【短編】陰キャ女子の愛々倉さんと性別不明な南くんが図書館でキスをするまで
「先輩、今日も元気ないですね」
「そ、そうでしょうか」
返事をしても、彼は私を見るだけ。
「……な、な、なんですか」
「疲れちゃって。だから、先輩のこと見てた」
「じ、じっと見てないで、声掛けてくれればいいじゃないですか……」
「そういえば、メガネ変わったね。すっごくかわいいよ」
「は、は、話を聞いてください。というか、やめてください……」
最後の方は、多分ほとんど彼に聞こえていなかったと思う。それくらい、恥ずかしくなってしまった。この男性経験のない自分が、本当に惨めだ。
私、愛々倉みみは、世間の人たちと比べてかなり臆病な、暗くて地味な大学2年生だ。
中学生の頃、教室の机でテストの予習をしていた時にある男の子が私を「ガリ勉陰キャ」と呼んだ。いや、それ自体は別に大したことではないけれど、問題はその後の事だ。クラスの子たちが私を呼ぶときに必ずそう言うようになってしまって、おまけに事あるごとにからかわれてしまうようになったのだ。
多分あの子も悪気はなかっただろうし、あんなに大事になるとは思っていなかったと思う。でも、当事者である私はやっぱり辛かったし、結果的には男性恐怖症に近い患いを持ってしまったのだから立派な被害者だ。
なのに、私はあの子を恨めなかった。もしかすると、私と話をしてくれたんじゃないかって変な事を考えてしまうからだ。心の底からあの子を恨むことができればまた違った人生を歩む事が出来たのかもしれないけど、どうしてもそうはなれなかった。
その成れの果てが、今の私。
けれど、大学生になった今では随分と楽になった。あまり人と関わらなくていいし、好きな本を好きな時に好きなだけ読む事が出来るから。
でも、このモラトリアムの残りはたったの2年しかない事もちゃんと理解している。だから、今だけはこうして社会に背中を向けて隅っこでじっと暮らしていたいと思う私は、やっぱり自分でもどうしようもないくらいに陰キャなんだと思う。
それなのに。
「ねぇ、先輩?昨日の夜、この大学でちょっとした騒ぎがあったんだって」
どうしてこの子は。
「テニスサークルが、この学校のどこかでエッチしてたみたい。見つけた人が動画を撮ってSNSにアップしてね。半分、お祭りみたいになっちゃってるんだよ」
こんなに私に、絡んでくるんだろう。
「し、し、知りませんよ。というか、そういう話はしないでください……」
「その投稿、実は今開いてるんだ。だからさ、先輩。一緒に見よ?」
「はわ……。ホントに、私はちょっとそういうのは……」
吃音症の私は、喋るたびにこうして同じ音を繰り返したり変な反応をしてしまう。
心の中で考えている事を伝えられたら、どれだけ幸せになれるだろう。時折、そんな誰でも出来ているコトを妄想をしてしまう自分が情けなくて仕方ない。
「そっか。でも、きっと楽しいよ?そういうイケイケな人たちが、人に叩かれてるのを見るのって」
「そ、そっちの意味?せ、性格悪すぎ。……というか、てっきり私は」
「あれ、もしかしてエッチなこと考えてたの?先輩ったら、ホントにスケベなんだから」
「い、言わないで……」
本当に、この子はなんなんだろう。というか、これまでにも何度も勘違いさせられてきたのに、こんなに巧妙に乗せられてしまうなんて。これは私がバカなんじゃなくて彼にそういう才能があるとしか思えない。
彼、南くんは、いつもどこからともなく現れて私のことをからかってくる後輩の男の子だ。後輩と言っても私はサークルには入っていないから、単純に学科の下の学年の子って事になる。
彼は、本当に不思議な人だ。きっと、どんな人が見たって同じことを思うに違いない。それくらい、見た目も雰囲気も普通の人とはかけ離れている。
男の子なのにまつ毛はすごく長いし、髪も首くらいまで伸ばしてるし。お化粧、してるのかな。目も、すっごくパッチリしてる。身長もそんなに高くないし、声だってちょっとハスキーなだけで、外国の映画の女の人に声をあててる声優さんみたいで。まるで、本当に女の子みたい。
