女性ということもある。公式上の女性側による『恩恵』の記録はまだ収集されていない。あくまで伝承として残っているものだけだ。
そこで今回は全ての記録を取ることを前提の『保護』となった。その旨も『渡り人・ハルカ』へ告知した。協議の上不要だと判断されたものに関しては記録の破棄も可能とする等、様々な取り決めを『ハルカ』の同意を得て行うことになった。
『ハルカ』も同意の上とはいえ夫君達との初夜の記録を取ることへはかなり難色を示した。が、閨においての『恩恵』こそが『渡り人』の『恩恵』と言われているもので、重要な記録とされている旨説得をし、自分以降の『渡り人』(女性)にそれを課さないことを前提に受け入れさせた。
レオンハルトが王家の薬を使ったのも、それに続いてルイスもクリストフも使用したのも『ハルカ』に与える緊張を取り去り、理性を奪い、(行為の記録)という精神的負荷を軽減するためのものだった。
『渡り人』の伴侶を除いては唯一その報告を受けることができるのは現王フリードリッヒのみ。記録されたものはフリードリッヒへの報告後直ちに青と白の星の記録庫に収められる。『渡り人』が亡くなってから百五十年後、閲覧権を持つ王族のみがそれを見ることができる。
百五十年とされているのは次の『渡り人』が渡ってきた時に対応できるようにする為。勿論、それより前に渡られた時には即時閲覧可能となる。兄である現王フリードリッヒと同様レオンハルトも『渡り人』についての全記録の閲覧権を有している。
『聖人 光様』が古語(ハルカ達の言語)で書かれた記録は現在も解読中だ。そういえば『渡り人』の古い記録にも古語で書かれたものが収集されていたはず……
ああ、そうだ、あれをハルカに読んでもらったら…… 少しは気がまぎれるだろうか……
静かに眠るハルカの頬を優しく撫でながら、レオンハルトはその頬に愛おしげにキスをした。
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[side クリストフ]
パンと弾けるような音が響き、左の頬がジーンと痺れ熱を持っていく。目の前に大粒の涙をポロポロ流し、くしゃっと顔を顰め、自分の名前を呼ぶ……
「クリス、最低」
ほんの少し前まで、自分の腕の中ですやすやと眠っていた愛しい女性。彼女は自身の赤くなった手を見つめ、さらに混乱して泣いている。その様をクリストフはただ呆然と見ていた。
正気に戻ると目の前で魔法士団が『渡り人』であるハルカが負担をかけず、効率よく『浄化』を行うための結界ドームを張り巡らす作業をしていた。
幾人かの魔法士達が自分を不躾な目線で見ている。宰相である自分に向けるものとは全く違う…… と気がついて、自分の顔を片手で撫でる。ああ、そうか…… 今朝見た自分の顔を思い出す。明らかに二十歳は若返った相貌の…… 遠い昔の自分。なるほど、今の自分は見も知らぬただの若造か。思わず苦笑いになる。
ふと背後から人の気配。
「なにが可笑しい?」
苦虫を噛んだかのような顔で自分を見下ろすわずか数ヶ月違いの異腹兄。その眉間に少し皺を寄せ、考え込むように口を閉ざした後、ふと思いついたように自分の顔を覗き込む。
「クリス、ちょっと火を出してくれ」
「火?」
魔法を使えというのか、魔力やマナが多くても自分はそれほど魔法は使えない。生活に困らない程度の生活魔法はともかく、風魔法を少し操れるくらいだ。しかもよりによって苦手とする『火魔法』を?
