表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
汝は人狼なりや。  作者: 独斗咲夜
5/70

参日目ー前半戦

~あらすじ~

※動画版はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=qvAaALh4uoA&t=4s


釘付け事件から日も間もない頃――事件の真犯人である藤原が殺害された報道を受けて混乱する狗井達。藤原の死による影響で虐めの矛先に選ばれてしまった宮葉。学園の一部生徒たちの間で噂される『魔女』の存在……数多の思想が交差し複雑に絡み合う中、魔女の手は遂に狗井の傍にも近づいてきて――

大神学園には“魔女”がいる


とある箱の中に 名前を書いた紙を入れておけば




名前を書かれた者は “魔女”の手で 学園から追放される――




***



大神学園 高等部校舎1階 某教室――



「ねぇ、昨日のニュース見た?釘付け事件の犯人死んだんだって!」

「見た見た!ヤバいよね、山奥で血塗れの状態で見つかったんでしょ?グロいよねー」

「しかもさー、殺される前の犯人って、この間のストーカー事件の犯人と同じ大火傷負ってたんでしょ?そこらへん謎に繋がりあるのやばくなーい?」

「そう言えば人体自然発火のやつ、大神家の呪いとか言われてるらしいよ。この町を作った昔の人の怒りにふれたから燃やされたんだって!」

「やだぁー!何それこわーい!」



―――以下省略―――



「早速話題になってんな、あのニュース……」

お前の(・・・)人体自然発火とやらもな。」


1限目が終了し、生徒達が10分間という短い休憩時間を過ごす中――窓際の席に腰掛けた狗井遥(いぬいはるか)と、彼女の隣に座る宇佐美翔(うさみしょう)がお互いにそう呟き合った。宇佐美のやや揶揄するような口調が気に食わなかったのか、狗井がすかさず彼の足に軽く蹴りを入れる。ニュースの話で盛り上がっていたクラスメイトの女子生徒達は、今ではすっかり別の話題に切り替えて再度盛り上がっていた。ざわつく教室の中でも一際甲高くやかましい声が嫌でも響き渡る。

つい最近まで起きていた連続殺傷事件、通称『釘付け事件』。狗井達の活躍により、事件の犯人はこっぴどく痛めつけられ病院に入院していた。このまま彼は警察に逮捕されて刑務所に収容される――当初、ニュースを見ていた狗井達はそう考えていた。これでようやく事件が終わると思った矢先、驚くべきニュースが舞い込んできたのだ。

――釘付け事件の犯人が死んだ。

その知らせを聞いたのはほんの昨日の事だった。新聞にでかでかと載せられたその記事を、朝起床したばかりにもかかわらず、狗井と宇佐美は思わず目を丸くして凝視した。

記事によると、犯人は入院してから1日も経たない内に何者かに誘拐され、そのまま山奥で殺害されたらしい。全身が血塗れな上に手首を縛られた形跡もあることから、調査を行った警察は他殺であると判断した。が、殺害現場の山奥付近には監視カメラなどがなく、犯行も深夜に行われた様なので目撃情報が少なかった。あったとしても、せいぜい1台の車を見かけたとかそのぐらいだ。しかし、何一つ手がかりが無いわけでもなかった。というのも、釘付け事件の犯人が誘拐された当日に、彼が入院していた病院全体で大規模な電波障害が発生していたのだ。犯人を殺害した者と関係があると考えた警察は今、それを頼りに捜査を進めているらしい。


「……それにしても、まさかあいつが殺されるとは思わなかったな。病院の中とかならまだしも、わざわざ山奥に運ばれて殺されるなんて予想出来るかっての。」


机の上に項垂れる様に頭を伏せ、新聞で見かけたあの記事を思い出しながら狗井が言った。宇佐美も狗井の方に顔を向けながら机の上で頬杖をつく。

釘付け事件の犯人――その名は、藤原与一(ふじはらよいち)。一か月前には自身の母親を殺害し、それをきっかけに同じ学園の生徒たちの親を傷つけてきた男だ。その殺害方法は、人狼としての能力をフルに活用した、あまりにも残虐なものだった。彼は狗井達と相見(あいまみ)えた時から精神に異常をきたしていたらしく、警察の取り調べに対しても容疑を認める以外ではまともに話が出来ない状態にあったらしい。おまけに、彼は学園内でもかなり孤立しており、深刻な虐めも受けていたようだった。そんな彼に対し、親を傷つけられた事で恨みを抱く生徒達が居ないわけがなかった。噂によると、一部生徒達の希望で藤原の座っていた机と椅子が一式処分されたらしい。彼ら彼女らにとっては、彼の痕跡が残っているだけでも酷く不快だったのだろう。

狗井はそんな、藤原を恨めしく思う人間が今回の犯行に及んだのではないかと推測していた。が、仮にそうだったとしても、わざわざ車で山奥に運ぶ必要はあるのかと言う疑問が生じてしまう。遠く人気のない場所に連れていったということは、彼を計画的に(・・・・)殺害する為にそうしたということだ。恨みによる突発的な衝動を持った人間に、そこまで考える余裕があるのだろうか――情報の少なさ故に不透明感が拭えないまま、狗井が深くため息を吐いた。すると、不意に宇佐美が何かを思い出したように目を開いて言った。


「そう言えば……今朝は宮葉の姿、見かけてないな。最近はよく一緒に正門前で会うのに。」

「あー……そういやそうだな。たまたま会わなかっただけかもしんねーけど。」


宇佐美の言葉に対し、狗井が目線だけを彼の方に向けながらそう応えた。

とある事件をきっかけに親しくなった同級生、宮葉燐(みやばりん)――ストーカーに狙われたり今回の釘付け事件のターゲットにされたりと、なんだかんだ散々な目に遭っている少女だ。そんな彼女は、知り合ったばかりの頃は昼休みの時にしか会わなかったが、最近は朝の登校時にも会うことが増えていた。それに、会う時は大抵彼女の方から話しかけてくる。本当は今すぐにでも確認しに行きたい所だが、何故か宮葉は自分のクラスの教室内で狗井達と会うのを心底嫌がっているのだ。理由は結局聞けず終いだが、宇佐美としては宮葉に何かあったのではないかと言う不安の気持ちが強かった。そんな彼に対し、狗井が肩を竦めながら苦笑混じりに言った。


「おいおい、そんなに気にすることかぁ?あいつのことだし、前みたいにたまたまタイミング合わなかっただけだろ。どうせ昼休みの時にのこのこやって来るって……それでも来なかったらこっちから呼んでみようぜ。たまにはそういうのもいいだろ?」

「……そう、だな。」


宇佐美が不安そうな表情を崩さないまま短くそう応える。狗井は少し不服そうに唇を尖らせたが、すぐに気を取り直し再度机の上に突っ伏した。あと数分で次の授業の開始を告げる本鈴が鳴る。普段通りの窮屈な授業時間のことを考えながら、いつものように狗井は深いため息を吐いた。もうこちらと話す気はないんだなと察した宇佐美も、体の向きを前に向けて小さく息を吐く。

――そんな2人の姿を遠巻きに見つめていた、とある女子生徒3人組。先程、釘付け事件の話などをして盛り上がっていた面子だ。本鈴開始直前、あれだけ騒がしかった3人は一斉に声を潜めると、密かに狗井の方を睨みつけながらヒソヒソと言葉を交わしたのだった。


「また狗井さん、宇佐美くんのこと独り占めしてるよ。隣の席だからって自惚れてるんじゃない?」

「ねー。調子乗ってるよねー……宇佐美くんが自分だけのものだと思ったら大間違いなんだから。」

「どうせ、宇佐美くんに寄生することしか出来ないんだよ、あの人……可哀想だよね。」

「「ねー。」」



――以下省略――



****



昼休み――



「おーい、宮葉ぁー!いるかぁー!」


大きな弁当箱を脇に抱えながら、狗井がとある教室の扉を勢いよく開ける。いつもならすぐに来るはずの宮葉が来なかったからだ。いつもならこちらから宮葉を呼びに向かうとこはほとんど無い。が、このまま2人でいつものお気に入りスポットに行くのも少し物足りない気がした。そのため、狗井は何の躊躇いもなく宮葉が居るはずの教室の扉を開けて彼女の名前を呼んだ。

