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汝は人狼なりや。  作者: 独斗咲夜
27/70

拾参日目ー前半戦

~あらすじ~


郷状ごうじょう株式会社――そこで働く丹波夕香子たんばゆかこを含めた計10名の社員たちは、単調ながらも平和な仕事まみれの日常の中を粛々と生きていた。

しかし、そんな彼女たちの平凡な日常は、突然現れた南本竜二みなもとりゅうじと名乗る青年によって大きく壊されていくこととなる。

一方、大塚華子おおつかはなこは人狼として目覚めた日からずっと一人で狼の能力を扱う練習を行っていたのだが・・・



一生変わることの無い物なんてものはこの世には無くて。


一生壊れることの無い物もこの世には無いもので。


そういった理論は、物理的な物に限らず、日常という目に見えなくても当たり前なものにも当てはまるもので。



――だからこそ、壊れる時は急に壊れてしまうもので。



***




大神町某所

郷状株式会社オフィスビル5階―――




「おはようございます。」

「あ!おはようございます、丹波さん!」

「丹波っちおはよ~!」


通勤ラッシュを乗り越え、建物のエレベーターを使って、行き慣れた事務的な作りの部屋をまっすぐ進む。朝の挨拶をすれば、同僚などが様々な声音で言葉を返してくれる。

丹波夕香子(たんばゆかこ)は、そんな繰り返される日常的な風景を前に、ルーティン作業の如くいつも通りの反応を返して自身の席に座った。その瞬間、彼女の隣に座る同僚の加奈山貴斗(かなやまたかと)がひょこっと顔を覗かせながら小声で言った。


「ゆかちゃんおはよう。昨日の会議で決まった話、メールにまとめたから後で確認してね。」

「ん、ありがと。」


丹波が短く淡々と答えると、貴斗はニコッと朗らかに微笑みながらデスクトップパソコンへと視線を戻した。自身とは同い年なのに、貴斗の顔は社会人らしくない上にあどけなく幼い。丹波は小さく息を吐くと、自分のデスクの上に鞄を置いて仕事の準備を進めた。パソコンを起動し、出欠を確認する専用のサイトを立ち上げる。そして、事前に自身の名前を打ち込み、本来の出勤時間になったタイミングでエンターキーを押す――いつも通りの作業。いつも通りの光景。単調なものではあったが、丹波は気にすることなくいつも通り仕事の準備を進めた。今日も今日とて仕事が沢山あるのだ。今日という1日の中だけでも、こなせるだけこなさなければならない。

――郷状株式会社。

主に人工知能やソフトウェアの開発を行っている、この大神町の中でもかなり有名な会社だ。この会社で開発された一連の技術は、現在総合病院などの公共機関にて実際に運用されている。また、この会社による経済的な影響力はもはやトップクラスで、自治体よろしく、町を裏で支えていると言っても過言ではない。今は“意思所持型人工知能”改め『V-AI(ブイ・エーアイ)』と呼ばれる物の開発に尽力しており、医療や消防といった多くの公的機関からもかなり期待されているようだ。

だが、ただの一社員であり、ごく平凡なOLでもある丹波にとっては、全て関係の無い事でもあった。

会社の偉大さ、影響力、技術力などなど、その全てをあまり実感することが出来ないからだ。

総合病院とかいう大きな病院に行く機会は滅多にないし、こちらは電話応対やメールの確認などをするだけで1日が終わってしまう。実際に人工知能の開発に携わっているのは、この事務的な空間の中にいるのとは別の人間だ。ごく一部の優秀な社員のみが選ばれているらしく、情報漏洩防止のために、彼ら自身の情報もかなり厳密に管理されている様だ。

そんな不自由極まりない生活を強いられるよりは、安直でつまらない単純作業を繰り返す様な今を生きる方がずっと楽だ――いつもの様にメールを確認しながら丹波は頭の中でそう考える。今日はこの後、軽い社内会議があったはずだ。溜まっていた仕事をある程度終わらせておかなければ。

しかし――いつもと変わらない日常を送っていたはずの丹波は、途中でふと妙な違和感を覚えた。

それは、同僚である女社員の梶都絵恋(かしみやえれん)が取った1本の電話から始まった。


「はーいもしもし、梶都ですー!あ、お疲れ様です社長!はい……はい?あ、えぇ、分かりました。じゃあ、また後で……」


最初こそ上機嫌な様子だった梶都が、途中から明らかにテンションの下がった様子でガチャンと電話を切る。彼女の口ぶりから察するに、社長から社員に対する特殊な内線電話なのだろう。梶都の返答の仕方に多少の疑問はあったものの、丹波は特に気にすることもなく、黙々と己に課せられた作業に取り組んだ。社長から社員への直接的な内線なんて、この会社では数日中に一回あるか無いか程度の事だ。頻度はそこまででもないが、割かしそんなに珍しい事でもない。

しかし――これを機に、一定の間隔で電話の着信音が、そして同じような応答の言葉が部屋中に響き渡る様になった。


「はい辻常(つじつね)です……はい。はい……分かりました。社長室ですね、すぐに向かいます。」

猛井(たけるい)です……はい、はい……?分かりました。はい、失礼します。」

「おお、お電話ありがとうございますっ!金城(かねぎ)ですっ!はい、はい!はい、分かりました!すすす、すぐに向かいますので、はい!」

「郷状株式会社総務部総務課、碧霧(あおぎり)です……あぁ、お疲れ様です社長……はい、かしこまりました。ただいま向かいますので、少々お待ち下さい。」

「……何?なんか、内線多くない?」


数分経った後に、ようやく違和感を覚えた丹波がパソコンから顔を上げる。どうやら貴斗も同じように思っていたようで、丹波と目を合わせながら首を横に傾げていた。

異様なほど繰り返される内線電話。

その電話を受け取る度に、何故か怪訝な表情で席を外す同室の社員達。

この会社は多数の企業と手を組んだりしているため、電話自体はほぼ常に鳴り響いている。だが、内線電話だけでこんなに頻繁に鳴ることはそうそうない。そもそも、総務部は他の部署と比べても仕事量が膨大なので、余程の事がない限り内線そのものがかかって来ないはずだ。

それなのに、こんなにも多数の総務部の社員が引き抜かれるだなんて。しかも、ピンポイントに特定の社員だけを内線で呼び出している。その様な電話の仕方が出来るのは、全ての連絡網を把握している社長だけだ。一部の社員は社員の名前を口にしていたが、まさか全員が社長から呼び出されたと言うのだろうか。

次第に周りから同僚や先輩などが消えていくデスクを前に、丹波は不気味に思いつつもそのまま作業を続けた。郷状株式会社は元からかなり大規模な会社だ、それ故に社員の取捨選択の機会も多い。きっと呼び出された奴らは、後で一斉にクビを言い渡されたりするのだろう――自分を落ち着かせるように、大胆ながらも生々しい想像を頭の中で繰り返しながら。

だが、謎の緊張で少しずつ早まっていた丹波の心臓は、その直後に来た電話で急速にどくどくと脈打つようになった。


「はい、加奈山です……はい。はい……分かり、ました。直ぐに向かいます。」

「!貴斗、あんたも?」


驚いた様子で丹波がすぐさま顔を横に向ける。貴斗はおずおずと頷くと、丹波にしか聞こえない声で彼女に言った。


「なんか、社長さんから直接呼び出されて……大事な話があるから、とにかくすぐに社長室に来てくれって。」

「なによそれ……もしかして、梶都とか辻常とかも同じこと言われたってこと……?」


額に冷や汗を滲ませた丹波が、途端に不安そうに眉をひそめる。彼女の鼻を中心に広がるそばかすが、貴斗の身を案ずる様に微かに歪んだ。

丹波と貴斗は幼稚園時代からの幼なじみだ。同じ学校に通い、同じ弓道部に所属していた古い友人同士でもある。もし仮に丹波の想像通りの展開が待っているとしたら、貴斗は自分を置いてこの会社を立ち去らなければならなくなってしまう。長年共に行動してきた身として、丹波はどうしてもそれだけは避けたい事だった。


