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第38話 事故×事後

 安全対策、医療事故防止の勉強会で事故が起きました……。

 準備不足をやらかし、進行をストップさせてしまった猪田いのだ先輩の下に、なんと黒光りの馬場ばば院長が登場。

 そして医療事故の演習を院長自らが手伝うと唐突に宣言。

 講堂の壇上だんじょうに運ばれてきたストレッチャー(移動式簡易ベッド)に横たわり、呆然とする先輩にひと言。


「さぁ、私を抱き上げるがいい!!」


 口を開けてポカーン状態の猪田先輩。

 あまりのシュールな光景に、必死で笑いをこらえる職員一同。

 えきれず笑っている辰巳たつみ師長と後輩の獅童しどう


「な、なにこれ……」

「わ、分からないです……くっ、ぷぷ!」

「ひっひぃっ! アン、無理ですっ、死んじゃうっ……!」


 この事件の片棒を握ってしまった私はともかく、隣の席に居る牛尾うしおちゃんと兎月うづきちゃんはもう笑いの堤防が決壊してしまいそうになっている。

 だって、この場で一番偉い筈の院長が黒光りする筋肉を見せつけながら、まな板の上の魚の様に簡易ベッドで横たわっているのだ。

 いや、寝てはいるが……アレは器用に大胸筋を揺らしている!?


「ぶふぉっ!?」

「ひぃーっ、ひぃー!! むりむりっ! 勘弁してぇ!!」


 あ、二人とも崩壊した。

 ていうか行動に居る周りの職員も目を逸らし、肩を震わせて笑っている。

 まぁ、アレはもう明らかにウケを狙っているし、笑っても仕方ないよね。



 しかしここで院長の進撃は留まらなかった。

 さらに追い打ちをかけるように、馬場院長は猪田先輩に要求を突き付けていく。


「さぁ! 私を暴れる患者様だと思って介護してくれ!!」

「ひえっ!? ボクが院長を……!?」

「さぁ、早く!! 私の筋肉が暴走する前に!!」


 いや、暴走する筋肉ってなんだよ。

 院長の身体に比べたら華奢きゃしゃな造りのストレッチャーが、その重量に悲鳴を上げるようにギシギシと揺れた。

 何故だかは分からないが、振動に合わせるようにしてたくましい筋肉もビックンビクンしている。


 冷静なって考えてみれば、明らかに先輩より患者役の方が健康的で元気溌剌(はつらつ)に見えるんだよなぁ。

 もはやストレッチャーから筋肉がはみ出ているし、何をどう抱き上げればいいのかも分からない。


 私がもし猪田先輩の立場だったらと思うと……うん、考えたくはないな。


 とはいっても、先輩はこのまま院長を放置するわけにもいかなかったんだろう。

 恐る恐る行動に移すことにしたみたいだけど……。


「え、えっと……? しっ、失礼します!!」


 意を決した猪田先輩は「えぇい、ままよ!」といった具合に、寝そべる馬場院長に抱き着いた!

 さて、ここからどうなる!?



 ――ガャシャァン!!