しかし――その途端、あれほどざわついていた教室の中が何故か一気にシン…と静まり返った。そして、各々会話を楽しんでいたはずの生徒達の殆どが、ほぼ一斉に狗井達の方に視線を向けたのだ。皆が“なんだこいつは”と言わんばかりに狗井達を睨みつけてくる。突然過ぎる静寂と視線の集中に、狗井だけでなく宇佐美も思わずギョッと目を丸くして後退りをした。


「は?え?なんだよ……なんでこいつら、急に俺達の方睨んで来てんだよ?」

「ちょっと、あなた達!宮葉さんの知り合いですよね……ちょっと、いいですか?」


狗井が怪訝な表情で首を傾げると、彼女の目の前にひょいっと1人の女子生徒が現れた。この顔は見覚えがある。釘付け事件の被害者の1人で、被害に遭った時の事を詳しく話してくれた少女――青春翼(あおはるつばさ)だ。青春は困った様に眉を顰めると、呆然と立ち尽くす狗井達の身体を強引に外に押し出した。昼休みで賑わう廊下に3人が出た途端、静かになっていた教室の中が再び賑わい始める。状況に対する理解が追いつかず、狗井が目を丸くしながらしきりに首を左右に傾げた。


「な、なんだよ!俺達、宮葉呼びに来ただけなんだっての!あんなに睨む事ァねぇだろ!?」

「……あまり、この教室で宮葉さんの名前を呼ばないで下さい。下手すると、あなた達にも悪影響が出てしまいますから。」


青春はそう言うと、教室の扉を閉めて狗井達を窓側にぐいぐいと押しやった。押されるがまま狗井達が窓際に立つと、青春は真剣そうにまっすぐ狗井達を見つめながら2人に尋ねた。


「例の釘付け事件の犯人……藤原が、過去に精神的な虐めにあってたって話は以前しましたよね?」

「ん?あぁ、その話は聞いたけどよ……それが何か関係あんのか?」

「実を言うと……宮葉さん()なんです。」


青春の意味深な言葉を前に、狗井が「はぁ?」と言いながら更に首を横にかしげる。すると、青春は小さく息を吐き、警戒する様に周囲を見渡してから続けて言った。


「藤原ほどではないんですが、宮葉さんも同じ教室のクラスメイトから虐めを受けているんです。いや……正確には、疎外されていると言った方がいいんでしょうか。このクラスの生徒達、他のクラスの人と比べても、グループを作りたがる人がかなり多くて……宮葉さん、このクラスに配属されてからずっと孤立しているんです。」

「おいおい……そんな話、宮葉から聞いたことねぇぞ。つーか、何であいつが孤立しなきゃなんねぇんだよ?俺達の前じゃ結構ガツガツ突っかかってくんのに。」

「……あまりよくは知らないんですが、宮葉さんの我儘な性格をあまりよく思っていない、小数の生徒達が密かにグループを作った様なんです。最初は少人数だったそうですが、同じように孤立するのを恐れたり、単純な悪ノリでそのグループに参加する人が増えて行って……」

「それで結果的に、クラスメイト全員から宮葉が疎外されるようになったんだな。」


宇佐美がそう言うと、青春は深く息を吐きながらこくりと小さく頷いた。その途端、狗井が露骨に眉をひそめながら苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

宮葉と知り合ってから既に一週間以上は経っている。が、思えば彼女が自分達以外のクラスメイトと一緒にいる場面を狗井達は見たことがなかった。クラスメイトに関する話題も宮葉からはあまりしてこなかった。その理由がクラスで孤立していたからだなんて、狗井にとってはあまりにも予想外だった。誰彼構わず話しかけるような印象があったので尚更だ。

では肝心の宮葉本人はどこにいるのだろうか。先程教室の中を見た際には姿を見かけなかった。トイレにでも行ってるのだろうかと思った狗井が青春にその事を尋ねた。すると、青春はコホンと咳をひとつ挟んでから淡々と答えた。


「あぁ、そうでした。伝えるのを忘れてましたね……今日は宮葉さん、朝からお休みですよ。先生曰く、体調不良だそうです。」

「体調不良、か……釘付け事件絡みじゃないと、いいんだけどな。」


狗井の横で弁当箱を抱えながら宇佐美がそう呟く。青春は何かを考える様に口元に手をやると、眉を顰めて微かに目を伏せながら言った。


「それは私もそう思いたい所なんですが……先日の“犯人に狙われているかもしれない”という話もありましたし、犯人が殺害された報道もありました。もしかしたら彼女も、色々と不安を感じているのかもしれません。」

「それもそうか……あいつ、無駄に意地張る所あるからなぁ。あの時も本当は無理してついてきてくれてたんだな、きっと。」


狗井がそう呟くと、青春が途端にキョトンとした表情を見せて「あの時?」と首を傾げた。その反応を前に、少し慌てた様子の宇佐美が咄嗟に狗井の口元を手で覆い隠す。青春は、先日宮葉が犯人である藤原と直接接触したことを知らないのだ。もしその事を知れば、事件の実際の被害者である彼女は、どうして宮葉を接触させたのか等と言って狗井達のことを責めただろう。そう危惧した宇佐美が、咄嗟にアイコンタクトで狗井にそのことを伝える。宇佐美の言いたいことをすぐに悟った狗井がハッと目を見開いた。即座に宇佐美の手を離すと、狗井はわざとらしく咳払いをしながら青春に言った。


「あーいや、何でもない!ただの独り言だから気にすんなよ……つーか、宮葉休んでる事教えてくれてありがとうな。授業が終わったらちょっと見舞いに行ってみる。」

「そうしてくれると助かります。私のクラスメイト達じゃ誰一人として行かないと思いますから……あぁそうだ。ついでにお聞きしたいことがあるんですが、よろしいですか?」


青春にそう呼び止められ、そろそろ昼の食事を取ろうと思っていた狗井が少し不満げに唇を尖らせた。それを宇佐美が頭を小突く事で止めさせようとする。青春は小さく息を吸うと、再び周囲を警戒気味に見渡しながらヒソヒソと囁く様に2人に尋ねた。


「おふたりは――『魔女伝説』ってご存知ですか?」

「魔女伝説?なんだそりゃ。」

「私も詳しくは知らないんですけど、ひとつ上の学年の女子生徒達の間で、最近話題になっているらしいんです。魔女に目をつけられた学園の関係者は、1人残らず学園から追放される……と。」

「追放……?やけに物騒だな。でも、生憎俺達も、その話は今知ったばかりだぞ。」


宇佐美がそう応えると、青春は表情を軽く曇らせながら「やはり、そうですか」とだけ返した。何やら意味ありげなその反応に対し、狗井が青春に魔女伝説についてより詳しく聞き出そうとする。が、それよりも先に、青春はそろそろ昼食を取った方が良いと2人に話すと、くるりと背中を向けてそそくさと教室の中に戻ってしまった。聞きたいことを尋ね損ねた狗井が思わずポカンと口を開ける。多くが昼食をとる場を決めたからか、廊下の賑わいは気づけば最初よりも少し落ち着いていた。


「なんだよあいつ……聞くだけ聞いてすぐに帰りやがった。つーか、魔女伝説ってなんだよマジで?神話か何かか?」

「……色々と知りたいことはあるが、今はとりあえず昼飯にしよう。あまり時間が無いからな。」


宇佐美がそう言いながら、頭に被っている兎耳付きの黒いフードを深く被り直した。狗井がスマートフォンを取り出して時刻を確認する。時刻はちょうど、昼休み終了まであと少しで半分を切るところだった。急に焦燥感を覚えた狗井は慌ててスマートフォンをしまうと、宇佐美の手を引いていつもの昼食の場所へと走り出した。宇佐美もつられるがまま、狗井と共に廊下を颯爽と駆け抜けていく。彼のことを、好意と羨望の眼差しで見つめてくる女子生徒達の視線に気づかないまま。

