ハルカ 異世界でイケメンと出会う
いつもの歩道に黒い影が目に入った。
車道は相変わらず通勤の車で渋滞気味で、人の行き来の流れも特に異常もなく、その影を避ける事なく歩いている。なので全く警戒する事もなく、その影を踏むようにそのまま一歩を踏み出した。
炸裂したような白い閃光が起こり、まぶしさに目をつぶる。誰かにぶつかられたかのように身体が前方につかれ、バランスを大きく崩し身体が持っていかれる。
影だと思っていたのは真っ暗な大きな穴でその中へすごい勢いで吸い込まれていった。高層ビルから落ちるかのように、強い重力に加速されるかのように。
ああ、これは死んでしまうやつだと本能的な危機を感じながらもなす術もなく暗闇の中をただ落ちていく。
どこまで落ちていくんだろう…… 怖い。
そう思った直後、それまでの重力に反発するように強い風が起き、その風圧と重力が相殺されるかのように徐々に落ちていく速度が減少した。
内心ほっとしたのもつかの間、強い光りに包まれたまま落ちていく。
次の瞬間、ドンとなにか堅いものにぶつかってすごい衝撃を受けた。その衝撃による痛みで身体が動かせない。
何かの乗物の上なのか振動が結構強く感じる。誰かに身動きが取れないように身体を抱え込まれているようだ。
徐々に意識が明瞭になりつつあるのを自覚したと同時にものすごい悪臭が襲ってきた。生ゴミが腐ったような強い腐臭と腐った沼のような臭いで息もできない。
臭すぎて吐きそう…… 某メーカーのファブさんのコマーシャルのように誰かシュッシュして欲しい。
「空気洗浄」
息も絶え絶えに口に出た。ボンと化学反応が起きたように白い光りが起きた後、空気が澄んで、ミントの香で呼吸ができるようになった。
ほっとしたのと同時に身体に感じていた振動が止まる。身体の向きを少し変えて、目線を下に向ける。
自分が感じていた振動が馬のもので、自分の身体が西洋風の甲冑を全身に身につけた誰かにガッツリ抱え込まれている事を初めて気がついた。
私が身体を動かした事に気付いたのか、抱え込まれている誰かの腕が私の視界を遮らせるかのように、体勢を固定させるかのように更に力が込められる。
……? え? 何? 人さらい? 何? こ、怖いんだけど…… ここ…… どこ⁇
パニック起こすと思考停止というのは案外正しい。逃げなきゃと本能的にわかっているのに身体は身動きもできないくらい固定されている。抑え込めていた力がふっと緩んだと思ったら、再び馬の振動が始まった。若干速度を上げたと思ったら、また悪臭の中にいた。
最初の時のように「空気洗浄」を口にする。その言葉に反応するかのように、空気が澄み渡る。その度、馬が停止する。誰かの指示で馬や人が移動するのが何となくわかった。やがてゆっくりと馬が動き出す。
しばらくすると再び悪臭の中にいて「空気洗浄」を呪文のように繰り返す。同じように空気が澄み渡る度に馬を停止させ、指示を受けた人や馬がどこかに移動しているらしい。それを数十回繰り返しただろうか、いつの間にか馬を停止させ、それまでガッツリと身体を固定していた誰かの身体が離れ、馬から先に下りた後、甲冑姿のまま、私の身体を軽々と馬から降ろした。
馬から降ろされた私の目の前にどこかの映画のセットのような中世ヨーロッパ風の砦があった。
※※※※
おそらく大きな穴から落ちた衝撃とずっと馬上で身動きが取れないように固定されていたからだろうか、全身痛と状況が全く判断できないショックで、促されても一歩も動けない。
立ち尽くしていると、馬上で私を乗せていた全身を西洋風の甲冑で覆われた誰かがひょいと私をお姫様だっこで抱き抱え、砦に入ろうと一歩踏み出した時、再び酷い悪臭が漂ってきたのでその度に最早呪文化した「空気洗浄」を繰り返す。
空気が清浄されると再び何かの指示を受けているのか、やはり五、六人の集団がすぐにその場を移動していく。それを三度ほど繰り返すと砦の中のある部屋に抱きかかえられたまま入っていった。
その部屋の中には全身甲冑姿の誰かと同じく全身甲冑姿に深紫のマントを身につけた誰かと私の三人だけだった。全身甲冑で覆った二人が兜をつけたまま何やら会話をしている。
何か話しかけてきたけれど、それは声というよりは雑音のような奇妙な音。意味がわからず答えられない。するとマントを身に着けた方がグローブを外した右手の人差し指を私の額に当てて何か呪文のようなものを唱えた。三半規管が反応したかのようにクラっとする。ラジオをチューニングするかのようにチャンネルが合わされたような感覚がする。
マントを身に着けていない誰かが、その後もう一度私に話しかけてきた。
「こんばんは。『渡り人』様」
深みのあるバリトンボイス。いい声だ。
同時通訳のように自分の脳に直接話しかけられたかのように明瞭に聞こえた。
渡り人? 少しの躊躇の後、勇気を出して応えた。
「こんばんは」
私がそう答えるのを確認すると二人はようやく兜を外した。
二人とも見た事もないような見事な銀髪。吸い込まれるような綺麗な蒼い瞳、いや、色の濃淡に差がある。
でも顔は…… クローンのように非常によく似ている。双子?
