第50話 鉄板×絶壁
9月も中頃に入り、厳しい残暑が心身を疲弊させている頃。
私は更なる熱気に襲われていた……。
「へぇえ~、そんなことが。だから忙しそうにしていたんですね……」
「ごめんね、セブンちゃん。身内の事と職場の事で手いっぱいでさ」
私たちの視界の先では、ジュージューと音を立てる灼熱のプレートの上で、クリーム色の液体がモクモクと煙を上げている。
今日は焼きとり屋の社長から教えて貰った、鉄板焼きの『今生焼き』というお店に来ていた。
ちょっとアブナイ香りのする名前だけど、これは社長の知り合いでもあるこの店のオーナーが、このお店のメインであるお好み焼きに今生を捧げたことが由来になっているらしい。
ちなみにオーナーの見た目は、熱血なアスリートみたいな暑苦しい顔で、頭にはタオルのねじり鉢巻きをしている。
その外見も性格も熱いオーナーさんは、調理場のタタミ1畳分ほどもある大きな鉄板で、ダイナミックかつ繊細にお好み焼きをひっくり返している。
「だったら尚更私にも相談して欲しかったな~。……連絡も無いから、すっごく心配していたんだよ?」
私のすぐ隣りの席でレモンサワーが入ったグラスをチビチビと飲みながら、ウルウルと潤んだ瞳で私を見上げるセブンちゃん。
うぐっ、ソレをやられるとちょっと女の私でもグラつくんですけど?
「まぁまぁ、七士さん。紫愛さんはここ最近、本当に大変だったので大目に見てあげてください」
「そうだよー。あの食欲魔人な紫愛っちが、ご飯を食べる量がいつもの半分ぐらいにまで落ちてたぐらいだしー」
「え? シーさん、アレで半分だったんですか?」
私が座っている鉄板付きのテーブルの向かいに居るのは、同じ病院で働く看護師の牛尾ちゃんに、リハ科の兎月ちゃん。そして検査科の宇佐美ちゃんだ。
まぁ、つまりはいつもの面子で女子会だね。
私って普段からそんなに食べてたかなぁと思いながら、オーナーが焼いてくれた豚玉のお好み焼きをヘラで切り分け、お皿に盛りつける。
ドロっとしたソースのお化粧をした、見るからにふわっふわなお好み焼き。
マヨネーズと青のりを乗せて、お好みでかつお節をパラパラと。
食べる寸前までアツアツの鉄板の上に居たので、その熱でかつお節がウネウネと動いている。
割り箸をパキっと割って、お好み焼きを一口大に切る。
食べる前からヨダレの出そうな、甘辛いソースの匂いが食欲をそそってくる。
口元が汚れないように、なるべく大きく口を開けて……あーん。
「うぅ~ん、とろっふわ!! おいしー!!」
カリッカリに焼けた豚肉とシャキシャキ感の残ったキャベツ。
魚介系のダシが効いたふわっふわの生地。
この柔らかさは山芋が入っているお陰なのかな?
中身はシンプルな具材だけど、だからこそお好み焼きの美味しさがストレートに伝わってくる。
火傷しそうなほど熱いお好み焼きをハフハフしながら咀嚼して飲み込んだら、今度はキンキンに冷えたビールをグビグビと飲んで洗い流す。
「くぅ~っ!! この組み合わせ、やっぱりたまんないよぉ!!」
ハイボールや他のお酒でも合うと思うんだけど、私は素直に生ビール!