――そんな2人の姿を遠巻きに見つめていた、とある女子生徒3人組。早々に昼食を終えてトイレ前で屯していた3人は、足早に去っていった2人の背中を見送りながら、またしてもヒソヒソと言葉を交わし合ったのだった。


「狗井さん、さっき宮葉さんの名前呼んでたよね?知り合いなの?」

「さぁ?でも、宮葉さんが宇佐美くん達と一緒に歩いてるところは見たことあるよ私。」

「え、嘘でしょ!?あの宮葉って人、良い噂があんまり無いらしいよ。男教師と寝たとか、他の生徒脅したとか、そんな話ばっかりなんだって。」

「やだー、きもーい!そんな子が宇佐美くんと知り合いだなんて、最悪じゃない!」

「宮葉って人、狗井さんと同じ恥知らずな奴だよねー。」

「「ねー。」」



――以下省略――



***



大神町某所 とあるアパート――



階段でのみ昇り降りが可能な小さなアパート。トタン製の錆び付いた屋根が特徴的なこの建物の3階、その1番端の部屋に宮葉は住んでいた。狗井達は以前ストーカー事件があった際にここに立ち寄った事があった。生憎当時は中に入れず建物の外で待たされたので、こうやって部屋の前まで向かうのは何気に初めてだ。あの時外から見えた宮葉の姿を思い出しながら、狗井達が彼女のいる部屋を探し出す。


「宮葉ー、出てこーい!見舞いに来たぞー!!」


部屋の前まで着くや否や、インターホンのボタンを怒涛の勢いで連打する狗井。ピンポンピンポンと軽快な音が、アパートの廊下だけでなく外の方にまでけたたましく鳴り響いた。宇佐美が呆れた様に頭を抱えるが、狗井のインターホン連打は部屋の扉が勢いよく開かれた事で唐突に幕を閉じた。と同時に、扉前に居た狗井の身体が後方に勢いよく吹き飛んだ。細い隙間が並ぶ柵がなければ下へ真っ逆さまに落ちていたことだろう。柵に頭と背中をぶつけた狗井は「ふぎゃっ!?」と奇抜な声を上げながらその場に崩れ落ちた。扉を開けた張本人が、パジャマ姿で声を荒らげながら狗井に言った。


「近所迷惑!!何回もインターホン鳴らさないで頂戴!!」

「いってぇ……お前なぁ、扉ぐらい静かに開けてくれよ。頭打っちまったじゃねーか。」

「どう見ても自業自得でしょ!?全く……で?2人揃って何しに来たのよ?」


宮葉がそう言いながら、その場にしゃがみこむ狗井と、彼女の背中を優しくさする宇佐美の顔をそれぞれ睨みつけた。怒りを隠しきれない宮葉を前に、宇佐美が鞄から数冊のノートを差し出しつつ彼女に言った。


「今日、学校を休んでるって青春から聞いた。この間の釘付け事件の事もあったから、心配になって見舞いに来たんだ……これ、今日の授業分のノート。青春から預かった。」

「……あの子ったら本当に真面目ね。真面目過ぎるわ。私なんかのために、ここまでしなくてもいいのに。」


宇佐美から差し出されたノートを手に取りながら、宮葉がため息混じりにそう呟いた。いつもよりずっと疲れきった表情をしている。あまり宮葉らしくない弱々しい顔だ。怪訝に思った狗井はガバッと起き上がると、宮葉の顔をジッと見つめながら彼女に尋ねた。


「宮葉、本当に大丈夫かよ?顔色悪いぞ……やっぱり、釘付け事件絡みか?」

「……まぁ、ある意味そうかもね。」


ノートを両手で抱えながら宮葉が短くそう答える。何やら意味深な言葉を前に、狗井と宇佐美の表情が少し強ばった。宮葉は何かを窺う様に目を伏せると、渡されたノートをギュッと抱きしめながら細々と呟いた。


「私、言ったわよね?藤原と席が隣同士だったって。藤原の席に、色々と酷い事が書かれてる事も、少し話したわよね?」

「……あぁ。その話は覚えてる。それが、何か関係あるのか?」

「えぇ。その藤原の席、今はもう無いらしいんだけど……あの日の翌朝、学校に行ったら……今度は、私の机が……」


宮葉の言葉が途中で途切れ、彼女の身体がカタカタと震え始める。当時の事を鮮明に思い出してしまったのだろう。危うく倒れそうになった宮葉の体を、咄嗟に狗井と宇佐美が手で支えた。先まで言わずとも、狗井達には宮葉の言いたい事がすぐに分かった。

とどのつまり、宮葉の席にも藤原同様罵詈雑言が殴り書きされていたのだ。狗井達は直接見たことがないため、実際にどのような内容が書かれているのかは全く知らない。が、事前に聞いていた宮葉の話から、聞くだけでも胸糞が悪くなるような内容ばかりであると言うことは知っていた。狗井が苛立たしげにギリッと歯ぎしりをする。自分の近くで、知り合いが虐めのターゲットに選ばれた事に強い怒りを感じたからだ。それは宇佐美も同じようで、怯える様に震える宮葉の身体を優しく抱きしめていた。


「……あいつらは、新しい玩具を見つけたのよ。私っていう、虐め甲斐のある玩具を。」


不意に宮葉がそう呟いた。ハッと目を見開いた狗井が顔を上げる。ノートを盾のように構える宮葉の目は、虚空を見つめながら暗く沈んでいた。宮葉はそのまま、虚ろな表情を見せながら狗井達に向かって話し続けた。


「藤原は孤立していた。私と同じぐらい、あのクラスの中で疎外されていた。散々虐めも受けていたわ……でも、藤原が居なくなった今、あいつらは誰を虐めると思う?鬱憤晴らしの矛先が無くなったら、今度は誰が犠牲になると思う?」

「……お前、まさか……」

「もう、しばらく学校には行けないわ……私の居場所は、もう、あそこには無いもの。」


宮葉はそこまで言うと、背中をさすっていた宇佐美の手を払い除けた。その後、ノートを抱え直し部屋の扉を閉めようとする。が、ハッと目を見開いた狗井が扉を閉めさせまいとすぐに手で押さえた。宮葉はぐっと唇を噛み締めると、ノートを玄関口に落とし無理やり狗井の手を離そうとした。しかし、体格差はあるが腕力は狗井の方が圧倒的に上だった。扉を巡る攻防戦が二人の間で繰り広げられる中、宮葉は首を左右に振りながら大きな声で必死に言った。


「お願い、今日はもう帰って頂戴!しばらく、誰とも話したくないの!……青春には、もうノートとか写さなくていいって伝えておいて。私には、こんなもの、必要ないから。」

「おい宮葉!そんなこと言うなって!俺達ならいくらでも話聞いてやるから……」

「そんなの結構よ!そもそも話したくないって言ってるんだから、さっさと帰って!!」


宮葉はそう声を荒らげると、一瞬のスキをついて狗井の身体を無理やり押し出した。バランスを崩した狗井が慌てて宮葉の方に手を伸ばすが、宮葉は彼女の手が離れた瞬間、間髪入れずにバタンッと力強く扉を閉めてしまった。行先を失った狗井の手が虚空を掴む。狗井はその手でぐっと固く拳を作ると、無言を貫いていた宇佐美の顔目掛けて拳をぶつけながら言った。


