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汝は人狼なりや。  作者: 独斗咲夜
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弍日目ー前半戦

~あらすじ~


ストーカー事件から数日後――大神町では一か月前に起きた『釘付け事件』と呼ばれる連続殺傷事件の再発がまことしやかに噂されていた。

前回の事件を契機に宮葉燐と親しくなった狗井遥と宇佐美翔は、ひょんなことから再発した釘付け事件の被害者を名乗る少女と知り合うことになる。が、彼女の話を深く聞くにつれ、少しずつ宮葉に異変が生じ始めて――



男は語る。

自身の短き人生の中で得た教訓を。

学びを。

知識を。

そして持論を語る。



――僕は自由って言葉が嫌いだ。

どうしてかって?単純なことだ、本当の意味での自由なんてどこにも存在しないからだ。

この世界……いや、この地球上に産まれてしまった時点で、人間は誰しも何かしらに縛られながら生きなきゃいけないんだ。赤ちゃんは大人になるまで両親の下で生きなきゃいけないし、大人になれば今度は社会の波にもまれながら生きなきゃいけない。人間は1人では生きていけないんだよ、たとえそれを望んだとしても。仲間意識だとか協調性だとか、そんな言葉を使った『皆で手と手を取り合って助け合いましょう』っていう精神が全人類に刷り込まれてるからね。

でもそれはあくまで建前だ。本当は孤立して下手に目立つのが嫌だから、あえて1人にならないように本能的に心がけているだけなのさ!学校で友達が1人も出来ないぼっちは除け者扱いされるだろ?会社の中で使い物にならない奴は疎ましがられるだろ?そんなくそみたいな世界の中に、本当の意味での自由なんてあるわけが無い!みんな誰かに縛られて生きている!僕だってそうだ、いつもいつも先生とかクラスメイトとか親とか塾の先生とか、色々な奴らに縛られて生きてる!どこにも逃げられない!逃げれるわけも無い!!僕に自由なんてものはないんだ!!一生、与えられるわけが無いんだ!!!

……だから、あんたがああ言ってきた時は、頭でもイカれたんじゃないかって思ったよ。

あなたは自由に生きていいんだよ、だって?今まで散々縛り付けてきたのはどっちだよ?良い学校に行ってくれって、もっと勉強していい大学に行ってくれって言ってきたのはあんたの方だろ?なのに、今になって、自由に生きていいだって??小学生の頃からずっと、あの男の味方だったくせに!!



だからこれは……救済だ。

矛盾したことしか言えない、可哀想な精神異常者に対する、救いの手なんだ。


ねぇ、そうだろ?――母さん。










男は語る。そして騙る。


目の前に広がる血の海から目を背けて。

自身の足元に倒れる人間の身体を放置して。









***



大神学園 高等部校舎五階――



「……」

「どうしたよ宮葉、顔曇ってんぞ?そのパン不味かったのか?」


埃まみれの階段に座りながら、スマートフォン片手に膝上で頬杖をつく少女、宮葉燐(みやばりん)。鮮緑色のツインテールが特徴的な少女だ。片手で器用に液晶画面をスワイプしては、何故か暗い表情でため息を吐いている。そんな宮葉の隣でパクパクと肉団子を頬張るのは、彼女よりも小柄な少女、狗井遥(いぬいはるか)。黒い長髪を白いリボンで二つ結びにしている少女だ。体こそかなり小さいが、その身に似合わぬ凄まじい怪力と腕力を密かに持っている。その隣で黙々と白米を頬張るのは、狗井よりも体格の大きい青年、宇佐美翔(うさみしょう)。狗井の幼なじみで、現在は同じ孤児院に暮らしている。狗井同様腕力があり、彼女が暴走した際のなだめ役を担っている。

そんな3人は今、昼休みという事で狗井のお気に入りスポットで昼ご飯を食べていた。つい数日前、とある事件――宮葉がストーカー行為に遭っていた事件だ――を契機に知り合った3人は、今では昼休みになるとこのいつもの場所で落ち合い食事を取るほどの仲になっていた。

結局あの後、犯人は病院に搬送され、全身大火傷かつ意識不明の重体だそうだ。狗井が手酷く迎え撃ったのが災いしたのだろう。ウェブ上の報道に向けられた視聴者からのコメントでは、人体自然発火だの神の裁きが下っただのと様々な憶測が飛び交っていた。全ての真実を知る宮葉は、それらを見て複雑な感情を心の中に抱いたのだが。

狗井達に事情聴取の流れが来なかったのはある意味幸運だった。狗井の知り合いである警官の笹木(ささき)が上手い具合に話を合わせてくれた様だ。もし事情聴取で下手にあの時の事を話せば、何を言ってるんだという反応を向こうから返された事だろう。なんせあの日に起きた出来事は、“人狼”と呼ばれる者同士の戦いでもあったのだから。


人狼――この大神町に古くから存在していると言われる、特殊な能力を持つ人間達。

彼ら彼女らは皆、“狼”と呼ばれる霊的存在を従えている。“狼”がいる事で能力を発揮することが出来るのだ。“狼”は普通の人間の目には見えないし触れることも出来ない。その特質を利用して、能力を悪用し他人に危害を加える人狼が後を絶たないのだ。そうした悪しき人狼達を成敗するのが狗井や宇佐美の仕事でもあった。

生憎、宮葉は人狼ではないため、人狼が従える“狼”の姿を見る事ができない。自分とは異なる世界に住む狗井と宇佐美――それでも、宮葉が狗井達から離れることは無かった。忘れられなかったのだ、あの時に得た高揚感が。漫画や小説の中でしか見たことの無い、異能力同士のぶつかり合い。それをこの目で直に目撃したのだから、恐怖なんて感じる暇さえ無かった。

