伍日目ー前半戦
~あらすじ~
※動画版の概要欄より引用→https://www.youtube.com/watch?v=IicAPdL2Cno&t=1s
売れないカメラマン兼パパラッチの男、洒井一縷‐サカイ イチル‐。来る日も来る日も出版社に尽く写真を跳ねのけられ、金銭的にも精神的にも追い詰められていたある日、彼は1人の名もなき少年と出会う。彼の優しさに心を奪われた洒井は一転して仕事を放棄し、その少年の姿をカメラに収めようと躍起になる。
一方その頃、笹木尚也-ササキ ナオヤ-のもとに漆村昇‐ウルシムラ ノボル‐から「少し前から自宅のポストに隠し撮りされた写真入りの封筒が突っ込まれている」と連絡が入った。昇がストーカー被害に遭っていると考えた笹木は、犯人の捜査も兼ねて昇の送り迎えを行うが――
20××年7月×日
今日は散々な1日だった。
ありとあらゆる手段を使って、やっとのことで撮影した俳優■■のスキャンダル写真。
その写真を某出版会社に持っていったら、写真を見た代表の社員に酷評されてしまった。
古臭いだとか、面白みが無いだとか、若い奴の方がマシな写真を撮ってくるとか、もう散々な言い様だった。
挙句の果てには、俺の渾身の作品達を目の前でビリビリと破り捨てやがった。
ありえない。
俺は一流のパパラッチなんだぞ。
誰よりも早くスクープをし、スキャンダルを晒し上げ、見かけた特種の尻尾は死んでも離さない男だぞ。
こんな事はありえない。
ありえてはいけない事なんだ。
写真を破られた後のことはよく覚えていない。自信作を破られたショックが強過ぎて、意識が朦朧としていたからだ。
ただ、帰る途中で運命的出会いを果たした事はよく覚えている。
俺が誤って躓いて、商売道具のカメラを落としてしまった時。
それはとても幼くて若い少年だった。中学生ぐらいのいたいけな少年が、俺の元にその落ちたカメラをわざわざ持ってきてくれたんだ。
そして彼は言ったのだ。
『大丈夫ですか?これ、落としましたよ。』と。
あれは偶然だったのだろうか。
いや、偶然なんかじゃない。必然だったんだ。
あの時出会った少年は、人生のどん底にいた俺の心を救ってくれた、紛う事なき神様なんだ。
こんなみすぼらしい俺に手を差し伸べて、命の次に大事なカメラを拾ってくれた。そして、こんな俺に大丈夫かと優しく声もかけてくれた。
ああ、どうしてあの時の俺は彼の名前を聞かなかったのだろうか。彼の顔を見た時に、彼の頭の後ろに後光が差してる気がして圧倒されたからか。それとも、優しくされた事が嬉し過ぎてそれどころではなかったからか。
いずれにせよ、今は彼の名前を聞かなかったことを酷く後悔している。彼の名前を聞き出して、何かしらの写真を1枚撮らせてもらえばよかったと悔やんでいる。
しかし、俺は一流のパパラッチであり、一流のカメラマンだ。こんな所で諦める様なやわな男じゃない。
あの神様にもう一度会って、今度はこのカメラのレンズの中に彼の姿を刻み込むんだ。
少年の自然な姿を。
何も知らぬ無垢なる姿を。
そして、いつかは、至近距離で満遍なく彼の姿を【※これより先は文字が乱雑に書き殴られており、解読不能】
明日からが楽しみだ。
――とある男の手記より引用――
***
大神町某所 某交番――
「盗撮された写真が家に送られてくる?」
応対用の机の上で肘をつきながら、警察官の男――笹木尚也は首を横に傾げた。彼の前には、パイプ椅子に座る少年――漆村昇が顔を俯かせながら、机の下で指を交差させている。昇は小さく息を吐くと、足元に置いていた鞄を手に取りガサガサと中身を漁った。そこから何やら分厚い封筒の様なものを取り出す。既に開封済のそれを机に置くと、昇は怯える様に眉をひそめながら言った。
「これがその写真なんですけど……どれも撮られた覚えのない奴ばっかりなんです。いつ撮られたのかも分からなくて……」
「わぁ……これは、外で勉強してる時かな?こっちは友達と帰宅中で、これは……信号待ちの最中かな?完全にコソコソ隠れながら撮影してるね、これ全部。」