「ウサギ!何でずっと黙ってたんだよ!!宮葉が藤原の代わりに、クソみてぇな奴らに虐められてんだぞ!?このまま、何もしないで見過ごすつもりかよ!?」

「そのつもりは毛頭ない。ただ……今は1人にさせた方がいい。無理に嫌な事を思い出させても、宮葉自身が苦しむだけだ。」


狗井からの拳をことごとく手で受け止め、器用に躱しながら宇佐美が言った。一際強く打ち付けた後、諦めた様子で狗井が拳をゆっくりと下ろした。いたたまれない気持ちでいっぱいなのだろう、狗井の表情には怒りだけでなく悔しさの色も滲み出ていた。神妙な面持ちで目を細めた宇佐美が、狗井の頭を優しく撫でながら呟く。


「とりあえず、今日はもう帰ろう。また明日の放課後に来て、あいつが落ち着いてそうだったらまた詳しく話を聞こう。」

「……」


狗井はしばらく黙り込んだ後、宇佐美の手と身体を押し退けながらその場から走り出した。宇佐美が深く息を吐きながらその後を追いかけようとする。

しかし――その歩みは一歩足らずですぐに止まった。外から誰かの視線を感じたのだ。すかさず柵に手をかけ、部屋の前に広がる下の世界を見渡す。が、どこにも人の姿は見えない。おかしい、こちらを見上げる様な視線をついさっき確かに感じたのに。


「……気のせいだと、良いんだが。」


宇佐美は1人でそう呟くと、気を取り直すために首を左右に振った。兎耳付きの頭巾を被り直し、狗井の後を追って再び歩き始める。

そんな彼の姿を、敷地内にある木の陰から見つめるひとつの影。宇佐美がアパートの階段を降りて外に出たのを確認すると、何者かは妙におどおどとした様子で何度も周囲を見渡した。そして、周りに誰も居ないことを確認すると、そろそろと外に出てアパートの階段を上った。外は日が沈んで薄暗く、周りの人通りも少ない。故に、その者は誰にも見られることなく、先程まで宇佐美がいた場所、宮葉の部屋の前まで向かうことが出来た。何者かがわなわなと唇を震わせる。何故か怯える様な眼差しで部屋の扉を見つめると、何者かは震える手を持ち上げ、静かにコンコンとその扉をノックした―――



***



数分前――



「……本当、馬鹿じゃないの、私……」


扉を閉めた直後、その場に蹲りながら宮葉が1人そう呟いた。扉越しでも、狗井の怒号がよく聞こえてくる。宮葉が落ちたノートを手に取り、縋るようにギュッと抱きしめた。1人だけになった途端、インターホンの音で騒がしかった室内がシン…と静まり返る。6畳半の、お世辞にも広いとは言い難い部屋の中、パジャマ姿の少女は心の中で密かに悩み続ける。


(本当は、誰かに聞いて欲しかった。机だけじゃない。朝は上履きも隠されたし、靴箱にも色々とゴミを入れられたり……散々だったわ。)

(でも、言うのが怖くて……言った事があいつらにバレたら、倍で返されるかもって思ったから……誰にも言えなかった。おチビ達にも言えなかった。)

(挙句の果てに、わざわざお見舞いに来てくれた2人を追い返しちゃって……私、本当に馬鹿ね。)


気づけば、扉の向こうから狗井たちの声はもう聞こえなくなっていた。とっくの昔に立ち去ったのだろう。宮葉は諦めた様に息を吐くと、ノートを抱えてその場から立ち上がった。ふらふらと覚束無い足取りでリビング兼寝室の空間へと向かう。

するとその時――


コンコン…


「!?」


突然のノック音に驚いた宮葉がビクッと身体を震わせる。反射的に顔が体ごと扉の方を振り返った。いつもと変わらない玄関口の風景だ。しかし、なぜだか嫌な予感がする。先程の様に安易に近づいては行けないような、そんな雰囲気が扉の前から漂っていた。


「な、何よ……おチビ?ノッポ?」


もしかしたら先程見舞いに来てくれた2人かもしれないと思い、内心怯えつつも宮葉はノートを机に置いて再び玄関口に戻った。が、扉を開けようと手を伸ばした瞬間、ふと違和感を覚える。よくよく思い返せば、最初来た時に狗井はインターホンを押していたではないか。何か言い忘れた事があって戻ってきたのだとしたら、何故わざわざ扉を(・・・・・・・・)ノックするのだろうか(・・・・・・・・・・)。また最初の様にインターホンを鳴らせばいいのに。扉も貫通する程の声量で、もう一度自分の名前を呼んでくれればいいのに。


「………」


扉を目の前にして宮葉が躊躇っていると、再びコンコンとノックの音が鳴った。とても静かで、あまりにも淡々とした音だ。その音を、連打されたインターホンの音よりも恐ろしく感じるだなんて。

宮葉はぐっと息を詰めると、深呼吸を数回繰り返した後ついにドアノブに手をかけた。キーチェーンはかけていないので、ガチャッとドアノブをひねるだけで扉が開く。鍵かけるの忘れてたな、と頭の片隅で思い出しながら、宮葉が意を決して玄関の扉を大きく開けた。

外には誰もいない。夕日さえもなくなり、夜特有の薄暗さと静寂が宮葉の視界いっぱいに広がっていた。扉を押さえながら警戒気味に辺りを見渡すも、人の姿はどこにも見当たらなかった。ここはアパートの3階なので、逃げるにしても飛び降りるのは無理があるし、扉を開けた時点で少しは外から足音が鳴るはずなのだが――宮葉は強ばらせていた身体を弛緩させながらホッと安堵の息を吐いた。誰もいないことも怖いが、知らない人間が目の前に立っていることの方がより怖かったからだ。


「なによもう……新手のイタズラ?ピンポンダッシュよりタチ悪いじゃない。こんな時に、本当やめて欲しいわ。」


完全に安心しきったからか、宮葉の口から愚痴のような独り言が止まらなくなる。が、扉を閉めて部屋に戻ろうとした瞬間、宮葉の足元を何かが(・・・・・・・・・)すり抜けて行った(・・・・・・・・)。実際に姿を見た訳では無い。が、何やらおどろおどろしい存在が、足元の近くを通った様な気がしたのだ。驚いた宮葉が咄嗟にその場で飛び上がった。その拍子で扉から手が離れ、支えを失った扉が自動的にバタンッと閉まる。その音でハッと我に返った宮葉は、すぐさま何かが通り抜けて行ったであろうリビングへの通り道に視線を向けた。そして、目を見開き小さく悲鳴をあげた。

玄関口とリビングを繋ぐ、何の変哲もないフローリングの床上――その上に、点々と奇妙なシミ(・・・・・)が刻まれているのだ。何もないところから、突然出てくるようにシミが浮かんでくる。よく見ると、そのシミ周辺から微かに煙らしきものも浮いていた。宮葉が恐る恐る屈んでシミの近くに顔を寄せた。その途端、異様なまでの刺激臭が鼻をついた。思わずその場から立ち上がり鼻をつまむ。シミは点々と刻まれ続け、挙句の果てにはリビングにあるカーペットの上にも浮かび上がった。カーペットからも煙が立ち上がり、この上ないほどの悪臭が部屋中に漂った。完全に腰を抜かした宮葉が、廊下のど真ん中で何も出来ないままリビングのカーペットを見つめた。


「な、なに……なん、なのよ……なんか、息、苦し……」


次第に宮葉は、自身の体が妙な息苦しさを覚えていることに気がついた。意識すればするほど、酸素が上手く脳みそに回らなくなる。だんだんと視界がぼやけ始め、例のシミさえよく見えなくなってしまう。

一体全体何が起きてるのか全然分からない。しかし、今はとにかく換気を、換気をしなければ。窓はここからだと少し遠い。ならば、扉を。玄関の扉を開けよう。虚ろな頭の中でそう思った宮葉が、やや這いずりながらも玄関の方へ何とか近づこうとする。