もっと見たい。

特殊な能力なんて何一つ持っていない自分のこの目で、もっと2人の姿を見ていたい。

気づけば宮葉の心の中には、そんな思いが渦を巻いてそこに留まっていた。単純に、同い年の対等に話せる友達が欲しかったのもあるだろう。が、その考えは二の次に、宮葉はほぼ毎日狗井達と共にこの昼休みの時間を過ごしていた。この大神学園では、通常の休憩時間は10分と短めだ。そのため、精々廊下で会えてもそこで軽い会話をする程度の事しかできない。それよりはこうやって、お互いに隣合って座りながらゆっくり話す方が好都合だった。おまけにこの屋上前の階段は、元々立ち入り禁止区域のため人もほとんど来ない。故に宮葉は日々の学園生活を送る中でも、今ではこの昼休みの時間がとても好きになっていた。狗井達も満更ではないらしく、宮葉と過ごすこの時間を楽しんでいるようだった。そのため、今日も3人は仲良く並んで座りながら食事をとっていたのだが――


「それともあれか、この間のストーカーの事思い出したのか。あれはもう終わっただろ?もう視線感じることないってお前から言ってたじゃねーかよ。」

「それはそうだけど、違うわよ!例のあの事件……釘付け事件のニュースを見てたの。」


宮葉がスマートフォンを傾けて、先程まで自分が見ていた画面を狗井に見せる。狗井がひょこっと首を伸ばし、無言を貫いていた宇佐美も視線だけを画面に向けた。

宮葉の持つスマートフォンの液晶画面――そこに映っていたのは、でかでかと『釘付け事件、再発か!?』と見出しが貼られたとあるニュースの記事だった。それを見た瞬間、狗井達の表情も微かに険しいものになる。この事件の事はよく知っている。なんせ、事件の被害者のほとんどが、同じ大神学園の生徒達の親なのだから。

釘付け事件――宮葉がストーカー行為に悩まされるよりも前に発生した、一連の殺傷事件の総称だ。被害者が皆、身体に釘を刺された状態で発見されている事から命名されたらしい。ニュースの記事によると、凶器として利用された釘は全て製造元が不明な上、通常の釘よりも細長く鋭い造りをしているとの事だった。一番最初の被害者は、町の外れに住む主婦だった。発見された際、彼女は家の台所の中で全身に釘を刺された状態で死亡していた。これをきっかけに、大胆かつ凄惨な事件として報道され注目を浴びた釘付け事件は、今から1ヶ月前に不定期的に犯行が繰り返され、ある日を境にぱったりと止んでしまった。止むまでに被害を受けたのはみな大神学園の生徒達の親で、最初の事件とは異なり誰も殺害されてはいない。が、全員が身体のどこかに釘を1本以上刺されており、奇跡的に軽傷で済んだ者もいれば、今でも重傷を負って入院している者も少なくない。被害者は誰もがどこからともなく(・・・・・・・・)釘が飛んできて刺されたと話しており、目撃情報も少ないため犯人像も定まっていない。そのため、警察の調査は難航しており犯人逮捕までには至らなかった。このまま釘付け事件は迷宮入りかと思われた矢先――再び釘付け事件が発生したのだ。記事によると、今回の新たなる犠牲は1匹の飼い犬だったようだ。


「えーと……『全身に釘を刺された状態で家の敷地内に倒れていた飼い犬が発見された』、か。飼い犬は即死、飼っていた家族は深夜に犬の鳴き声が聞こえたから外に出て、そこで釘まみれの犬を目撃した……相変わらずやり方がむごいなぁ、おい。」

「全身に釘を刺されていて、犬も鳴いていたのに目撃情報がほとんど無い……か。何だろうな、妙に嫌な予感が――」

「ちょっと、あなた達!!こんな所で何をしてるの!!」


狗井達が黙々と液晶画面を見つめていると、突然3人の目の前から何者かの声が聞こえてきた。あまりにも唐突かつ大音量だったため、驚いた狗井がぎゃあっと悲鳴をあげながら派手にたじろいだ。宇佐美も完全に油断していたらしく、声こそあげながったが危うく弁当箱を落としそうになっていた。狗井の叫び声にも驚かされた宮葉が、慌ててスマートフォンを隠しながら視線を前の方に向ける。3人の前には、狐色の短髪に白いカチューシャをつけた少女が立っていた。歳は自分達と同じぐらいだろうか、どこか憤然とした様子で仁王立ちをしているその少女は、3人の姿をジッと睨みながら言った。


「ここ周辺は本来立ち入り禁止ですよ!勝手に忍び込んで何をしていたんですか?場合によっては即刻、先生方に報告しますよ!!」

「え、えぇ?急に話しかけてきて、なんだコイツ!?」

「あんた……うちのクラスの子よね?名前は、えっと……」

「青春です!青春翼(あおはるつばさ)!生徒会所属の風紀委員です!」


少女――青春はそう言うと、怒った表情を崩さないまま腰に両手を当てた。名前を告げられた宮葉が、思い出したと言わんばかりにポンッと己の手を叩く。狗井は完全に知らない様で、怪訝な表情を見せながらしきりに首を左右に傾げていた。対して宇佐美は風紀委員と言われて合点がいったらしく、狗井の耳元に顔を近づけて囁いた。


「ハル。この人、朝の身だしなみチェックで副会長と一緒によく校門に立ってる人だ。見覚えがある。」

「え、マジ?よく見てんな、お前。俺いっつも素通りしてたから気にしてなかったわ。」

「はぁ……最近この辺りで人が立ち入った形跡があるって報告があったんですけど、あなた達の仕業だったんですね。確認しに来て正解でした。」


青春がそう言ってため息を吐くと、心当たりのあり過ぎる狗井と宮葉がほぼ同時にギクッと身を強ばらせた。人の気配こそ無いものの、どうやら3人が立ち去った後で別の者がこの近くを訪れていたらしい。それが生徒か教師かは分からないが、いずれにせよ今までこの場で食事を取っていたことがバレてしまったのだ。同じクラスゆえ、相手が生徒会に所属している身と既に知っている宮葉が密かに冷や汗を垂らした。ここ大神学園の生徒会は校則違反等にかなり厳しいと風の噂で聞いているからだ。何かしらの罰でも課せられてしまうのではないか、という不安が宮葉の心を津波の如く蝕んだ。狗井は特に気にしていない様だが、宇佐美も少し険しい表情を見せながらペコッと頭を下げて青春に言った。