(……いや。これはあくまで私の妄想だ。必ずしも貴斗にクビが言い渡されるとは限らない。大丈夫、大丈夫だから仕事に集中してよ、私……)


訝しげながらも貴斗がいそいそと席を外す中、丹波は己の中の妄念を振り払うように首を左右に振った。少し考え過ぎだとは自分でも思う。だが、貴斗が巻き込まれたとなると、どうしても不安な気持ちが冷静な思考回路に妨害を加えてしまうのだ。深呼吸を数回繰り返すと、丹波は冷や汗を拭いながら再び己の仕事に集中しようとした。

しかし、その数分後――再び電話の着信音がけたたましく鳴り響いた。

今度は、丹波の席にある社内用の電話から。

小さな液晶画面には、この会社の社長からの内線を意味する番号が記されていた。


「……!!」


丹波の心臓が一際大きく鳴り響いた。まさか、自分にも同じような電話が来るだなんて。

冷たく解雇宣言を放つ社長の(いか)つい顔が容易に想像出来てしまう。

丹波はもう一度首を振ると、平然を装うように咳払いをしてから電話をとった。


「……お疲れ様です、社長。丹波です。」

『丹波くん。至急、社長室に来る様に。何か外せない仕事があれば、他の者に引き継ぐように。』


彼はくぐもった声でそう言うと、特に用件や別れの挨拶なども言わずにそのまま電話を切った。ツーツーと電話口から虚しく響く音を、丹波は呆然とした様子でしばらく聞いていた。


(何なのよ、一体……せめて何の為に呼び出したかぐらいは、話してくれてもいいじゃない……!)


丹波の心の中に浮かんでいた不安は、次第に小さな怒りへと変貌していった。粛々と打ち込んでいたデータを保存し、丹波が勢いよくガタッと立ち上がる。気づけば、丹波と馴染みのある社員は殆どが席を外していた。部屋自体はそこそこ広いのだが、こうも近い距離にいる親しい者達が見当たらないと、自分だけが孤立しているような気分に苛まれてしまう。

丹波はチッと舌打ちをすると、パソコンを一旦スリープモードにしてからその場を離れた。この状態だと社内会議には出れなさそうだ。近くにいた会議の参加者に欠席の旨を伝えながら、険しい表情を見せた丹波は通い慣れた部屋の中から外に出た。他の残された社員達は、一瞬不思議そうにこちらを見つめたが、まぁ自分には関係無いかとすぐに各々の仕事に戻った。

時刻はまだ昼時をすぎたばかりの頃。

丹波の務める部の部屋の中では、無機質な電話の容赦なき着信音が、至る所で散々鳴り響いていたのだった。



***




郷状株式会社オフィスビル10階社長室―――




エレベーターを下りて道を曲がり、奥にある少し機械的な扉の前に立つ。その瞬間、扉の横に装着された少し大きめの機械が淡々と声を上げた。


【顔認証システムを起動します。画面中央に顔を向けて、そのままの姿勢でお待ち下さい。】


機械に言われた通りに丹波が顔を液晶画面に近づける。しばらくすると、機械はピピッと音を立てながら冷たく事務的に言葉をまくし立てた。


【総務部総務課所属、丹波夕香子。顔認証、99.9%、本人と一致。入室許可、事前に取得済み……確認が終了しました、どうぞお入りください。】

「……毎回思うけど、何で本人なのに100%じゃないのよ。」


機械相手に呆れたようにツッコミを入れつつも、丹波はカチャリと開かれた扉のドアノブに手をかけた。深呼吸をひとつ挟んでから、扉を奥側へゆっくりと押し開く。

丹波がやってきた社長室の中には、既に先に呼ばれていた社員達が何人も待機していた。かなり広いスペースの中に、丹波を含めて計9名がその場に立っている。全員が訝しげかつどこか不安そうな顔をしていた。丹波の存在にいち早く気づいた貴斗が、彼女の元に駆け寄って言った。


「ゆかちゃん、君も社長さんに呼ばれて来たの!?」

「う、うん。さっきあんたと同じように、直接内線が来たから……ところで、社長は?」

「ふん、社長様なら不在だそうだ。こんな忙しい状況で勝手に呼び出しておきながら、本人が不在とは実に馬鹿らしい。」


やけに高圧的な態度を取りながらそう言ったのは蟻塚柊馬(ありづかしゅうま)だった。左目を前髪で隠した彼は、腕を組みながら部屋の真ん中で堂々と仁王立ちになっている。丹波が無言のままギロッと蟻塚を睨みつけると、負けじと言わんばかりに蟻塚も丹波の顔を睨みつけた。バチバチと火花を散らし合う2人を貴斗が慌てて宥めようとする。


「で、ででで、でも……こんなにおお、大勢を一気によよ、呼び出すなんて珍しい、です、よね?ね?なな、な、何のために、こんなに呼び出された、のかな?」


完全に焦った様子であわあわと言葉を捲し立てる男、金城鈴平(かねぎすずひら)。全体的に肥満気味な彼は、額にダラダラと浮かぶ冷や汗をハンカチでしきりに拭いていた。そんな彼の隣で、ガハハと豪快に笑いながら栗島怜司(くりしまれいじ)は金城の背中をバンバンと叩いた。


「そうビクビクするな、金城!きっと社長さんのことだ、大勢で飲み会でもしようという話をしてくれるに違いない!あるいは、ここに居る面子でハンドボール大会を開催しようという話かもしれん!いずれにせよ、何事もポジティブに考えるんだ!その方が人生楽しいぞ!」

「ってかさー、こんな密室にデブとハンドボール馬鹿と厨二病ナルシストが集まってるとか、梶都(かしみや)超絶嫌なんですけどー!ねーぇ、猛井(たけるい)先輩もそう思いませんかー?」


薄い桃色の髪を指でクルクルと巻きながら、梶都絵恋(かしみやえれん)は深いため息混じりにそう呟いた。彼女の隣に立つ猛井優助(たけるいゆうすけ)は、目をキラキラと輝かせる梶都に尋ねられた瞬間、何も言わずに首を左右に振った。梶都が途端に「もぉ~先輩のいけず~!」と上機嫌に笑いながら彼の腕を軽く小突いた。

すると、不意に碧霧刃(あおぎりやいば)がパンッと手を叩いてその場にいる全員に言った。


「皆、ここは社長室よ。休憩室でも給湯室でもないわ。談話なら後で別の場所で行って頂戴……社長が不在と言えど、呼ばれたのは確実なんだから、あまり失礼な態度は取らないように。いいわね?」

「……碧霧さん、こんな状況下でも冷静なんですね。相変わらず満面の笑顔ですけど……」


部屋の隅で萎縮する様に身を縮こませていた辻常彩奈(つじつねあやな)がボソッとそう呟いた。その瞬間、碧霧は変わらぬ笑顔を見せながら辻常の方にくるっと顔を向けた。途端に辻常が「ひぇえっ!!ごめんなさい!!」と叫びながら慌てて猛井の背中に隠れた。梶都が不満そうに頬を膨らませながら辻常の顔を睨む。

本来なら静かなはずの社長室がそこそこ賑わっていた、その時――再び扉が勢いよく開かれ、そこから赤と黒のツーブロックが特徴的な背の高い男が現れた。室内にもかかわらず、色の濃いサングラスを目にかけている。金ピカの指輪塗れの手をヒラヒラさせながら、男は軽快な足取りで部屋の中に入って言った。


「ちゃーっす!社長、急に呼び出してなんなんすかー?給料の話なら酒でも飲みながら話しましょーや……あ?」

「「「「………………」」」」


彼の登場と同時に、一気に冷たく静まり返る室内。堂々たる振る舞いで登場した男――杉村伊八(すぎむらいはち)は、全員の冷たい視線に睨まれた瞬間一呼吸置いてからゴホンとひとつ咳をした。


