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第45話 目標×翻弄


 久々にジムに行ってから数日が経った。

 結局そのまま宇佐美ちゃんは入会したみたいで、今は初心者コースで頑張っているらしい。

 会うたびに出逢った筋肉の素晴らしさのレポートをしてくるけれど、正直私はあまり興味が湧かない。

 彼女のやはり一番のお気に入りはモッチーらしく、他の女性会員たちと一緒にキャーキャー言っているんだとか。



 私はと言えば、職場で新たな挑戦に取り組んでいた。

 それは私の目標であり、入職してからもずっと頑張っていたこと。

 ようやくその一歩を踏み出せる――。


「これで認定試験の必須項目がひとつ埋まったわ。……大変だったぁ」


 ――認定薬剤師。

 薬剤師の中でも、特定の分野に特化した知識や技術を持ち合わせる上位職だ。

 その中でも私は腎臓病を専門家となるべく、何年もかけて日々努力してきた。


「いやぁ、入職してからこのポストを維持するのは大変だったなぁ」


 私が目指しているのは、腎臓病の認定薬剤師。

 この資格習得条件が結構厳しいんだ。


 勤続年数や勉強会の参加などなど様々な項目がある中で、最も苦労したのが学会発表だった。

 この学会とやらが中々の曲者で、全国から集まった専門家たちの目の前で発表をしなくちゃならない。

 ぶっちゃけ、この前の院内勉強会がお遊戯会に思えるほどのプレッシャーなんだよね。

 コミュ症であがり症の私なんて、簡単にボッコボコにされてしまう。


「ううっ、大学生時代を思い出す……あの理論武装したインテリ共に論破されて、聴衆の前で漏らしそうになったあの地獄を……」


 みんながみんな、発表者の粗探しをするようなハンターの目で見てくるんだよなぁ。

 きっとあの人達だって、過去に自分が同じことをやられたからやり返してくるのだ。

 表面上は笑顔のまま言葉で殴り合う戦場、それが学会発表なのである……。



「とにかく、発表のテーマが決まって良かった。あとはどうまとめるかだけど……」


 そもそもの話。

 この学会も発表するテーマが無ければ、当然舞台に立つこともできないワケでして。

 まぁ基本的に自分が勤めている病院で実際にあったことや、新たな治療の取り組みをネタに研究して発表するんだけど……。


「腎臓病にたずさわるだけで、こんなに苦労するとは思わなかった……」


 私がなりたいのは腎臓病の専門家だから、その分野で仕事がしたい。

 だけど、「私たち薬剤師が○○をやりたい!」と言って「はい、どうぞ」とはいかないんだよね。


 患者さんの治療をサポートするのが、私たち薬剤師のお仕事。

 そのための業務が一番大事だから、自分のやりたいことだけをやるワケにはいかないのだ。

 だから内科だったり、外科や整形外科といった希望する分野に配属されるかは争奪戦だったりする。


「私の場合は希望する内科に空きがあったからどうにかなったけど……」


 もともとは根津ねづ課長が内科の腎臓病関係を担当していた。

 だけど私がダメ元で「認定薬剤師になりたい」って理由込みで言ってみたら「ならやってみろ」って担当を代わってくれた。

 課長だってずっとその担当をやり続けてきたわけだし、本当に私がやってもいいのかを聞いたんだけど……。


『俺は情報管理室の課長に昇進するから後続を探してた』って。


 でも別に課長になったからといって、兼業出来るから本来は担当を降りる必要が無かったのに……。

 普段は寡黙かもくな上司だけど、陰で手助けしてくれたりする優しくて尊敬できる人だ。



「根津課長のところに後で論文の相談に行こうっと。取り敢えずはこれで私の夢への第一歩だ!」

「シア先輩、お疲れさまっす。論文、書く目途めどが立ったんですか?」


 薬剤部のデスクで一息ついていた私のところに、沢山の文献ぶんけんを抱えて疲れた顔をしている後輩の獅童しどうがやってきた。


「獅童もお疲れ。うん、何とか症例とか必要なものが集まってきた感じだよ。キミは……またか」

「はい……またっすわ……」


 腕の中の資料に頭を突っ込みそうなほどガックリとこうべれている獅童。

 彼がこんな状態になっているのは、実は面倒臭い事情があって――。


「おい! 資料まだかー!? 早くしろっつの!!」

「はーい、今行くっす~。……ったく。急いでるなら自分で持って行けばいいのに」

「災難だね、本当に……。あんまり酷いようだったら私か副部長に言うんだよ?」

「う~っす。その時はよろしくお願いします」

「いいのよ。貴方には貸しがあるしね……」


 この前の勉強会。

 その時に横暴を働いた猪田いのだ先輩をらしめるために、院内の上層部が動いた。

 結果的に猪田先輩と田貫部長は職場で大人しくならざるを得ない状況に立たされたワケなんだけど……。


「あの時は別に、ちょっと悪戯いたずらを思いついただけっすから」

「またそうやって……。私の為に危険なことをして……」


 実を言うと、猪田先輩をめるためにこの獅童は裏で暗躍していたのだ。

 それも勉強会で司会進行するための資料をすり替え、恥をかかせるために。


 なにをかくそう、私が渡した資料のデータを猪田先輩用のファイルではなく、先輩の知らないデータファイルを使用して渡したのは、《《この獅童だった》》。

 しかもそれを私には事前に知らせず、だ。


「アレはちゃんと辰巳たつみ師長とウチの龍鳳寺りゅうほうじ副部長と相談してやっただけっすよ。あの人達、めっちゃノリノリでしたから」

「それでも……まぁ終わったことはもういいわ。取り敢えず何かあったら言いなさい。今度は私が守るから」


 後輩に貸しを作ったままっていうのは私のプライドが許さない。

 それにいつもしたってくれる可愛い後輩が漢気おとこぎを見せてくれたのだ。

 少しぐらい、優しくしたってバチは当たらないよね……?


「うっ……先輩、そういうの恥ずかしげなく言っちゃう人なんすね……」

「なによ。惚れた?」

「……っ!! だから! そういうことを俺みたいな男にホイホイ言わないでくださいよ!」


 獅童は動揺したのか、手に持っていた資料の山を床に落としてしまった。

 慌てて必死に拾い上げてる彼を眺めながら、私は微笑んでいた。


 ふふふ、本当に可愛いんだから。

 いつも自分の事、僕って言ってるのに慌てたせいで地が出ちゃっているし。

 そういうところがあるからイジりたくなっちゃうんだよね~。


 顔を真っ赤にした獅童は再度怒鳴って急かしてきた猪田先輩に呼ばれて、小走りで去っていく。

 私は自分のデスクに片ヒジをつきながら、それを見送っていた。


「さて、どうやって恩を返しましょうかね……」





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