「すいません、青春さん。すぐに退きますから……ほら。行くぞハル。」

「はぁ!?何で急に退かなきゃなんねぇんだよ!!今までなんのお咎めも無かったのによぉ!!」

「……待ってください。本当はすぐに報告したいところですけど、今回だけは特別に見逃してあげます。」


先程までの憤然とした表情から一転して、青春が腕組みをしながら宇佐美にそう言った。見逃すと言われた瞬間、警戒しきっていた宮葉が思わず「え?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。何故今になって見逃すなどと言うのか。宮葉がその疑問をぶつけるよりも先に、青春は何やら怯えるように眉をひそめながら狗井達に言った。


「但し、その代わりに私の話を聞いてください……嗚呼、昼休みはもう少しで終わりますね。でしたら放課後、生徒会室に来てください。絶対にですよ、来なかったら直ちに今回の件を報告させてもらいますからね!」

「わ、わーったよ分かったってば!なんだよ、このめんどくせー奴……」


狗井がそう言って青春の顔を睨みつける。青春も負けじと狗井の顔を睨み返すが、予鈴のチャイムが鳴り響くと同時にハッと我に返り首を左右に振った。念を押すように狗井達の顔を見つめると、青春はくるりと踵を返してその場から立ち去った。暫く唖然とその場に留まっていた3人だったが、予鈴が鳴った事を思い出し、慌てて弁当の残りを口の中に放りこんだ。若干バタバタしつつも何とか全て食べ終えて各々の教室に戻る。その最中、狗井は何かを思い出したような頭をかきながら言った。


「そういやあそこ、反対側に生徒会室あったんだっけか……全然気にしてなかったわ。」

「はぁ!?あんたそれ先に言いなさいよ!私、その事今知ったんだけど!?」

「俺だって全然お咎め無かったから忘れてたんだよ!それに、反対側だからそうそう来ねぇだろって思ってたし!」

「2人とも落ち着け。とにかく、放課後になったら生徒会室に行こう……1人で勝手に帰るなよ、ハル。」

「帰らねーよ!!俺をなんだと思ってんだお前は!!」


狗井がすかさず宇佐美の太ももに蹴りを入れ、油断していた宇佐美の体が軽くよろける。それを見た宮葉が苦笑いを浮かべたところで教室にたどり着き、3人は別れの言葉を交わしながら各々の教室の中へと入って行った。

いつもの様にざわつきつつある教室の中。自身の席に座りつつ、ふと宮葉はその隣の席を一瞥した。机の上には油性ペンで文字が殴り書きされており、そのどれもが誰かを罵倒するような内容だった。そういえば、この席にはかなり前から不登校になっている生徒が座っていたはずだ。が、その文字達があまりにも不快な内容だったため、宮葉はすぐにその席から目を背けた。先に教室に来ていた青春が、その席を怯えた目で見つめていた様な気がする。が、特に詮索する気にもなれず、宮葉は気を紛らわすために頬杖をついて外の景色を見つめた。いつもなら煌々と差し込む夏の日差しだが、今では薄暗い雲に包まれてその眩い光をことごとく遮られていたのだった。



***



放課後


大神学園 高等部校舎五階 生徒会室ーー



「……し、失礼しまーす……」

『どうぞ、お入りください。』


狗井がおずおずとノックをすると、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。狗井は宇佐美と宮葉に目配せをすると、扉に手をかけガラッと勢いよく開けた。

狗井達にとっては初めての生徒会室だ。部屋の中央には、会議の為に置かれているのだろう長机が2個縦向きに隣合うよう並べられている。その奥には何やら文字の書かれたホワイトボードがあり、そのさらに後ろには段ボールやポスターの様なものが乱雑に放置されていた。歩くスペースこそ普通にあるが、部屋の隅や壁に様々な物が寄せて置かれているせいでお世辞にも綺麗とは言い難い。そんな部屋の中で、長机に隣接した椅子の上に座っていた青春が顔を上げた。本でも読んでいたのだろう、パタンとそれを閉じるとすぐにその場から立ち上がり狗井達の元に近づいた。腕時計を確認しながら淡々と青春が呟く。


「放課後開始から5分……少し遅い気もしますが、まぁ及第点ですね。とりあえず、こちらのお席にどうぞ。今お茶を入れますので。」

「……マジでなんなんだこいつ。」


狗井が若干引き気味に、ボソッと吐き捨てる様に呟く。青春は一瞬こちらの方を睨みつけたが、すぐに背を向け奥にある別の机へと向かった。そこにはよくある形の電気ポットと、様々な種類のティーパックが入った小箱が置かれていた。生徒会室にそんなものがあるとは思わず、椅子に座りながら狗井と宮葉が興味深そうにそれを見つめる。青春は慣れた手つきで人数分のお茶を入れると、湯呑みをお盆に乗せてそれぞれの前に置いた。夏にもかかわらず、陶器製の湯呑みから微かにモワモワと湯気が立っている。生徒会室全体にクーラーの冷気が伝わっているのもあるのだろう。が、狗井はそれが逆に気に食わなかったらしく、こっそり青春の顔を睨みながら唇を尖らせた。それに目ざとく気づいた宇佐美が、彼女の足を軽く小突いて止めさせようとする。