封筒からはみ出た写真を1枚ずつ見比べながら、笹木は思わず苦笑いを浮かべた。封筒の中には、必ずほほ中央に昇の姿が写っている写真が沢山入っていたのだ。ざっと数えても20枚以上はある。日付は古いものでも一週間ほど前で、かなり最近に撮られたものばかりらしい。綺麗に正面から撮影しているものもあれば、中には人混みの中から無理やり後ろ姿を撮影しているものもある。無論、許可を取って撮影している訳では無いので、生憎そのどれもがカメラ目線ではない。が、ここまで執念深く昇が被写体の中心になっていると流石に異常としか思えなかった。笹木が封筒の裏などを確認しながら呟く。
「宛名は不明、か。そりゃまぁ、盗撮したものを送るのなら当然か……ところで、この写真達が送られてきたのっていつ?」
「昨日、学校から家に帰ってきた時です。ポストを確認したら、チラシと一緒にその封筒が中に入ってて……」
「なるほど。昇くん達が不在の時にポストにぶち込んだ感じかな。これまた露骨なストーカーさんだこと。」
1枚の写真を指で挟みヒラヒラさせながら笹木が言った。彼が持っているのは、今2人がいる交番の入り口に立つ昇の後ろ姿の写真だった。離れた場所の陰に隠れて撮影したのだろう、あまりピントが合っておらず少しぼやけている。昇がこの交番を訪れる様になったのはほんの数日ほど前からだ。件のストーカーは、本当にここ最近になって昇に執着し始めたばかりの者らしい。
すると、ストーカーという単語を聞いた昇はギョッと目を丸くし、鞄を胸の中で抱きしめながら言った。
「す、ストーカーですか!?僕、男ですよ?男の僕を追いかけた所で、何もいい事なんて無いはずなのに……」
「確かに“ストーカー”って聞いたら男性から女性の印象がどうしても強くなっちゃうよね。だけど、普通に女性から男性へのストーカー被害の報告もあるし、なんなら相手が同性だったっていう例も少なからずあるんだよ……どれも限りなく少なくはあるんだけどね。」
「そう、なんですね……でも僕、ストーカーされる様なきっかけとか、心当たりとか全然無いんですけど……」
昇はそう呟くと、困ったと言わんばかりに目を伏せて深く息を吐き出した。目の前で困惑する昇の姿を見つめながら、笹木がふと、少し前にここにやって来た少女の事を思い出す。彼女も軽度のストーカー被害に悩まされており、笹木にボディーガードを要請した事があるのだ。結局彼女――宮葉燐の事は腐れ縁の仲にある彼らに任せたのだが、今でも彼女は元気にしているのだろうか。あの日以降ほとんど宮葉に会えていない笹木が、うーんと腕を組みながら彼女の顔を思い出す。
「……まぁ、全然面識の無い奴が犯人ってこともざらにあるからねぇ。それにしても、昇くんに気づかれることなく、こんなに大量の写真を撮るだなんて、こいつかなりストーカー慣れしてる奴なのかもしれないね。」
「ストーカー慣れって……でも、もし姉さんも同じような写真を撮影されて送られてきたりしたら……大丈夫、なんですかね?」
昇が不安げにそう言いながら身体を小さく震わせる。彼には同じ大神学園に通う姉がいるのだ。とある一件でたまたま話したことがあるので、笹木も彼女の事はある程度知っている。そして、昇が姉の事を他の誰よりも大切にしていることも知っていた。もし自分から姉にターゲットが移ったりしてしまえば、姉同様責任感の強い昇は自分の事を深く責めてしまうだろう――そう考えた笹木は警察帽を深く被り直すと、机に散らばった写真を整えながら昇に言った。
「よし、じゃあこうしよう。しばらくの間、俺が君の事を護衛してあげよう。警官が近くにいるって分かったら、相手も少しは懲りるんじゃないかな。」
「え!?そ、そんな……こんな盗撮程度で、笹木さんにお世話になる訳にはいきませんよ!」
「いやいや、ストーカーは甘く見ない方がいいよ昇くん。盗撮から発展して、本格的に付きまとわれたり監視されたりとかしたら大変だろ?とりあえずお試しで一週間ぐらい、下校時間の間だけ君の護衛に回るよ。その後も盗撮が続くようだったら、俺から新しく護衛の人を出してあげるから……それでどうかな?」
笹木の細かな提案を前に、昇が躊躇う様に目を伏せる。確かに、自分の知らない所で勝手に写真を撮られるのは恐怖でしかない。それをポストにまとめて突っ込まれるのは余計に嫌だ。が、ストーカー被害についてあまりよく知らない昇の心の中には、ここですぐに笹木に頼ってしまっていいのかという懸念があった。笹木本人も多忙な身であるはずなのに、そんな彼の時間を自分のために使わせてしまっていいのだろうか。そんな思いから、昇はすぐにハイとは言えず悩む様に頭を抱えた。そんな彼を見た笹木が朗らかに笑いながら昇に言った。