「ウップス、これは失礼。いやぁ、珍しく皆様お揃いで何より……」

「杉村くん、社長の前では礼儀正しく敬語を使う様に。社長は現在不在だけれど、最低限のマナーは守りましょうね?」


身を強ばらせる杉村に対し、相変わらず笑顔を浮かべながら碧霧が淡々と言い放つ。杉村は再び咳払いをすると、申し訳無さそうに忍び足をしながら辻常の隣でピタッと立ち止まった。嫌な予感を察したのか、辻常はその場で途端にギクリと体を強ばらせた。


「あーやなちゃーん、ヘルプミー!気まずいムードに心がへし折れそうな俺ちゃんを癒しておくれー!」

「ちょっと、杉村さん!空気悪くなった瞬間に毎回私に頼るのやめてください!」

「……この陽キャが。身の程を弁えろ。」


まるで子供のように辻常に身を寄せる杉村に対し、蟻塚が悪態を吐きながらチッと露骨に舌打ちをした。単純な怒りと言うよりは、嫉妬の感情が微かに入り交じった様な苛立ち具合だった。杉村と辻常のやり取りを遠目に見ていた丹波が盛大にため息を吐く。

するとその時、突然窓側の方を向いていた豪華な作りの椅子から、やけに重々しく低い男の声が聞こえてきた。


「……ようやく皆集まったな。全員静粛に。」

「「「「!!!??」」」」

「あら社長、いらしてたのですか。」


ほぼ全員がギョッと目を丸くする中、碧霧だけは笑顔を崩さず冷静にそう呟いた。くるりと椅子が動き、社長――改め郷状進(ごうじょうすすむ)が姿を現す。暗く沈んだ錆利休(さびりきゅう)の瞳が、一斉に恐れおののいた全社員10名の顔をジッと見渡した。

よくよく考えれば、社長室にある電話を使って呼び出したのだから、最初から不在であるという方がおかしい話だった。しかし、1番初めに部屋に来た梶都ですら、彼の気配は全く感じなかったのだ。突然過ぎる社長の登場に、金城の太った体から滝のような冷や汗がドッと吹き出てしまう。


「急に呼び出してしまって済まない。だが、君達にとっては重要かつ急ぎの話ゆえにこういう形になったのだ。ここから先、戯言や私語は極力慎む様に……無論、途中の退室も禁止だ。分かったかね?」

「たしかに、社長にしては珍しく、直接的な内線での呼び出しでしたね。よほど極秘なお話だとお見受けしますが……一体どのようなご用件で?」


郷状の与える威圧感に怖気付いて何も言えなくなってしまう社員達。そんな彼ら彼女らを代表する様に、碧霧は冷静沈着に郷状に向かって尋ねた。すると郷状は静かに首を振りながら、机に肘を置き手で頭を抱えながら言った。


「あまり先を急ぐな。ちゃんと順を追って話す……とりあえず、まずは“これ”を見てくれ。」


郷状はそこまで言うと、机の下にある床を足でトンッと軽く叩いた。その時、郷状の前にあるこれまた豪華な作りの机が、突然ミシッと軋む様な音を立てた。それと同時に、目の前に現れた生き物(・・・)を前に、社員一同がほぼ一斉に目を丸くして息を飲んだ。

郷状の机の上で、犬のごとくお座りをする謎の獣。背中や足には岩の様なコブが何個も生えており、そこから時折パラパラと砂のような粉が落ちていた。岩のない部位の皮膚には、まるで地層の様に縞模様が浮かんでいる。が、どれも色は薄暗くあまり色彩豊かとは言えない。呑気に己の足を舐める獣と社員達を交互に見比べながら、郷状は低く唸るように彼らに向かって尋ねた。


「単刀直入に尋ねよう……君達には、これが見える(・・・)かね?」

「な、な……なんだ、この怪物(モンスター)は!?いつ、どこから現れたんだ!?」

「岩のコスプレした、犬?いやでも、犬にしては目付きめちゃくちゃ悪いし……猛井先輩はどう思います?」

「……」

「なかなか厳つい見た目をしたわんこですな、社長!だが、筋肉はあまりついていないと見られる!もっと運動をさせた方がいいと思いますよ!それこそ、ボール遊びとかがいいと思うので、ハンドボールを共にするというのはどうでしょう!?」

「しゃ、しゃしゃしゃ社長さん!!?その犬、い、今にも噛みそう、ですけど、だだだ大丈夫なんですか!!?」

「彩奈ちゃん、俺の後ろに隠れてて。俺ちゃんの本能がデンジャーだって叫んでる。」

「え……?あ、うん。分かった……」

「貴斗、あんたも私の後ろに隠れて……いつでも後ろの扉から逃げられるようにして。」

「だ、大丈夫なのゆかちゃん?あんなのに襲われたら、きっとひとたまりもないよ?」

「皆、落ち着いて。この子、見た目はたしかに怖いけれど、私達に対する敵意は全く無いみたいよ。」


三者三様の反応を見せる社員達を前に、郷状は何かを察したように頷きながら手をパンッと大きく叩いた。その瞬間、あれほどの威圧感を放っていた獣が、あっという間に土埃の様な塵となって姿を消した。現実離れした謎の獣の登場及び退場を前に、全員が一斉にざわつき心配そうに動揺する。


「……全員見える、という事か。はぁ、見えない方がきっと幸せだっただろうに……」

「しゃ、社長様!お言葉ですが、先程の岩みたいな怪物は何なんですか!?見える見えないとは一体何の話なんですか!?」


蟻塚が酷く慌てた様子でそう言いながら、郷状の目の前に近づいて机をバンッと力強く叩いた。だが、郷状は何も言わずに目を伏せたまま首を振るだけだ。再び机を叩こうとした蟻塚の手を、碧霧が咄嗟に掴んで制止させる。


「落ち着きなさい、蟻塚くん。まだ社長の話は始まってすらないわ。今は黙って社長からの話を聞きなさい。あと、机が傷んでしまうから執拗に叩かないこと。いいわね?」

「黙ってろ、このマネキンピエロが!!あんな訳の分からないものを見せられて、お前みたいに冷静で居られるわけが無いだろ!?それともあれか?お前はあいつの正体を知ってるとでもいうのか!?だったら説明してみせろ!!煙みたいに出て消えた、あの目つきの悪い狼みたいな獣の正体を――」

「その必要はありませんよ。だって、()が代わりに説明するんですから。」


怒りに任せて言葉を捲し立てた蟻塚を遮るように、突然若い青年の声が響き渡った。誰一人として聞いたことの無い声を前に、途端に全員がザワッとどよめく。声が聞こえたのは扉の向こうからだ。社員全員が一斉にそちらの方に顔を向ける。

郷状から直々に呼び出された、この会社の社員しか入れないはずの扉――それをバンッと勢いよく開けながら、仰々しい口調を崩さないまま青年は話を続けた。


「いやはや、登場が遅くなって申し訳ない。本当は社長さんと同じ様に、この部屋の中であなた方が来るのを待ちたかったんですよ。でも、前回の来訪で警戒レベルが上がってしまったのか、高度なハッキングをもってしてもセキュリティを掻い潜るのに時間がかかってしまいましてね……まぁ、あまり悪く思わないでください。これでも全力を尽くした方なんですから。」

「……子供、か?」


それまでずっと沈黙を貫いていた猛井がポツリとそう呟く。すると青年は、青い短髪をかきあげながら部屋の中を颯爽と歩き始めた。あまりにも当然の如く堂々と進むので、周りにいた社員達は無意識のうちに彼のために道を開けてしまった。青年のすぐ後ろには、長いポニーテールが特徴的な女性が護衛の如く歩いていた。黒縁眼鏡の奥から、銀色の細長い目を鷹のごとくギラリと光らせている。

青年も女性も、どちらも丹波達にとっては全く知らない顔だ。にもかかわらず、彼は先程から社長である郷状と知り合いかのように堂々と振舞っている。さらに、机の前まで到着すると、彼はその上にひょいっと乗っかって足まで組み始めたではないか。

