最終話『最後の休戦』
【星間連合帝国 ラヴァナロス星 シルセプター城 玉座の間】
<15:30>
シルセプター城内にある玉座の間は広い。入室する扉から玉座までの距離は単純に百数mはあるだろう。カンムはその広い玉座の最奥、つまりは玉座の前に用意された座席に腰を下ろしていた。
腕を組みながら席に付いていたカンムはチラリと視線を動かす。そこにはホバリングする映写機から映し出された帝国宰相エリーゼ・ラフォーレのホログラム映像が浮かび上がっていた。
『では、フマーオスと神栄教の軍事演習は終了したという事ですね?』
『諜報部の話だと間違いないっス。ただ念のために私はもう少しこっちの宙域で監視するッス』
エリーゼの問いに対して、演習を監視していたジャネット・アクチアブリはそう返答する。
エリーゼからジャネットに視線を動かしながら、カンムは彼女が優秀だと改めて察した。エリーゼと同じくホログラム映像で浮かぶ彼女はにこやかで親しみやすい表情を浮かべている。出会った頃から操縦技術と戦略力をシャインに評価されていた彼女だが、敬愛していようが嫌悪していようが彼女の顔色が変わることは無い。その“嘘”を隠す力は彼女の最も優れた力なのかもしれない。
そんなカンムの感情はダンジョウが口を開くことでかき消された。
「んじゃあよ。これからの連中の動きがどうなるかオメェ等で予測してくれ。ほら、俺バカだから分かんねぇし! カッカッカ!」
ゲラゲラ笑うダンジョウを見てカンムは苦笑を浮かべながら鼻を鳴らす。
そんなダンジョウの軽口に対して唯一普段と変わらない氷の表情を浮かべていたエリーゼは淡々と告げた。
『デセンブル研究所のオリジナルフレームとデータ確保に失敗した以上、連中がこの帝国に対抗しうる力は無いに等しい。そう考えると休戦を申し込まれる可能性が高いでしょう』
「そうか。他のみんなも同じ考えか?」
ダンジョウはそう言って周囲を見回してくる。恐らく、ここまでのエリーゼの回答に異議を唱える人間はいないだろう。問題は次に告げるエリーゼの言葉だった。
『となれば、帝国としては今すぐにでもフマーオス星、ジュラヴァナ星に対してけん制の意味を込めた軍事侵攻を行うことが最良と思われます。現状であればこの二星を制圧することは難しくないでしょう』
彼女の言葉にカンムは発言をすべきか迷った。しかし、彼より先に珍しくビスマルクが口を開いた。
「……得策とは……言えんな……フマーオス星は……ともかく……ジュラヴァナ星に……軽々しく……手を出すのは……危険だ……神栄教徒は……帝国内にも……かなりの……数が……いる……」
がそう告げるとエリーゼは不愉快そうにビスマルクを一瞥しながらダンジョウの方に振り返った。
『そうです。なので神栄教に関する宗教制限を掛けるべきでしょう。昨年の時から私はそう進言していたはずです』
「……今宗教弾圧を行うのは危険だ。神栄教は独立宣言を告げているだけで、帝国に対して明確な攻撃行動は起こしていない」
カンムはそう言ってエリーゼに対してけん制を行うが、彼女はどこ吹く風と言わんばかりに告げた。
『国民への印象操作など簡単に行えます。軌跡先導法に従わなかった人間の犯罪率は相変わらず横ばいです。彼らの中から神栄教徒をピックアップすれば問題ないでしょう』
『偽情報を報道するんスか? 情報操作はダンジョウさんの方針にあってないっスよ』
『いいえ、あくまでも公開情報の中に犯罪者が神栄教徒だったという情報を付け加えるだけです。決して偽情報を流すわけではありません』
「印象操作と言うのは情報操作を言い換えたに過ぎん」
『政治というのは綺麗事だけでは出来ません。貴方方が皇宰戦争を勝ち抜けたのはその印象操作もあってこそなのをお忘れなく』
「……ヴァインは……印象操作など……しておらん……」