「大丈夫!困ってる人を助けるのがお巡りさんの仕事だからね。それに、君とはまだまだ話したい事があるんだ……人狼絡みの事とかね。」
「……!」
人狼――その言葉を聞いた瞬間、昇がハッと目を見開く。
昇は既に聞いていた。自身の姉が人狼であるという事を。そして、彼女が常に身体に傷を受けているのは、彼女の従える狼の仕業である事も。
しかし、そうした話を聞いた上でも、昇の中に潜む知的好奇心は収まる気配がなかった。
もっと知りたい。人狼について、狼について。どうして姉の狼は彼女を傷つけるのか。人狼を普通の人間に戻す事は可能なのか。そもそも、どうして人狼が生まれたのか等々――笹木から話を聞く度に、昇の中で新たな疑問が泡のごとく浮かび上がった。昇が懲りずに学校帰りの最中交番に立ち寄っていたのも、そうした思いに駆られていたのが理由だった。笹木もそれを分かって先程の様なことを言ったのだろう。
護衛ついでの情報提供。一方的に笹木からの恩恵を受けているような気もするが、当の笹木は遠慮しないでと言うようにニコニコと微笑み続けている。彼の笑顔にはあまり嘘偽りの色が無い。ごく稀に口元しか笑ってない事もあるが、基本的に昇の前では柔らかな笑顔を見せ続けていた。そして、彼のその笑顔に見つめられると、頑なに人を拒みがちな昇の心の鎖は一気に撓んで緩くなってしまうのだ。
結局折れたのは昇の方だった。諦めた様にため息を吐くと「分かりました」と言って笹木の提案を受け入れた。笹木が満足げに笑いながら昇の頭を優しく撫でる。会って間もない自身にこんなに優しくしてくれるのも、同じ姉を持つ者同士故なのか――その理由は知らないまま、頭を撫でられた昇が少し恥ずかしそうに目を伏せる。
交番の外の扉に蝉が張り付き、けたたましい鳴き声をあげる。小さくて短い生命があげた産声が、大神町の夏が本格的に始まったことを告げていた。
***
20××年7月×日
どういう事なんだ。
どうして彼の周りに警官なんかが付きまとっているんだ。
少し前まではあんな奴どこにも居なかったのに。
お陰で写真の中には、彼以外にもあの警官の男が、必ずと言っていいほど映り込む様になった。
ああ邪魔だ、邪魔でしかない。
俺が必要なのは彼だけなんだ。他の被写体なんて要らない、不必要だ。
どうにかして、奴をあの子から引き離さなければ。
でも、一体どうすればいいんだ?相手は警官だぞ?無理やり殴ったりでもしてみろ、あっという間に豚箱行きだぞ。
……いや、俺は一流のカメラマンでありパパラッチでもある。
諦めるな。諦めたらそこで人生終了だ。
あいつを消すとなると、どうしても物理では対抗できない。
なら、社会的に消してしまえばいいんだ。
警官と言えども、結局は人間だ。おぞましい醜態やら際どくセンシティブな所業とか、何かしらのえげつない秘密はひとつぐらい持ってるだろ。
しばらくの間はあの子を撮影するのをやめておこう。本当はずっと、ずっと撮影したかったんだが、彼の周りにあの警官がいる以上は無理だ。まずはあの警官を消すための特種を探し出す。奴にバレることなく、くまなく、残さず、奴の真の姿をこのカメラに収めるんだ。
そうと決まれば早速準備に取り掛からなければ。奴がどこの交番に居るのかは既に分かっている。あの子がよく訪れている交番があるからな。万が一に備えて、その場所をメモに取っておこう。
【※大神町某所に存在する住所のメモが走り書きされている】
覚悟しておけよ、警官。
お前の持つ秘密は、この俺が全て暴き出してやる。
――とある男の手記より引用――
***
1週間後
大神町某所――
「……」
「笹木さん?どうかしましたか?」
「あぁ、いや。何でもないよ。」
心配そうにこちらを見上げる昇に対し、笹木がニコッと微笑みながらそう言った。一瞬だけ少し警戒気味に辺りを見渡していたが、例のストーカーの気配でも察知したのだろうか。昇の表情も緊張で強ばり、笹木の近くにぴったり寄り添う様に歩く。笹木はキョトンとした顔を見せつつも、すぐに彼の肩を優しくポンポンと叩きながら言った。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。お巡りさんがちゃんと周り見てるからさ。」
