第53話 リラックス×デトックス
大路先生に告白して気持ち良く玉砕するつもりだったのに、全てが滅茶苦茶になってしまった。
肉親に裏切られたような気分になった私は、呼び止めるお母さんと大路先生を振り切って家の外へと飛び出した。
「はぁ、はぁ……はぁあああぁ。つ、疲れたぁ」
とにかく家から離れて遠くに行きたかったから、息の続く限り走り続けた。
最近はあまりジムに通えなかったとはいえ、普段からトレーニングをしていた私の体力は本領を発揮し、近所のスーパーを越え、グネグネと重なる階段を駆け下り、昔通っていた小学校を過ぎた先にある小さな公園まで来ていた。
たぶん、普通に歩いたら20分ぐらいの距離を走っていたんじゃないかな。
はは……どれだけ逃げたかったんだよ、私。
疲れたカラダを休めるために、フラフラと公園の中を歩いていく。
取り敢えず、乾いた喉を水道の水で潤そう。
……と思ったら、この夏の暑い時期なのに水飲み場の利用が禁止になっていた。
くそぅ、まさに踏んだり蹴ったりだ。
「あぁ、もう。とことんツイてないなぁ!」
苛立ちを隠すことができず、その場で地団太を踏みそうになる。
だけどすぐ隣りの砂場で遊んでいた小学生たちの「なんだコイツ」といった視線が刺さって、私はギリギリで思い留まった。
◇
――ガタンッ!
子どもに見られた恥ずかしさで少し冷静さを取り戻した私は、大人しく自販機で水を買っていた。
夏の暑さですぐに温くなっていくペットボトルを手に、空いていたブランコに座る。
「あーっ、暑い! あぁ、もう。何でこんなにあっついのかなぁ!?」
夏はそんなに嫌いじゃないけれど、今はこの太陽が恨めしく感じる。
プシュッという音と共にキャップを開けると、ゴクゴクと勢い良くミネラルウオーターを胃に流し込む。
水のお陰で身体を襲う火照りが少しだけ和らいでいく一方で、灼熱の太陽が再びジリジリと肌を焼いていく。
これぞまさに焼け石に水だね……。
――あぁ、不味いなぁ。
なんにも対策してこなかったから肌は焼けるし、このままここに居たら熱中症になっちゃう。
それになにより、一番ヤバいのが――
「なんてこった……私、昨日からお風呂に入ってなかったじゃん!!!!」
うわぁ、マジで最悪だ~!!
ってことは……お好み焼き屋で大量の煙を浴びた後にそのまま朝まで過ごした挙句、身体も洗わないままで大路先生に会ってたってワケ!?
青褪めた顔で自分の姿を確認すると、服さえも昨日のままだったことに気付いてしまった。
私が着ていたのは薄い水色のマキシ丈ワンピースだから見た目こそ涼しい格好だけど、さすがにこの汗臭い状態は酷すぎる。
「どちらにせよ、告白する前に終わってたわコレ……はははは」
こんな女子力の欠片も無いアラサー女なんて、どうせ最初っから眼中になんかありませんでしたわ。……ははは、笑えるね。
――っていうか、こんな汗臭いままじゃどこにも行けないじゃん。
まだ先生がいるかもしれないから、自分の家にさえ帰れないし……。
ど、どうしよう!?
ひょっとして、私の人生これで詰んだんじゃない……?
あぁ、なんだか頭がクラクラしてきたよぅ。
このままじゃお先真っ暗……文字通り干物女になってしまう。
「さしずめ、私は太刀魚《細長い女》の干物か……? いやそんな冗談を言っている場合じゃないよね」
医療従事者である私が、こんなくだらない理由で熱中症になっていたらシャレにならないわ。
さっき買った水はあるけど、念のためにどこかに避難したい。
かと言って今の私でも行けるところ……どこかにあったかな?
