最終話 甘味×耽美
龍鳳寺副部長に散々揶揄われた私と獅童は、疲れ切った顔で帰宅していた。
「もう、こんなことは金輪際御免被りたいわ……」
「本当ですね。もう殴られるのは勘弁です……」
病院と駅を繋ぐシャトルバスを降りて、駅前の商店街をトボトボと歩く。
獅童の左頬には白いシップが貼られていて、ちょっと痛そうだ。
「ごめんね、獅童。借りを返そうと思っていたのに、結局また助けられちゃった」
ちょっと前も猪田先輩に勉強会で意地悪をされて、その時に助けて貰ったばっかりだったのに……。
その時は焼肉を奢って何とか誤魔化したけど、今回は身体を張って助けて貰っちゃったからなぁ。さすがに申し訳なさでいっぱいだ。
「だから気にしないでくださいって。僕がやりたくてやったことなんですから。それにあのBARでも言ったでしょう? 『職場でまた何かあっても守る』って」
「獅童……ありがとう……」
ワンコみたいな可愛い笑顔でニカッと私に微笑みかける獅童。
そんな顔を向けられたら私は――。
「はぁ、今回はどうやって恩を返そう。うぅ~っ。これじゃあもう、簡単なことじゃ返しきれない気がする……」
歩道の真ん中で立ち止まり、腕を組みながら思わず唸ってしまう私。
焼肉以上? ステーキ? それともフレンチのフルコース??
いっそのこと私を食べて……って、いやいやいや!?
「……なに一人でテンパってるんですか先輩」
「いやっ! それはまだ早いから!! 初めてはちゃんと……ってまだそういう関係じゃないっての!!」
「先輩はいったい、何の話をしてるんすか……??」
前を歩いていた獅童が怪訝そうな顔で、私の方へと振り返って見てくる。
いやっ、やばい! 顔真っ赤で恥ずかしいからコッチ見ないで!!
「しっ、獅童は何か私にして欲しいこととかないの!? 私が出来ること限定で!!」
えぇっと、変なことは無しで!
なぜなら、心の準備が出来てないから!!
「うーん、僕がして欲しいことっすか……?」
「そう! 焼肉以上で良いんだけど、変なところに行くのはダメ! 絶対ダメ!!」
「変なところって……。そうだなぁ……」
今度は獅童がうぅ~んと悩んでいる。
まぁこの仔犬みたいな彼が、まさか私に変なことを強要することはないだろう。
いくら助けてくれたからって、誰かさんみたいに……
「先輩――を食べたい」
「えっ? ええぇえぇぇっ!?」
う、嘘でしょう!?
まさか犬は犬でも、オオカミさんの方だったの!?
もしかして夜は変身しちゃうとかソッチ系!?
「何でそんなに驚いてるんですか……? 前にも言ったと思うんですけど、僕……先輩の作ったご飯を食べてみたいっす」
「えっ……ごはん? 私の……ごはん??」
「はい。《《先輩のごはんを》》食べたいです」
え、あぁ、そう。私の《《ごはん》》ね。ははは、ですよねー!!
「なんだ、そんなことでいいの? 高級なお店で奢るのでもいいんだよ?」
「いえ、僕にとって先輩が手作りしてくれたご飯は焼肉以上の御馳走なので」
えへへ、とちょっと照れたようにはにかむ獅童。
もう! そういうところだぞ!!
それは男の子がやっていい仕草じゃないんだからね!?
ともかく、そんなことで良いなら……。
「――じゃあ今日、ウチにくる?」
「え……?」
「いや、無理なら別に……「行く! 行きます!! 今日行きたいです!!」そ、そう? ならおいでよ」
何もない部屋だからちょっと恥ずかしいけど、獅童なら……別になにも起こらないよね?
◇
「ちょっと、あんまりジロジロ見ないでよ……?」
「いや、すみません。先輩って、女の人だったんだなぁって」
それはどういうこと!?
ダイニング兼リビングに置いてあるビーズクッションに座って、キョロキョロと部屋を見回している獅童。
普通の独り暮らしの女の部屋なんて、どこも変わらないと思うんだけど?