訳が分からない。初対面である自分達に名乗らない上に、位の高い社長の前で子供のように自由に振る舞うだなんて――丹波が警戒する様に青年の顔を強く睨みつける。すると、不意に梶都が何かを思い出したようにポンッと手を叩いて言った。


「!待って……そっちの子供の方、梶都見たことあるかも……あれだ!大神学園で女子生徒殺そうとした奴!」

「……ほぉ。そこの桃色髪のお姉さん、けばけばしい化粧の割には、意外とニュースとかちゃんと見るんですね。人は見た目によらないとはまさにこの事ですか。」


青年がそう言って膝の上で器用に頬杖をついた瞬間、梶都が「意外って何よ!?」と声を荒らげて反論する。怪しさ満点の青年が相手でもそこまで突っかかれるのは、可愛い見た目に反して実際は気性の荒い彼女ゆえか。貴斗と金城は男でありながら、情けなく怯える様に目を伏せているというのに。

梶都の言っていた殺人未遂事件の事は丹波も勿論知っていた。昔通っていた母校での事件だったため、少しだけだが記憶に残っていたのだ。しかし、丹波自身の毎日が多忙ゆえ、単純にそういう事件があった程度の認識しかしてない。つまるところ、犯人の目撃情報などについてはあまりよく覚えていないのだ。

丹波が貴斗と共に驚いた様子で梶都の方を見つめる。すると、青年は両手を大きく広げながら怪しげな笑顔を崩さないまま言った。


「でもまぁ、僕の事を知らないって方も多いでしょうから、改めて自己紹介させてもらいますね……僕の名前は南本竜二(みなもとりゅうじ)。あなた達にとっては、ただのしがない男子高校生です。こっちの背の高い人は羽純(はすみ)。これから沢山お世話になると思いますので、どうぞよろしく。」

「自己紹介ありがとうございます、南本さん。私は郷状株式会社の碧霧刃と申します。よろしくお願いします……あぁ、申し遅れました。こちら、名刺です。」


青年ーー南本の話が途絶えた瞬間、碧霧は丁寧にそう挨拶しながら深くお辞儀をした。手慣れた様子で名刺を渡され、南本が少し困った様に苦笑いを浮かべる。碧霧の名刺は南本から羽純に渡された後、彼女の胸元のポケットに素早く仕舞われた。こんな状況下で冷静に挨拶してる場合か、と言いたそうに蟻塚が碧霧の顔を睨みつける。


「まぁ何はともあれ、今日あなた方に集まってもらったのは他でもありません……あなた方全員に少し協力(・・)してもらいたいことがあるんですよ。」


南本は咳をひとつ挟みながらそう言うと、机の上に座ったまま、社員達の顔を一通り見比べつつ話を続けた。


「まず初めに、あなた達は全員“人狼”と呼ばれる存在です。ボードゲームの物でも無ければ、満月の夜に変身が解けてしまう様な物でもありません。“狼”と呼ばれる霊的存在を従えた人間……それがこの町で言うところの人狼というものです。そして人狼は狼を通じて、様々な特殊能力を手に入れます。例えばそれこそ、人を簡単に思い通りに殺せてしまう様な能力とかを……ね。」

「ふん。何を言い出すかと思えば、訳の分からない事ばかり話しやがって……人狼?狼?知るかそんなもの。二次元じみた非現実的な話なら、ネットの陰の中で細々とやってくれないか。」


額に浮かんだ冷や汗を誤魔化すように、蟻塚が腕を組みながら鼻を鳴らしてそう呟いた。が、すかさず梶都に「それ、あんたが言うの?」と突っ込まれてしまい、蟻塚が途端に苛立たしそうに眉をしかめる。すると、南本はニヤニヤと怪しげな笑みを見せながら、途中後ろにいる郷状の方を親指で示しつつ彼らに言った。


「そうそう、言い忘れてましたが……狼は本来、普通の人間の目には見えません。つまり、“狼の姿が見える”イコール“人狼”であるという事になります。先程、あなた達が尊敬して止まない社長さんが直々に見せてくれた(・・・・・・)んでしょう?奇妙な柄と見た目をした、変わった姿の狼を。」

「……!!もしかして、さっきのが……!?」


丹波の後ろに隠れていた貴斗が目を丸くしてそう呟いた。丹波達の視点では、何故今部屋に来たばかりの南本が、郷状が狼とやらを彼らに見せた事を知ってるのか分からない。だが南本は貴斗のような反応が見たかったのか、口角をあけながらぱちぱちと謎の拍手を送った。南本の発言によりざわつく社員達の間で、丹波が警戒する様に己の拳を固く握りしめる。


「要するに、(あれ)の姿が見えてしまった時点で、あなた達が人狼である事はもはや確定なんですよ。無論、狼を見せてくれた郷状さんも立派な人狼です……とは言っても、確実に人狼である人が、自分の狼の存在に気づく時期(タイミング)には、どうしても個人差というものがあります。中には死ぬまで全然気づかない人もいるんですが……あなた達はとても運が良かったですね。この機会が無ければ、きっとあなた達全員が狼と無縁の生活を送っていたんですから。」


よほど機嫌がいいのだろうか、南本の声がところどころで若干上擦る様になる。終始子供のように楽しげに笑っているのだが、彼の青い目だけは冷たく鋭く光り続けている。そのせいで、不気味さを覚えた金城は何も言えないまま、恐怖に打ち負けて歯をガタガタと震わせていた。深く息を吐き出しながら、蟻塚は南本に対してひどく苛立たしげに言った。


「仮に俺達が人狼だとしても、だから何だって話になるだろ。お前の目的は何なんだ?俺達が人狼だと何かまずい事でもあるのか?」

「いやいや、全然まずいことなんてありません。むしろ好都合(・・・・・・)ですよ。これで狼が見えない人が1人でもいたら、その人をこの場ですぐに()さなきゃいけなかったので。」


南本が口元にのみニコォと笑みを浮かべる。彼の口からさらっとおぞましい言葉が紡がれ、咄嗟に杉村が辻常を庇うように彼女の前へと歩み出た。辻常は南本の醸し出す目に見えない圧に押されたのか、大人しく杉村の後ろに隠れながらチラチラと顔を覗かせていた。南本が手を1回だけ叩きながら言葉を続ける。


「さて、ここからが本題です。これからあなた達には2つの仕事を行ってもらいます。ひとつは、決められた標的(ターゲット)殺害・・。もうひとつはまた別の標的(ターゲット)の回収です。かねてより僕はとある人物を仲間に招き入れたいと思っています。その者もあなた達そして僕達同様に人狼です……しかし、その者の周りには、光に集まる蛾のように沢山の邪魔者が集まっています。それこそ、僕と羽純だけでは対処しきれないほどの数が。そこであなた達には、是非とも邪魔者達を徹底的に殺して、そのとある人物を僕の前に連れてきて欲しいんですよ。代わりに、これまであなた達に課せられていた通常の業務は全て無しにしてあげます……悪くない話だと思いませんか?」


南本が言葉を流暢に連ねる一方で、郷状は終始何も言わなかった。南本の背後で椅子に座ったまま、険しい表情で目を伏せるばかりだ。いよいよざわつきの大きくなる部屋の中で、南本はニヤニヤと微笑みながら、彼らの前に指を2本突き出して言った。


「そして、ここであなた達に与えられた選択肢は2つ。ひとつは、僕のこの提案を素直に受け入れること。もうひとつは逆に拒否すること。前者の場合は大体さっき言った通りですね。でも後者の場合は……情報漏洩を防止するために、この場ですぐに死んで(・・・)もらいます。」


是非とも慎重に選んで下さいね――南本はそう言うと、机の上であぐらをかいて子供のようにクスクスと笑った。彼の後ろで、郷状が苦しげに皺を寄せながらギリッと歯ぎしりをする。

受け入れれば強制的に人殺しに加担させられる。拒否すればこの場で殺される――まさに究極の二者択一だった。否、根本を見れば一方的な服従を迫る事と何ら変わりないだろう。丹波はよくデスゲーム系の漫画やアニメ、ドラマなどでこれと似たような物を見かけた事があった。そのお陰でか、こういう時は大抵逆らわない方が身のためだと丹波は本能的にそう悟っていた。