「ドア、どあ……開けな、きゃ……こきゅ、ぅ、でき……な……」


宮葉が大きく咳き込んだ。吐き気が治まらない。目から涙が止まらないし、汗も止まらない。相変わらず悪臭が鼻をつく。何となく、理科の実験で似た様なにおいを嗅いだことがある気がした。あれは何だっただろうか。先生が絶対に触ってはいけないと執拗に話してたのは覚えている。ならば、劇薬の類だろうか。もう思い出せない。思い出す余裕もなかった。


「か、はっ……お、ちび……のっぽ……たす、け、て……」


無意識のうちに宮葉が狗井と宇佐美の名前を呼びながら、扉に向かって必死に手を伸ばした。鍵はまだかけていない。後はドアノブに手を伸ばして、外側に開けるだけだ。それだけの単純な作業なのに、どうして起き上がれないのか。

どうして手がこんなに震えてしまうのか。

どうして、こんなことになってしまったのか。


「……っ……」


しばらくした後、宮葉の手がパタンと床の上に力無く落ちた。それと同時に彼女の身体もぐったりと力無く床上に寝そべる。そんなピクリとも動かない宮葉をカーペットの上から見つめながら――紫色のヘドロに包まれた()がニヤリと怪しげにほくそ笑んだ。満足気に目を細めた狼は、数秒も経たないうちに同じく紫色の煙と化して消えて行った。

宮葉は知らなかった。

自身が2回目に扉を開けた際――外開きの扉の裏側(・・)で、何者かが息を殺してその場にずっと立っていたことも。

そして、宮葉自身の目には見えなかった狼が、部屋から消えた途端、その者の足元に滑り込んだことも。


「……!!!あ、あぁ……」


何者かは心底怯えた(・・・)様に唇を震わせると、脇目も振らずにその場から走り出した。周りに人は誰もいない。故にその者は、行き同様誰にも目撃されることなく、夜の闇の中へと消えて行った。狼の姿も、その者が走り出した瞬間にはすでに消え去っていた。

大神町の夜が深くなっていく。

意識を失い、扉の前で倒れた宮葉が発見されるのは、まだもう少し先の話である。



***



翌日

大神学園 高等部校舎一階 某教室――



「昨日の夜さ、D組の生徒が病院に運ばれたんだって。」

「知ってる知ってる!宮葉燐でしょ?あの子、昨日学校休んでたよね。」

「なんか、急性中毒とかで入院してるらしいよ……これアレじゃない?いわゆる『魔女』の裁きって奴!」

「それ知ってるー!上の学年で話題になってるよねー。じゃあ宮葉さんも、誰かに名前を書かれて『魔女』に目ぇつけられたってこと?」

「えぇーかわいそー!でも、宮葉さんクラスでも浮いてたらしいし、ヘイト向けられるのはしょうがなかったのかもねー。」



――以下省略――



「……どいつもこいつも、魔女魔女うっせぇんだよ!!」


狗井がそう声を荒らげ、苛立たしげに立ち入り禁止の看板を蹴り飛ばした。看板がけたたましい音を立てながら宙を舞い、欠けた破片を飛ばしながら廊下の上へと落ちていく。

ここは5階、屋上前の階段近く。いつもならば狗井達が昼食を取る際に利用している場所だ。最近は青春に目をつけられているが、釘付け事件の事を話し合って以降は何故か見逃してもらっている。そんな秘蔵の隠れスポットで、狗井は終始怒りの表情を見せながら手当り次第に物を蹴り飛ばしていた。わざわざ階段の上までのぼり、用具類を無差別に破壊している。時刻が授業中故か、主要な教室がほとんど無い5階周辺には2人以外の人の気配が微塵も無かった。それをいい事に狗井は所構わず破壊活動を続けていたが、階段下にいる宇佐美はそれを一切止めなかった。なだめ役である彼ならば、普段は真っ先に狗井の破壊活動を止めている。が、今回は訳が違う。怒りの矛先を向ける場所がない以上、止めても無駄だと分かっていたからだ。宇佐美も表情を曇らせ眉をしかめながら、悔しそうに歯を食いしばった。

――昨日の夜、宮葉が病院に運ばれた。

その話を2人に真っ先に聞かせてくれたのは青春だった。彼女は、今朝方担任の教師から聞いた話を2人にすぐに教えてくれたのだ。ひどく動揺していた青春によると、宮葉は昨日の夜に玄関口で倒れている所を発見されたらしい。診断の結果、急性の中毒症状を発症している事が判明し、彼女はそのまま総合病院で治療及び入院することになった。発見がもう少し遅ければ重症化、あるいは死亡の可能性もあったらしい。が、幸いにも症状は軽いらしく、治療が問題なく進めば一週間以内には退院出来るそうだ。

しかし、今の狗井達にとって入退院の話は重要ではない。問題は、宮葉が被害に遭った時の状況そして時間帯にあった。警察の調べでは、当時宮葉のいた部屋の中は、未知の物質で構成された毒素の煙で充満していたらしい。部屋も鍵自体はかかっておらず、何者かが室内に侵入した様な跡――脱走した跡は見つかっていないらしいが――も残されていた。それらを鑑みても、宮葉は何者かによって襲われたと考えるのが妥当だった。しかも、狗井達が彼女の元を離れた後に。

犯人が狗井達の居なくなる機会を窺っていたのかは分からない。だが、もしあのまま宮葉の元にいれば、彼女は襲われずにすんだ可能性もあったのだ。その選択をしなかった事をひどく悔やみ、自分や犯人への怒りが収まらない狗井と宇佐美は、授業中にもかかわらずここに来ていたのだった。


「やっぱあの時に、さっさと帰らねぇで宮葉の所に居れば良かったんだ!数時間でもいいから、宮葉の傍に居れば良かったんだ!そうしたら、あいつがこんな悲惨な目に遭うことも無かった!!クソ野郎共の虐めを超える苦痛を、味わう必要も無かった!!そうだろ、ウサギ!!?」

「……ハル……」


狗井の蹴りがピタッと止み、憤然とした表情の狗井がバッと宇佐美の方に体を向けた。その瞬間、宇佐美が心底申し訳無さそうに目を伏せ頭を抱えた。狗井が階段を降りて宇佐美のすぐ近くで座り込んだ。苛立たしげにダンッと足を鳴らしつつ、膝に両肘を乗せ両の手の甲で頭を支える。

あの時、宮葉を1人にさせた方がいいと提案したのは宇佐美の方だった。正直狗井としては乗り気ではなかったが、当時は彼女もその方がいいかもと思いその場から離れた。そういった経緯もあってか、実のところ宇佐美は狗井以上にこの時のことを悔やんでいるらしい。先程から拳を固く握りしめては、階段の壁を何度も何度も強く叩いている。本当は狗井と同じぐらい、自分に対して怒り狂いたいのだろうに。


「……いや、ごめん。分かってる。お前ばっかが悪いわけじゃねぇ。お前の判断も正しかったよ……ただ、タイミングが最悪過ぎたんだ。あんな事が起きるなんて予想もつかなかったし、見計らったみてぇに宮葉が襲われるとも思わなかった。」

「………」


深呼吸をすることで必死に怒りを抑えながら狗井が呟く。宇佐美は何も言わない。が、拳を叩きつける回数は次第に少なくなって行った。宇佐美も壁伝いにずるずるとその場にしゃがみこむ。狗井が手当り次第に蹴り飛ばしたせいで、階段周りには小さな埃の煙が舞い上がっていた。屋上に繋がる階段の先、外に繋がる扉の欠けた窓から差し込む光が優しく2人の姿と煙を照らしていた。


「……あいつ、怒るだろうな。また見舞いに行ったら、あの時何で守ってくれなかったんだって、俺らに怒鳴り散らすぜ、きっと。」

「……あぁ……そうだな。」

「……」

「……」


狗井の苦笑混じりの言葉を前にしても、宇佐美は表情を変えないまま顔を俯かせた。途端にシン…と静まり返る屋上前階段下。なんとも言えない空気が、埃まみれの空間に重たく沈みこんだ。狗井が身体を少し横に動かし、階段沿いにある壁に寄りかかる。宇佐美のすぐ横で、狗井は壁に身体を預けながら小さく息を吐いた。すると、体育座りで顔を俯かせていた宇佐美が、ふと顔を上げて狗井に言った。