「いや、僕のお姉ちゃんの家に行った時はこう、ゴミ袋とかが床中に広がっていたので」
「へぇ、お姉さんがいるんだ? 私は虫とか苦手だから、そういうのはダメなんだよね。それにインテリアには一時期ハマっててさ~」
お陰で、一度もゴキブリは出たことが無いのが我が家の自慢だ。
ちなみにいつでも彼氏できたら呼べるよう清潔にしてきた部屋だけど、妄想だけで数年が経ってしまっている。
「今日はあまり準備が出来てないからあるものになっちゃうけど、それでもいい?」
「はい! ありがとうございます」
嬉しそうに返事をした獅童を置いて、廊下にあるキッチンに向かう。
彼は口の中を痛めていたみたいだし、夕飯は食べやすい《《うどん》》にしよう。
はじめて振舞うにしては地味だけど、今回はちょっと大目に見て貰うしかないね。
冷蔵庫の中身を確認して、必要な具材を取り出す。
「さて、それじゃあ作りますか!」
両手鍋に水を張って、コンロにかける。
次はお湯が沸騰するまでの間に、必要な食材を包丁でカットしていく。
えっと、まずは豚肉かな?
カチコチになるまで冷凍してあった豚肉をレンジで解凍しようと準備していたら、急に背後から声を掛けられた。
「先輩、僕も手伝いますよ」
「いや、どうして私がご飯を作るって話だったのに来ちゃうのよ?」
それじゃあ私からのお礼にならないじゃない。
大人しく部屋で待っていてほしいんだけど……。
「いや、その……先輩の隣りで、一緒に料理を作ってみたくって」
「にゅえぇっ!? そ、そんな恋人同士みたいなシチュエーションで!?」
「はい……ダメ、ですか?」
だ、駄目じゃないけどぉ……。
さすがにそれは私も恥ずかしいっていうか!!
「すみません、ちょっと憧れていただけなんで……つい調子に乗っちゃいました……」
だからそんな捨てられそうな仔犬みたいな上目遣いで見てこないで!?
そんなことを言われたら、断れないじゃない!!
「じゃ、じゃあこの大根をすり下ろしてくれる?」
「はい! 任せてください!」
パアァッと花の咲いたような笑顔になる獅童。
さっそく手を洗うと、張り切った様子で大根をすり始めた。
ううぅ~。ただでさえ狭い廊下にあるキッチンだから、肩がすぐ触れ合ってしまいそう。
いつも職場で会っているはずなのに、すぐ隣りに獅童が居るだけで何でこんなに緊張するんだろう。
気もそぞろになりながら、トントントンと長ネギを刻む。
はぁ……恋人みたい、かぁ。
そんな関係だったら、もし私が今ここでウッカリ指を切っちゃったりしたら、それを彼に「なにやってるんだ」とか言われて、その手をそっと取られてパクッと咥えて舐められちゃったりして……。
「……先輩、なにやってるんですか? 大根、終わったんですけど……」
「ふぎゃっ!? ご、ごめん! えっと、なんだっけ!?」
「ちょっと、大丈夫ですか? 顔真っ赤ですけど、また調子悪いんじゃ……」
「き、気のセイだよっ!? 平気へいきー!!」
だ、大丈夫。アタマはダメかもしれないけど、まだ大丈夫だから。
お願いだから、今は私の顔を見ないで……!!
考えてみれば、手なんてもう何年も包丁で切ったことも無かったわ。
それを証明するかのように、私は華麗な手捌きでネギを刻んでいく。
隣りで獅童が「おぉ~」とか言って感心しているけど、今は恥ずかしくて細かいことは気にしていられない。
――そんなこんなをしている間に、今夜のご飯が完成した。
「はい、飯野家特製の豚しゃぶ霙うどんよ~!」
ダイニングの小さな1人用テーブルに、うどんドンブリが2つ。
夏の暑い時期なので、今日は食が進みやすい冷製うどんだ。
本当はキムチとかを入れても美味しいんだけど、口内を怪我している獅童には刺激で痛めてしまうかもしれないので、今日はこのメニューにしてみた。
テーブルを挟んで反対側に座っている獅童は、豚バラ肉が何枚も盛られたうどんを眺めて目をキラキラさせている。
お肉を見て興奮する辺りはやっぱり男の子なんだろうなぁ。
「ふふふ、どうぞ召し上がれ?」
「いただきます!!」
待て、からのヨシを貰った犬のように、獅童はズルズルと食べ始める。
感想は……この様子だったら聞かなくても分かるね。
それじゃあ私も頂こう!