だが、南本によって自分達は人狼と呼ばれたものの、結局普通の人間であることに変わりはない。彼の言う特殊能力なんてものは使った事がないし、狼と呼ばれる存在を知ったのも、ついさっき郷状の手で自然と見せられたのが初めてだ。それにもかかわらず、誰とも知らない人を殺してくれと、唐突に現れたこの青年は自分達にそう言っているのだ。無論、この場にいる殆どが動揺し言葉に詰まっていた。戸惑う表情を見せる彼らの前で、南本が「あぁそうだ」と言いながら再び頬杖をついて呟く。


「言うの忘れてましたけど、あなた達の個人情報はこちらの方で大体把握済です。そして社長さんからは、事前に僕があなた達にこの話をするための許可を取っています。だからこそ、社長さんはあなた達をここに呼び出したんですよ。親が片方あるいは(・・・・・・・・)両方いない(・・・・・)社員……条件に見合った社員の人達がこんなに沢山居てくれて、僕としては非常に有難い限りです。最初社長さんに尋ねた時は、そんな人材は居ないって言われてたので尚更――」

「お前、いい加減にしろ!クソガキのくせに、一方的にベラベラと捲し立てやがって!!」


遂に堪忍袋の緒が切れたのか、突然ダンッと力強く足を踏んだ蟻塚が、ズカズカと南本の目の前まで近づいた。そのまま勢いに任せて彼の胸ぐらをガッと掴みあげる。金城と貴斗、そして辻常が驚きと恐怖でヒュッと息を飲んだのが分かった。それでも蟻塚は怒りに任せて南本に罵声を浴びせた。


「さっきから何なんだお前は!!俺たちに人を殺せだと!?そして、拒絶するなら死ねだと!?ありきたりなデスゲームごっこならよそでやれ!!大人のやる事を見よう見まねで模倣しただけの子供のお遊びに、俺たち一般人を巻き込もうとするな!!社長様も何か言ってくださいよ!このままこのガキに好き勝手させるつもりですか!?」

「……さっきからぐちぐちとうるさいなぁ。あんた達のために、わざわざ丁寧に敬語使って話してあげたって言うのに……」


唸るように呟いた南本の口から遂に笑みが消えた。一転して冷たい青色の眼差しが、こちらを睨みつける蟻塚の目をジッと見つめた。蟻塚の背筋にゾワッと悪寒が走り抜ける。突発的な怒りで理性が薄れかけていた中、蟻塚の本能が“こいつは危険だ”と警告を出した。それに従って蟻塚が手を離そうとした矢先――南本は胸ぐらを掴む蟻塚の手首をガッと強く握りしめた。そのまま蟻塚の目を睨み続けながら南本が呟く。


「根本から拒絶しない限り、貴重な人材を殺すつもりはないんだけど……あんたがそこまで言うんなら仕方がないね。見せしめって言い方はあまり好きじゃないから、皆の"お手本"って事で片付けてあげるよ。」

「な、何言って――」


焦った様子の蟻塚の言葉が途中で途絶えた。代わりに部屋の中に響いたのは、グシャッ(・・・・)という何かが潰れた様な音だった。

蟻塚の右手から肩にかけての感覚が、ほんの一瞬だけ全て無くなる。その直後、燃えたぎる様な激痛が、彼の右手及び右腕全体から全身に響き渡った。その手は、南本によって掴まれていた手だった。そして、腕を中心に穴という穴から、赤く鉄臭い液体が火山の噴火の如くとめどなく吹き出ていた。それは服を貫通し、袖を中心に外へドロドロと流れ落ちていく。


「あ、ぁ?あ……あ゛ぁあ゛ぁあぁあ゛あ!!!!???」


あまりにも突然過ぎた痛みと悲惨な光景を前に、反応が遅れてしまった蟻塚が表情を引き攣らせて悲鳴をあげる。必死に南本の手を振り払おうとするが、手を動かそうとすれば途端に全身が激痛に苛まれてしまう。そのせいでその場からまともに動くことも出来ない。蟻塚の後ろで見守っていた社員の多くが同じように悲鳴をあげた。豪華そうなカーペットの上に、蟻塚の鮮血がボトボトと容赦なく流れ落ちる。流石に見かねたのか、郷状が慌てた様子で立ち上がりながら南本に言った。


「ま、待ちたまえ!!話が違うじゃないか!!彼はまだ明確に君の提案を断った訳ではないだろ!?今ここで殺す必要は……」

「ちょっと黙っててもらえますか、社長さん。僕は彼にお手本になってもらってる最中なんですよ……僕にこうやって刃向かったりしたらどうなるかっていうことを、皆に示すためのお手本に。」

「あ、ぁひぁあがぁあっ!!は、離してくれっ!!悪かった、俺が悪かったから、早く!早く手を、はな、離してくれぇええぇっ!!!」


一転して悲痛な表情を見せながら、激痛に耐えかねた蟻塚が情けなくボロボロと泣きながら懇願した。だが、南本は手を離そうとしない。蟻塚の首筋の血管が、皮膚の上からでも分かるほどドクドクと激しく脈打っている。蟻塚自身も、体内の血管が右側を中心に少しずつおかしくなっているのを感じていた。右側は今目の前にいる青年が掴んでいる方の手でもある。こいつが現在進行形で何かしているとでもいうのか。まるで皮膚の下で血液そのものが、意思を持って波打つ様に(うごめ)いてて気持ち悪い。

周りにいる者達は、皆恐怖によってその場で立ち尽くす事しか出来なかった。南本が触れた瞬間に、蟻塚の手から血が吹き出たのだ。どういう仕組みか分からない不気味さもあって、丹波は失神しかけた貴斗の腕を引きながらサァッと表情を青ざめさせた。

蟻塚を助けようとする者はいない。ただ一人、とある社員を除いて―――


「っ!!」


それまで冷酷な眼差しを向けていた南本が、突然痛みを感じたように眉をひそめた。ちょうど蟻塚の手を掴んでいた方の手から、瞬発的な痛みが電流の如く走り抜けたのだ。それにより南本が、ずっと掴んでいた蟻塚の手を反射的に離してしまう。

咄嗟に南本は蟻塚の隣に視線を向けた。そこには、いつの間にか近くにまで来ていた碧霧の姿があった。碧霧が南本の手首に手刀を振り下ろし、無理やり蟻塚を解放したのだ。蟻塚の方に意識を集中させていたのもあったが、目に見えない程の速さで打撃を加えられる人間はなかなかいないだろう。バランスを崩して倒れかけた蟻塚を、碧霧が咄嗟に背中に手を回して支える。


「坊っちゃま!?大丈夫ですか、坊っちゃま!!お怪我は……」


机の上でよろけた南本の背中を、隣にいた羽純は目を丸くしながら慌てて支えた。南本が手で羽純を制しながら『大丈夫』とアイコンタクトを送る。すると、完全に絶望した様子の蟻塚を支えながら、碧霧は淡々と南本に向かって言った。


「うちの社員が無礼を働いてしまい、大変申し訳ございません。ですが、彼は元より己の理解に及ばない事柄に直面すると、先程の様に自身が納得するまでとことん相手に詰め寄ってしまう節があるんです。当然不愉快に思われた事でしょうが、何卒ご容赦頂きますように。」

「……君が謝る必要は無いよ。さっきも言ったけど、僕は君達に“逆らった場合の結末”を見せてあげただけなんだからさ。彼はそこそこいいお手本になってくれたけど、これでもかなり手加減した方だよ?いつもなら加減出来ずにすぐ死なせちゃうんだから……まぁとりあえず、運が良かったね。」