「クラスの女子達がさっき言ってたよな。宮葉が『魔女』に目をつけられたって。」

「あぁ。何が魔女だよって感じだけどな。この町には、人狼はいても魔女とかは流石にいねぇっての。」

「……ハル、青春の話を覚えてるか?魔女伝説についての話を。」


宇佐美が放った言葉に対し、狗井もガバッと身体を起こしハッと目を見開く。宮葉の見舞いに行ったあの日。その日の昼休み中に、青春が話していた言葉を思い出したのだ。

――おふたりは『魔女伝説』ってご存知ですか?――

あの時は何のことか分からず聞けず終いになっていたが、思えばクラスの女子生徒達も話題にしていた辺り、一部生徒の間では余程有名な話のはずだ。宮葉を襲った犯人の情報がほとんど無い以上、馬鹿らしいとは分かっていても、例の魔女に関する情報はかなり重要になってくる。


「宮葉を襲ったかもしれない犯人、それが魔女……胡散臭いのは好きじゃねぇけど、今はとりあえず、それに縋るしかねぇよな。」

「どうする?昼休みの時に、青春呼び出してみるか?」

「いや、放課後の方がいい。またあの時みたいに、あいつからじっくり聞き出そうぜ……魔女伝説とやらについてな。」


狗井はそう言うと、気合を入れるように自身の両頬をパチンと叩いた。そのまま立ち上がり、宇佐美の肩を叩いて教室に戻ろうと催促する。その時、丁度授業終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。昼休みまでにはこの後にもう1つ授業が挟まれる。宇佐美はこくりと頷くと、狗井と同じく立ち上がりその場から離れた。埃を払いながら、少し急ぎ足で教室に戻って行く。

――その後、2人が去った階段前に1人の生徒が近づいてきた。ヒビが入り欠片も飛び散った立ち入り禁止の看板を手に取り、いそいそと階段の下に立て直す。そして、階段上で乱雑に放置された用具類を見上げると、その生徒は小さく息を吐き、階段を上って1人で片付けに勤しみ始めた。その表情に、どこか怯えた感情を孕ませながら。



***



放課後

大神学園 高等部校舎五階 生徒会室――



「……それで、私の所に来たんですね。」


生徒会室の一角、電気ポッドの置かれた机の上で茶を入れながら青春がそう言った。粉末状の茶葉を湯呑みに落とし、手際よく上から湯を注ぐ。部屋の中央にある机、その傍に置かれた椅子に座りながら狗井がこくりと頷いた。


「あぁ。今んところ、魔女伝説の話を聞ける相手お前ぐらいだからな。他の奴らに聞くのはなんか嫌だ。」

「……前も言いましたが、私自身もあまり詳しくは知りませんよ。それでも良いんですか?」


湯呑みをお盆に乗せ、机に戻りながら青春が尋ねた。それに対しても狗井は無言でこくりと頷いた。宇佐美共々真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。青春は湯呑みを配り終えると、小さく息を吐きながらストンと椅子の上に座った。冷房の効いた少し肌寒い部屋の中で、熱々の茶から微かに湯気が立ち上る。


「分かりました。では、私の知ってる範囲でお伝えします……魔女伝説について。」


青春はそう言うと、湯呑みを両手で包みながら目を細めた。壁に貼られた鳩時計の針が、チクタクと静かに時を刻んでいた。


「そもそも魔女伝説とは何か……言うなれば、代行サービスの様なものです。生徒の要望に応じて、望まれない人間を学園から追放する……それが、魔女伝説における一連の流れです。」

「要望って……あいつが気に食わねぇから消してくれとか、まさかそういう感じか?」

「……そのまさか、ですよ。」


青春が茶を一口啜り深く息を吐き出す。狗井は湯呑みに手をつけないまま、頬杖をついて眉をひそめた。宇佐美も怪訝な表情を浮かべて青春の顔を見つめている。青春が続けて話を進めた。


「少し前に、ひとつ上の学年でセクハラ教師と言われていた男性教師が病院に運ばれた事があったんです。元から問題行動の多い方だったらしいんですが、先生方は訳あってあまり大っぴらには騒がなかったんです……どうやら、魔女伝説はそこから始まったと言われています。」

「あぁ、あの人か。噂で聞いたことがある。校舎裏で泡を吹いて倒れてたらしいな。」


宇佐美がそう言うと、青春は持っていた湯呑みを置いてこくりと頷いた。一方で狗井はその話を知らないらしく、宇佐美の顔を見ながらキョトンとした表情を見せている。


「その後に同じく上の学年の女子生徒が1人、男子生徒が1人、そして今回の宮葉さん……魔女が裁きを下したと思われる事例はまだ数件ほどしかありません。ですが、そのすべてにとある共通点があるんです。」

「「共通点?」」


狗井と宇佐美が首を傾げながらほぼ同時に呟いた。青春は再び湯呑みに口をつけると、瞬きをひとつ挟んでから続けて言った。


「魔女が裁きと称して相手を狙う際には、どの事例でも()を用いるんです。最初のセクハラ教師には重度の中毒症状が出たらしいですし、女子生徒と男子生徒それぞれにも――程度はまだ軽いですが――似た様なものが。そして、今回の宮葉さんも……」

「毒、か……密室で、誰にもバレることなく、毒を撒き散らす……ってところか。」

「……その魔女が人狼である可能性は、十分に高いな。」


宇佐美が狗井の耳元に顔を近づけながらそう囁いた。狗井が小さく頷き、神妙な面持ちで茶を啜る。少し冷めてはいるが、湯呑みが陶器製故にまだまだ中身は熱い。狗井が熱さに耐えかねて思わず舌を引っ込めると、不意に青春は何故か深呼吸を繰り返してから狗井達に言った。


「そして、実はもう1つ共通点があるんですけど……怒らないで聞いてくださいね。」

「?」

「生徒会室の横に、意見箱というものがあるのはご存知ですか?本来は、生徒達のリアルな声を聞いて、学園の環境を良くする為に設置されたものなんですが……魔女伝説において、その意見箱がどうやら利用されてるらしいんです。」

「……?利用されてる、だと?」

「はい。魔女は適当に相手を選んでる訳では無いんです。意見箱に投函された名前の書かれた紙……魔女は、そこに名前の書かれた人間を狙うんですよ。」

「意見箱か……でもあれ、確か鍵かかってるよな?前にチラッと見たことあるぜ。」


鍵がかかってると狗井が話した瞬間、宇佐美の表情が一気に嫌疑の色に染まった。眉をひそめ、疑うように青春の方を睨みつける。

鍵がかかっているということは、管理をしている者がいるという事だ。そして、意見箱のある場所は生徒会室のすぐ横。そのため、生徒会に属する人間が管理していると考えるのは容易なことだった。おまけに、魔女伝説でそれが利用されているというのなら、中身を確認できるのも生徒会の人間だけだろう。故に、件の魔女が生徒会の中にいると宇佐美は疑ったのだ。

そんな彼の反応を最初から予想していたのか、青春は深くため息を吐きながら静かに首を左右に振った。


「絶対その反応をすると思いましたよ……確かに意見箱は、本来は生徒会の人間が管理している物なので、我々生徒会の人間を疑いたくなる気持ちは十分分かります……ですが!断じて!少なくとも私は!魔女伝説とは何の関係も持っていません!これだけは明確に言えますから!」