「……!す、すいません、つい……」
朗らかに笑う笹木にそう指摘され、ハッと目を見開いた昇が慌てて身体を離す。電柱に張り付いた蝉がジジジと鈍い鳴き声をあげていた。
かれこれ1週間は彼の下校時間中に護衛に回り続けてきたが――現時点でストーカーと思しき者の姿はまだ見つかっていない。怪しい気配はよくするのだが、相手はかなり身を隠すのが上手いらしく、辺りを見渡した途端すぐにその気配を消してしまう。そう簡単に見つからない事は重々承知していたが、ここまで華麗に隠れられると、流石の笹木でも困惑せざるを得なかった。幸いにも、盗撮された写真が昇の元に送られてきたのはあの日だけらしい。昇曰く、今のところはあの写真達と同じ様な物は届いたりしていない、とのことだった。ある程度撮り溜めてから送るつもりなのかは知らないが――1週間の期限が丁度切れる今日、笹木は内心不安な気持ちを抱きつつも、無事に昇を家の前まで送り届けた。家の門の前で昇がペコペコとしきりに頭を下げ続ける。
「すいません、笹木さん。長い間、色々とお世話になりました。その……人狼の話も沢山してくれて、本当に助かりました。」
「いいよいいよ、そんなに畏まらなくても。とりあえず俺の護衛は今日で終わりにしとくけど……怪しい視線を感じたり、また写真が送られてきたりしたら、すぐに俺に連絡してね。頼り甲斐のある凄い護衛の子、用意してあげるからさ。」
「凄い護衛の子……?あ、ありがとうございます。じゃあ僕、この辺で……」
昇は一瞬キョトンとした顔を見せたが、再びぺこりと深くお辞儀をして門を開けた。昇が家の中に消えていくまで、笹木は門の前に立ち手を振り続けた。昇が玄関を開けて後ろを振り向き、笹木に手を振り返してから中に消えて行く。それを見届けた瞬間、笹木はふぅと短く息を吐き、くるりと身体の向きを変えた。今日は遅くまで仕事なので、本当は1度交番に戻らなければならない。が、その前にやらなければならない事がある。
「……?あれ?」
ふと、笹木が塀の上に視線をを向けた。そこには、首に赤いベルトの首輪を着けた1匹の子猫が座っていた。首輪にはピカピカと輝く鈴がついており、子猫が顔を動かす度にチリンと涼し気な音を鳴らした。この辺りをよくパトロールしている笹木は、この子猫の顔をよく知っていた。少し裕福な家庭で飼われている飼い猫だ。脱走癖があるらしく、家族の目を盗んでは勝手に外に出て1人で散歩をしているのだ。よほど頻繁に脱走するのか、その家族の者からもよく子猫の捜索願いを出されていた。笹木が慣れた様子で子猫の身体を抱き上げながら言った。
「君、〇〇さん家の猫ちゃんだろ。またご主人様に黙って脱走したんだね。」
「んなぁーん」
抵抗することも無く身体を抱き上げられた子猫が呑気に鳴き声をあげる。笹木に何度も捕まっている為か、子猫は特に反撃を食らわすことも無く、むしろリラックスするかのように目を細めた。笹木が優しく子猫を抱きしめながらスタスタと歩く。
数分後――笹木が到着したのは、とある家の前の門だった。煉瓦造りの壁に埋め込まれたインターホンを鳴らす。すると、すぐさま玄関の扉がガチャリと開き、中から小学生ぐらいの幼い少女が現れた。門の外にいる笹木と子猫の姿を見た瞬間、ぱぁっと表情を明るくさせながら少女がパタパタと駆け寄ってくる。
「みぃ!みぃちゃん!おかえりみぃちゃん!またママにだまっておでかけしてたのね!おまわりさんありがとう!」
「いえいえ。たまたま見かけたから連れてきただけだよ。事故とかに遭ってなくて良かった……今後は脱走しないように、猫ちゃんからあまり目を離さないようにね。」
視線を合わせる為に身を屈めた笹木に対し、子猫を渡された少女が「はーい!」と元気よく返事をする。その声で満足したのか、笹木はニコッと微笑みながら少女の頭を撫でて立ち上がった。少し遅れてから少女の母親も外に出てくる。母親は申し訳無さそうに笹木に頭を下げると、子猫と少女と共に家の中へと消えて行った。先程の昇同様、2人と1匹が中に消えるまで、笹木はその場で優しく手を振り続けていた。