有無を言わさず、やれと偉そうに命令をする異腹兄のルイスを睨む。仕方がない。片手を上げ、手のひらを上にし、火をイメージする。
ボウッと強い火が自分の掌から勢いよく吹き出す。
えっ…… 自分でしたことに驚愕する。何故? どうして⁇ こんなこと今まで一回もできたことがなかったのに……
フッっと隣でルイスが大きく息を吐く。「やっぱりな」そう呟くとポンと肩を叩かれた。これは一つの仮説だけれど…… と前置きした上で「おそらく『恩恵』を大量に浴びたことで魔力を具現化出来るようになった。回線が開いたのではないか……」周囲に聞こえないように防音の結界を張ってからルイスはそう言った。
そして、水魔法や土魔法はもとより風魔法も今までとは比べ物にならない規模で操ることができるようになっていた。
ルイスから一通り訓練のようなものを受けると、『浄化』はできるのか? と試してみるが、それはハルカやレオンハルト、聖騎士団に比べると流石に”そこそこ”らしい。
今度は『結界』の張り方を教えられ、『結界』魔法を展開する。それを見たルイスが唸ったような声をだす。
「クリスはこっち(魔法士団)だな…… 」
腕を組み、自分の張り巡らせた『結界』壁を見ながらルイスはそう呟く。
「陛下に報告する。但し、今は素性を隠して仮団員として『結界』作業に加わってくれ」
「サダーリオ副団長を呼んでくれ」
歳は四十歳半ばだろうか、赤髪の若干強面の男がすぐにやってきた。魔法士団団長であるルイスに敬礼をする。
「ああ、彼もこの作業に加わることになった。今はまだ仮団員だが、即戦力になるだろう。名前はクリスだ」
素性を隠すって言った口から、ほぼ本名じゃないか、ルイスを呆れたように見てしまう。
「クリスです。よろしくお願いします」
一仮団員だ、素人のようなものだ、仕方がない。
「お二人は…… ご親族ですか?」
目の色は違えど、同じ銀髪。風貌もよく似て男の目から見ても美しい。副団長のサダーリオは団長のルイスとよく似た新たに配属された若い男を見てそう団長に訊いた。
「まあ、そのようなもんだ。だからといって手加減は必要ない。ああ、それから、今から王宮に行く。すぐに戻るが、留守を頼む」
「かしこまりました」
と再度敬礼をした後、後に続くよう指示を受け、それに従う。
作業に従事している魔法士を集合させ、自己紹介の場が設けられた後、どれくらい結界が晴れるのか、試験のようなものを団員の前で行なわされた。ルイスの前でしたものと同じように『結界』魔法を展開して結界壁を構築する。集められたすべての団員がその『結界』壁を見て驚き、ゴクリと喉を鳴らした。
サダーリオ副団長もクリストフの構築した『結界』壁の強度や規模は元よりその美しさに目を奪われた。
「団長とは少し違うけれど、これはこれで素晴らしい。よく来てくれた。歓迎するよ、クリス君」
即戦力で、いい仕事ができるにこしたことはない。副団長も団員である魔法士もクリスを歓迎した。
王都を中心に年輪のように同心円の『結界』壁を巡らせる。その壁の間をハルカの『浄化』によって王宮を中心に『浄化』壁を重ねていくという案だ。これによってハルカが一度の消費するマナの量を制限し、負担を少なくするということだ。ハルカの『浄化』のパワーは非常に強い為、『結界』壁も強固なものが必要になる。大陸全土を張り巡らせる為、どうしても魔法士にかかる負担は大きくなる。
大規模な『浄化』は『渡り人』が渡った時が好機。幾ら魔力やマナを多く有するレオンハルトでさえ『ハルカ』の放つ『浄化』には到底及ばない。この際『浄化』による『恩恵』を一日でも早く大陸全土に。それが『渡り人』が渡ってきたことを知るものの望みであり、願いでもある。
『マナ欠乏症』を早く改善して『浄化』を始めてほしい。その為に夫君を選定してマナを供給して症状の改善を図っていた。さらにプライバシーすら放棄させられて実験動物に近いような扱い。
残酷なことを強いている。
この星が『渡り人』に期待するものは残酷だとハルカは口にしたことがある。自分とは違い年若くここに来た女性にとって置かれた環境は酷すぎたのだろうと。だから、できれば自分ができうる限りのデーターを残すことで次に来る『渡り人』の負担を減らして欲しい。そういって彼女は夫君制度を受け入れた。
ハルカが自己申告で告げた年齢と見た目年齢との二十歳以上の差を最初信じることができなかった。自分が今朝鏡を見るまでは。
魔力やマナが多いと実年齢と見た目年齢は多少の差は出るものだ。
レオンハルトやルイスは『浄化』や『結界』その他多様な魔法を駆使し続けている分さらに年齢差が生じている。但しそれらは僅かな差が積み重ねられたものだ。今回のような、一夜にして二十歳もの差が生じることはまずあり得ない。
なるほど、これが『ハルカ』が感じている違和感なのだ。中身と外見のギャップ。奇妙なハルカとの連帯感をクリストフは感じた。自分自身をおばちゃんと呼びながらも、その肢体は男を知らず、翻弄され、少女のように啼かされ喘がされていく。昨夜何度も何度も責め続けたハルカの乱れた姿を思い出し、熱いものが滾りだす。と同時に最後に見た大粒の涙をポロポロ浮かべる顔を思い出し、胸が締め付けられるような切ない気持ちになる。
『結界』壁を張り巡らせながらクリストフは様々な事を考え続けた。
午後、王宮から戻ってきたルイスは魔法士団預かりになったことと『隔離』対象者(王宮出禁)になった事、ハルカはあれから高熱を出し、意識が戻らないことをクリストフに告げた。
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『王家』と『渡り人・光様』との関係をわかりやすくするために略歴ですが系図を作りました。