このシュワシュワが、こってりとしたお好み焼きにマッチし過ぎてつらい。
まるで幼馴染の友達が長年付き合ったイケメン彼氏と結婚して、幸せそうな顔で指輪を自慢して来た時と同じくらい、ベストカップル過ぎてつらい。
――あの時はいろんな意味で泣いた。
「飯野さんの貴重な食事シーンを久々に見ましたけど……本当に美味しそうに食べるよね~」
「七士さん……それじゃまるで『紫愛さんの貴重なウミガメの産卵シーン』みたいな言い方……」
「でも紫愛っちの食べてる姿を見ていると、こっちまでお腹空いてくるよね」
「もぐもぐもぐ。ですね~。あっ、すみません! 焼酎の水割りくださーい」
……だって本当に美味しいんだもん。
私は美味しいものを、ただ美味しく食べているだけなんだけどなぁ。
っていうか、宇佐美ちゃんはここでも焼酎の水割りなのか。
「そういえば皆さん、いつの間にか飯野さんのことを愛称で呼んでません!? ズルいですよ、私はまだ名字呼びなのに!!」
「あー、あれ? そうだったっけ。本人としては別に気にしてなかったなー」
良く分からない嫉妬をしたセブンちゃんが、私の右腕に抱き着いてブーブーと抗議をしてくる。
彼女の程よい膨らみの感触が、服越しでもしっかりと伝わってきた。
くっ、こやつも私の敵か……!?
私より大きいやつは、すべからく敵とみなすぞ??
「セブンちゃんみたいな可愛い子なら何て呼んでくれてもいーよー? んふふふ。どうした、セブン。口元にマヨネーズがついてるぞ?」
「はうっ!? し、紫愛お姉さまっ!! お姉様でもいいのっ!?」
紙ナプキンでセブンちゃんのお口を拭いてあげただけなのに、何故か彼女は変な方向に興奮し始めてしまった。
いや、ちょっとした冗談だったのに、お姉様呼びはやめて……。
おかしいな、昔はこんな子じゃなかったと思うんだけど。
「流石にそれは変な目で見られるから、もう少し別の呼び方にしない? ほら、紫愛って呼び捨てでもいいし」
「しっ……しあ!? そ、そんな恐れ多いよぉお!?」
「そういえば紫愛っちのこと呼び捨てで呼ぶ人ってあんまり居ないですね」
言われてみれば、友達で紫愛って呼ぶ人はあまり居ないかもしれないね。
私を呼び捨てで呼ぶのはもう、お母さんぐらいしかいないかな??
「私も最近は紫愛さんって呼んでますしね」
「と、友達になったばっかりで、シーさんとか馴れ馴れしく呼んじゃってすみませんでした……」
「いや、宇佐美さんはイノブタ被害者の会繋がりだったし、フレンドリーにしてくれているから嬉しいよ?」
あの事件の時は本当にやさぐれていたし、私以上に猪田先輩からの被害を受けていた宇佐美ちゃんと仲良しになれたのは不幸中の幸いだったと思う。
やっぱり悩みとか共有できる仲間っていうのは、心の平穏のためにも大事なんだなって実感したよ……。
「じゃ、じゃあ。私だけが紫愛って呼べば、それだけで特別な存在に……!? うへっ、へへへ」
ほっぺたを両手の平で挟みながら、キモチ悪い笑いを浮かべ始めるセブンちゃん。
目なんて軽くイッちゃってるし、この現象に名前を付けるとしたら……セブン状態だな。
「うっ、なんだか変なスイッチ入れちゃったかなぁ。やっぱ飯野呼びのまま「駄目です!! 紫愛!! これからは紫愛です!」……あぁ、うん。分かった。分かったからその手を離そう?」
興奮状態を抑えきれないセブンちゃんは、ビールジョッキを持っていた私の右手をぎゅうぅっと両手で掴んでくる。
だからその私に対する謎の熱意は何なんだろう?
第一さぁ、これからも何も、生まれてから今まで私はずっと紫愛のままなんだけど……まぁ、セブンちゃんが嬉しそうだし、これで機嫌を直してくれるならいっか。
にこやかな笑顔でしがみついてくるセブンちゃんの手をどうにか振りほどき、私は豚玉お好み焼きを平らげる。
んん~っ! 美味しいご飯にお酒、そして友達とワイワイするのはやっぱり楽しいね!
さぁて、次の料理はまだかなー??