「あ、そうだ。アレがあったじゃない!!」
漫画喫茶やカラオケボックスに避難することも考えたけれど、私は一刻も早くスッキリしたいのだ。
となれば、この止風土市で行くべき場所と言えば1か所しかない。
そうと決まれば善は急げ、だ。
私はなるべく人に会わないようにしながら、日曜朝の住宅街を早足で駆け抜けていった。
◇
「おぉ……久しぶりに来たけど、やってて良かった」
忍者のようにして人目を避けてやって来たのは、この街で一番大きい銭湯施設。
その名も『湯快な楽煙』
いわゆる、スパリゾートだ。
日本風の生け垣や庭園などが広がっていて、落ち着いた雰囲気がある建物。
あちこちから湯気のようなものが上がっていて、温泉ならではの匂いが立ち込めている。
ここ数年は来ていなかったけど、温泉以外にもゆったりと寝転がれるスペースや食事処、マッサージやちょっとしたアミューズメントもあったはず。
ここならレンタルがあるから手ぶらでオッケーだし、天然温泉で汗も流すことが出来る!
それに今はまだ日曜の朝だから、利用客はあまり居ないみたい。
私にとってはまさに良いこと尽くめだ!!
よおっし、さっそく入店、入店~♪
◇
――あぁ、私の楽園はここでした……。
銭湯あるあるの『カポーン』という音が聴こえてきそうな、広大な浴場。
その中でも今私が居るのは、屋外にある大露天風呂だ。
岩で段々に作られた広い温泉に、私が独占して寛いでいる。
やはりこの時間からスパに来る女性は少なかったみたい。
泳げるほどに広いお風呂で、全裸の長身女がぐだ~っと昆布のように浮いている。
……まぁ、私にはそんな立派な浮袋はないんだけどさ。
「うぅううん~!! 大きいお風呂は気持ちがいいなぁ!」
独り暮らしをしていると、浴槽に入るのは水道代や手間がネックになる。
だからついついシャワーで済ませちゃうんだよね。
だけどやっぱり、こうやって足が伸ばせるお風呂の方がゆっくりリラックスできて幸せだ。
無駄に長い脚をマッサージするように撫でながら、温泉特有の柔らかいお湯を楽しむ。
汗もストレスも、昨日の悩みまでも、なんだかジワァっとお湯に溶けていくみたい。
まるで私の中の余計なモノが全部デトックスされていくようで、思わず喉の奥から変な声が出ちゃう。
そういえば最近、こうやってゆっくりすることって無かったかも。
働いて、食べて、働いて、飲んで、働いて……。
「ははは、私の人生ってなんなんだろうね……」
たしかに、私の夢とかやりたいことはある。
だけどマリアージュはどうした、私。
うーん、最近ちょっと視野が狭まっていたかなぁ。
今まではずうっと『体調を良くしなきゃ』って頑張ってきた。
だけど近頃じゃ身体を鍛えるのが目的になっていて、『健康になった後に何がしたいのか』なんてあんまり考えられてなかったのかも。
――うん、これは良くないよね。
もっと人生を楽しむことも考えよう。
私は夏の晴れ渡った空を見上げた。
雲が風に流されて、遥か彼方まで悠々《ゆうゆう》と飛んでいく。
「たまには旅行っていうのもいいなぁ。……夏休みが取れたら、どこか美味しいご飯が食べられる観光地でも行ってみよう」
そういえば前に旅行に行ったのなんて、何年前だっただろう。
まだお父さんが生きていた時かなぁ?
家族旅行なんて、本当に数える程度しか行けなかったなぁ。
「私、お母さんに謝んなくっちゃ」
あの根は真面目な2人のことだ。
たまたま家で会っていたからって、何か後ろめたいことがあったとは限らないよね。
……いや、別にお家デートでもいいんだよ?
そもそも2人の恋路を邪魔する権利なんて、私には無かったはずだ。
諦めたとか口では言っておきながら、結局私は嫉妬をしていただけなんだろうね。
「大路先生を誘って3人で旅行に行くのもいいなぁ。帰ったら誘ってみようかな?」
ちょっとしたプチ旅行でいい。
もしOKが取れたら、家族ごっこでもいいから観光地で温泉にでも入って、美味しいご飯とお酒を飲んでゆっくりしたいな……。
「ふふふ、我ながら名案じゃないの? なんだか楽しみになってきた」
「さて、どの温泉地に行こうかな~♪」と鼻歌を口ずさみながら、私はゆったりとした日曜の朝を満喫するのであった。