だから、私は南くんとはお話できるんだと思う。他の男の人は怖くて顔も見れないから、この関わり自体がそれを証明している。もちろん、だからといって私から話しかけるような事はないけど。
……いや。もしかすると、本当は女の子なのかもしれない。だって、私は南くんが男の子であるという証拠を、彼が自称している以外に持っていないのだから。からかう為に、そうやって言ってるのかも。なんて。
「また変なこと考えてたの?」
「ち、違いますよ」
変なことだけど、南くんが思うような変なことじゃない。それだけは信じてほしいって、そこまではやっぱり言葉にならなかった。
まぁ、それでなくても私自身、本当にエッチなことが嫌いなのか、人からエッチなヤツだと思われるのが嫌なのか、そこの所を理解していない。実際、本や映画でもそういうシーンはあったりするし、変に目を逸らすわけでもなく、かっこいい人なら少しは興奮してみたりもするし。
あれ。じゃあ、私は人からエッチだと思われるのが嫌なのでは。つまり、私はホントは……。
「ち、ち、違う。そんなの、ちがくて……」
「どうしたの?先輩」
しまった。独り言を聞かれてしまった。イジられる。
「何が違うの?さっきの話、まだ悶々と一人で考えてたの?」
「そ、そうじゃなくてですね……」
この妖しくハニかんだ表情を見ていると、私はなんだか吸い込まれそうな感覚に陥ってしまう。これが、南くんの持ってる不思議な雰囲気の所以だ。正体の掴めない雲みたいな人。それが、私の知ってる南くんのすべて。
「ふぅん。まぁ、別にいいや。ところで、なんの勉強してるの?」
「ろ、論文の準備をちょっと……」
「へぇ。そのセーターどこで買ったの?」
「ふ、普通にユニクロです」
「そうなんだ。先輩って地味だけどかわいいから、そういう素朴なカッコの方がいいね」
「あ、あ、ありがとう、ございます……」
「虫歯、できた事ある?」
「よ、幼稚園のときに」
最近、わかってきたことがある。それは、南くんがこうして脈略のない質問や褒めを繰り返す時は、私の警戒心を解いて言葉尻を掴む準備をしているって事だ。
いつもヘタな発言をしないように気をつけているのに、いつの間にかエッチな話に持っていかれるのはこのせいだ。もしかして、彼はホントは詐欺師なのかも。
「そっか。じゃあ、先輩はお父さんとお母さんにたくさんキスされたんだね。マウストゥマウスで」
「は、はにゃ……」
マウストゥマウス、という言葉が妙に私のリビドーに響いてしまった。別に、何もおかしなコトではないのに。
本ばかり読んでいると、言葉にとても敏感になってしまう。そう言う意味で言うのなら、私の性感帯ってきっと目と耳だ。
……何考えてるんだろ、バカみたい。
「先輩、キス好き?」
「い、い、い、意味がわかりません!」
語尾を強めたつもりだけど、きっと南くんの普通の話し言葉にも届いていない。そもそも、怒り方だってよく分からないし。
「分からないって、それは変だよ。だって、この柔らかいところを押し付け合うだけの行為なんだから」
そう言って、自分の下唇を人差し指で押す。その所作は、妙に艶っぽかった。
男の子なのに。
「家族以外と、したことないの?」
「な、な、ないですよ。だって、恋人だって出来た事無いし……」
「ふぅん。どうして?」
「ど、どうしてって。……わかりませんよ」
嘘だ。そんなの、人と関わらないように生きて来たからに決まってる。勝手に人を怖がって、自分から孤立しているコトなんてとっくに気が付いてる。
「じゃあさ、僕と一緒だね。僕も、恋人出来たことないんだ」
「そ、それは嘘ですよね」
「うん。嘘だよ」
……なんでちょっとショック受けてるんだろ。意味わかんない。
その時、本当はずっと寂しかったのかもしれない、なんてコトを考えた。だって、この図書館にいれば南くんが来るって、そんなの分かりきってるから。本当に嫌なら、本を借りて家やカフェなんかで読めばいい話だ。
ひょっとして、私は楽しんでいるのかもしれない。こんな、ちょっとエッチで女の子みたいな男の子に、知らない辱めを受けるコトを。いや、もしかしたら恋してるまであるのかも。
……私、すごくヘンタイだ。
