第35話 般若×ナルシスト
本日も業務が無事に終わった。
だけど、今日はこれでタイムカードを押してはい、帰宅~とはいかない。
ここ最近の私の悩みの種である勉強会が待っているからだ……。
「はぁ、勉強会さえなければ珍しく残業ナシでお家に帰れたのに」
「勉強会のある時に限って通常業務が早く終わる。あるあるですねぇ」
「残業代が出ないのも悲しいよねー。自分の研鑽の為の自主参加って名目かぁー……ジムだったらアンは喜んで行くんだけどなぁ」
私の言葉に続いたのは、看護師の牛尾ちゃんとリハビリテーション科の兎月ちゃん。
2人と一緒にこれから勉強会が行われる院内の講堂でパイプ椅子に座りながら、職場の愚痴を言い合っている。
そういえばジムも全然行けてないや。
モッチーにまた心配掛けちゃってるかもしれないなぁ……。
「そういえば、インストラクターの望月さんが紫愛っちのことを聞いてきたよー? 『アイツ、またストレス溜めて暴飲暴食してない?』って。言い方はアレだけど、大事にされてるよねー。これって愛、じゃないのー?」
そう言って兎月ちゃんがニヤニヤとしながら、私の顔を覗いてくる。
まったく……自分の恋愛話はしない癖に、他人のこういう話には敏感なんだから。
「やっぱり言われてたかぁ~。モッチーは恋愛対象っていうより、健康オタクの同志ってカンジなのよ。だから向こうも私の健康状態が気になるだけじゃないかな?」
「……うっしーもそう、思います?」
「思うわけないですよね? 私は会ったことない方ですけど、何度か話を聞く限りでも……」
私の隣で二人がゴニョゴニョと何かを相談し始めちゃった。
う~ん、あの女には苦労してなさそうなモッチーが、ねぇ……。
でも……もし、そうだったとしても。
今の私じゃあ、彼には釣り合わないんだよ……。
「ましてや今、私失恋中だし……」
「えっ、ちょっと待ってください。私それ聞いてないですよ!?」
「アンも! アンも聞いてないよっ!?」
私をのけ者にしてコソコソ話をしていたのに、失恋ってワードを聞いた途端、餌を待つひな鳥のように食いついてきた。
本当に女の子って他人の恋愛話が好きだなぁ。
「あれ? 言ってなかったっけ? もしかしたら結構キッツイ話だったから、敢えて言わなかったのかも?」
「「聞いてない! 教えてっ!!」」
「あ、でももう勉強会が始まるから。また今度ねー」
「紫愛さんは酷い人です」とか「焦らしプレイですか? 嫌いじゃないですよ」、「これは今日も飲み会ですね」とか色々と言われているけど、そんなことよりも私は今日のこのイベントが無事に終わって欲しいのだ。
ここ最近はたくさんのことが一気にあり過ぎて、私のお腹はもういっぱいいっぱいですよ……。
そうそう、お腹いっぱいって言えば、お昼は三大巨頭の皆さんとかつ丼を食べに行きました。
朝に尋問プレイをされた時、「かつ丼食べたくなりました」って三人に言ったら「じゃあ昼食はそれね!」と連れて行ってくれた。
蕎麦屋さんのかつ丼だったんだけど、ダシが効いてて美味でした。
いやぁ、そういう意味では役得だったな~。
「はい、皆さんこんにちは! 薬剤部の猪田です!」
次はあの店のお蕎麦を食べたいなぁ、とか考えているうちに、勉強会がスタートしていた。
司会進行は例の猪田先輩だ。
外面の良い明るいキャラの仮面を被り、まるでどこかの役者の様に愛想を振りまいている。
そんなにいちいち注目を集めるようなキザったらしい動作で資料を配ったり、自己紹介をしたりしなくたって良いのに……彼の内面を知っているだけにそういう細かい所でイライラしちゃう。
裏の顔を知っている私たちはイノシシだの豚だのと悪口を言っちゃっているけど、アレはアレで顔は割と整っているから、一部のあまり彼の性格を知らない女性職員たちが色っぽい眼差しで猪田先輩を見ている。
うわぁ、病院内に猪田先輩のファンが居たのかな~。
隣りの牛尾ちゃんと兎月ちゃんなんかは物凄い苦い薬を飲んだ時みたいな、女子がやっちゃいけない顔をしているんだけど。
私がしょっちゅう愚痴を言ってしまっていた所為かは分からないけど、2人は彼に対して生理的嫌悪感が凄いらしい。
「あの『俺様、どうよ? カッコいいっしょ?』的なドヤ顔が凄い腹立つんですよね」
「アレは自分に浸ってるよねー! もう、ヒタヒタのびっしょびしょ。アンにはあんな風にナルシストにはなれないなー」
うへぇ……可愛いカンジの検査科の女の子に、ニコッと微笑みながら資料をわざわざ手渡したりなんかしてる。隣の男子にはすっごい雑なのに。
自分好みの女子にだけ好感度アップを狙うような行為を……うぅっ、私も鳥肌が立ちそう。
あぁっ! 猪田先輩の後ろに居る辰巳看護師長が物凄く怖い般若の顔をしてるッ!?
彼は全く気付いていないみたいだけど、周りにいる他の男性職員たちは師長の負のオーラに当てられて顔を青褪めているんですけど。
あらら、その中に獅童も居るじゃない。
結局猪田先輩に巻き込まれたのかぁ……可哀想に。
「師長のアレに気付かないって……相当ですね」
「アンでも流石にアレは……」
「彼、薬剤部で失言暴言をやらかして場の空気を凍らせても、全く気付かないくらいだから……」
自分の頭の中では順調に事が運んでいるのだろう。
資料が配り終わった彼は横に控えていた獅童に講堂の照明を落とさせると、スライド上映による勉強会の開始を告げた。
「それでは安全対策についての勉強会を始めましょう。では《《私が用意した》》資料をご覧ください!」