「……さて。そろそろ本題に入りましょう。あまりお時間を取らせたくはないので。」


青春はお茶を一口飲んでからそう呟くと、机の上に手を置き指を絡めながら言った。


「単刀直入にお聞きします……皆さんは、釘付け事件の事をご存知ですよね?」

「……!!」


青春にそう尋ねられた瞬間、狗井達の脳裏にあの釘付け事件の記事が過ぎった。あの階段で狗井達が話していたのを、青春が聞いていたのだろうか。熱いお茶をフーフーと冷ましながら、険しい表情を見せた狗井が湯呑みを傾ける。そんな彼女に代わって、宇佐美が湯呑みを握りしめながら青春に答えた。


「確かに、釘付け事件の事は知ってます。ただ、ニュースで報道されてる事ぐらいしか俺達は知りません。」

「やっぱり、そうですよね……あなた達は被害者じゃない(・・・・・・・)ですから。」

「……?どういう意味よ、それ。」


青春の意味深な言葉に対し、宮葉がすかさず疑問を投げかける。狗井の隣に座る彼女は、差し出されたお茶には手をつけず、腕組みをしながら青春の話を聞いていた。青春は小さく息を吐くと、再びお茶を一口含んでから淡々と呟いた。


「つい最近、飼い犬が亡くなったって報道がありましたよね?釘付け事件の再発か、なんて言われてましたけど……その犬の飼い主に関する情報は現在匿名とされていますが――その飼い主、実は私なんです。」


青春がそう呟いた瞬間、茶を口に含んでいる真っ最中だった狗井が勢いよくそれを吹き出した。ごぽっと空気の弾ける音と共に、緑色の液体が湯呑みの隙間からこぼれ落ちる。宮葉が悲鳴をあげながら咄嗟に狗井から身を離し、宇佐美もすかさず懐からハンカチを取り出した。青春だけは無言を貫いていたが、その表情は有り得ないと言いたそうに軽く青ざめていた。ゴホゴホと咳き込みながら狗井が青春に言った。


「いや、お前……急になんて事暴露してんだよ!?びっくりし過ぎたわ、マジで!!」

「私もびっくりはしたけど、あんたがお茶を吹き出した事の方にびっくりしたわ……それはそれとして、飼い主があなたって本当なの?」


咳き込む狗井の背中をさすりつつ宮葉が青春に問いかける。青春はコホンと咳をひとつ挟むと、怯えるように目を伏せながらこくりと頷いた。あの時教室で見かけたのと同じ表情だ。あの時は宮葉の隣の席を見つめていたはずだが……


「皆さんは、ご存知ですか?釘付け事件の前兆(・・)を。」

「前兆?」


ハンカチで狗井の口元と机を拭いていた宇佐美がすぐに言葉を返す。青春は深く息を吐き出すと、寒そうに腕をさすりながら続けて言った。


「えぇ。釘付け事件には、前兆があるんです。被害者の家の前に――門があればそこに、無ければ表札にはなりますが――必ず、釘が1本刺ささっているんです。犯行予告、のつもりなんでしょうね。門や表札に釘を刺された家の人は、必ず近い内に釘を身体中に刺される……それが、釘付け事件の犯人が行う、一連の流れなんです。」

「……何で、あんたがそんなこと知ってるのよ?」


青春と同様に、宮葉が表情を青ざめさせながらそう尋ねた。事件の報道でも、青春の言う前兆に関する話は一切されていなかったからだ。が、青春は己の身体をぎゅっと抱きしめると、若干震えた声で喉から必死に絞り出す様に話し始めた。


「き、聞いたんです。私の友達の親が被害に遭って入院してたから、その時に聞いて……その前に入院していた人も、前日に家の表札に釘が刺さっていたって友達から聞いたんです。だから、私は推察したんです……家の門や表札に釘が刺されたら、次のターゲットはその家の人になるんだと。そ、そしたら……」

「そしたら?」

「こ、今度は……私の家の門に、釘が刺さってて……絶対、有り得ないんです!あんな場所に釘なんて無かった!あまりにも不自然な刺さり方だったし、友達の話もあったから、私、私……!!」


次第に青春の声の震えが止まらなくなり、言葉も途切れ途切れになってしまう。会った当初はあんなに堂々とした口調だったのに。呆気に取られる狗井と宮葉をよそめに、諸々を拭き終えた宇佐美が咄嗟に椅子から立ち上がった。そのまま青春の隣に座って彼女の背中を優しくさする。錯乱寸前だった青春がホッと安堵のため息を吐いた。そして、再びコホンと咳をしてから冷や汗を拭って話を続けた。


「……失礼しました。取り乱してしまってごめんなさい。要するに、私の家の門にも釘が刺さっていたんです。推察通りであれば、今度は私の家族が被害に遭うと思い、私は両親に頼んで暫く学校を休みました……私の居ない所で殺されたりなんてしたら、正常で居られる訳が無いですから。」

「あぁ。そういえば、あんた1週間ぐらい学校休んでたわね。珍しいねってクラスの女子達が話してたわ。」


青春の話を聞いて、合点がいった様子の宮葉がウンウンと頷いた。彼女の言う通り、青春は1週間近くの間学校を休んでいたのだ。特に理由も知らされなかった上、1度も学校を休んだことの無い青春が欠席したと知ったクラスメイト達が、ここぞとばかりにその事で軽く騒いでいたのを思い出す。青春は少し冷めたお茶を啜ると、背中をさする宇佐美を『もういい』と言うように手で制しながら言った。


「はい。万全を期して、ほとんどの時間を家の中で過ごしました。幸い、両親はどちらもテレワーク中心の仕事をしていたので、片方が1人になるような機会はほとんどありませんでした。出かける際も家族と共に行動するよう心がけ、とにかくどちらかが1人になる事が無いようにしてきました。」