笹木がくるりと向きを変えて再び歩き始める。人通りの多い場所に出ると、周囲を歩く人達から度々声をかけられた。交番周りの近所をよく巡回する笹木の顔は、管轄区域内の人達の間でもかなり知られているのだ。皆が気安く挨拶してくる中、笹木も朗らかな笑顔を見せつつ挨拶に応える。
「お巡りさんこんにちはー!またパトロール中ですかー?」
「はいこんにちはー。パトロール中だよー、決してサボってる訳じゃないからねー。」
「あら、お巡りさんこんにちは。先日はうちの子がご迷惑をおかけして、ごめんなさいね。」
「ああ奥様こんにちは。いえいえ。あれぐらいなら慣れてるんで問題無いですよ。」
「おや、笹木さんや。巡回ご苦労様……ほれ、飴ちゃんをお食べ。」
「あぁおばあちゃん、ありがとうね。困った事あったらすぐに俺に言ってね。」
声をかけてきた者一人一人に言葉を返す笹木。彼の丁寧な対応と優しい笑顔は、町の人達の間でもかなり好評だ。知り合いの老婆から貰った飴玉を胸ポケットに入れながら、笹木は真っ直ぐある場所へと歩き続けた。日は沈みかけ周囲は少しずつ暗くなりつつある。が、今日はまだ目的の場所に訪れることが出来ていないのだ。時間こそ余裕はあるが、逸る気持ちに駆られて少し足早にその場所へと向かう。
そして数分後――笹木の脚はとある門の前でぴたりと止まった。慣れた様子で門を開け、敷地内へと入っていく。鉄製の重たそうな扉の前に立つと、笹木はこれまた慣れた様子でコンコンとドアノッカーを鳴らした。が、反応はない。笹木はキョロキョロと辺りを見渡すと、扉に向かって少し声を張り上げながら彼女の名前を呼んだ。
「佐倉さーん?いるー?俺でーす、笹木でーす。」
「笹木さん、そんなに大声を上げなくても、私はこちらにいますよ。」
不意に横の庭からひょこっと顔を出す、1人の女性。少し薄暗い外の世界でも目立つ萩色の髪が特徴的な女性――佐倉美桜だ。黒系統の修道服の上で、真珠を中央につけた十字架がキラリと街灯の光を反射した。唐突に近くに出てきたので、流石に驚いた笹木がギョッと目を丸くして軽く飛び上がった。
「うわっ!?ビックリした~……なんだ、外にいたんだ。てっきり中にいるもんだと思ってた。」
「うふふ。子供達を外で遊ばせていたのよ。でも、そろそろ暗くなるから丁度戻る所だったの……今日もまた、いつものあれかしら?」
「ええもちろん。その為に来たようなもんだし。」
妖艶な笑顔を崩さない佐倉に対し、何やら意味深な笑顔を見せる笹木。2人はお互いに顔を見合わせて笑い合うと、玄関の扉を開けた。そのまま2人で何やら会話をしつつ、建物の中へと消えていく。
全体的に暗めな装飾の建物の中で、笹木と佐倉が何をしているのかを知る者はいない。少なくとも、外部の人間の中には。
だが――彼の行動を逐一観察し撮影していた者は確信していた。
彼の抱える“秘密”が、あの女性との関わりの中に確実に潜んでいると。
***
20××年7月×日
遂に奴の秘密を暴く為の尻尾を掴んだ。
どうやら奴は、夜な夜な謎の建物に立ち寄っては、妙な女と“密会”をしているらしい。詳しい事はまだまだ不明だが、奴は毎日必ずと言っていいほど、あの建物、そしてあの女の元に向かっているのだ。髪色は目立つが修道服を着ていることから、修道女かその類の職に就いてる女なんだろう。
町の平和を守る正義の象徴、警察官。
町の安寧を裏から見守る処女の象徴、修道女。
表舞台で活発に立ち回る者と、裏世界で粛々と生きる者。本来交わるはずの無い者同士が交わるのは、何かしらの特別な事情がそこにあるが故、ということだ。
……その“特別な事情”とやらに、やましい感情が入ってないなんてことはない。
警官は修道女に惚れ、修道女も警官に惚れ媚びを売り、人目を気にして静かな場所で……大方そういう流れなんだろう。
ならば今後はあの2人に焦点を当てなければ。警官だけじゃない、修道女の女にも注目して見た方がいいだろう。愚かさを知らない修道女にも穢れた部分はあるだろうしな。
なんだろうな、この感覚は。久々に燃えてきたぞ。
必ず見つけ出してやる。あの二人の闇の部分を。そして、夜な夜な行われる密会の謎を。
……そういえば俺は、なんのためにこんなことをしているんだ?