南本がため息混じりにそう言って、碧霧に叩かれた己の手をさする。右手を負傷し血を流す男が隣にいても、碧霧は変わらずニッコリと満面の笑み(・・・・・)を浮かべていた。この場の深刻な雰囲気には全く似合わぬ笑みだ。流石に南本も訝しげな表情で碧霧の顔を睨みつけた。が、すぐに頭を左右に振りながら目の前にいる全員に向かって言った。


「思わぬ介入で話が逸れちゃったね。あまりひとつの事に時間をかけるのは好きじゃないんだ。そろそろ君達の答えを聞こうか……僕の願いを叶えるために、どうか協力してくれないかな?無論、返答の先延ばしは許可しないよ。今ここで、すぐに決めて欲しい。どうかな?」

「……他の方がどうお考えかは分かりませんが、少なくとも、私はあなたのいう協力とやらに参加する意思でいます。」


皆がみな恐怖と威圧感に押されて何も言えない中、碧霧は手早く蟻塚の体を近くのソファーに座らせながらそう言った。バサッとスーツの上着を脱ぎ、簡易的な包帯の如く負傷した蟻塚の右腕に巻き付ける。蟻塚は応急処置を受けながらも、愕然とした様子で碧霧の顔を見つめた。あっさりと南本側についたこと、そしてこの状況下でも彼女がずっと笑っているのが心底不気味に思えてしまったからだ。


「あ、碧霧……お前正気か!?そこのクソガキは今、俺達に一方的に人を殺させようとしてるんだぞ!?人狼やら狼やらと訳の分からない言葉ばかり並べられた挙句、その手で見ず知らずの人間を殺すつもりなのか!!?」

「えぇ、そのつもりよ。逆らえば死ぬというのなら、従い生き抜くという選択肢を取るのが自然であり最適解でしょ?」


碧霧の迷い無き返答を前に露骨に戸惑う蟻塚。光のない涅色(くりいろ)の瞳が蟻塚だけでなく他の社員達の顔をぐるりと見渡した。その視線に気圧されて数名が無意識のうちに後ずさりをする。治療を終えた碧霧が南本の傍に近づくと、南本は小さく息を吐きながら彼女に言った。


「えーっと、碧霧さんだっけ?君が何を考えてるのかは知らないけど……君みたいに何の疑いもなく素直に受け入れてくれる人は嫌いじゃないよ。むしろ喜んで歓迎しよう。で……他の人たちは?」

「よし、じゃあ次は俺が参加しよう!殺人に手を染めるつもりは毛頭ない、が!ハンドボールを通じて例の標的とやらと楽しく触れ合い、必ず和解の道を切り開いてみせる!」


金城の体を押しのけてズイッと前に出たのは栗島だった。先程の鮮血の惨状を見たのが原因か、額には若干の冷や汗が浮かんでいる。だが、明朗快活な彼らしい笑顔を見せながら栗島は碧霧同様ズカズカと南本の傍に近づいた。恐怖に負けてすっかり青ざめていた金城が我に返り、途端にオロオロと目を泳がせる。


「ふぅん、和解ねぇ……回収する人間以外は必ず殺して欲しいところなんだけど。まぁ、貴重な戦力を失うよりはマシか。どうやるかは君の自由だけど、失敗は決して許されないから気をつけてね。」

「じゃ……じゃあ、ぼぼぼ、僕も!僕も、や、やや、やります!役立たずの、ぼほ、僕に、なにが出来るのか、まだ、わわ、分からないけど……!」


金城はそう言うと、ハンカチで額に浮かんだ汗を拭きながら、慌てて栗島の傍に近づいた。丹波達にとって、金城はこの面子の中でも一番の臆病者だ。そんな彼が自分達よりも先に南本の案に乗るとは夢にも思わず、残された丹波達は全員ギョッと目を丸くした。南本も少し予想外だったのか、怪訝な表情を見せながら金城に向かって忠告するように言った。


「正直驚いたね。君は一番最後に声を上げるものだと思っていたよ。言っておくけど、僕の仲間になる以上、反逆行為は絶対禁止だよ。この会社で社長さんに歯向かうのが禁止されてるのと同じようにね……後で僕を裏切ったりしたら、君自身にも他の人にも被害が及ぶよ。その辺の事はちゃんと分かってるのかい?」

「う、裏切りだなんて、そそそ、そんなひどい事しないよ!あ!違う、しません!ただ、その……く、くく、栗島先輩に、人殺しなんて、い、陰湿なこと、させたくないから……!」

「金城……!!」


臆病な金城の勇気ある選択に感極まったのか、栗島が露骨に目に涙を浮かべながら彼の名前を呼んだ。南本は何処か呆れた様にため息を吐くと「まぁ好きにしなよ」と吐き捨てる様に呟いた。そんな彼の態度を諌めるように、羽純が南本の横顔を軽く睨みつける。

すると、再び沈黙を貫いていた猛井が不意に南本の方に向かって歩き出した。先に彼の元にいた碧霧の隣に近づくや否や、腕組みをしてその場で仁王立ちになる。それを見た梶都がひどく驚いた様に飛び跳ねながら猛井に向かって言った。


「えー!!猛井先輩もそっち側につくんですかー!?その子供は私達に人を殺せって言ってるんですよ!先輩、本当にその通りに動くつもりなんですか!?」

「……」

「もう!こんな時にも(だんま)りですかー!?だったら梶都も猛井先輩と一緒に行きます!!私と先輩は2人でひとつ、一心同体みたいな関係ですから、ね?そうですよね、先輩!?」


梶都は一転して目をキラキラと輝かせると、クルクルと器用に回転しながら猛井の傍に近寄った。無言のまま猛井が小さく息を吐く。猛井と梶都両者のすれ違いが滑稽に思えたのか、南本はニヤニヤと笑うだけで2人に対して特に言葉を挟むことは無かった。

これで南本側についた者は計5名。残された社員も丁度5名だ。

とはいっても、拒否すれば先程の様に殺されるし、後に裏切っても同じように殺されることだろう。要は(くだ)ることしか許されない状況にあるのだ――実際に殺されかけた蟻塚は特にそう感じていた。簡易的な包帯を巻かれた右腕を押さえながら、気力で無理やり立ち上がりつつ、蟻塚は南本に言った。


「お前が本当に望んでいるのは、どうせ全会一致だけなんだろ?だったら俺も南本(おまえ)側につく。それしか……俺達が生き残る道が、ないと言うのなら。」

「流石だね蟻塚(・・)さん。痛みを経験し実感した者にしか出来ない、実に懸命な判断だ。君の傲慢ながらも恐れを知らない分析力は、きっと僕の計画を実行する上でも役に立つことだろうね。期待してるよ、蟻塚さん。」


自己紹介をしていないにもかかわらず名前を2回も呼ばれ、蟻塚の背筋が微かにゾッと震え上がる。彼の言う“大体の個人情報を把握している”という話は本当なのだろう。蟻塚がチッと舌打ちをすると、南本は怪しげな笑みを崩さないまま残りの社員達に視線を向けた。丹波、貴斗、辻常、杉村の4名だ。全員が丁度この部屋唯一の出入り口である扉を背にして立っている。いざとなれば勢いに任せて外に出られる様な立ち位置だ。が、もはや過半数が南本の支配下についてしまったこと、そして南本から発せられる支配的な圧力が、残された4人に逃走という選択肢を与えなかった。


「ど、どうするのゆかちゃん……あの子の方についたら、本当に人を殺さなきゃいけないの……?」

「どうするって言われても……実質ひとつしか選択肢が無いじゃない……!」


背中に立つ貴斗にそう尋ねられた丹波が、ギリッと歯ぎしりをしながら南本の顔をギロッと睨みつけた。それにより、彼女の青白橡(あおしろつるばみ)の瞳と、南本の群青色の瞳が丁度まっすぐぶつかり合う。

人狼や狼の事を知ったばかりの自分達に、どうやって人を殺せと言うのか。漫画のような特殊能力や、殺人をしろと言われて“はい分かりました”と言えるような胆力は、どちらも持ち合わせていないというのに――丹波としては、否、きっと全員にとって納得の出来ない事ばかりを彼から押し付けられたのだ。蟻塚はともかく、栗島や金城の様にそう容易く見ず知らずの青年の支配下に向かう気にはどうしてもなれなかった。