「わ、分かった分かった!分かったから落ち着けって!……ほら、ウサギもそんなに青春のこと睨むなよ!な?」


勢いよくガタッと立ち上がる青春。そんな彼女を変わらず疑わしげに見つめる宇佐美。途端に険悪な雰囲気になる2人を落ち着かせようと、狗井も慌ててその場から立ち上がった。宇佐美の顔を見つめながら、青春がコホンと咳をひとつ挟み、大人しく座り直して言った。


「……失礼しました。あまり強く否定してしまうと、かえって疑いが深くなりますよね。でも、私は本当に見たことがないんです。魔女伝説において重要となる、名前の書かれた紙を。」

「本当か?……隠れて処分してるとかじゃないよな?」

「だからよせって、ウサギ!こいつが嘘つくようなタイプに見えるか?怪しむ気持ちは、まぁ分かるけどよ……」


青春が座ったのに応じて、狗井もストンと椅子に座り宇佐美の背中を軽く小突いた。宇佐美はしばらく怪訝な表情を崩さなかったが、狗井に机の下で何度も足首を小突かれ、諦めた様にため息を吐いた。


「宇佐美さんの気持ちも分かります。ですがそもそも、あの意見箱の鍵は生徒会長、あるいは副会長が管理しています。一介の風紀委員でしかない私では、開けることすら出来ないんですよ。」

「じゃあ怪しいのは生徒会長か副会長になるってことか――」

「いえ、副会長は大丈夫です。疑うべきは生徒会長ですよ。あの人、最近は特に生徒会どころか学園にさえ来ていなんです……きっと、私の知らないところでこっそり紙を回収して、魔女と言う形で身を隠し犯行に及んでいるんですよ。」


狗井の言葉に対し、脊髄反射のような勢いで青春が言った。あまりにも早く言葉を遮られたので、狗井だけでなく宇佐美も思わずポカンと口を開けてしまう。狗井は苦笑いを浮かべると、妙な自信に溢れた様子の青春を見つめながら言った。


「い、いやいやいや。鍵管理してる奴がその2人なら、副会長も十分疑えるだろ……生徒会長も、副会長とやらもどんな奴か全然知らねーけど。」

「いいえ、それは絶対有り得ません。いいですか?副会長はとても心の優しいお方なんですよ。常に学園の環境改善に励んでおり、困っている生徒がいればすかさず手を差し伸べて問題の解決に勤しむ、なんとも慈悲深いお方なんです。彼女の献身的な活動のお陰で、何人もの生徒達が救われました。そして彼ら彼女らからは、常に感謝や尊敬、労いの言葉が絶えません。副会長という地位に立たせるにはあまりにも惜しい、素敵な方……そんな方が魔女として人を追い詰めるだなんて、絶対にありえないんです。」


ほとんど息付く暇もなく、早口で言葉をまくし立てる青春。今まで淡々と冷たく言葉を放つことの多い彼女だったが、この時ばかりはやけに饒舌で謎の自信に溢れていた。副会長相手によほど深い尊敬の念を抱いているらしい。心做しか目をキラキラと輝かせる青春を前に、狗井はドン引いたと言わんばかりに頬をひきつらせた。宇佐美も少し困惑したように眉をひそめている。2人の反応を前に、青春は若干不服そうに目を細めたが、気を取り直すように腕を組んで言った。


「とにかく!副会長に疑いの余地はありません。疑うべきは生徒会長です。魔女として犯行に及んだのも、魔女伝説を広めたのも、絶対にあの人しか有り得ません!」

「うーん、そう言われてもなぁ……俺達はその副会長がどんな奴か知らねぇから、そこまできっぱり疑いから外すのはちょっとなぁ……」


狗井がそう呟き、宇佐美もうんうんと同意する様に頷く。青春がなにか言いたそうに口を開けた、その瞬間――突然ガラガラッと乾いた音が部屋の中に鳴り響いた。狗井達が一斉に音のなった扉の方を振り向く。

扉の開かれた教室の入り口、そこには少し背の高い1人の女子生徒が立っていた。腰までの長さがある、少しぼさついて厚みのある黒髪。両手両足には包帯が巻かれており、膝や顔にはガーゼや絆創膏がところどころ貼られている。見るからに痛々しい見た目の少女は、扉に手をかけたまま3人の姿を見て呟いた。


「……あっ……お、お取り込み中、かな?」

「ふ、ふふふ副会長っ!!?お、お疲れ様です!!てっきり、もう帰られたものかと……!!」


途端に青春がガタガタッと椅子から立ち上がり、黒髪の少女の前に素早く歩み寄った。その勢いに驚いたのか、少女が黒縁眼鏡の奥で目を丸くした。狗井達が思わず呆然とその様子を見ていると、青春がしきりに少女と狗井達の方を交互に振り向きながら言った。


「ほ、ほら!あなた達もちゃんと挨拶してください!!この方こそが、我らが生徒会副会長、漆村幽美(うるしむらかすみ)さんですよ!!」


副会長――そう言われた瞬間、狗井と宇佐美の心臓がどくんっと高鳴った。噂をすればなんとやら、副会長本人が来てしまったようだ。まだ心の隅で疑念を抱いている狗井と宇佐美が密かに幽美の顔を睨みつけた。が、青春がしきりにこちらを振り返ってくるので、とりあえず狗井達はペコッと形だけのお辞儀をした。すると、それを見た幽美はアワアワと手を動かしながらしどろもどろに言った。


「あっあっ、えっと……そんなに畏まらなくても、いいよ?私こそ、お話中だったのに、邪魔してごめんね?」

「い、いえ!!むしろ、邪魔なのは我々の方です!すぐに撤退致しますので!」

「え!?だ、大丈夫だよ!?ちょっと、忘れ物を、取りに来ただけだから……本当にごめんね、すぐに帰るから。」


幽美はそう言うと柔らかく微笑みながら、パタパタと駆け足で部屋の中に入って行った。そのまま真っ直ぐ奥へと駆け寄り、ダンボール等が置かれたスペースをゴソゴソと漁り始める。よほど慌てているのか、しきりに別の物に身体がぶつかっており、その度に小さく悲鳴をあげている。青春の話していた副会長像と比べると、正直頼りがいの無さそうな雰囲気がそこにはあった。狗井達は青春に近づくと、幽美に尊敬の眼差しを向ける彼女に向かって小声で尋ねた。


「なぁ……あの人がお前の言う副会長なのか?なんか、凄い弱々しい気が……いててててっ!!?」

「何を言うんですか!?あの身体についた傷の数々は、学園の平和維持の為に奮闘した証なんですよ!!それを見て弱々しいだなんて……失礼にも程がありますよ!」

「だ、だからって腹の肉つねなくても……いててててっ!!!」


青春の怒りに触れたのか、狗井が制服の生地越しに腹の肉を掴まれ軽く捻られてしまう。痛みに耐えかねた狗井がじたばたともがく中、突然幽美が一際大きな声をあげてその場に倒れた。それと同時に積まれていたダンボールの山が幽美めがけて崩れ落ちていく。


「きゃああああっ!!?」

「!?ふ、副会長!!」


驚いた様子で青春が狗井から手を離し、慌てて幽美の所に近づいた。それに続いて宇佐美も幽美の傍に駆け寄った。副会長を名乗る彼女への疑いはまだ晴れていない。が、元の性格上、宇佐美はこういう時に真っ先に動くタイプなのだ。狗井が呆れた様子で3人の姿をボーッと見つめる。青春は幽美の上に落ちたダンボールをどかしながら、珍しく焦った表情を見せて彼女に言った。


「だ、大丈夫ですか副会長!?お怪我は!?」

「い、たた……だ、大丈夫だよ。心配させて、ごめんね?忘れ物は、見つけたんだけど、ダンボールに、足引っ掛けちゃって……」

「あぁ……片付けが疎かになっていたんですね。私の責任です、後できっちり整理整頓し直します。」

「あ、青春ちゃんは何も悪くないよ!私が鈍臭いだけだから……あ……」


ふと、幽美が顔を上げて宇佐美と目を合わせる。宇佐美は幽美が落とした鞄を拾っており、彼女に渡そうと差し出していた。宇佐美にとっては、何気ない気遣いのつもりだった。しかし、鞄の存在に気づいた瞬間、幽美の表情が何故かサァッと青ざめた。宇佐美が怪訝に思うよりも早く、幽美が慌てた様子で彼から鞄を奪い取る。