まぁいい。明日も朝が早いんだ、そろそろ寝よう。
――とある男の手記より引用――
***
7月某日
大神町某所 孤児院内リビング――
「笹木さん、ちょっと良いかしら?」
いつもの様に笹木がいつもの建物を訪れたある日――所狭しと並べられた焼きたてのクッキーを机の上に置きながら佐倉が言った。ソファーに座っていた笹木が「ん?」と言いながら顔を上げる。笹木が見た佐倉の顔は、いつもの優しい笑顔が消えており、珍しく少し暗く曇っている。その表情を前に、異常さを感じた笹木が真剣な顔を見せて佐倉に尋ねた。
「どうしたの、佐倉さん?そんな暗い顔しちゃって……何かあったの?」
「えぇ。それが……最近妙な視線を感じる事が増えたのよ。」
「妙な視線?」
「そう……なんて言えばいいのかしら。外に出る度に誰かに撮影されてる様な感じがするのよ。」
誰かに撮影されている――そう聞いた瞬間、笹木の背筋が微かにゾクッと震え上がった。ほんの少し前に似た様な相談を受けたばかりだからだ。笹木の脳裏に、何者かに盗撮されている事を相談しに来た、あの時の昇の顔が過ぎる。昇は現在、万が一の可能性を考慮して例の2人に護衛させている。そのお陰でか、彼の元ではこれといった被害が今のところ起きていないらしい。 だが、佐倉の話を聞く限りでは、犯人の狙う標的が彼女に移ったと考えることも可能だった。
「……撮られた覚えのない写真とか、孤児院に送られたりしてない?」
「いいえ。そういうのは全く無いわ。気味が悪いわよね……撮影されている気配はするのに、撮影している本人の姿は全く見当たらないなんて。」
少し険しい表情を見せる笹木の問いかけに対し、佐倉は静かにそう言いながら首を横に振った。とりあえず、昇とは異なり写真を送り付けられていないことを知り、笹木がホッと安堵の吐息をつく。もし盗撮された写真が送られなんてしたら、この孤児院に住む例の2人――狗井遥と宇佐美翔が黙っていないだろう。下手すると犯人を探し出そうとして、笹木とは関係の無い所で勝手に行動するかもしれない。2人とは腐れ縁の関係にある笹木が内心そう予想しながら苦笑いを浮かべる。
不安そうな表情を崩さない佐倉を前に、笹木は一緒に楽しく遊んでいた孤児の1人を抱き上げ、子供達の為に焼かれたクッキーの元に近づけながら言った。
「実はね、佐倉さん……少し前に俺の所に似た様な悩みを持った子が相談しに来たんだ。その子は、盗撮された写真が家に送られてきててね。パトロールも兼ねた護衛ってことでしばらく一緒についてあげてたんだ。今はハルちゃん達に引き継がせてるんだけど。」
「あら、そうだったの。だからこの間まで、孤児院に来る時間帯が少し遅かったのね。」
佐倉が子供の1人にクッキーを与えながら小さく微笑んだ。この建物――改め孤児院に暮らす合計8人の子供達の年齢層は比較的幼い。狗井達を除くと、1番年長の子でも歳は10歳程度らしい。佐倉の膝の上に乗る少女は、彼女から与えられたクッキーを小さな手に持ちながら美味しそうに頬張っていた。笹木も先程の子を膝の上に乗せ、クッキーを1枚手に取り彼に差し出す。
「……狙われてるのが私だけならまだしも、もし子供達の方も標的になっているんだとしたら……正直、もう気が気じゃないわ。」
膝の上に座る少女の頭を撫でながら、暗い表情を見せる佐倉はそう呟いた。普段は子供達の前であまりそういう表情を見せないのだが、今回ばかりは不安な気持ちが強く表に出てしまうらしい。周りを自由に歩き回る数名の子供たちも心配そうに佐倉の顔を見上げて呟く。
「お母さん、大丈夫?お腹痛いの?」
「ママのクッキー美味しいよ?ママもいっぱい食べて、元気だして。」
「……大丈夫よ。ごめんなさいね、心配させちゃって。」
佐倉が彼ら彼女らの頭を優しく撫でながら微笑んだ。笹木も子供達を安心させるように子供たちに向かってニコッと微笑む。
すると、不意にリビングの扉が開かれ狗井と宇佐美の2人が入室してきた。学校から帰って来たばかりなのだろう、制服のままの狗井は笹木の顔を見た瞬間露骨に眉をしかめた。