顔を俯かせる丹波の後ろで、貴斗が不意にスゥと息を吸った。まるで覚悟を決めるような呼吸の音に、長年の付き合い故に何かを察した丹波がハッと目を見開く。その直後、貴斗は震える足で丹波の前に立ちながら南本に言った。


「ぼ、僕も……僕も、あなたに協力しようと思います。僕にも、出来ることはあると思うから……」

「!?待って、貴斗――」


目を丸くした丹波が慌てて手を伸ばすが、貴斗は後ろを少しだけ振り返りながらその手を制した。頬にタラリと冷や汗を流しながら、グッと拳を握りしめた貴斗は続けて言葉を放った。


「ただ、一つだけ、条件があります!この、残りの3人だけは……見逃して(・・・・)もらえませんか!?」

「え?」

「は?」


貴斗が突きつけた条件に対し、辻常と杉村がほぼ同時に素っ頓狂な声を上げた。まさか彼が南本に“見逃してくれ”と言うとは思わなかったからだ。しかも、自分1人ではなく残された3名の方を優先して。

南本が再び笑顔を消して、冷酷な眼差しを貴斗に向ける。丹波の背筋が本能的にぞわっと震えた。それは貴斗と同じだった様だが、彼はそれを堪える様にギュッと目を瞑りながら南本に言った。


「むしろ、僕以外の人達を全員見逃してください!人を殺すのも、あなたが望む人を連れてくるのも……ぼ、僕が全てやりますから!どうか、他の皆さんを巻き込まないであげてください!」

「……やめときなよ加奈山くん、ステイステイ。君が愚直過ぎるのは知ってるけど、そんな提案があいつ相手に通る訳無いっての。」


杉村が無理やり苦笑いを浮かべながら貴斗に言った。普段はおちゃらけた言動の多い彼も流石に動揺を隠しきれない様だ。辻常も“それはだめだ”というようにブンブンと首を振っている。手を制された丹波は、思わず呆然としながら虚空を掴む己の手を眺めた。それでも貴斗は意思を変えるつもりはないと、そう伝える様に南本の顔を真っ直ぐ見つめ続けた。

しばらくの間、緊張の糸が張り詰めつつ重たい沈黙が部屋の中にのしかかる。すると、不意に南本は息を吸いながら己の着ていたジャケットをバサッとかきあげた。それにより、彼の腰に設置された特殊なホルダーと、そこに装着された水筒らしきものが露わになる。何故急に水筒を見せたのだろうか――貴斗だけでなく丹波達が全員怪訝な表情で南本の手の動きを見つめた。

すると、南本はその水筒の側面を握りしめ、ボタンをカチッと押しながら蓋を開けた。本来なら南本は座った状態で蓋を開けたので、中に水が入っていればそのまま床の上に流れ落ちてしまう――はずだった。

南本が蓋を開けた瞬間、ごく平凡な水が水筒の口からスライムの如くニュルリと飛び出てきた。その場にいた全員が愕然と息を飲む中、水は次第にその姿を先端の鋭い槍のような形に変化させた。そのまま貴斗の眼前めがけて、文字通り冷たい凶器がビュッと勢いよく飛びかかる。


「!!貴斗っ!!」


いち早く槍の襲撃に気づいた丹波が、思わず棒立ちになっていた貴斗の手を掴み横に引いた。それによって貴斗の体が横にずれ、槍の先端が彼の頬を微かに切り裂いた。槍は長い支柱を水筒の口から湛えつつ、後ろにあった扉にそのまま勢いよく突き刺さった。ドスッという鈍い音が、水でありながらも普通の刃物と何ら変わりない殺意を持ってる事を、その場にいた全員に知らしめる。水の槍はやや陥没した扉からゆっくりと離れると、再びぐにゃりと蠢きながら水筒の中へと戻っていった。カチリと蓋が閉ざされ、南本が深いため息を吐きながら水筒をしまって淡々と言葉を紡ぐ。


「僕、言ったよね?僕に従うか拒否するかの2つしか選択肢は無いって。だから慎重に選んでねって……生憎僕は都合のいい人間じゃないんだ。ありふれた正義感を振りかざして、余計な選択肢を生み出す必要はないんだよ。むしろ、それは逆に君自身の、場合によってはここにいる全員の命を脅かす事にもなるからね。そして正直なところ、ここに来る前からずっと一定のストレスを感じてたんだ。だからあまり僕をこれ以上待たせないでよ、怒らせないでよ。あんた達だって、無駄に死にたくはないだろ?ねぇ、なんか言ったらどうなの――」

「坊っちゃま。あまり感情的にならないように……癒えかけていた傷が悪化してしまいますよ。」


言葉を遮られながら羽純にそう(たしな)められる南本。机から降りかけていた南本は、若干苛立たしげながらも大人しく口を噤んだ。羽純が止めたこともあって、これ以上貴斗を責めるのはやめにするようだった。

頬に切り傷の生まれた貴斗が、必死に抑えていた恐怖がぶり返した事でガクンッと膝から崩れ落ちてしまう。咄嗟に彼の元にしゃがんだ丹波は、愕然と座り込む彼の体をそっと抱きしめた。

確かに、貴斗の提案は拒絶されても仕方の無いものだった。南本が求めているのは、自分を裏切らない十分な戦力――と言う名の奴隷――なのだ。それを1人でこなそうなどと戯言を言ってきたのだから、南本としてはどうしても許せなかったのだろう。

だが、その仕打ちはこれとはいかがなものか。

丹波が手を引かなければ、貴斗は確実に顔を槍で貫かれて死んでいたのだ。蟻塚の様に余程反抗的な態度を取らなければ殺すつもりはないと言っていたはずなのに――丹波の心の中で、南本に対する怒りと不信感が一気に火山の噴火の如くわきあがる。しかし、ここでまた彼に歯向かえば、今度は自分自身に危害が及びかねない。金城の次に臆病で心配性な貴斗の傍で、大きな怪我を負うことだけはどうしても避けたかった。


「……全く加奈山くんったら。毎回スリリングな事にばっかり挑戦しちゃうんだから。俺も思わずヒヤッとしちゃったよ。」


重たく沈む空気が漂う中、おどける様にそう言いながら苦笑混じりに肩を竦める杉村。黒いサングラスの奥で、臙脂色(えんじいろ)の瞳が、何かを見据える様にスッと細くなった。それに気づく者は誰もいない。それをいい事に、杉村はその目のまま口だけはヘラヘラと笑いながら続けて言った。


「南本くんだっけ?君がとっても我儘なボーイだってことはよーくわかった。流石に俺ちゃんも死ぬのはごめんだからさ、大人しく君のハウスにお邪魔させてもらいますよっと。そうそう!俺ちゃんご自慢のフィアンセ、彩奈ちゃんも一緒に連れていくからさ。さっきの加奈山くんの発言はナッシングって事で全部水に流しましょうや……ね?」

「え!?わ、私、杉村さんのフィアンセになったつもりは全然ありませんよ!?それに、まだ私は……」


杉村に不意に手を掴まれ、グイッと前に引かれつつも慌てて首を振る辻常。威圧感のある空気に押されたせいで、未だに心の整理がつけきれていないのだ。すると、杉村は彼女の方に顔を向け、彼女にしか聞こえない程の音量かつ耳元でそっと囁いた。


「大丈夫だよ、彩奈ちゃん。君に人殺しなんて汚い仕事は絶対させない。君は従うフリだけしてくれればそれでいいの……後は()が全部、肩代わりしてあげるから。」

「……杉村さん……」


杉村が彼女を落ち着かせるように、辻常の手をギュッと力強く掴む。こういう真剣な声音の時の杉村は、ほとんどの場合必ず嘘をつかない。いつもならお巫山戯混じりに冗談を言うことの多い彼だが、辻常にだけは本心からの言葉を言うことが多いのだ。ギリギリまで判断に苦しんでいた辻常は、覚悟を決めた様に杉村に向かってこくりと頷いた。小さく微笑んだ杉村によって手を引かれ、そのまま南本のそばに共に近づく。