「「「ですよねー!?」」」

「ぶふぉっ!」

「あ、宇佐美さんがついに噴き出した」

「ウサミーは最後まで強かったねー」


 最後まで笑いを耐えていた宇佐美さんも、このコントみたいなやり取りは耐えきれなかったみたいだ。

 壇上ではストレッチャーから落ちた無傷の院長と、院長に抱き着くように覆いかぶさっている猪田先輩。


 そして「大丈夫か?」と庇ったはずの院長が、優しくいたわるように猪田先輩をでる。

 傍目はためから見ると、まるでグズった先輩をあやす母親の様だ……。

 一方、その猪田先輩と言えば……。


「おえぇえぇええ!!」


 もともと男性に対して潔癖症だったのか、その場でうずくまってしまった。

 幸い、ここには医療関係者が居るので何か大事になることはないが……。

 いちおう彼の状態を確認した院長はむくりと立ち上がると、不思議そうな顔で口を開いた。


「猪田君……だったよな? 今回、薬剤部と看護部が合同でこの演習をやるって決めたみたいだが。キミ、このことは知っていたハズだよなぁ?」

「はぁ、はぁ……えっ? な、なに……??」

「いや。キミが司会進行で、もちろんこの演習もやる手筈てはずだったんだろう? 違うかね、辰巳看護師長?」


 ここで唐突に、この勉強会の担当者だった辰巳師長に質問が移った。


「その通りですよ、院長先生。事前に《《担当の薬剤部の方》》と昨日までリハーサルも致しておりましたし、私は《《変更があったとは聞いていませんでしたわ》》」


 さっきまで爆笑していたとは思えない、いつもの冷徹な表情で淡々と院長に答える辰巳師長。

 あぁ、これはもしかしなくとも師長が直前にこれを仕組んだんだな……?


「ほう……? それはおかしいな。薬剤部長はここにいるか?」

「すみません、院長。薬剤部長は体調不良とかで、代わりに私が」


 お次に登場したのが薬剤部の実質の支配者、龍鳳寺りゅうほうじ副部長だ。

 っていうか田貫たぬき部長居なかったのかいっ!?


「あぁ、龍鳳寺君か。それで? この猪田君はどうしたのかね?」

「申し訳ありません。私は《《他の職員が担当していた》》ことは把握していたのですが、どうやら《《直前に部長の判断で》》担当者が変わったらしく……《《部長からは》》何も聞いていないので、正直ビックリしています」

「むむ? そうだったのか!?」


 あぁー。何も知らない人からしたら、副部長の言う事をそのまま受け取るだろうね。

 確かに嘘は言っていない。言ってはいないのだけど……。

 私が龍鳳寺副部長を見やると、彼女はニタァと恐ろしい笑みを浮かべていた。

 うわぁ、副部長もグルかよ、怖ぇな……。



「うぅむ、そうか。これは一種の報連相の不足からくる事故だな! 医療事故にも繋がりかねない事例だから、院長である私から直々《じきじき》に薬剤部長に話を聞くとしよう。ははは、ある意味これもいい実演になったな!?」


 院長はそう言うと、蹲っていた猪田先輩をひょいと抱き上げる。

 そして先ほどまで自分が寝ていたストレッチャーに乗せると、辰巳師長に「後は任せた!」と白い歯を見せながら、講堂から颯爽と出て行ってしまった。


 嗚呼、哀れな猪田先輩……結局勉強会は失敗し、恥もかいちゃったね。

 この場に居た大体の人は何があったかなんて何となく察してしまっただろうし、看護師を馬鹿にした発言もあったから、彼は今ままで通りに仕事をするわけにもいかなくなっただろう。

 あとは院長が田貫部長をどうするかだけど……。


「ま、いっか。私にはもう関係のない話だし」

「ふふふ、良かったですね紫愛さん」

「これで紫愛っちの溜飲りゅういんも下がるってもんだねぇ!!」

「まーねー。なんだか私も知らないところでコソコソやられたカンジはあるけど、これはスカッとするざまぁですわ」

「「「あはははは!」」」


 昨日、夜遅くまで飲み屋さんで慰めてくれた2人と仲良く笑い合う。

 ちょっと大人げない仕返しになっちゃったけれど、今回のは彼らの自業自得だし、今後また同じようなことが起きないようになればいいよね。


「取り敢えず、また近いうちに昨日と今日のお礼も兼ねて、盛大にお疲れさま会をやろうね!」

「あ、私も賛成です!」

「アンも行きますよー! おかげさまで美味しいお酒が飲めそうですねー!」


 他にも私の為に行動してくれた人にはお礼をしなくっちゃね。

 ふふふ、それにしても猪田先輩のあの慌て顔は……。


「ふふふ、あのクズ男が堕ちるところまで堕ちていく様は最ッ高でした!」


 私が言おうとしたセリフを、何故か今まで大人しくしていた宇佐美さんが昏い笑い声を上げながら言い始めた。


「え……? ど、どうしたの??」

「いやぁ、良いモノを見せてくれてありがとうございます、飯野さん!! あぁ~、本当に転職してきてよかったぁ~!!」 



 ……う、宇佐美さぁん!?



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