ハルカ 恩恵と第三夫君との結婚
「ハルカ、迎えに来ました」
フェロモン全開のダンディなイケオジのクリストフがテラスの入り口に立っていた。クリストフも成婚の儀に着ていた白地の生地に濃緑のライン、肩には金のモールの騎士服(文官だけど王族としての正装らしい)で、いかにも(元)王子様。その美丈夫に惚れ惚れしているとクリストフの笑顔が一瞬固まる。
「ハルカ、着替えを持ってきました。着替えましょう」
急き立てる。渡された着替えを持って再び寝室へ向かい、クリストフが持ってきたものに着替える。
絹のような感触の下着と前開きのタイトなマーメイドスタイルのワンピース。
生地は白を基調にした薄いエメラルドで刺繍を施されている。
これは着こなせるかな? 多分こっちに来る前の私なら絶対入らないと思う。今、入るのか? 破れたら? ボタン飛んだら? 怖々ワンピースに袖を通す。見た目より伸縮性があるのか、ぴったりとフィットする。下着のキャミソールだけのはずなのにワンピースにはしっかりコルセット機能もあるように体の線もきっちりうまく収めてくれている。
へ~~~ これはすごいな。見た目と全然違う。これもマナからできているからなのか。地球の物質と同じようでいて全く違う自由自在に求められるまま変化するマナ。
成婚の儀に送られた装飾品のようにこれらの衣類も夫君のマナで作られているとルイスから説明を受けた。妻のものは夫のマナで作られる。
ルイスの部屋の化粧台に用意されたメイク用品で軽くメイクをする。執務室に入るとルイスは既に正装の騎士服に着替えている。そして成婚の儀で使われた装飾品が入っている宝石箱を手にしていた。
スカイブルーのサファイヤの双眼が私を映している。首飾り、耳飾り、腕飾りと成婚の儀に使われた装飾品を私に着け終わると私の唇へとキスをする。
そして私の左手を取り、手の甲に刻まれた聖樹の紋様にキスをすると、そのままクリストフへ引き渡す。クリストフも同じように左手の手の甲の聖樹の紋様にキスをした後、私の膝裏に手を回し、お姫様抱っこをするといつの間にか開かれた転移ゲートへ向かう。
「とても美しい。ハルカ、よく似合ってます。よろしく。愛しの私の奥さん。」
クリストフのテノールの声で耳元でそう囁かれつつ共に転移ゲートを潜っていった。
転移ゲートはクリストフも他の二人と同様に執務室に繋がっていたらしい。どちらかというとレオンハルトの執務室とよく似て壁面が書籍や書類で埋め尽くされていた。
執務用の机の前には来客用の応接セットが置かれているという、かなりシンプルな感じだった。ただ、どちらかというとより生活感がないかなと感じた時、それを見透かすかのように
殆ど王宮にいるので…… ここには領主としての仕事をするためにだけ、帰ってきていますから。そう、呟くように言う。
「これからは貴女と過ごすので少しだけ多くここで過ごせると思います。ただし、あくまで仮住まいですが…… いずれは…… 『渡り人』様の浄化が終わると夫君全員第一線から職を辞し、一緒に暮らすようになりますから」
窓の外を見ながらクリストフはそう説明をする。
「え? もしかして夫君になったから仕事を辞めるの? 宰相さんなのに? 大丈夫なの?」
「ええ、とは言っても歳が歳ですから、一線を退いても問題はないですし…… 国内外も問題もなく安定していますから。後進に譲るのも吝かではありません」
見た目年令はアラフォーだからか、実年齢も五十七歳だからか、一線を退くにはまだまだ早いような気がする。男盛りなのに勿体無いなと思っているのがわかるのか
「まあ、せっかく夫君になれたことだし、余生を満喫するのもいいのではないかなと思います。私は貴女との時間のほうが何よりも楽しみなので」
まるで新しいおもちゃを手にした子供のようにエメラルドグリーンの瞳がキラキラしながら私を見ている。
「なるほど、生きたおもちゃですか?」
そのまま思ったことを口にするとクリストフは思わず苦笑すると
「ハルカはおもちゃではありませんよ。私の愛する人です。勿論貴女の世界のことも興味は尽きませんが……
それよりも貴女のことをもっと深く知りたいです、ハルカ」
いつの間にか腰を引き寄せられ顎をクイっと持ち上げられ唇が重ねられる。最初は小鳥が啄むように軽く何度も唇を重ねるバードキス。徐々に深く激しくなっていく。
「本当に甘い蜜の味ですね」
そんなことを言うクリストフを見てドキドキしながらも恥ずかしくなって目を逸らす。
「ハルカ、お互いが美味だと思うのはマナの相性がいいということだそうです。本来は魔力の相性なのですが…… 貴女の場合は魔力はありませんから、マナの相性ですね」
マナの相性? 成程マナを供給するには相性も必要ということなのかな?