「ずるっ、ずるずるずる!! うん、美味しい! ポン酢と辛味のある大根おろしが豚肉の旨味と合わさって麺がスイスイと進むね!」
「むぐ! もぐもぐもぐ!!」
ちなみに彼のドンブリには鶏のササミ肉も追加でトッピングしてある。
お肉を頬張る度に、嬉しそうに咀嚼している姿はコチラも見ていて微笑ましい。
……やっぱり獅童って実家で飼ってるワンコに似ているんだよなぁ。
10分ほどで、私も彼もあっという間に完食してしまった。
彼は私の2倍くらいの量があったのに、汁までペロリだ。
「ふぅ……御馳走様でした……」
「ふふ。お粗末様でした。っていっても半分は獅童も作ったんだけどね?」
教えながらだったけど言われたことは割とすんなりこなしていたし、家でもお手伝いをしていたのかもしれない。
「女が多い家庭だったんで、幼い頃から家事は手伝っていたから慣れているんですよ。……でも本当に先輩は料理できたんですね。てっきり食べる方の専門かと」
「ひっどい! 私だって小さい頃からやってたもん。……食べるのが好きだからってのは否定しないけど」
お父さんと一緒によく味見ばっかりしていたから、お母さんに怒られていたっけ。
でも食べながら覚えてたから、料理も得意になったんだよ?
「ぷっ、ふふふ。あは、イテテテ……」
「ちょっと、大丈夫……!?」
やっぱりちょっと頬っぺたが腫れてきているんじゃ……?
獅童の頬を左手で優しく撫でて、傷の状態を確認する。
……うん。やっぱり、さっきより患部がちょっと熱くなっている気がする。
「だ、大丈夫ですから……!」
「もう、本当に私の為に無茶し過ぎないでよ……」
「先輩ッ!? ちょ、ちょっと顔近いですって!」
――2人しか居ない私の部屋で、2人の顔がゆっくりと近づいていく。
「せ、先輩……?」
「ん。うどんだけじゃお礼になんてならないでしょ? オマケよ、オマケ」
「むしろ……僕にとってはメインなんですけど。……御馳走様でした?」
はじめての味がうどんっていうのはアレだけど、食いしん坊な私らしくて良いんじゃない?
――そんな冗談を考えていなきゃ、私の頭はショートしてしまいそう。
心臓なんてバクバクし過ぎて死ぬほど苦しい。
あーぁ……今日だけで色々とあり過ぎて、なんだかどっと疲れちゃった。
だけど、少し気になっていた人と1歩先に行けたのは、ちょっとラッキーだったかも?
「はぁ。やっぱり私は、《《ざまぁ》》より《《うまぁ》》が良いわ。平和に仕事してご飯食べて、好きにお酒飲んでいる方が間違いなく性に合うよね……」
「先輩……あの、さっきのをお代わりって……」
「~っ!? もう、調子に乗るな!! ほら、明日も仕事なんだからキミはさっさと帰れ!!」
「そ、そんなぁ~」
獅童は「先輩、それはないっすよ~」とか言いながら、笑顔で一緒に片付けをしてくれる。
なんだかんだ言って、彼はいつも私の歩むスピードに合わせてちゃんと待ってくれている。
だから私も少しずつでも踏み出して、キミに近付けるように頑張るからね?
「いつもありがとう、獅童」
「こちらこそ、シア先輩」
きっとまだ、この恋愛を焦ることはないよね?
この気持ちを少しずつゆっくり熟成させて、いつか美味しくなったら一緒に分かち合ってくれる。
そんな彼は、今もちゃんと私の隣に居てくれているんだ。
だからこうして一緒にいろんなものを食べて、たくさんの笑顔を作っていこう?
だってそう、私のマリアージュを探す旅はこれからもずっと続いていくんだから――。
(完)