「……?」

「か、鞄……ありがとう、ね……あの、えっと……」

「宇佐美です……宇佐美、翔。」

「宇佐美、くん……だね。鞄、ありがとう……じゃあ私、そろそろ帰るね。青春ちゃん、お疲れ様。また明日。」


幽美は少し早口でそう言うと、すぐにそこから立ち上がり、駆け足で教室から出て行った。青春が慌てて立ち上がり「お、お疲れ様です!!」と言って深深とお辞儀をする。走り出す直前、幽美は自身の鞄を守るように強く抱き締めていた。幽美の背中を見つめながら、宇佐美がどことなく険しい表情を浮かべる。先程の青ざめた表情は一体何だったのか――生憎、彼女の顔の変化に気づいていたのは宇佐美だけだったようだ。狗井は表情を変えることなく、呑気に頭の後ろで手を交差させながら幽美の姿を見つめていた。

すると、しばらくお辞儀の状態を維持していた青春が突然ガクンッとその場に蹲った。驚いた狗井達が慌てて彼女の傍に近寄ると、青春は地面に手をつけて青ざめた表情を見せながら震え声で呟いた。


「あ、あぁ……なんという失態……私が整理整頓をちゃんとしなかったせいで、副会長がダンボールの下敷きに……あ、あぁああ……!」

「あー……青春ぅ?聞こえてるかー?青春ー?」


狗井が青春の前で手をかざしたり、顔を覗いて声をかけたりする。が、完全に絶望した様子で項垂れる青春にその声が届くことは無かった。これ以上は話も聞けそうにないと判断した狗井が、宇佐美と目を合わせてため息を吐く。狗井達は憔悴しきった青春に別れの言葉を述べると、鞄を持っていそいそと教室を後にした。項垂れた青春が、2人が外に出ることを止めることは無かった。

廊下を出た瞬間、扉を閉めながら宇佐美が狗井に尋ねた。


「……ハル、お前はどう思った?」

「何が?」

「副会長の事だ。少し……怪しく思わなかったか?」

「怪しいっつーか、なんか頼りなさげな感じしかしなかったぜ?身体ひ弱そうだったし、話し方もしどろもどろだったし。なんか、魔女伝説の魔女っぽい雰囲気は無かったよな。」

「………」


2人はそのまま廊下を歩き下駄箱に向かっていたが、不意に宇佐美がピタリと歩くのを止めた。宇佐美が後ろをついてきていないことに気づいた狗井がくるりと背後を振り返る。宇佐美は頭巾を深く被ると、少し先にいる狗井の顔を見つめながら静かに呟いた。


「俺は……正直、疑っていいと思う。確かに優しそうで不器用な印象はあったけど、それだけで犯人じゃないと言い切るのには無理がある……さっき彼女の近くに寄った時に、そう感じたんだ。」

「……お前の直感は悪い意味で(・・・・・)よく当たるからな。」


狗井がため息混じりにそう呟き、宇佐美が思わず苦笑いを浮かべる。狗井は己の鞄を持ち直すと、宇佐美に来い来いと手招きをしてスタスタと歩き出した。宇佐美も止めていた足を再び動かし、狗井と並ぶようにして歩き出す。


「どうする?副会長とっ捕まえて、無理やりにでも聞き出してみるか?あの様子じゃ、何もしなくてもすぐに自白しそうだけどな。」

「会って早々、拷問にでもかける気か?聞くにしても、せめて穏便な方法で聞いた方が良いだろ。」

「えー。でも魔女とやらは毒使うんだろ?もし副会長が魔女だったら反撃とかされるんじゃね?」

「そうだな……一応、生徒会長の方も気にしておこう。もしかしたら、共謀の可能性もある。正直、無いとは思いたいが。」

「あー確かに。それもあるよなぁ……つーか、宮葉の奴いねぇと静かだな。なんか妙にソワソワしちまうぜ。」


お互いにそう話し合いながら下駄箱に向かう狗井と宇佐美。いつもなら宮葉も隣にいるのだが、彼女がいないだけで少しばかり寂しい気持ちがする。狗井がその事を愚痴ると、宇佐美も目を伏せながら同意する様にこくりと頷いた。

そして下駄箱に到着した狗井達は、靴を取り出すために自身の棚へ近づいた。しかし、その付近で屯する複数の人影を見た瞬間、狗井は露骨に嫌そうに顔を顰めた。そこには、狗井と同じクラスの女子生徒3人組が固まっていたのだ。お喋りが大好きで、学園内で起きる様々な噂話を持ち出しては話題にする連中だ。今朝方宮葉の事を話していたのも彼女達だった。

3人組は狗井が来たことに気づいた瞬間、賑やかに話していたのをやめてギロッと彼女を睨みつけた。そのまま少し慌てた様子で下駄箱から離れて外へ出ていく。この光景は実は今まで何度も見てきた。呆れたと言わんばかりに狗井がため息を吐いた。

あの3人組は、どうやら狗井の事をあまりよく思っていないらしい。遠巻きに狗井の事を睨んではコソコソと何かをささやきあっている。特に、狗井が宇佐美と一緒にいる時は必ずと言っていいほどこちらを睨んでくる。彼女達に悪い事をした自覚が無いので、どうして彼女達がこちらを睨んでくるのかは分からない。が、下手に反応して反感を買うのも嫌なので狗井は基本的にその視線を無視し続けていた。宇佐美が心配そうに狗井の顔を見つめるが、狗井は首を左右に振りながら、いつものように棚の蓋を開けて靴を取り出した。

もし、狗井達がもう少し早く下駄箱に来ていれば。そして、3人組が狗井達の存在にすぐに気づかなければ――狗井達は彼女達が話していた内容を聞くことが出来ただろう。

件の魔女伝説に自身が(・・・・・・・・・・)巻き込まれつつある(・・・・・・・・・)という、そんな内容の話を。



――――



「……やっぱさ、狗井さん鬱陶しいよね。今日は特に、ずぅっと宇佐美くんに付きまとってたし。」

「本当いい加減にして欲しいよね。仲良いですよアピール、ほんとウザい。」

「狗井さんが居なかったら、私達も宇佐美くんと仲良くお話出来るのにねぇ。」

「……いっそのことさ、例の魔女に頼んでみない?狗井さんのこと、追放出来ないかって。」

「え?マジで言ってる?確かに、宮葉さんの時は(・・・・・・・)上手くいった(・・・・・・)けど……あれはたまたまだったかもしんないじゃん?」

「だ……大丈夫だよ!魔女はちゃんとこの学園に居るよ!あれは偶然なんかじゃない。名前を書いた紙を入れたら、本当に宮葉さん入院したんだし!しかも、同じ中毒症状で。」

「……まぁ、狗井さんが消えたところで、誰も悲しむ人はいないよね。あの人、宇佐美くんの事しか見てないんだし。」

「そうだよ。狗井さんが居なくなっても、誰も傷つかないじゃん。むしろ皆助かるんじゃない?喧嘩っ早くて短気なあの子に困ってる人、絶対何人かはいるもん。」

「やっぱ、そうだよね!こういう時こそ、魔女に頼るべきだよね!?どうしよう、明日の放課後とかに、紙入れちゃおうか……?」

「そうしようそうしよう!……あ、やば。そんなこと話してたら、マジで狗井さん来ちゃったよ。」

「うわ、ガッツリこっち見てんじゃん……聞かれてないよね、今の話。」

「も、もう帰ろう。続きは歩きながら話そうよ。」

「そうだね……帰ろっか。」



――以下省略――



***


ピクシブ版→https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15158795

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=828528762&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