『私が申し上げているのは結果論にございます。感情論を出すのはおやめください。何より、私はあくまでもご提案しているだけ……お決めになるのは陛下です』
エリーゼはそう言ってダンジョウの方に振り返る。
ダンジョウは片足をテーブルに乗せながらストローを咥え、汚く「ズズーッ」と音を立てて飲み干す。そして空になったボトルをホバリングするお盆に置くと、事も無げにいつもの屈託のない表情で実に彼らしい言葉を告げた。
「宗教自体への弾圧は駄目だ。悪徳な所だってんならいくらでもぶっ潰してやるが、神栄教はクリーンにやってんだからな」
ダンジョウらしい回答にカンムは緊迫した表情を僅かに緩ませる。
『では先にフマーオス星を制圧するのはいかがですか?』
「まだ交渉の余地は残ってんだろ。制圧は最終手段だ。休戦状態になるんなら尚更じゃねぇか」
ダンジョウがそう告げるとエリーゼは『左様ですか』とだけ告げて口を噤んだ。
ダンジョウは再び周りを見回すと、小さく「うし」と置いてから再び口を開いた。
「んじゃ、今日はここまでだな。宰相はフマーオスと神栄教に会談の交渉を続けてくれ」
『承知いたしました』
「かといって休戦宣言されたわけじゃなぇからな。ビスは各惑星の防衛策や部隊編成をもう一回見直しな」
「……御意……」
「ジャネットはそっちが終わったら各星の防衛ラインを廻ってきてくれ」
『分かったッス』
「カンムは引き続きアイツの面倒を見てやってくれ」
「はっ」
ダンジョウがそう告げると同時に会議の終了を全員が察した。それと同時にエリーゼが『失礼いたします』と告げると彼女のホログラムは一瞬で消え去った。
エリーゼが消えるとほんの僅かな静寂が訪れると同時に再びホログラムが浮かび上がる。そこに現れたのはレオナルドだった。
『皆さん会議お疲れ様です』
その丁寧な口調と朗らかさにこれまでの会議のヒリついた空気が消えていく。カンムの中には「人の苦労も知らずに」とも思わせる感覚もあったが、ダンジョウは相変わらず楽しそうに答えた。
「おうレオ! 待たせちまってワリィな」
『仕方がありませんよ。カンムさんの冤罪はともかく、僕は歴とした元海賊ですからね』
「宰相の顔色伺うのも気苦労すんだぜ?」
ダンジョウがそう言って面倒くさそうに欠伸をするのを見てカンムは腕を組んだまま思わず口を開いた。
「陛下に気苦労があるとは思えませんがね」
『あ、同感っス』
「……二人とも……不敬だ……」
気の置けない面々の軽口にダンジョウは再びケラケラ笑う。そして話を戻すかのようにテーブルの上に置いていた足を下ろした。
「さて、面白話は面倒事が終わってからだ。ビス」
「……御意」
ビスマルクはダンジョウに一礼すると、デセンブル研究所から回収したデータを浮かび上がらせる。その情報を眺めながらダンジョウは背もたれに身体を預けた。
「粒子分解弾の情報は抜き取れてる。研究所も破壊したしコイツが神栄教やフマーオスに行く可能性は少ねぇだろ」
『回収できたっていうオリジナルフレームはどうなんスか?』
「二着あったものが一着に纏められている。謂わば二人で着用する物になっていたな」
『二人乗りって事っスか。それ多分クレア博士の計画ッスよ。生前にそんな話してたっスから』
「カンム」
ジャネットとカンムの会話に割って入るようにダンジョウが口を開く。そして彼は頬杖を突きながら再び尋ねてきた。
「この熾天式ってBE……オメェのところの若いのが動かしたんだよな?」
「はい。色付きのヤシマタイトで……」
『僕も見ていました。ただあまり上手な戦い方とは言えませんね。ビスマルクさんもご覧になっていたでしょう?』
「……愚……としか……言えぬ……」
二人の的確な考察にカンムは苦笑する。そしてダンジョウを見据えながら告げた。