「相性が良くなければ『マナを吸収』しにくくなるってことなのかな?」
疑問に思ったことをそのまま口にする。
「おそらく、そうでしょうね。 魔力の場合はもっと鮮明に相性の差が出ます。勿論魔力の量の差も大きく影響します。少なくとも私の場合はそうでした」
「そういえば、違うって言ってましたね」
成婚の儀の後、キスの味について報告しあった時、クリストフが亡くなった先妻の時とはキスの味が違うと驚いていたのを思い出した。
「ええ、そうでした。もっとも彼女とは殆ど接触はできませんでした。魔力の量が違いすぎて、こんなに深いキスも…… 夫婦の営みも一度だけでした。彼女の負担が大きすぎて、体調を著しく損ねてしまった…… 彼女にとって私の魔力は毒になってしまったんです」
触れ合えば触れ合うほど相手を傷つけてしまう…… クリストフは寂しそうに微笑する。
「どんなに彼女が私を求めても、それに応じることはできませんでした」
命懸けでもクリストフに愛されたいと思ったんだろうな。でもそれが却ってクリスを孤独にしてしまった。魔力やマナの著しい差はクリストフもレオンもルイスも誰かの手を取り合う事も躊躇させてしまったんだろう。
どう声をかければいいのか上手く言葉が出ない。仕方なくクリストフに背中に手を回し、子供をあやすようにポンポンと叩く。クリストフも同じように私の背に手を回しお互いがぎゅっと抱きしめ合う。
「どこまで…… いつまで生きてられるか分からないけど。そばに居るから。ちゃんとクリスを受け止めるから」
それを聞いてクリストフはさらに力を込めて私を抱きしめる。
「ハルカ、ありがとう。貴女に出会えて、本当に嬉しい」
深く切ないほど深く、激しくキスを交わす。
「貴女が欲しい」
自分を見つめる切実な碧の瞳に頷き返すとクリストフに横抱きされて寝室へと運ばれる。白と碧を基調とした寝室。ベッドの端にそのまま降ろされると、身につけていた装飾品を外し、化粧台へと向かう。
クリストフの上半身が露わになる。レオンハルトやルイスほど身長も骨格もあるわけではないけれど、クリストフも見た目年齢にしては引き締まりしなやかな程よい筋肉をつけている。
「そんなに見ないでください。若くないので、恥ずかしいです」
整った顔がほのかに朱に染まる。
「いえ、綺麗だなと思ったので」
「綺麗だなんて、それは貴女です、ハルカ。とても美しい」
そういうと再びクリストフによって横抱きにされ、ベッドの上に丁寧に下ろされる。それからベッドの天蓋のは柱にまとめられた薄いレースのカーテンを解く。ベッドの周辺をカーテンで遮るとベッドの上にギシッと音をたてて乗ってきた。覆い被さるクリストフの碧眼が合う。
「ハルカ。ありがとう。私を選んでくれて」
何度も何度も繰り返されるバードキス。それが終わると互いに貪りあうかのようなキス。クリストフはそれを心ゆくまま堪能しているように見える。熱いエネルギーの奔流に意識が一瞬真っ白になる。それを見届けるかのようにクリストフが重ね寝ている唇から離れる。愛でるかのように私の額をそっと撫でながら満足そうに
「ハルカは私のものです」
濡れたような碧眼でじっと覗き込むように見られる。クリストフとの初めての夫婦の営みが始まった。
二度見、いや、三度見した。
そんなことは五十五年生きてきて、自覚している限りおそらく初めてのこと。
…………だれ? この男
ヒト
⁇
確か、えっと…… 昨日はクリスと……
目覚めた時、クリストフに腕枕をされていると思った。
なのに…… ふと見上げると見たこともない青年の顔。
銀髪⁇
昨夜の妖艶なイケオジ、見た目年齢四十歳半ばのちょっと枯れかかったクリストフではない、ピチピチの二十代前半の端麗な美青年が気持ち良さそうに寝ていた。
この男
ヒト
、誰? …… 脳内で繰り返す。
初夜早々…… 他の男
ヒト
と⁇ これはまずいんじゃ…… そう思い、身体を離そうとすると、それを拒むかのようにギュッと抱きしめられた。覚えのある、ほのかに甘い蜜の香り。
クリス⁇ …… え⁇ なんで? 昨日、散々啼かされた男の匂い。身を捩り、抱きしめられた腕から逃れようとすると、少し眉を顰め閉じていた瞼が開く。見覚えのあるグリーンサファイヤの瞳が私を見る。
「ハルカ⁇ どうしましたか? そんなに驚いた顔をして⁇」
聞き覚えのあるテノール。ああ、でも少し高めの張りのある声。