「……そうしてた矢先に、飼い犬が殺られたって訳か。」


ようやく噎せが治ったのか、狗井が己の手で口元を拭いながらそう呟いた。零れたお茶はハンカチに全て吸われたらしく、真っ白だったハンカチの布が緑色の液体に侵食されていた。青春が狗井に向かってこくりと頷き再び目を伏せる。


「あれは確か、深夜3時ごろの事でした……安全のために、私が両親と一緒の部屋で寝ていた時でした。急に家の外から、飼っていた犬の鳴き声が聞こえてきたんです。最初は警戒するように吠えていました。でも、すぐに助けを求める様な声に変わって……」

「…………」

「その後、家族全員で慌てて外に出たら、既に犬は事切れていました。全身に釘を刺されて、文字通り血塗れでした。もしあれが私の両親のどちらかに刺さっていたら……そう思うと、今でも震えが止まらないんです。」


青春はそこまで言うと、顔を俯かせて深く息を吐き出した。この様子だと、ここにいる狗井達以外には誰にも話さなかった事なのだろう。再び宇佐美が青春の背中をさすった。青春が少し掠れた声で「ありがとう、ございます」と宇佐美に言った。少し落ち着いたらしく、青ざめていた表情は先程よりもいくぶんか和らいでいた。狗井が頬杖をつきながら険しい表情を見せて呟く。


「親のために警戒しまくった結果、犯人が人の代わりに犬を襲ったって訳か。でも、もし犬が居なかったら?意地でも親狙うつもりだったのか?……あぁくそっ!犯人の狙いが全然わっかんねぇー!」

「……ねぇ、おチビ。ちょっと、いいかしら。」


不意に宮葉が狗井に向かってそう言った。狗井が「なんだよ」と応えて宮葉の方に顔を向ける。が、少し疎ましげだった狗井の表情がすぐにギクッと強ばった。宮葉の顔が青春以上にすっかり青ざめていたからだ。何事だと言わんばかりに目を見開いた狗井が、慌てて宮葉の顔を覗き込む。


「ど、どうしたよ宮葉?何でお前まで顔色悪くなってんだよ!?」

「……さっき、前兆がどうのこうのって言ってたでしょ?私にも、来た(・・)のよ……その前兆が。」


宮葉から告げられた言葉に対し、狗井だけでなく青春と宇佐美もハッと息を呑む。宮葉は今にも泣きそうな表情で狗井の顔を見つめると、彼女の腕をぎゅっと手で掴みながら言った。


「今朝、家を出る時に門が上手く開かなくて……よく見てみたら、開かない方の門に釘が1本刺さってたのよ。だから、それを見た時に、釘付け事件の事を思い出したのよ。でも、私のお父さんはいつも工房にいるから、家には私しかいないのよ……だ、だから……」







「もし前兆の話とかが本当なら、次に狙われるのは……お父さんじゃなくて、私なの?」







***



――僕は自由って言葉が嫌いだ。

それと同時に、自分は自由に生きてるって豪語する奴も嫌いだ。

何が自由だ。親という存在がいる時点で自由もくそもないだろ。

自由って言葉を勘違いしてる可哀想な奴は、僕の手で救わないと。親という足枷に囚われて狭い世界しか見れない、ちっぽけな存在に救いの手を差し出そう……嗚呼、僕ってなんて優しい人間なんだろう!囚われの身にある皆を、この手で、本当の自由に導くんだ!!


「いやぁ、君のその心意気……まっすぐな様に見えて酷く歪んでる……でもどこまでも純粋で美しい!素晴らしいね!」


――……?誰だ、こいつ。なんか見た事あるような、無いような。ていうか、何処から来た?気配とか全然無かったのに……


「君みたいな素晴らしい人間が、こんな路地裏でこそこそと影に隠れて持論を語っているだなんて、非常に勿体無い!君の意見はもっと世間一般に公表されるべきだ!真の自由を掴む為、荒波に揉まれながら懸命に生きる大天使!……売り文句はこんな感じでどうかな?」


――なんだこいつ……とにかく鬱陶しいしうるさいな。関係ないだろ、何が公表だよ。しなくていいよ、別に。


「嗚呼、そんな顔をしないでおくれよ。僕は至極単純明快かつ純粋な気持ちを持って、今ここにいる君に接しているんだ。言い換えれば、僕は君の事を尊敬しているんだよ。」


――……なんかこいつ、とにかく気持ち悪いな。何でそんなに目輝かせてるんだよ。

最悪だ、なんか急に変なのに目をつけられた。


「……協力、してあげようか?」


――……?


「君、困ってるんだろ?今じゃ君の起こした(・・・・・・)釘付け事件は話題沸騰中だよ。ちょっとでも外に出たら怪しまれちゃうかもしれないねぇ……でも、目撃情報をここまで少なくさせたのは本当に素晴らしい努力だよ、賞賛に値する!」


――……!!!お、まえ……!!?


「そう……僕は全部知ってる。君の行いも、誰を殺し誰を傷つけ、次に誰を狙っているのかも……全部、知ってるよ。」


――……!!こ、殺すっ!!絶対殺す!!何で、お前みたいな奴が知ってんだよ!!誰にも見られないように、隠れていたのに、なんで、何で……!!!


「嗚呼!そんなに警戒しないで!僕は全てを知っている……その上で、君に協力してあげようと思うんだ。」


――……は?