「私としても想定外でした」
「だろうな。色付きのヤシマタイトを起動させたのはシャインのババァと……俺しかいなかったからな」
『動かしたのはアーク君ッスか?』
「ああ、よもやアイツにタガを外すことが出来るとはな……しかも陛下の時とは違う。奴は自然と動かして見せたと聞いている」
『よほど脳に負荷がかかったトラウマがあるのかもしれませんね……ダンジョウさん、彼を監視下に置くことをお勧めしますが』
レオナルドの提案にダンジョウは腕を組んでしばらく考え始める。しかし、すぐに「うん」と頷いてから再びカンムの方に視線を向けてきた。
「しばらくはこのまま様子見ようぜ。アイツの近くにいるんならそれでいいや。カンム、オリジナルフレームはそのままオメェ等に預けとくわ。んでソイツはこってり指導してやれ。俺に剣術教えた時みてぇにな」
ダンジョウの言葉にカンムは小さく微笑む。そして懐かしい日々を思い出した。
「陛下にご教示させていただいた時ですか……優しくせねばなりませんな」
「バーカ! オメェとババァの指導が死ぬほどきつかったわ! ビスとベンは加減できねぇからババァのストップ掛かるし、ヴァインに勉強教えろって言ったら「えぇ? 面倒臭いですよね」って言いやがるし! 優しかったのはレオとイレイナだけだな!」
『え? ウチも優しかったっスよね?』
「オメェは雑なんだよ! 「グッと行ってバーッとやるんっス」て教えられて操縦技術が身につくと思うか?」
和やかな空気の中でカンムは微笑む。ここにシャイン、ビスマルク、イレイナ、ヴァインもいれば何も問題なかっただろうと思いながら彼は再び真面目な表情に切り替えた。
「陛下、保護した少女の件ですが」
カンムがそう告げると、ダンジョウは笑顔から一転して神妙な面持ちで振り返ってきた。
それは彼にとっても重大な事だったからだろう。そしてダンジョウだけでなく全員が先程の笑顔から一転している。カンムは空気を変えたことに多少の罪悪感を抱きながらも言葉を連ねた。
「検査の結果、特に身体に問題はありません。ただこの海陽系には無い遺伝子情報だらけの為B.I.S検査で数値は取れませんでしだ。ですが一部の異常値が見つかっております」
「……一部……か……」
ビスマルクの一言にカンムは大きく頷いた。
「精神面で異常な箇所があります。所謂神通力ですが……この数値はかつてのシャイン殿さえ超える数値です。ハッキリ言えばとても現代の人間とは思えません」
『現代じゃない……って事は……そういう事っスよね』
ジャネットがそう言ってダンジョウの方を見る。
ダンジョウはオールバックの髪を撫でると、大きく深呼吸をしてから再び口を開いた。
「分かった。オメェが監視を続けてくれ。間違っても神栄教のヤツに気付かれねぇようにな」
「承知しております」
ダンジョウは唯一重苦しい表情を見せると同時に再び背もたれに身体を預けて大きく息をついた。
クレア・フェスタ……彼女はこの帝国、そして神栄教にとって切り札でありアキレス腱でもある。その事実が明かされるのはもう少し先の事だった。
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【星間連合帝国 衛星ジオルフ 食堂シーウルフ】
<17:48>
もう節約などとは言っていられない。節約にかこつけて命を落とせば元も子もないのだ。その当たり前の感情がアークを突き動かし、彼は問答無用で暖房のスイッチを入れた。
天井から暖かな空気が舞い降りて来る。アークは被っていた毛布を広げながら全身でその暖気を受け入れた。
「あー……イイ……オナニーに負けないくらい好き……」
身体の震えが収まっていく。するとカウンターの先にある調理場から「ジューッ」という噴きこぼれの音とあまじょっぱい香りが広がり、アークは慌てて大鍋に掛けていた火を止めた。