「うげ。また来てたのかよ笹木。相変わらずガキどもと遊んで職務怠慢か?」
「その言い方酷くない?子供達と戯れるのもお巡りさんの立派なお仕事なんですー!」
「……まぁ、笹木さんがかなりの子供好きなのは知ってますけど……」
笹木の反論を前に、宇佐美が少し呆れた様な顔でボソッと呟く。それに対し笹木が思わず苦笑いを浮かべると、周りをドタドタと歩いていた数人の子供達が狗井達の周りに集まって行った。狗井と宇佐美が一人一人の頭を撫でると、撫でられた子供達が皆嬉しそうに顔をほころばせる。
「それにしても、今日は2人とも帰り遅かったね。なんかあったの?」
「なんかあったのって……昇とかいう奴の護衛頼んだのはどこのどいつだよ?」
「あぁそっか、それで遅くなってたのか。ごめんごめん、俺も仕事が少し忙しくて忘れちゃってたよ。」
「……忙しい……?」
狗井と宇佐美と会話を交わしながら、楽しげに笑い合う子供達を微笑ましそうに見つめる笹木。すると、不意に佐倉が壁掛け時計の方に顔を向けて言った。
「あら、そろそろ夕飯の準備をしなくちゃいけない時間だわ。遥ちゃんと翔くんも、手を洗って着替えてらっしゃい。」
「あれ?もうそんな時間なのか……それじゃあ俺はこの辺で失礼しようかな。またね皆、あとハルちゃん達も。」
「ついで感覚で言うな!!」
笹木が膝の上から子供をおろし、椅子から立ち上がってそう言った。咄嗟にツッコミを入れる狗井とは異なり、子供たちが皆「お巡りさんばいばーい!」等と言いながら元気よく手を振る。笹木もそれに応えて手を振ると、狗井達に子供達の事を任せてリビングを後にした。すると、佐倉が彼の後に続いてリビングの外に出てきた。夕飯の準備をすると言っていたので、まさか一緒に来るとは思わなかった笹木がキョトンと目を丸くする。
「佐倉さん……?なんか俺に言い残した事でもあるのかな?」
「笹木さん、今日はいつもより元気が無かったわよね。子供達と一緒にいる時間も少し長かったし……私と同じで、貴方にも何かあったんじゃないかと思ったのよ。」
「はぁー……やっぱり佐倉さんにはお見通しか。誤魔化せてると思ってたんだけどな。」
笹木がバレたと言わんばかりに苦笑いを見せながら人差し指で軽く頬をかいた。佐倉は玄関口まで笹木と共に向かうと、険しい表情を崩さないまま彼に問いかけた。
「最近人狼絡みの事件が多発してるでしょ?そのせいか、遥ちゃん達も少しピリピリしてるらしくてね……笹木さんは特に、そういった事件に関与する事が多いでしょ?だから私、それが原因で元気を無くしてるんじゃないかって思ってるのだけど、どうかしら?」
「んー……人狼かどうかは分からないけど、ちょっと厄介な事には巻き込まれてる……気がするんだよね。」
笹木はそう言うと、靴を履いて警官帽を被り直しながら小さく息を吐いた。子供達の前では見せなかった疲労の色が、少し薄暗い玄関口の中で彼の顔の中に垣間見える。
「さっき佐倉さん、“誰かに撮影されてる気がする”って言ってたよね?どうやら、俺も同じ奴に狙われてるみたいなんだ。」
「……!笹木さんも?」
「うん。多分、例の子の護衛をした時にかえって犯人の怒りを買っちゃったらしくてね……ふと周りを意識すると、どこからか強い視線を感じる事が増えたんだ。でも、何処にも人の姿は見えない。大抵はパトロール中で誰かと話してる時に感じちゃうから、すぐに探したくても探せなくてね……」
「まぁ、それは大変ね。お互いに理由も分からず、姿の見えない人に狙われるだなんて……本当に困ったものだわ。」
佐倉が自身の頬に手を添えながらため息を吐いた。同情する様に目を伏せる佐倉を前に、笹木は苦笑いを浮かべつつ眉をひそめた。
笹木の話す通り――昇の護衛を終えたあの日以降、笹木は彼を監視する様な視線を浴びることが増えてしまった。恐らく、昇を追いかけていた者と同一人物だろう。相変わらず本人の姿は見えないので、警官でありながらも笹木はどう対処しようかと途方に暮れていたのだ。笹木は警官帽のつばを指で持つと、帽子をクイッと少しだけ上にあげながら佐倉に言った。