「……さて。残りは2人だね。いや、加奈山さんの方は従う意思自体あるらしいから、実質1人か……君はどうするんだい、丹波さん。」


もはやそれは最後通牒だった。同僚や先輩にあたる社員達が、ほとんど南本側についてしまった。貴斗も今は呆然と虚空を眺めているが、我に返った時には再び南本に従う意思を見せるはずだ。長年の付き合いにある丹波には分かる――どこまでも愚直な彼ならそうしかねないということが。

ここで社長に助けを求めてもきっと意味は無いだろう。渋い顔のまま先程からほとんど言葉を発さないのだから。恐らく、この郷状株式会社の崩壊に繋がる様な凄まじい弱みを南本達に握られているのだろう。ハッキングをしてこの部屋に入ってきたり、こちらの個人情報がいつの間にか筒抜けになっていたりしていたのだ。情報の取り扱いに関する技術は南本や羽純の方が、一般人でしかない自分達より何倍も上手(うわて)だと、丹波は容易に想像する事ができた。

従えば生き残れる。但し代わりに他の人を殺さなければならない。

逆らえば死ぬ。従わなければ逆に殺されてしまう。


「……分かった。私も、そっち側につくよ。」


長い沈黙を経た後、丹波は喉から絞り出す様に短くそう呟いた。南本がニヤリと微笑む中、丹波はギロッと彼の顔を睨みながら貴斗の肩を強く抱きしめて言った。


「ただ、さっきみたいに貴斗を痛めつけたり、追い詰めたりするのだけは絶対にやめて。この子は馬鹿正直なぐらいにお人好しなだけなの。また同じことをしたら……今度は必ず許さないから。」

「分かってるよ、丹波さん。彼が君の言うような性格だってことは、経歴とかで大体把握済だからね……さっきは僕も情けなく怒りに身を任せてしまった所がある。だから、さっきの突発的な暴行については素直に謝るよ。ごめんね、加奈山さん、丹波さん。」


そう言いながらペコッと南本が頭を下げる。想像とは異なる返事がかえってきたことで、丹波は思わず面食らってキョトンとしてしまった。一転してニコニコと満足気に微笑む南本の隣で、羽純がふぅと息を吐きながら遂に言葉を発した。


「それでは、一段落ついた所で諸々のお話をまとめさせて頂きます。我々はここから先、特定の標的の排除及び回収を目的とした、小規模の組織として今後秘密裏に活動することとなります。坊っちゃまがお話したように、あなた(がた)10名の通常業務は、全てこちらの(ほう)で他の者に引き継ぐよう手配しておきます。そして情報漏洩を防ぐため、あなた方の為に特別な施設を用意しています。なので、今後はそちらでの生活に移ってもらいます。必要最低限の荷物の運搬は、我々の方で1人ずつ順番に取り掛からせてもらいますのでご了承ください。」

「そうそう。監禁生活を強いる様で悪いんだけど、梶都さんの言う通り僕はテレビで顔を堂々と報道されちゃった、こう見えて立派な犯罪者だからね。あまり表立って行動することは出来ないんだ、ごめんね。」


南本があまり申し訳無さそうに微笑みながらそう言ってウィンクをした。最初のタイミングでは名前を呼ばれなかった梶都が、途端に心底不快そうに南本の顔を睨みつける。何かを言いたそうに口をパクパクさせているが、それを言葉に変える気は毛頭ないようだ。そんな中、金城がハンカチで額を拭いながら手を挙げて言った。


「た、たた、食べ物とかは、支給され、ますか?僕、いっぱいご飯を、食べるから、食費とか物凄く、かかっちゃうんですけど……」

「施設に到着して以降は、必要な物資を随時あなた方それぞれに支給予定ですのでご心配なく……但し、凶器類一式はこちらの方で一時的に預からせて頂きますのであしからず。」


淡々と答える羽純に向かって、南本はニコニコと笑いながら「自殺とかされても困るしね!」と言った。先程貴斗を殺しかけた者にしてはやけに上機嫌だ。全会一致で全員が仲間になった事が余程嬉しいのだろうか。自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す貴斗の隣で、丹波は怪訝な表情を見せながらも彼の背中をゆっくりとさすった。


「ふん。一方的に殺人を要求した挙句に監禁生活の強制か……今のところ俺達にほぼ一切の得が無いな。仮に人を殺した時には、ちゃんと報酬とかが出るんだろうな?」

「あなたがそう望むのであれば、可能な限り望んだ物を差し上げましょう……現実に則した物には限定されますが。」


羽純はそう答えると、それまで伏せていた銀色の目で蟻塚の顔をギッと睨みつけた。どうやらあまり彼のことを好いていないようだ。眉をひそめながら蟻塚がチッと分かりやすく舌打ちをする。

南本はそんな彼らの顔を一通り眺めると、よいしょと机から飛び降りつつ社員一同に向かって尋ねた。


「そういう訳で、大体の流れは羽純の話した通りになるんだけど……他に質問のある人はいるかな?急ぐようで悪いけど、そろそろ施設に移動しなきゃいけない頃合だからね。聞きたいこととかがあったら早めに言ってよ。」

「俺はその施設とやらでハンドボールが出来るスペースさえ貰えればそれでいいぞ!」

「そうですね。私も特に異論はありません。」


栗島は豪快に笑いながらそう言い、碧霧は相変わらず笑顔を見せたまま短く返答した。蟻塚や金城も特に無いというように首を左右に振った。猛井と梶都はお互いに黙り込んでいたが、言いたいことは無いのだろうと考えた南本は特に詮索しなかった。

唯一、驚いた様子でギョッと目を丸くしたのは辻常だった。それまでずっと杉村の後ろにいた彼女が、慌てて彼をおしのけながら羽純の元に駆け寄って言った。


「ま、待ってください!今から移動するんですか!?流石に早すぎますよ……私実は実家暮らしで、家に持病を抱えた母親が居るんです!せめて、お母さんに挨拶だけでも……」

「申し訳ありません。情報漏洩を最大限防ぐ為の策ですので、親族との面会を認めることは出来ません……施設に到着した後、我々の監視下で連絡を取り合うのであれば可能ですので、それまでは辛抱を。」


羽純は最初事務的に言葉を発したが、絶望した表情を浮かべる辻常を見かねたのか、途中でため息を吐きながらそう呟いた。辻常は直前まで泣きそうな目をしていたが、羽純の発言で少しは落ち着いたのかホッと安堵の息を吐いた。杉村が辻常に近づいて彼女の肩を優しく抱き寄せる。すると、機嫌の良さそうな南本は満面の笑みを見せながらくるりと郷状の方に顔を向けて言った。


「良かったですね、社長さん。あなたの大切な社員達は皆、誰一人欠けることなく僕の計画に協力してくれるようですよ。あなたがお父様から引き継いで、丹精込めて築き上げてきた実績があるからこそのこのメンバーという訳ですね……僕の目にかなう人材はいないだなんて、水臭い嘘つかないでくださいよ、郷状進さん。」

「……」


わざとらしくフルネームで呼ばれた郷状が、ぐっと唇を噛み締めながらゆっくりと立ち上がった。栗島と同じぐらい背が高く大柄な郷状は、窓からの逆光もあって立つだけでも凄まじい威圧感を放っている。社員達が緊張した様子で息を飲む中、郷状は背中の後ろで手を組みながら、会社の頂点に立つ者らしく堂々と言葉を放った。


「選ばれし郷状株式会社社員諸君に告ぐ。君達に与えられた使命は、他人及び自身の命に直結する重要な仕事である。逆らえば、そしてしくじれば、死あるのみだと思え。迂闊な行動は控えよ。命を失いたくなければ――命を賭して、使命を全うするのだ。」




***

ピクシブ版→https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15576370

誤字脱字などあればご指摘のほどよろしくお願いします。

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