「ん~イイ匂い。やっぱりこれ絶対に美味いよね。みんな食わず嫌いしちゃってさ~」
彼はそう言いながら大鍋の中で煮込まれた臓物とスープをかき混ぜる。すると店の扉が開くベルが響き渡った。
「うがーッ! 寒イ! こぎゃん降るとは聞いちょらんばイ!」
「予報が外れたね。こんな大雪になろうとは」
「あ、でも店内あったかいわね~」
矢継ぎ早に口を開きながら帰ってきたメアリー、エルディン、ミヤビにアークは渋い表情で叫んだ。
「ちょっとぉ~! 早く締めてよ! 風入ってくんじゃん! これ以上寒くなったらメー子とミヤ姉には俺とベッドで大人の乾布摩擦してもらうからね! ぐへへ!」
「……ふーん。二人にそういう事頼むわけ」
正面の入り口ではなく背後から届いた声にアークは先程の寒さ以上に身体を硬直させる。そして恐る恐る振り返ると、優しい笑顔のリオが立っていた。
「わ、わーお! 愛しいリオ! 愛してるよ! ほらお帰りのチューをムグッ!」
リオは有無も言わさずに右手で彼の両頬を挟み込む。その力は絶大でアークは思わず両手で彼女の右腕を掴みながら声を上げた。
「いふぁいいふぁい! ふぉふぇん! ふぉんふぁふふぉひは!」
「ん~? 何? 聞こえなーい。ちょっとでも反省の言葉を口にしてるんだったらね~……もう遅いんだよギガボケ!」
「ぎゃう!」
壁に嵌めこまれている冷蔵庫に押し付けられ、アークは後頭部を強打する。それと同時にようやくリオが手を離すと彼は蹲りながら両頬と後頭部を交互に撫でまわした。
「痛い……これはDVだ! 離婚の時の証拠にするからね!」
「離婚って何ですか?」
その言葉にアークは顔を上げる。
そこには蹲るアークに目線を合わせるようにクレアがしゃがみながらアークの顔を覗き込んでいた。
「あら、お嬢ちゃん。結局ウチに来ることにしたの?」
「はい。お兄ちゃんはどうでもいいですがお姉ちゃん、お兄様、メー姉、ママは信用に値すると思ったので」
クレアの口から聞いたそれぞれの呼び名を聞いてアークは思わず顔を顰めた。
「ママ……ミヤさんのままごとに付き合わされちゃって……ちゅーか何で背後を取られたんだ俺?」
「裏口から入ったのよ。正面口は通りから見えるけど裏口はちょっと入り組んでるでしょ? だったら一回行った方が早いってわけ。クレアもここに住むんだから家の構造をちゃんと覚えないとね」
アークに向けたものとは対照的な優しい笑顔でリオはクレアの頭を撫でた。
クレアの頭を撫でていたリオは何かに気付いた様に「ん?」と告げる。彼女の視線の先には火にかけていた大鍋があり、リオは嫌な予感を絵に描いたような表情で近付き蓋を開いた。
「あっ! ちょっと! アンタまたこれ作ったの!?」
「あ、そうそういいでしょ? メー子はこの前食ったけど、エル吉とミヤ姉も食ってみてよ」
アークはそう言って立ち上がると、カウンター越しの客席側に居た三人はぞろぞろと歩み寄ってくる。鍋の中身を察したメアリーは笑みを浮かべるが、同じく気付いたであろうミヤビはまるで誤魔化すようにカウンターテーブルの拭き始めた。
「なんネ? あん美味しいヤツ?」
「あら~ちょっと汚れてるわね~」
二人のリアクションを見たエルディンは何かに気付いた様に美しい金髪を掻き上げながら口を開いた。
「また実験料理か。一体何を作った?」
「ポルク臓物のパルセーヌソース煮込み! これね! 本当に美味いから!」
カウンター越しに鍋の中を覗き込んだエルディンが尋ねるとアークは胸を張って答える。そんな彼の首をアームロックしながら声に怒りを滲ませた。
「だっかっら! 食材費を無駄にすんなっての!」
「痛い痛い! 大丈夫きっと美味しいから! 多分! もしかしたらだけどね?」