「まぁ俺に注目してくれるお陰で、相談に来てた子が対象から外れたってんなら、むしろ好都合なんだけどね。でも佐倉さんも狙われてるのは予想外だったな……何かあったらすぐに言ってね、すぐに対処させてもらうから。」
「ありがとう笹木さん……でも、あまり無理はしないで下さいね。あなただって1人の人間なんですもの。限界が来たらいつでも休んでくださいね?」
佐倉が心配そうに眉をひそめながら笹木の片方の頬を優しく撫でた。慈悲に溢れた手の温もりが頬から直接伝わってくる。笹木は少し恥ずかしげに顔を逸らすと、佐倉にペコリと一礼をして玄関口を後にした。佐倉は笹木の姿が見えなくなるまで、その場に立ったままずっと手を振り続けた。
時刻は午後6時を回る頃。大神町の少し涼し気な夏の風が、外に出た笹木の足元を掬う様に颯爽と吹き抜けたのだった。
***
20××年7月××日
例の警官と修道女に関する情報がそこそこ集まった。写真と共に、近隣住民を取材した際に得た情報を、メモとしてここに残しておく。
警官の名前は笹木尚也。28歳独身。大神町中央区大通り前に勤める警官。交番のある近所内のパトロールを毎日必ず行っている。猫の捜索やら荷物運びやら、ことある毎に住民の悩みを解決したりしている模様。近隣住民からは『頼り甲斐がある』や『若いのにいつも頑張ってる』等と、奴の行動や相手に対応する時の姿勢を高く評価する声が多かった。特にきな臭い面は、取材時点では確認できず。
対して、修道女の名前は佐倉美桜。38歳独身。宗教一家の一人娘で、両親は既に他界しているらしい。あの建物は元々信者の宿泊施設だったらしいが、改築して孤児院に建て替えた様だ。平日は1人で出かけるが、休日になると大勢のガキ共を連れて近くの公園に向かう。基本的には保育園児ぐらいのガキ共だが、たまに明らかに高校生ぐらいのガキが2人一緒に居ることもある。平日には町内某所の建物に向かい、半日近くは出てこなくなる。取材によると、あの女は料理教室を開いて金を稼いでいるようだ。彼女の印象について、奴を知る者は『お淑やかで大人しく優しい人』だとか『非常に他人想いで慈悲深い人』だとか話している……
おかしい。
ある意味際どい職に就く者同士なのに、これと言って醜くほの暗いネタが無いだと?
やはりあの建物か。あの建物の中に秘密が隠されているんだな。情報の中にもあるが、あの建物は本当にれっきとした孤児院らしい。草木が生い茂る塀の向こうでガキ共が遊ぶ声がよく聞こえてくる。恋愛や結婚が禁忌とされる修道女が営む上では、ある意味合理性はあるといえるか。
しかし、そんなガキ共をしりめに、あの警官は現を抜かしてあの女としっぽりと語り明かしてるって訳だ。
そうだ、あの孤児院の中に潜入すればいいんだ。高校生のガキどもの存在が少し気になるが、どこかのタイミングで中に入れる瞬間ぐらいはあるだろう。
ただ、どうやって?
【※文字がページの随所に乱雑に書き殴られているため割愛】
とりあえず、明日からはあの建物周りの監視を強化する。そして、中に潜入出来そうなタイミングを考えようと思う。1番いいのは、インタビューだとか理由をこじつけて中に入る方法なんだが……まぁ容易には入れないだろう。子供ってのは時々妙に勘が鋭くなる。下手な行動を取って怪しまれるぐらいなら、別の手段を考えた方がいいだろう。この様子だと、いよいよ長丁場になりそうだな。
ああ、外の蝉がうるさい。なんで窓なんか開けてんだ、虫に写真を食われたりしたらどうするんだ!
朝起きた時に閉めたはずなんだがな。
最近は物忘れが激しくて困る。少し疲れてるんだろう。窓は閉めた。今日はもう寝る。
――とある男の手記より引用――
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