「………… クリス⁇」
「はい。そうですよ。どうかしましたか⁇」
クリス? クリス⁇ なんで⁇
驚愕のあまり言葉が続かない。そんな私の状態にクリストフは訝しそうに見る。
ああ、そうだ……
「クリス? か、鏡を見て……」
私がそう言うとクリストフはパッと掛布を捲って一糸纏わぬ格好のまま、部屋に置かれた化粧台の鏡の所へ行く。クリストフは鏡を覗き込むと
「あっ、やばい、やりすぎた」
そう言うと慌てて、部屋を出て行った。
素っ裸なのに…… そう思った瞬間、部屋に戻り、さささと着替えて再び部屋を出て行った。その様子をただ唖然と私は見ているだけだった。
それから少し、五分もしなかっただろうか、二度ほんの少し空間が揺らいだような感覚に陥った。隣の部屋が急に騒がしくなったと思ったら、いきなり部屋が開け放たれた。
あ、レオン、ルイスまで…… 二人も慌てた様子でベッドの脇に立つ。掛け布をパッと剥がされる。
「きゃっ、やめて、ルイス、何するのよ」
そんな抵抗をものともせず、ルイスは私の身体を調べるかのように確認する。
レオンハルトにも確認させながら。ふと見ると至る所に明らかに所有痕とは違う、白い星型のような痕がいくつもついている。ルイスにその痕を触れられると僅かに痛みが走る。
どんどんルイスとレオンハルトの表情が厳しくなる。何が起こったのか、どんな状況なのかわからずに戸惑っている私にレオンハルトが再び掛布をかけ直してくれた。
「身体は? 起きられる?」
レオンハルトが心配そうに、気遣うように私を覗き込む。ルイスが水色の液体の入ったガラス瓶を私に手渡す。
「回復用のポーションだから、飲んでおいたほうがいい……」
そう言いながら私にお頭を優しく撫でる。
「クリス、ちゃんと説明しろ」
二人の攻めるように厳しい声。
「…… やりすぎた」
気持ち良すぎて、箍が外れたらしい。夫婦の営みそのものによってマナ自体は大量に供給されるらしいのだけれど……
クリストフが見ため年齢が二十歳若返ったのは『恩恵』を大量に浴びたからだという。つまり、聖女の『恩恵』を検証したかったらしい。正しくは記録されているから、それでも確認できると淡々と語るクリストフ。
…… えっとつまり…… 箍云々もだろうけど、どちらかといえば『恩恵』の検証もしていたってこと⁇ 無理やり覚醒させながら⁇ なんかムカついてきた……
室内にパンという音が響き渡る。私はクリストフを近くに呼び寄せ、思いっきり横っ面を叩いて、抑えきれない怒りをぶつけてしまった。
「クリス、最低」
クリストフの赤く染まった頬を抑えながら、鳩が豆鉄砲を食ったような、唖然とした表情で私を見る。
私は手の痛みと誰かを怒りにまかせて叩いてしまったことと、まるで実験動物のように三人に扱われたことに精神的に追い詰められたのか、感情のセーブが効かなくて泣いてしまっていた。レオンハルトに抱きしめられ、背中をポンポンと子供をあやすように叩かれる。すると意識が暗闇の中へと落ちて行った。
「眠らせたの?」
「ああ。あのままだと、また『マナ欠乏症』が悪化してしまうからな。怒りや感情の大きな揺れは致命的になる。しかも、あれだけ傷痕をつけられると……」
クリストフがハルカの身体に残した白い星の疵跡は回復魔法の効かない『渡り人』をただ意識を保つための覚醒としてつけたものだ。
「あれは『マナの源泉』では治らないからね…… 治るのも時間がかかるだろうし…… 本当にとんでもないことするんだから、お前、宰相だろ⁇ 何やってるの⁇」
「ルイ、お前が陛下に報告しろ。クリスは、ハルカが許してくれるまではハルカには触れるな。それから、一気に若返ったお前が出歩くのはハルカを余計に危険に晒すことになる。ルイスと一緒に現地でハルカの『浄化』のための準備の『結界』を張る作業に加わって少し魔力の放出をしろ。今のままだとまずい」
「レオンは?」
「ハルカを保護する」
「そう。まあ仕方がない。第一夫君はレオンだから…… ほら、行くよ、クリス。数日寝ずに『結界』張り続けても、それだけ『恩恵』受けてれば問題ないよ。ハルカに無理させられないんだからその分働け!」
そういうとルイスはまだ放心気味なクリストフの襟首を掴んで引き摺るように転移ゲートを潜っていった。
残されたレオンハルトはぐったりと意識のなくなったハルカをお姫様抱っこをすると転移ゲートを潜り、自分の領地へ向かった。