「ちゃんと味見をしろ! まず何で煮込みでパルセーヌソースで煮込む!? あれって掛けるものでしょーが!」
「ウゲッ! 待って! 飛ぶ飛ぶ!」
リオはそう言って右腕でアークの頭を掴んだまま、左手で彼の片足を持ち上げて状態を仰け反らせる! 特殊な締め技を見せつけられたクレアだが、何かに気付いた様に目を輝かせた。
「あ、分かりました! お兄ちゃんはセンスが無いんですね!」
「クッちょン、人の欠点ばストレートに言うんはよくなかばイ」
「いや、意外と観察力があるのかもしれないね。僕の指導があればこの年で男を誑かせることが可能かもしれないよ」
「クッちゃん~? リオちゃん以外のいう事はあんまり聞かないようにね~? あら~ここも汚れてるわ~」
「どうでもいいけど助けて……落ち、る」
アークの意識が飛びかける。すると決着を示すゴングか、果ては彼を救う救済の鐘のように再び店の扉が開くベルが響き渡った。
入って来た人物を見てミヤビは「キャ! おかえりなさ~い」と猫なで声を上げて駆け寄っていく。中に入って来たカンムはコートの雪を払ってからミヤビに「すまん」と言って預けると、アークたちを見て呆れたように小さく息を付いていた。
「お前たち何をしている。もうすぐ開店だぞ」
「「「「「え?」」」」」
アークだけでなくリオ、エルディン、メアリー、ミヤビも続けて戸惑いの声を上げる。そんな面々など気に掛けるわけでもなく、カンムは淡々と言葉を連ねながら壁に掛けてある前掛けを締め始めた。
「何を呆けている。任務は終わった。であれば通常通り仕事をするのが普通だろう」
彼の言葉に五人は引き攣った表情を浮かべるが、メアリーは誤魔化すように笑みを浮かべた。
「カ、カカカ……ボスも冗談が下手じゃわイ。こぎゃん大変な仕事ば終わったばっかじゃのに店ば開けル?」
「そうだよ! 禁欲の上にさらに労働するなんて俺もう死んじゃう!」
アークは追撃の言葉を放つが、エルディンはツッコミを入れる事なく告げた。
「今日一日くらい休んでも罰は当たらないだろう。皆疲弊している」
「それね! 俺もう右手をこう上下に動かすことしかできませんよ」
アークはまた追撃のように右手を上下にピストン運動させるが、次にミヤビは困惑ともお願いともとれる笑みを浮かべながら告げた。
「私も~今日はお風呂に入ってぐっすり眠りたいかな~なんて~」
「お風呂入んの? 何時? その時間だけは空けとぐふっ!」
流石にしびれを切らしたのかリオがアークの頭にげんこつを振り下ろす。そしてクレアを抱きかかえながら告げた。
「ボス。私としてはお店開けるのはやぶさかじゃないけど、今日はクレアが来たばっかりだし」
リオの言葉にカンムは「む」と告げてから振り返るとつかつかとリオの方に歩み寄っていった。
地面におろされたクレアはカンムを見上げる。すると彼はそっとクレアの頭に手を置いた。
「お前がクレアか。今日からここで暮らす以上、お前にも手伝ってもらわねばな。だが見ての通り小さい店だ。接客から始めてみるといい」
「接客……接客って何ですか? それと貴方は誰ですか?」
「私はカンム・シーベル。ここに居る連中の保護者だ」
「保護者……あ! 貴方がパパですか!?」
クレアの言葉にミヤビは勝手に「そう! 私がママよ~!」といって顔を覆うが頬を染めているのが見て取れる。しかしそれ以上にアークとメアリーとエルディンは思わず「オエッ……」「噓ばイ」「道理で雪なわけだ」という言葉を口にした。クレアの頭に手を置くカンムの表情はアークたちには見せたことが無いような優しい笑顔だったからだ。
「パパなどという無様な呼び名は私に相応しくない。そうだな……父上とでも呼ぶと良い」
「父上……はい! 分かりました父上!」