「言っただろ?僕は君の事を尊敬している。君の行為を止める気は毛頭無いよ。むしろどんどん続けて欲しい!親に束縛されてる同い年の(・・・・)子供達を救ってるんだろ?なんて素晴らしい行いなんだ!僕には到底出来ないことだよ!」


――……そ、そう?なんか、人からそう言われるのは初めてだな。誰かに言ってみても、大抵は変なものを見る目で睨まれるから。


「そうなのかい!?なんと哀れな事か……世間一般がこんな調子じゃ、君のような人間が全く報われないじゃないか。君の行為に悪い所なんてあるかい?いや、ないね!むしろ君の事を理解していない世界の方が悪いのさ!君もそう思うだろ?」


――お前、最初は気持ち悪い奴だと思ってたけど……意外と良い奴だな。僕の事をそんなに理解してくれたの、お前が初めてだよ。


「君にそう言って貰えて、僕は嬉しいよ!それで……僕の協力、受け入れてくれるかい?」


――あぁ勿論!喜んで受け入れるよ!僕の願う自由のために協力してくれるんだろ?……裏切ったりとかは、しないでね?そういうのが一番腹立つしムカつくんだから。


「勿論分かってるよ!尊敬する君の事を裏切ったりなんてしないさ!それじゃあ早速、移動しようか。」


――?何処に、行くんだよ。


「言っただろ?僕は何でも知ってるんだよ?」







「それこそ……堂々と人を殺しても問題無い場所もね。」







***



「宮葉、お前……マジで言ってるのか?」


宮葉に腕を掴まれたまま、狗井が引きつった表情を見せてそう呟く。宮葉がこくりと頷くと、途端に青春が項垂れるように頭を抱えた。冷房で涼しいはずの室内が、あっという間に絶望という名の精神的な冷たさに包み込まれる。狗井と宇佐美が目だけを合わせてお互いに眉をひそめた。完全に憔悴しきった様子の青春が仰々しく呟く。


「なんて事……こんな近くに、新しい被害者が居るだなんて……!わ、私は、どうすれば……」

「まだそうと決まった訳じゃねぇだろ!でも……またこいつを護衛しなきゃなんねぇんだろうな。しかも、この間よりも厳重に。」

「でもハル、犯人は今まで親の方しか狙ってないぞ。宮葉自身を狙うとは限らないんじゃないのか?」

「いや、可能性はあります……現に、私の場合は犬が狙われました。宮葉さんは父子家庭ですよね?しかも、親御さんと離れて暮らしてるというのなら、きっと……いや、必ず(・・)、犯人は宮葉さんの方を狙います。あいつ(・・・)なら、確実にそうするはずです。」

「……あいつ?」


青春から零れたアイツという言葉に、違和感を覚えた宇佐美が怪訝な表情を見せた。それは狗井も同じ様で、怯えて身体を震わせる宮葉の身体を抱きしめながら青春に問い詰めた。


「おい、お前!アイツってなんだよ?犯人が誰か分かってんのか!?」

「い、いえ!あくまで、推察の域でしかないんです!でも……可能性の高い人なら、1人います。」


青春はそう言うと、湯呑みに残っていた茶を全て飲み干しその場から立ち上がった。そのまま壁沿いに置かれた棚に近づき、扉を開けて一冊の本のような物を取り出す。『生徒名簿』と表紙に記されたそれをパラパラとめくると、青春はとあるページで手を止めて机の上に置いた。狗井達が一斉にそのページを覗き込む。青春はとある生徒の顔写真を指さすと、怯えと嫌悪感のこもった眼差しでその写真を見つめながら言った。


「私のクラスに、1人だけずっと前から登校していない子がいるんです。その子はクラス委員でしたが、長期間の不登校により代わりのクラス委員を指名するよう、私先生から指示されてて……だから、私はその人の事をよく知っています。その人の性格も。かねてよりその人が、クラスの人達から陰湿な虐めを受けていたことも。」

「……!!」


狗井の身体に抱きついていた宮葉がハッと目を見開いた。心当たりがある様な反応に、狗井が続きを促すよう宮葉に視線を送った。躊躇う様に目を伏せた宮葉だったが、あの罵倒の文字だらけの机が脳裏を過ぎって離れなかった。宮葉はごくりと生唾を飲み込むと、狗井に抱きしめられながらたどたどしく()の名前を呟いたのだった――




***




藤原与一(ふじはらよいち)……ちょっと変わった名前だよね。弓とか上手そうな感じがするよ。」


――僕の父親が、那須与一(なすのよいち)みたいな人になって欲しいって願いを込めて、そう名付けたって言ってた……馬鹿馬鹿しい。何が『みたいな人になって欲しい』だ。産まれる前から僕の生き方まで制限するつもりだなんて。烏滸がましいにも程があるよ。


「そんなに自分の名前を卑下することは無いよ。むしろ僕は、とっても君らしくて素敵な名前だと思う。あれだよね?海の上にある扇の的を射抜いた人だよね?」


――そうだけど、僕は別にその人みたいになるつもりはないよ。弓道なんて1度もやったことないし、生まれてこの方、ペンより重いものを持ったことがないんだ。


「……君自身も、かなり抑圧された生活を送ってきたんだね。可哀想に。余計に君の行いを讃えたい気持ちに駆られたよ!そして同時に、それを続けて欲しいという気持ちにも……」


――中身のない、薄っぺらな同情とかは要らないよ。むしろそういうの、心底腹立つからやめてほしい。


「ひどいなぁ、そんなつもりで言ったわけじゃないのに……ほら、ここだよ。ここから中に入って。」


――……何だよ、ここ?あばら家じゃないか。しかもボロボロだし、壁も穴空いてるし!窓から入っていいの?


「大丈夫だよ。いわゆる空き家だからね。長年住む人が居なかったから、すっかり寂れちゃってるのさ……でも、重要なのは外じゃない、中さ。こっちに来て。」


――これは……蓋?


「ご明答!ここを開ければ……ほら。見えるかい?ここに梯子があるだろ?」


――!これ、地下室?