年齢は、二十代後半か三十代前半位に見える。彫りの深い、鼻筋がくっきりと通った、三次元というより二次元の産物のような整った目鼻立ち。それに両方とも背が高い。一九〇センチくらいありそう。マントの方が少し低めか、一八五センチくらい? マントがない方が短く刈り上げた髪で、胸板も厚く骨格ががっちりしている。マントをつけている方は若干ストレートの若干長めで前髪を手櫛で後ろにさっとかき分けている。こちらも結構均整のとれた体格をしている。両方とも鎧も着ているせいか、見事な体躯なのに、顔は女性のように少しソフトで甘い印象だ。
この人達、自分と同じ人間なのか⁇ なんかレベル桁違いなんだけど……
私が不躾なくらいまじまじ二人の顔を見ていると二人とも私の胸元を見て、突然真っ赤になって顔をそらした。
「君、女性だったんだ」
髪の短いの男性がどこからか持ってきたであろうブランケットのようなものでさっと私の身体を包むように覆いながら言う。
え? この人、ずっと抱きかかえていたのに今頃気付く⁇ もしかして…… 随分と乱暴に扱われていた感があったのは男だと思われていたからか。いやでも女性と男性はいくらなんでも間違わないんじゃないのか…… 脂肪がつきすぎて、ボンレスハムで、わからなかったのか…… 地味にショックだ。
春先なので黒デニムに少しふんわりめの白いブラウスとベスト、ジャケットだけだったし、シンプルにボーイッシュにいつも通りまとめていただけだけど。胸が寂しいのと髪の毛短いからかな。身長は一六三センチだけど体重は史上最大だから、太ったおじさんのように見えたからかな。
今更ながら、ちょっとむっとしてしまった。いいけどね、別に。
二人の様子を見ると安全なような気もするけれど……
ここが一体どこなのかも状況が全く見えない中、うかつな事はしゃべれない。
一体今どうなっているんだろう?
「クリスが来るまで待った方がいい」
「そうだな」
「緊急事態だから、ゲートで来るだろう」
「しかし、女性だとは…… これはもめるな」
ふうっと双方が溜息をつく。ちらちら私の方を見ながら二人は会話を続ける。
「それにしても、すごい浄化力だったな」
「お前くらいかな、レオン」
レオンといわれたのはマントを着ていない男性。
「いや、はるかに強い。強すぎる」
「聖騎士でソードマスターのお前以上ってことか」
そんな会話が聞こえてくる。会話が途切れたなと思った時、突然私のお腹がキュルルと大きく鳴った。
大きなお腹が鳴る音…… 二人の目の眩むような美形の視線が自分に向けられる。流石におばちゃんとはいえ、これはかなり恥ずかしい…… 恥ずかしくてあたふたしていると、
「レオン、何か食べれるものある?」
「何かあるかも」
そういって、レオンと呼ばれた髪の短い男性が、空中からスコーンのようなパンのようなものと小さなビン詰めの蜂蜜に似たようなものを取り出すと、私の目の前に持ってきた。
空中⁇ 何? トリック⁇ まさか、魔法⁇
躊躇して身動きが取れずにいると
「こんなものしかないけど」
スコーンもどきを二つに割ってさらに一口大にちぎると、ビン詰めの液体をそれにとろりとかけたものを口先にまるで餌付けをするかのように差し出される。
どうしたらいいの? 男性の行為に驚いたけれど、かなり躊躇したけど、思い切ってそのままパクッと口に入れる。サクサクした生地に蜂蜜の甘さが口の中に広がっていく。美味しい。ずっと食べていなかったからかな。身体にしみわたる。
もぐもぐと食べていると再び口先に同じものが差し出される。ぱくりと躊躇いもなく口に入れる。それを繰り返していくうちに、まるで幼子を見るかのような柔和な蒼い瞳に、少しずつ警戒心が解かれていくのを感じていた。
日が暮れて気温が少し下がってくると「ルイス」と呼ばれた男性が自らの左手の手の平を上向きにして呪文を唱えると結構大きめの光りの玉が作られる。丁度三人のいる中央にそれを置くとそれは温かな熱を放ち、冷えていた石畳の部屋を暖めていった。その温もりでうとうとしかかった時、部屋の中に人が入ってくる気配がした。顔を向けると黒いフードを被った誰かが部屋に入ってきたのが見えた
「遅かったな」
レオンと呼ばれている男が黒いフードの誰かに声をかける。
「いろいろ準備があるんだ。それに本当に『渡り人』で『聖人』なのか?」
溜息まじりの低い声で男性だとわかる。
「ああ、確実にそうだ。ただ『聖人』ではなく『聖女』だ」
今度はルイスと呼ばれている男が発言する。
「『聖女』? それは面倒な事になりそうだ」
意外そうに、厄介ごとを抱えてしまったかのように言う。
「そうか…… 仕方がない。記録を始める。二人が記録と承認になってくれ」
そう言うと黒いフードを脱いだ。