そう言って頷くクレアを見てカンムはいつものような仏頂面に戻ると、アークたちを見回して再び口を開いた。
「お前たちもこの子の素直さを見習うと良い。アーク、仕込みは済んでいるんだろうな」
カンムがそう告げるとアークは我に返るように首を振った。
「い、いやいや待ってよ。お店開けると思ってなかったから特製スープだけよ?」
「材料は?」
「あるっちゃあるけど」
「突き出しにそスープを出して注文があれば時間をもらいメニューの物を作れ。今日は簡単なものだけでも構わん」
「しかしこんな雪だ。客足も遠のくんじゃないかい?」
冷静さを取り戻したエルディンがそう告げると、カンムは呆れたように溜息をついた。
「どの店もそう思っているだろう。だからこそ開ける意味がある。仮に来なければ自分たちで食せばいい話だ。メアリー、お前も腹が減っているだろう」
「ばってン、そいこそ無駄じゃなかト?」
「そう思うならお前の力で集客することだ。ミヤビ、テーブルを拭いておけ」
「はい~! ア・ナ・タ~!」
「リオ、今日は暑めの飲み物が出るだろう。電源の切替をしておけ」
「はーい」
既に自己妄想の世界に入っているミヤビと元より店を開けることに抵抗は無かったリオは素直に指示に従って動きだす。
有無を言わせないカンムの言動にアークとエルディンとメアリーはようやく諦めの表情を浮かべる。それぞれが重い足取りで開店の準備を始める中、時計の針が六時を指した。この大雪の中ではどうせ客などこないと高を括っていたアークだったが、その予想は一瞬で裏切られた。開店と同時に扉が開くベルが鳴ったのだ。
「ふぃ~寒い寒い!」
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土木建設業者であるアンドルフ・フライはようやく人心地が付いた気分だった。予想以上の大雪のせいで工事はとん挫し、自宅に帰ろうにも交通網が雪で完全にマヒしていたからだ。仕方なく彼は近くの店で空腹を満たそうと思っていたのだが、この大雪のせいかどこの店もやっていない。そんな中で明るい電飾が光るこのシーウルフという店は砂漠の中にポツンと佇むオアシスのように見えていた。
「あ、フライさん、いらっしゃい」
「おうリオちゃん!」
アンドルフはそういって桃色のインナーカラーをしたリオからおしぼりを受け取る。彼女はこの店の事実上リーダーのような感じで、客との掛け合いも悪くない。恐らく彼女がいるからこの店は持っていると言ってもいいだろう。
カウンター席に通されたアンドルフはリオからおしぼりを受け取ると冷えた顔を温めるようにおしぼりを広げて顔の上に乗せた。
「あん? あんまり温かくねぇな」
「ごめんね。ウチもお店開けるか迷ってたからさ。お酒はいつものでいい?」
「おう頼むわ」
アンドルフがそう言うと、リオは「はーい」と言ってキープしている彼のボトルを取りに行く。
この店は何度か来たことがあった。味にバラつきはあるが悪くはない。そして従業員もグラマラス美女のミヤビや、とんでもないイケメンのエルディン、レジに立つ義手のメアリーも中々話も面白かった。更にオーナーのカンムはというとあの八賢者の一人というのだからアンドルフにとって驚きだ。しかし、彼がこの店で最も楽しみを感じる人間は別にいる。それがカウンターの奥に居るアークだった。
「おうアーク!」
「いやぁ~おっちゃんまた来たの? 好きだねぇ~? 俺の味の虜になっちゃったんでしょ?」
「当たり外れが多いけどな。それよりアークのおかげでこの前のレースは快勝よ!」
「お、やっぱり? まぁあれはエル吉が調べてくれたんだけどね! あ、ちょい待っててちょ。うんまいスープがあるから!」
アークはいつもの調子でそう告げる。