「その通り!いざという時の避難用に作られてたみたいなんだ。入口は狭いけど、中は意外と広いんだよ。案内してあげるから、先に入ってみて。」


――う、うん……思ったより深いし暗いな、ここ。懐中電灯とか持ってきてないんだけど……とりあえず携帯の明かり使うか。

ねぇ、君は明かりとか持ってる?僕、携帯のライトしか無くてさ……

あれ?ねぇ、ちょっと、聞こえてる?僕もう下まで降りたよ?ねぇ、ねぇってば!!

……おい、まさか……おい!お前、裏切らないって言ったよな!?あんなに僕の事尊敬してるとか言ってたのに……おい、開けろよ!開けろって!!なんで、開かないんだよ、これ……開けろ!!開けろよぉおおお!!!

なんだよ……どいつも、こいつも……結局こうやって僕のことを馬鹿にして、平気で傷つけて……畜生……畜生……っ!!!










かくして、少年――藤原与一の存在は、名も無きあばら家の地下に隠されてしまった。携帯の明かりがなければ、一寸先さえ見えない暗闇の中で過ごさなければいけなかっただろう。しかし、藤原の持つ携帯のバッテリーにはあまり余裕がない。乱れつつある呼吸をどうにか整えながら、藤原は壁伝いに奥へと歩き始めた。ここ以外に出口があるという希望を抱いて、真っ暗な闇の中へと一人消えていく。

そんな藤原の様子などつゆ知らず――蓋をパタンと閉じ、容易に開けられないようそのまま蓋の上に仁王立ちになる青年。群青色の短髪をかきあげながら、藤原を閉じ込めた張本人がニヤリと微笑んだ。そのまま己の携帯を懐から取り出し素早く操作を行う。彼が立ち上げたのは、ごく平凡なアドレス帳のアプリだった。多くの名前がリストの中に立ち並ぶ中、とある名前の所でスワイプさせていた指をピタッと止める。


「……さてと。舞台はこれで整った。後は残りの役者を集めようか。」


青年がそんな独り言を呟きながら、メールの送信画面を立ち上げ、親指で器用にメッセージを打ち込む。ご丁寧に地図まで送付し、目にも止まらぬ速さでメールを送信した。その送信相手は――




「さぁ……早くおいで、宮葉燐さん。とっても素敵な空間が、君を待ってるよ。」




***



大神学園 正面玄関前



「……なによ、これ。」


自身のスマートフォンを固く握りしめながら宮葉がそう呟いた。靴箱から靴を取り出し履こうとしていた狗井が顔を上げる。宮葉の顔は奇妙な物を見たかのように歪んでおり、液晶画面を睨みながら固く唇を噛み締めた。なんだなんだと言わんばかりに狗井が慌てて立ち上がる。宇佐美も素早く靴を履き、狗井に続く形で宮葉の元に近づいた。

生徒会室で青春と話をした狗井と宇佐美は、恐怖で混乱寸前だった宮葉を宥めて、とりあえず一刻も早く下校する事にした。青春の話によれば、次のターゲットは宮葉本人だ。彼女の父親を狙う可能性もあったが、それは限りなく低いだろうと青春は言った。犯人は宮葉の両親が家にいると踏んで犯行予告である釘を1本刺した。しかし、宮葉は父子家庭な上に家には基本宮葉1人しかいない。犯人がその事に気づけば、標的を宮葉本人に変えるだろうと青春は考えたのだ。現に、青春の元では両親の代わりに飼い犬が犠牲になっている。また、青春の話によれば、犯人だと思しき男――藤原与一は宮葉の隣に座っていたので、尚更執着するだろうとのことでもあった。その程度で執着するのかと狗井が疑問をぶつけるが、宮葉自身は心当たりがあったらしく青春の話は大方正しいだろうと狗井達に話した。

諸々の話を受けた狗井と宇佐美は、宮葉を再び護衛する為に青春と別れて一旦下校しようとしていたのだが――


「どうしたよ、宮葉。なんかあったのか?」

「……変なメールが届いたのよ。ほら、見て。」


立ち上がって傍に近づいてきた狗井と宇佐美に対し、宮葉がすぐさま液晶画面を2人に見せつけた。そこには、宮葉に当てられた一通のメールとそれに付属された地図の画像が映っていた。メールの本文には、たった一文だけ『君を待ってる。 F.Y.』と言う文字が打ち込まれていた。


「……なんだこれ。つーか、どこの地図だよこれ。郊外か?」

「末尾にあるのはイニシャルみたいたな。FY、か……っ!」

「嗚呼ノッポ……私、今あなたと同じこと考えてると思うわ。」

「……藤原与一、か。」


狗井がその名前を呟いた瞬間、宇佐美と宮葉が途端に表情を曇らせた。青春が言っていた、釘付け事件の犯人と思しき人物。あくまで青春の推察でしかないが、まるでタイミングを見計らったかのようにメールが届いた事で、疑惑が余計に真実に近づくような錯覚を感じてしまう。狗井と宇佐美は藤原がどういう人間なのか全く分からない。宮葉に聞いたところによると、とにかく真面目だが根が暗く融通もきかない男として、クラスの中でもかなり浮いていたそうだ。それと同時に同じクラスの生徒からも精神的な虐めを受けており、宮葉や青春もそれをよく目撃していた。彼が登校しなくなったのは1ヶ月以上前らしく、思えば釘付け事件が起きたのもそれから間もなくしてのことだった――考えれば考えるほど、藤原が犯人であると言う考えにこの上ない信憑性が生まれるようになる。どうして藤原が宮葉のメールアドレスを知っているのかは分からない。が、もしも彼がここに居ると言うのならこのまま無視する訳にもいかなかった。


