第6話 鶏肉×にんにく
私は今……久々に会ったアイツに押し倒され、乱暴に襲われている――。
理性を失くし、力の限り押さえつけられ、荒い息をハァハァと吐きながら私の顔にキスの嵐を……。
「相変わらず熱烈ねぇ……」
「うえっぷ。うへへへへ、かっわいいなぁお前はぁ! ここか? ここがえぇのんかぁ??」
『わんっ! わんわんわん!!』
おばあちゃんの緊急入院によって図らずとも帰省することになった私。
玄関を開けたとたん、帰宅を察知したのだろう。
実家で飼っているシュトーレンという名前の犬が、尻尾をブンブンと振り切れそうにしながら、大喜びで私に飛びついてきた。
もう10歳になるトイプードルだけど、まだまだ元気そうで私も嬉しい。
いやぁ、この無邪気で本心から懐いてくれるところが可愛いんだよね。
――人間以外のペット限定だけど。
「ほら、早く手洗いうがいしてきちゃいなさい。まったく、いつまでも子どもみたいなんだから」
「分かってるよ~! これでも手洗いとかは徹底してやってるんだからね!!」
ほっぺをマシュマロ20個ぐらい詰めたような顔をしながらお母さんに抗議する。
病院勤務なんだから、感染予防は真面目にやってるっての。
愛犬のシュトーレンを床に戻してから、私は洗面所に向かう。
一本一本指や爪の隅々《すみずみ》までゴシゴシ洗ってから、水道水うがいでガラガラガラ。
うん、これでオッケー。
「さあって。今日はお母さんがご飯作ってくれるし、私はシュトのご飯作りでもしますかね」
「わぁんっ!」
んふふ~? シュト君も久々に私の手料理が嬉しいか。
よしよし、頭を撫でて……ってダメだ。
手を洗った意味がなくなってしまう。
ぐぬぬ、と伸びかけた右手を戻す。
「どうしたの? 撫でてよー!」と私の足にしがみついて催促してくるけれど、ここは我慢だ我慢。
「ゴメンよー。今からお前のご飯を作るから、そこで大人しく待ってておくれ」
「くうぅん……」
シュト君の切なげな声をどうにか振り切って、母の居る台所に向かう。
「うっ、この匂いは……!」
そこでは脳を直撃するような美味しい匂いが充満していた。
から揚げって言ってたから、これは醤油と……ニンニクだ!
「あっ、来たわね。明日って紫愛ちゃんのお仕事は休みよね? だったら元気が出るようにニンニクマシマシにしちゃうから」
「もちろん、オッケーだよ。あ、そうそう。ちゃんとショウガも効かせてね!」
「当ったり前よ~。任せてまかせて~♪」
昔に流行った恋愛ソングを鼻歌で歌いながら、お母さんは陽気にショウガを擂り始める。
お母さんのお手製から揚げは、予めダレに漬け込んだ北海道のザンギと同じタイプだ。
ニンニクの欠片をダイブさせて漬けておいた特製ニンニク醤油に、更に擂り下ろした追いニンニクを入れる。
そして先ほどのショウガと酒、みりんを入れて鶏モモ肉をイン。
液ダレに馴染むように、モモ肉をマッサージするように優しくモミモミする。
どれくらいの強さかって?
男性諸君だったら彼女の胸を優しく捏ね回す感じだ。
……鶏ガラな私にはそんな胸肉は無いけれどね。
女の子はって? 女子はみんな巨乳な女友達を揉んでいるから知ってるはず!
「急で準備していなかったし、今回漬けるのは30分くらいにしておくわ。シュトちゃんのはそっちのササミ肉をあげてくれる?」
「はーい。さぁ、シュト君。今日はササミがトッピングの御馳走だぞ~」
「わん!!」
ちなみにこのシュト君。
名前こそドイツの甘いお菓子と同じシュトーレンなんだけど、一番の好物はこの鶏ササミ肉なんだよね。
このササミ肉をアルミホイルで包んで、満遍なく熱を加えられるコンベクションオーブントースターにブチ込む。
ボイルしちゃうのがお手軽なんだけど、そうするとササミ肉の少ない脂がお湯に溶けだしちゃって、どうしてもパサパサになりがちなんだよね。
ダイエット中なら茹でた方がヘルシーなんだけど……シュト君のだし、別にいいかな?
そもそもだよ?
いちいち細かい所までカロリーなんて気にしていたら、美味しさ半減だよね~。
とか思いながら、私は付け合わせのキャベツをトントンと千切りにしていく。
野菜を少しでも摂っておけば、多少は罪悪感が緩和される……ハズ。
うぅ、なんだかやっぱり気になってきた。
と、トマトも追加しておこう。あとキュウリも……。
「紫愛ちゃんはもう少し太った方がいいんじゃない? 向こうでちゃんと食べてるの?」
「太れって良く言われるんだけどさぁ。私の場合タッパがあるだけであって、普段から結構バクバク食べるから最近体重が……」
実は私、無駄に身長が170cm近くもあるんだよ。
優しい人からはモデル体型なんて言われることもあるんだけど、モデルさんみたいなオシャレなんて披露するシチュエーションも無いし、休みの日は趣味に走っているのでこの身長が活かされることはほとんどない。
ちなみに学生時代はバスケ部でモテていたんだよ?。
……とはいっても、同じ部活の女の子にだけど。
他の女の子はホイホイ彼氏ができていたのに、この高身長とキレ目でキツめな顔が威圧的だったのか、学生時代に恋人が出来たことは無かった。
……別に好きな人が居なかったワケじゃないんだけどね。
ただその人は年上で、ちょっと住んでいる世界が違い過ぎただけで。
――チーン♪
おっと。昔のことを思い出していたら、シュト君の鶏ササミが焼きあがったみたいだ。
オーブントースターから熱々のアルミホイル包みを取り出して、昔の恋心を冷ますようにザクザクとフォークでほぐしていく。
前回あの人に会った時は、昔に比べて少し皺の増えていたなぁ。
でも、あの優しい笑顔は変わらなかった。
そして相変わらず、私の事を――。
どうしても昔のことが脳裏をチラつくけれど、私だってもう立派な大人になったのだ。
いい加減、新しい恋を見つけなければ……。
「はぁ~ぁ。どっかに美味しいご飯を一緒に食べてくれる素敵な男性が転がっていないかなぁ……」
「男性を選ぶ基準が相変わらずね、紫愛ちゃんは。でも、そうね。そんな人がいたら、きっと素敵よね」
から揚げの衣を準備しているお母さんと、シュト君のご飯を盛り付けている娘の私。
家族としてはピースの欠けちゃった我が家だけど、昔はもっと賑やかだった。
「お父さんはいっつも美味しそうにご飯を食べてたなぁ……」
唐突に沈黙の緞帳が降りてしまったキッチン。
役者の私たちを置いてけぼりにして、食用油のパチパチと撥ねる環境音だけが寂しげに響いていた。