しかし妙だった。普段は気さくな雰囲気の店内だが、その日はどこかよそよそしさがあったのだ。その証拠にカウンターの先にある厨房ではエルディンとミヤビの美形コンビが何やらヒソヒソと話し込んでいるようだった。
「ほいボトルね」
「水割りじゃったじゃロ? ばってン、今日は寒いけン、お湯ば用意しちゃろカ?」
リオと一緒にメアリーが気の利くことを言うので、カウンターの奥を覗こうとしていたアンドルフは「おお」と答える。そしてテーブルの上に置かれている二次元ディスプレイからメニューを眺めた。
「さぁて? 今日は寒いかんな~まずはアークが言ってたスープと、キャプラ炒めと、漬物おくれ」
「はいよ~」
「おっちゃン、一杯っ付き合っちゃるわイ」
「また俺から酒代ケチるつもりだな?」
お湯割りを二杯作るメアリーからグラスを受け取ると、アンドルフはメアリーとグラスを重ねてお湯割りを口に含む。まるで身体の中に一本の道が開かれるかのように温かいお湯割りは体中を染みわたっていった。
「かぁーっ! 効くねぇ! ん?」
お湯割りを飲み身体にようやく温かみが戻ったアンドルフの目に不思議な光景が飛び込んできた。
この居酒屋には似つかわしくない幼い少女がスープを乗せたお盆を両手で支えながら懸命にこちらに向かって歩いてくるのだ。
少女が零さないように細心の注意を払っているのがアンドルフの心に響いていた。まるで生まれたての小動物が何とか立ち上がろうと必死に頑張っているようで、彼は思わず心の中で「がんばれ……ッ!」と呟いていたほどだった。
「えっと、お待たせしました。ポルクの煮込みスープです」
「おお! ありがとうよお嬢ちゃん!」
「いえ、とんでもないです」
そう言って健気に頭を下げる少女の頭を撫でながらアンドルフは少女を見守る他の店員たちを眺めてから尋ねた。
「お嬢ちゃんお名前は?」
「クレア・フェスタです」
「フェスタ? て言う事は」
「そう、私の妹」
カウンターの奥で洗い物をしながらそう告げるリオにアンドルフは「なるほどな~」と言いながら微笑んだ。
「道理でべっぴんさんな訳だ。そんじゃクレアちゃんが持ってきてくれた煮込みを貰うとするかな」
アンドルフはそう言ってスプーンを手にすると、茶色い液体を掬って口に運ぶ。
その瞬間――彼の身体に衝撃が走った。この寒さの中で温かみを感じただけではない。口の中に広がるパルセーヌソースの香り、舌の上で踊るポルクの旨味、アクセントに入っているであろう香辛料、そのすべてが合致していたのだ。
「うめぇ……コイツはうめぇぞアーク!」
「お! でしょでしょ?」
陽気に親指を立てるアークを尻目にアンドルフは何度の口の中にスープを運んだ。病みつきになるような美味しさに彼は思わず「くぅ~!」と唸り声をあげると、未だ彼をじっと見ていたクレアに気付いて微笑んだ。
「いやぁ~コイツは美味いぜ! クレアちゃんも食ってみるかい?」
「いえ、あの、一つ聞いてもいいですか?」
「おう! 何だ?」
アンドルフは一旦スプーンを置いてクレアの方に向き直る。すると彼女はとんでもない言葉を口にした。
「毒見ってなんですか?」
「は?」
彼女の言葉と同時に慌てて飛び出してきた二つの影があった。エルディンはクレアの口を塞ぎながら、ミヤビは大きな胸を揺らしながら、二人は誰もが見惚れるような美しい笑顔で口を開いた。
「そういえばお久しぶりよね~? そうだ、今日はおススメのボトルがあってね~?」
「寒い中来てくれたんだ。多少のサービスはさせてもらいたいね」
「ムー!!」
エルディンに口を塞がれて引き摺られていくクレアを見送りながら、アンドルフはテーブル上のスープに視線を落とす。彼はこの店の長であるカンムの方に視線を投げるが、カンムは苦笑しながらグラスを磨くだけだった。
今回のお話は以上で終了です。
次回は年明けから新たに再開します。