「……行くしかねぇな、この地図の場所に。少し遠いけど、歩けない距離でもねぇし。」

「ちょ、ちょっと!このメール、私宛に送られてるのよ!?それに、本当にあいつがいるとも限らないでしょ!?もしかしたら罠かもしれないし……」

「んじゃあお前が1人で直接行くのか?どう見ても怪しいんだから、俺が代わりに行ってやるよ。何かあっても俺なら戦えるしな。」


狗井はそう言うと宮葉の手からスマートフォンを素早く奪い取り、メールに添付された地図をジッと見つめ始めた。宮葉がすかさずスマートフォンを取り返そうとするが、狗井は「待て待て!今地図覚えてるから!」と言って頑なに返そうとしなかった。いたちごっこの如くぐるぐると回る狗井と宮葉の姿を見つめながら宇佐美が小さく息を吐く。


「……おっし!地図頭ん中に叩き込んだぜ。ほら、スマホ返すよ。」

「ちょっと、乱暴に投げないで頂戴!ってか、今ので地図覚えたの!?」

「俺、こう見えて記憶力はいい方だからな。とりあえず、ウサギは宮葉の護衛を頼む。そっちの方でなんかあったら、すぐに俺に連絡しろよ。」

「……本当に1人で行くつもりか?」


狗井から鞄を投げ渡された宇佐美が、珍しく不安の混ざった心配そうな表情を見せた。狗井が宇佐美に鞄を押し付けながら何故か自信満々に彼に答える。


「当然!お前も一緒に来ちまったら、誰が宮葉のこと守るんだよ?俺の方じゃなくて宮葉の方に犯人が来たら、守れるのはお前しかいないだろ?」

「流石に1人は危険だ。犯人のやり方を見ても、相手が人狼の可能性は十分にある……お前も、分かってるんだろ?」


宇佐美から放たれた人狼という言葉に、宮葉の心臓が緊張でどくんっと高鳴った。この間のストーカー事件でも、宮葉を襲った相手は人狼だった。そして今回の釘付け事件の犯人、かつ宮葉を狙っている相手――藤原も人狼の可能性があるというのだ。たしかに、普通の人間の手でほとんど目撃されることなく釘を身体に打ち込むことは非常に困難だ。人狼は非現実的な能力を平気で使うと宮葉は狗井達から聞いていた。それに、実際に人狼が能力を使う場面にも出くわしたことがある。そのため、宇佐美の言う人狼の可能性も無いとは完全には言いきれなかった。むしろ、人狼だと信じた方がいくぶん気が楽だった。生身の人間の手であんな凄惨な事件を引き起こされる方が怖かったからだ。


「お前がなんて言っても、俺は1人で行くぜ。大丈夫だって!相手が人狼だった場合でも、結局は釘よけりゃいいだけの話だろ?余裕だよ余裕。」

「お前なぁ……」

「だ、だったら……私も一緒に行くわ!」


やけに自信ありげな狗井に対し、困ったと言わんばかりに眉を顰める宇佐美。そんな2人を見兼ねた宮葉が、戻されたスマートフォンを固く握りしめながらそう言った。まさかの一緒に行く発言に、狗井だけでなく宇佐美も驚いた様子で宮葉の方に顔を向ける。宮葉は2人が一斉にこちらを振り返ったことで一瞬たじろいだ。が、すぐに我に返り腕組みをしながら2人に言った。


「さっきも言ったけど、このメール私に送られてきたのよ?あんた達だけが行っても意味無いでしょ?相手が望んでるのは私自身なんだから。」

「馬鹿言え!相手は釘付け事件の犯人だぞ!?まぁ、まだ完全に決まった訳じゃねぇけど……それでも、お前まで連れて行くわけにはいかねぇよ!怪我でもしたらどうすんだ!?」

「怪我で済むなら全然安い方でしょ!それに……私だって、狙われてそのまま泣き寝入りするのはもう御免なの。この間みたいにビクビク怯えるだけの私じゃないんだから。」


宮葉がふんっと鼻を鳴らしながらそっぽを向いた。狗井同様、己の意見を曲げるつもりは毛頭無いらしい。狗井が呆れたように深いため息を吐いた。宇佐美もどうしたものかと悩むように頭を抱えている。

前回の件では殆ど怪我こそ無かったが、それは相手が宮葉自身に――触りはしたが――危害を加えなかったからだ。しかし、今回の相手は平気で他人を殺めたり怪我を負わせたりするタイプである。できる限りの護衛はするとして、完全に守りきれるのかという不安は少なからずあった。すると、ウンウンと悩む狗井達に対して、宮葉がポツリと呟いた。


「あんた達ばっかりに、こんな形で責任を追わせるのも嫌なのよ。人狼とかそういうの関係無しに、私のせいで厄介事に巻き込んでる気がするから。」

「宮葉……」

「ほら、分かったならさっさと行くわよ!またこの間みたいに帰りが遅くなってもいいわけ?」


宮葉にそう催促され、狗井と宇佐美がしょうがないと言わんばかりに深く息を吐いた。宮葉がわがままな性格なのは、前回の護衛で嫌という程痛感している。このままこの場であーだこーだと意見をぶつけ合っても、それこそいたちごっこの状態で決着がつかない。狗井は諦めたように目を伏せると、髪をガシガシと掻きむしりながら宮葉に言った。


「しょーがねぇな、んじゃあ3人で向かうとすっか……宮葉、もしあの地図の場所についても、下手に動き回ったりすんなよ。迷子になっても俺はフォローしねぇからな!」

「分かってるわよ!子供じゃないんだから、もう!」


宮葉が唇を尖らせながらそう言うと、狗井は小さく微笑み彼女の肩を軽く叩いた。そのまま宇佐美とアイコンタクトを送り合い、宮葉を連れてその場からそそくさと歩き出す。

時刻は午後5時を過ぎた頃。日の明かりが少し落ち着いた事で、外の空気は日中よりも少しだけ寒く感じられた。夕暮れの仄かな明かりが、校舎だけでなく建物前のグラウンドも赤々と照らしていた。



***


ピクシブ版→https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15105984

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