第36話 ディスカッション×ミッション
準備を終えた猪田先輩は、意気揚々《いきようよう》と勉強会の開始を告げた。
「それでは安全対策についての勉強会を始めましょう。まずは《《私が用意した》》資料をご覧ください!」
私が作成したスライドを壁のホワイトスクリーンに上映しながら、自信満々で説明を始める。
この病院で実際に起きたミスを例として、『なぜ起こったのか』、『どう対処したのか』、『再発防止するための対策』を教本通りにペラペラ喋っている。
内容自体は私が作ったんだけど……大丈夫かな。なんだか心配になって来た。
一通りキリの良い所まで順調に話し終えると、彼は満足げな顔で獅童に部屋の照明を点けさせた。
えぇっと、配布資料の通りにいくと次は……自分たちで医療事故の対策を考えるためのディスカッションか。
講堂のみんなは近くにいた職員同士でグループを作り、それぞれがディスカッションを始めていく。
私が参加したグループは、いつもの牛尾ちゃんと兎月ちゃん。
そしてもう一人はさっき猪田先輩に笑顔を向けられていた検査科の女の子だった。
「……で? どうするんですか、紫愛さん」
「ん? どうしたの牛尾ちゃん。どうって何が?」
「アンも気になったー。このまま無事に勉強会が終わると思うー?」
「兎月ちゃんまで……いや、終わるんじゃないの? ここまで資料通りに進んでいるんだし」
既に半分以上は問題なくちゃんと進んでいるんだし。
自分で言うのもなんだけど、資料も割と良くできてると思うんだよね。
一方、検査科の子は私たちがいったい何の話をしているのか分からず、不思議そうな顔をしている。
しまった、悪いことをしてしまった……。
ていうかこの子が猪田先輩の知り合いとかだったら、面倒なことになりそうだ。
この場では余計なことは言わないようにしよう。
「あの……もしかして薬剤部の方、ですか?」
牛尾ちゃんと兎月ちゃんに目配せをして黙るように促していたら、その検査科の子が私に声を掛けてきた。
髪はふわふわで目がクリクリの、大人しそうな可愛らしい女の子。
だいたい私と同い年ぐらいかな?
胸元の名札には宇佐美と書いてある。
「はい、私が薬剤師で、こっちの兎月ちゃんがリハ科」
「私が牛尾で、脳外科病棟の看護師です。宇佐美さん……は今年に入った検査科の方ですよね?」
だいたい半年か数年も勤めていれば、誰がどの部署に所属しているかはなんとなく分かってくる。
だから宇佐美さんが私たちが所属している部署がどこなのか曖昧だったのは、彼女が恐らく入職して間もないからだろう。
「はい、検査科の宇佐美です。今年の春に他の病院から転職して来たばかりで……すみません」
「謝ることないですよー! よろしくお願いしますね」
「紫愛さんの言う通りですよ。私もよろしくお願いします」
「アンはリハ科だから直接関わること少ないかもだけど、歳も近そうだし仲良くしてねー」
こういう院内の勉強会や運動会といったイベントは、他の職種の人とも仲良くなれるのがいいところ。
コミュニケーションを取っておけば、今後の仕事の連携も取りやすくなるしね。
年齢が割と近い女同士だし、性格も優しそうだから宇佐美さんとは仲良くできそうだ。
「こちらこそよろしくお願いします! まだ中々気軽に話せる人も居なくって、寂しかったんです……飯野さん達《《は》》優しそうで、良かったぁ」
「私たち《《は》》……? 牛尾ちゃんも兎月ちゃんも良い子だから、大丈夫だ思いますよ?」
なんだろう、ちょっとだけ宇佐美さんの心の闇みたいなモノが垣間見えた気がした。
まぁどの部署でも何かしらダークな部分があるものだし、初対面であまり突っ込んだところまで聞きたくはないけれど。
なんとなく深くは聞いてはいけない気がしたので、私たちは本来の目的であった勉強会のディスカッションをすることに。
「だからまぁ、人海戦術じゃないけれどチェックする人数を増やせばミスは減りやすいと思うんだよね」
「看護師は基本的にダブルチェックですねぇ。それがどんなに忙しくても」
「リハも書類とかはダブルでやるよー。あとは指さし確認かなー?」
「検査科もそうですね。前の病院では機械の確認システムがあったので、実質トリプルでしたけど」
おおぅ。宇佐美さんの前の職場は大学病院か、お金のある大きな病院だったのかな?
いいなぁ、機械のアシスト。
薬剤部でも「機械を導入してミスを失くそう!」とか言っていたんだけど、導入するだけで数千万円から億のお金がかかるから、部長にアッサリ却下された。
「人の目が一番だよね」とか、「人力の方がチェックする能力向上が~」とかいう理由つきで。
まぁウチの部署には|デウス・エクス・マキナ《機械仕掛けの神》と呼ばれる烏丸調剤課長がいるから安心だ。
「この病院はケチ臭いからな~、あまりお金の掛かる案は無理だろうね」
「看護部もそうですね……基本的に職員の能力不足を問題視する風潮がありますし」
「アンたちはこうやって業務時間外も頑張ってお勉強してるのにねー」
「ははは、でもだいたいどの病院でもそうですよ。酷い所だと、本当に使い捨て扱いで……」
あ、宇佐美ちゃんの目のハイライトが消えた。
もしくは死んだ魚の眼ってやつ。
余計に彼女が転職してきた理由が聞きにくくなってしまった。
ど、どうにか話題を変えなきゃ。え、えぇっと……。
「そういえば紫愛さん、この後って何するの?」
「えっ、私!? えっと、ディスカッションの結果を指名されたグループが発表して、師長がグループ内の病院から集めた事例と対策を……えっ!?」
あれ、おかしいな。
私の見間違い……じゃないよね!?
「ん? 紫愛っちどうしたのー?」
「えっ? えっ??」
「ど、どうしよう!? このままじゃ不味いよ……!」
「どうしたんですか紫愛さん?」
なんで? どうしてだろう、私はちゃんとしておいたのに。
「この資料……私が猪田先輩に渡したのと違うの!!」