「先輩って、眼鏡取ったらなんも見えないの?」
「そ、そうですね。免許を取るときも、絶対に外して運転しちゃダメって言われました」
「そっか」
呟いて、南くんは急に興味を失っちゃったみたいにスマホを弄りだした。あれ、私なにか変なこと言っちゃったかな。
もしかして、知らず識らずのうちに傷つけるような態度を取ってたのかも。そしたら……、どうしよ。謝らなきゃだめだよね。でも、なんて謝ったらいいのかな。全然心当たりが……。
あれ、さっき変なこと考えたからかな。心臓が痛い。あ、謝らないと。もしかしたら、もうお話してくれなくなっちゃうかも。早く、早くなしなきゃ。手遅れになったら……。
「えい」
掛け声と同時に、突然メガネを取られた。多分、今私の目をデフォルメしたらのび太くんと同じ『3』みたいな形になってる。
「じゃなくてですね。その、困ってしまうので返しくださいよ……」
その時、ガタッと立ち上がる音が聞こえた。ぼやりと、目の前で影が動いた気がする。
「……先輩」
耳元で囁かれて、息が止まった。
「メガネ外してもかわいいね」
「……あ、あ、あ」
「キスしようよ」
「ふぁ?」
「きっと、すっごく気持ちいいよ?だからさ、やっちゃおうよ」
「い、い、意味がわかりませんよ!何でいきなりそんなこと言うんですか!」
「どうして?」
目が見えなくて神経が全て耳に集中しているせいで、いつもより余計に感じてしまっている。
「ど、ど、どうしても、だめ……」
「ダメじゃないよ。ほら、僕に全部任せてくれればいいからさ。怖くないよ」
「う……、うぅ……」
「口の中ってさ、皮膚とかお肉と違って、ヌルヌルして柔らかくて、不思議な感覚があるんだよ。それをね、絡め合うんだよ。唇同士を押し付けあって、エッチな音を立てて、おいしい部分を舐め合うんだよ」
「しょ、しょれは唇じゃない……」
その時、突然小さな音ともに口をふさがれた。2つの、柔らかくて、でも思っていたよりは固い感触。ダメ、もう何も……。
「ふふ。先輩、リップノイズを鳴らして指の腹を当てただけだよ。騙された?」
そして、耳元で「チュッ」と音を鳴らす南くん。
「……ぅぁ」
嘘でしょ?そんな、私って唇と指の感触も判別でき……えぇ?
「先輩、ダメだよ?好きでもない男にファーストキスなんてあげたら」
「そ、そ、そ、そんなことあるわきゃがなかじゃです!!」
ま、まともに話せない。
「そうかな?先輩って、ガード固そうに見えて、実はすぐに流されそうだから」
「ちゅがいましゅってば!だって、もしかしたら私は南くんのことしゅき……」
……ほっぺたが、取れちゃいそうなくらいに熱かった。きっと、南くんにも分かっちゃうくらい真っ赤になってる。聞かれなかったら良かったなんて、そんな都合のいいことは言わない。だから、どうかいつもみたいにからかって欲しいって思った。それなのに。
「今、なんて言おうとしたの?」
言いながら、そっと私にメガネを掛ける。見上げた顔は、妖しくなくて、かっこよかった。
どうして、そんなに真面目な顔をするの?そんな顔されたら、私。
「……ここ、一番奥の席だよね」
「そ、そ、そ、そうですね」
「こうしたら、誰にも見えないね」
言って、南くんは資料の本を広げ私の口元を隠して。
「先輩」
「ん……っ」
そして、私は生まれて初めてのキスをした。熱くて、ただ熱くて。それでも、すごく優しくて。他には、何もない。ただ、息が漏れた時、それすらも愛おしく思えてしまうような。
これまでの人生で、一番優しい。そんな時間だった。
「……帰ろっか」
「……はい」
なかったことにしたい事を、今日もたくさんしてしまった。でも、もし今日をやり直せるとしても、絶対に同じ道を歩くと思う。
だって、今までの全部がどうでもよくなるくらい、幸せな気分だったから。もう、きっとどうしようもない。自分でも、全然分からない。
それくらい、好きになってしまったみたい。
× × ×
「先輩、今日も元気ないね」
「……そんなことないよ」
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