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第37話 陰謀×トド

 院内で行われていた勉強会。

 今、この講堂の壇上だんじょうで司会をしている猪田いのだ先輩。

 ここまで順調に進んでいる現状に、彼は非常に満足気な顔を浮かべていた。

 そう、《《私が用意したはずの》》台本を持って。


「な、なんで……? この資料、私が作ったやつだけど、コレじゃないの!」

「うん? 紫愛さん、いったいどういうこと?」


 看護師の牛尾うしおちゃんは事情が掴めない顔で私にどういうことなのか問いかける。


 ――確かに、これは私が作った記憶はある。

 だけど、これは……。


「これはね、牛尾ちゃん。私と辰巳たつみ師長が協力して、他の病院の実例と対策についての資料を集めてまとめたものなの」

「あ~、はいはい。グループ病院内の情報共有ネットワークを使ったんですね?」


 そう。院内だけじゃなく、全国展開された各病院の情報を共有することによって医療に関する様々な情報を取り寄せることが出来る便利なシステムだ。

 論文発表の為のデータを集める際にも使われているこの情報収集システムを、今回の勉強会の為に利用したのだ。


「いろんな案が出てきたから、必要に応じて情報元の病院に連絡を取ったりとかもしていたんだよね。その中でも興味深い事例とかがあったから、師長と相談してそのスライドを挟んだんだけど……」


 たしか……看護師が寝たきり患者さんを介護する際に起きた、実際の医療事故について演習をする予定だったっけ。

 でも口頭で説明するだけじゃ難しい部分があったし、師長と合同で実演しながらやるつもりだったんだ。

 だから司会の担当から私が外れた段階で、そのスライドを抜いたデータを新たに作成して猪田先輩にメモリーを渡したはずなんだけど……。


 ――それも分かりやすく『飯野いいの専用スライド』と『猪田先輩用スライド』と名を付けて。


「今、手元にあるコレって、私専用に作ったデータを印刷したやつだ。でも、なんで……?」

「え? じゃあこのまま進んでいったら……」

「猪田先輩は内容を知らないから、このままじゃ勉強会が進行不能になると思う……」


 確かに私のデータを残したままメモリーを渡したのは私の落ち度かもしれない。

 だけど今日の朝にデータを渡してチェックした時、確かに先輩は『猪田先輩専用』のファイルを開いていた。

 ……なのにいったい、なぜ?



 どちらにせよ、今からスライドを差し替えようとしてももう遅い。

 そして猪田先輩も、資料を読んでいる途中で気付いたようだ。

 すっごい目が泳がせながら挙動不審になっている。


 っていうか、直前にちゃんと確認しておいてよ!!

 こっちをにらんできたって、私だってこんなの知らないよ!



「いったいどうしたら……そうだ、師長なら!」


 猪田先輩の近くに、この状況を唯一どうにかできる人物が居たはず!!


「くっ……くぷぷぷぷ!!」


 ……って師長、お腹抱えながらめっちゃ爆笑してるんですけど!?

 私がこんなに慌てているのに、担当の貴女はなにやってるのよー!?


「あぁ、辰巳師長……アレは確信犯ですよね……」

「うっしーもそう思う? アンもアレは最初から知っていた気がするよー」

「嘘でしょう……? 院長も居るこの場で、そんなことやっちゃうの? ひょっとしたらコレって私にも責任問題になるんじゃないの!?」



 急に進行が止まり、院内のほぼすべての職員が居る中で司会が慌てふためいているさまはかなり異様だ。

 だけど、誰もフォローしない。否、することが出来ないのだ。

 このままじゃ、いつまでも収拾がつかないまま時間が過ぎるだけだよ!?



 ――そして遂に、この場における最高権力者が重い腰を上げてしまった。


「どうしたんだね……薬剤師のキミ。何かトラブルでも?」

「い、院長!? す、すみません。今ちょっと、私の知らない何かの手違いが……」


 この神饌しんせん病院で一番の権力を持つ馬場ばば院長が、行動の壇上にズシズシと登っていく。

 馬場院長は黒光りした肌と、白衣の下からも分かるほどに盛り上がった立派な筋肉を見せつけながら、狼狽ろうばいし過ぎてイケメンが台無しになった猪田先輩の前に立ちはだかった。


 院長はまるでボディビルダーの発表会のように何故かサイドチェストをキメると、猪田先輩に肌とは真逆の真っ白な歯をキラリと見せる。

 講堂のどこかで、『きゃァ~』という誰かの黄色い声援が上がった。

 なんだか聞き覚えがある気がするけど今は無視だ、無視。


「ふむ、猪田君か。このレジュメ(資料)見る限り、この事例を演劇ロールプレイ風に実演するんだろう? よし、私が付き合おうじゃないか」

「え? はっ? えぇっ!?」

「ぶふっ、くふふふ!!」


 いきなりの院長の無茶振りに、猪田先輩は完全にクールキャラが崩壊してしまった。

 顔面は冷や汗ダラダラで、バッチリとセットしていた髪型も崩れかけている。

 そんな情けない姿を見て辰巳たつみ師長はえきれず爆笑しているし……どんなカオスなのよコレ。


「なになに……私が寝たきりの患者役をやればいいんだな? それではキミは看護師役になって介護だな! よしよし、早速やるぞ!」


 え……? この中でも一番偉いはずの院長が自らソレをやっちゃうの!?

 しかもその超重量級の身体で!?


「ぼ、ボクが看護師なんかをやるんですか!?」

「ん? 看護師《《なんか》》、とは? 何か問題があるのかい?」

「いっいえ……そんなことは」 


 あーぁ、また失言しちゃったよ猪田先輩……。

 これで普段から看護師さんの事を下に見ていたのがバレちゃったぞ~?


 ここに居る大半《看護師》を敵に回すような失言に、部下大好きな院長が全身の筋肉をピクピクさせて怒っていらっしゃる。

 どんどん化けの皮が剥がれていく先輩は、その黒光りの筋肉に容赦なく追い込まれていく。



 そこへ我らが薬剤部のエース、獅童しどうと鬼の辰巳師長が移動式の簡易ベッドであるストレッチャーを壇上の院長の前へガラガラと持ってきた。

 もう2人ともこの展開を知っていたかのように、見事な笑顔でウッキウキ状態である。


 一方、呆気あっけに取られている先輩を余所よそに、院長は意気揚々とストレッチャーに横たわった。

 ……見た目は完全に水族館のショーをするトドである。


 そして黒光りのトドは、先輩にトドメの一撃を解き放った。



「――さぁ、私を抱き上げるがいい!!」



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